【02】ホーンテッドシーカー
あの捕り物から三日後の事だ。
夏休みも残り十日となったその日、桜井と茅野は朝からオカルト研究会の部室に詰めていた。
桜井の夏休みの課題を終わらせる為である。
「ほら、梨沙さん。頑張って!」
「うーん……」
眉間にしわを寄せて考え込む桜井。
「そこは、適当にネットでググれば似たような問題と答えが出てくるわ」
などと、ろくでもないアドバイスは送るが、答えそのものは決して教えない茅野であった。
やがて悩める桜井を放置してタブレットで動画鑑賞をし始める。
冷房の送風音とシャープペンシルが紙面を引っ掻くカリカリという音。それ以外には何も聞こえない。
そんな状態がしばらく続き、もうすぐで昼の十二時を回ろうとした、そのときであった。
「あら」
突然、茅野が声をあげた。
桜井が、びくん、と背筋を震わせる。
「循、どしたの?」
目を丸くしながら、おっかなびっくり尋ねる桜井。
「梨沙さん……ちょっと、これを見て欲しいのだけれど」
茅野はタブレットを手に腰を浮かせ、桜井の隣に移動する。
「ふむふむ」
画面には動画のサムネイルがずらりと並んでいる。
タイトルには『The Haunted Seeker』とあり、ナンバリングがされていた。
「ざ、はうんてどせえーける?」
「バキバキのローマ字読みね、梨沙さん。ホーンテッドシーカーよ。意味は“心霊探索者”かしら」
「ふうん……あっ」
そこで桜井は気がつく。
サムネイルに映っている人物が、つい先日、自分が腕ひしぎをかけた男と同一人物である事に……。
「気がついたようね。この男“スウェーデン堀”という名前で活動していて、心霊スポットのレポート動画を配信しているみたい」
「ゆーちゅーばーだね?」
「そうね。登録件数は十三万人そこそこだから中々の有名どころよ。ホラー系ではね。ただ、他の似たような動画よりも露骨なヤラセが多いという悪評もちらほら見られるようね。というか生配信をまったくやらない時点でお察しだけど」
「でも、何でスウェーデンなの?」
「多分だけど、有名な神学者のエマヌエル・スウェーデンボリからよ。そしてどうやら、この男、この県の出身みたい」
「ああ……本当だ。うちの県の心霊スポットの動画が多い。……弁天沼もある」
「それで……その最新作が、これなんだけど」
茅野がタブレットを指でなぞる。
すると、そこには……。
『The Haunted Seeker Vol,13 発狂の家』
「発狂とは穏やかじゃないね」
「これは、榛鶴市の海岸近くにある心霊スポットらしいわ。足を踏み入れた者はことごとく正気を失う……という話よ」
「じゃあ、このスウェーデンさんが、あの女の人を追いかけてたのは、発狂してたって事?」
「まあ、だいぶ様子はおかしかったけれど……どうかしら。まだ何とも言えないわ」
「うーん……でも、そういえば何かおかしな事を言ってたよね」
「どんな?」
「お前の悪霊がおかしいとか、どうとかって」
「それは、悪霊ではなく握力。彼の言ってる事がおかしいんじゃなくて、梨沙さんの握力が本当におかしいだけよ」
「あー」
桜井は自分の掌を見つめながら得心した様子で頷く。
そこで茅野は逸れた話題を強引に軌道修正しにかかった。
「兎も角、発狂の家の事だけど……その家では十二年前に火災があって以来、打ち捨てられたままらしいわ。この火災では、一人が亡くなっている」
そこは大きな河口の堤防近くに広がる古びた住宅街の一画にある廃屋なのだという。
現場検証の結果によれば、火災が起こったのは蛸足延長コードのショートが原因らしい。
その日は小雨が朝から降り続いており、通報もいち早く行われた為に消火活動は速やかだった。
結果、二階の一部が燃えただけで済んだのだが、当時一人で家にいた十七歳の長男が一酸化炭素中毒により死亡した。
「それで、これはあくまでもソース不明の噂でしかないんだけど……」
その長男は、なぜか二階の押し入れの中に閉じ籠った状態で発見されたらしい。
火の手はそれほど強くなく、どう考えても逃げ出せる余裕があったにも関わらず……である。
「その長男の自殺?」
「自殺するなら蛸足延長コードをショートさせるなんて面倒な真似はわざわざしないでしょうね」
「じゃあ、何でその長男は押し入れの中に……?」
「それについては推測でしかないんだけど……」
「良いよ。言って?」
「……その長男は、何かから逃げようとして押し入れに隠れたんじゃないかしら」
「何かって?」
「刃物を持った強盗とか。例えば押し入れの戸に内側からつっかえ棒をしたりして閉じ籠った。犯人は立ち去ろうにも長男に顔を見られていたので、そのまま帰る訳にもいかない」
「膠着状態になったんだね?」
茅野は「そうよ」と頷いて続ける。
「……そこまでの執着を見せるという事は、行きずりの強盗ではなく彼を怨んでいた顔見知りの犯行だった可能性が高いのかも。兎も角……そこで火の手があがった」
「何となく状況は把握したよ」
「とりあえず延長コードのショートが出火原因であるという見解が正しいのならば偶然でしょうけれど、犯人が隠れた長男をいぶり出す為に放火した可能性も考えられるわね」
「結局、その犯人はまだ捕まっていない訳だね?」
「ええ。もっとも、どこまでが本当の話か解らないのだけれど」
「じゃあさ、夏休みの最後に現場検証と洒落こもうよ」
桜井が食い気味でやる気を見せる。
きっと夏休みの課題をやりたくないのだろうな……と、茅野は思った。
しかし、彼女にとってもこの謎解きは魅力的だった。
「……まあいいわ。夏祭り前に榛鶴へ行ってみましょう」
「ちょうど、海も近いしね」
二人は陽気に、あはは……と笑い合う。
「それじゃあ、事前に予習と行きましょうか」
「うん」
動画が再生された。
門柱を背に男が喋り始める。
波打った長髪に神経質そうな丸眼鏡。
スウェーデン堀である。
あの夜のような鬼気迫る雰囲気はなく、とても穏やかな性格の人物に見えた。
その身振り手振りを交えたトークは軽妙でユーモアに溢れている。
「流石は手慣れているわね」
茅野が大して感心してなさそうな顔で言う。
「この人、おもしろーい」
桜井は大して面白くもなさそうに言う。
やがて堀はカメラを引き連れ、門柱の間から延びた石畳の先にある庇を潜る。玄関の戸は外されており、まるで怪物の口腔じみて見えた。
すると画面下にテロップで物件の管理者の許可は習得済である旨が表示される。
堀の背中が発狂の家の中に足を踏み入れた。彼の後をカメラが追う。
そのとき玄関の上部に掲げられた表札が画面の端に映り込んだ。そこには『滝沢』とあった。
「何かすき焼き食いたくなった」
桜井が腹を擦りながらしょんぼりする。茅野は首を傾げて問う。
「なぜなのかしら?」
「滝沢……しらたき……すき焼き……みたいな?」
「滝沢という名字だけで飯テロされるなんて、世界広しといえども貴女だけよ」
「えへへ……」
そんな知能指数の低そうな会話を二人が繰り広げるうちにスウェーデン堀は、発狂の家の内部をどんどんと探索して行く。
まずは玄関から真っ直ぐ奥へと延びた廊下を進む。
壁には色とりどりのスプレーによって書かれた罵詈雑言や英文字、卑猥な言葉や何らかの図形が躍り狂っている。
床には空き缶や空き瓶、硝子片にビニール、紙屑、熊のぬいぐるみなど、雑他なゴミが散らばっている。
トイレ、風呂場、リビング、キッチン、和室……。
どの部屋も家具はほとんどそのままであったが日用品や小物は見当たらない。
やがてスウェーデン堀は一階をぐるりと一周すると玄関正面の右手にある階段を登ってゆく。
そうして、堀が二階へと着き、左手へと延びた廊下の先へ行こうとした瞬間だった。
『何だ? 今、何か聞こえたぞ』
カメラマンの声が聴こえ、画面が激しくぶれる。『奇妙な呻き声が……』のテロップが表示される。
リプレイ画像が始まるが、確かに呻き声といえばそう聞こえなくもないノイズがほんの一秒くらい入っているだけだった。
しかし、カメラマンと堀はまるで血塗れの幽霊が鼻先に出現したかのように興奮した様子で騒ぎ立てている。
それをしらけた表情で眺める桜井と茅野。
「大袈裟すぎー」
「ヤラセね」
と、それぞれ感想を口にした。
……そのあと、何回か合成っぽい奇妙な影が映り込んで、そのたびにリプレイが始まり、二人はうんざりとした。
動画は特に何事もなく終了する。




