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【00】発端


 物音がした。

 引き戸が開く音だ。誰かが部屋に入ってきた。

 押し入れの中で、滝沢信二は耳を澄まし、少しだけ開いた(ふすま)から外の様子を窺った。

 その途端、何かが焼け焦げる臭いが微かに鼻をついた。

 滝沢の脳裏に火葬場という言葉が思い浮かんだが、その不吉なイメージを即座に振り払い目を凝らした。

 誰かが畳の上を歩き回っている。

 耳の穴を綿棒で(くすぐ)るかのような、微かな足音が聞こえる。

 不意に暗闇がぼんやりと明るくなり、ザザー……ザザー……と音がした。停電で消えていたはずのテレビのノイズだ。

 古いブラウン管タイプの物で、四年後のデジタル放送完全移行後は瓦落多(がらくた)と化してしまう骨董品である。

 その画面から放たれた薄ぼんやりとした明かりが、襖の隙間の向こうの室内をほんのりと照らす。

 黒い影だ。両手とこうべを垂れて、畳の上で円を描くように歩き回っている。

 この日、彼以外の家人は留守のはずだった。

 ……では、あれは誰だ、などと問うまでもない。

 そいつが右手のカッターナイフをチキチキと鳴らした。

 滝沢は、ごくりと唾を飲み込んだ。すると、喉がささくれたように渇いている事に気がつく。

 そこで、はっ、となり、持ち込んだペットボトルの存在を思い出す。

 わずかな明かりを頼りにペットボトルを握り、キャップを取った。そこでブルーライトの中に浮かびあがるデジタルの時刻表示を確認する。


 ……午前四時三十四分。


 彼がこの押し入れに身を隠したのは二時三十八分だった。

 滝沢は渇いた喉を鳴らし、ペットボトルの中身を急いで口に含む。

 その瞬間だった。

 畳の上をうろついていた黒い影が、ぴたりと足を止め、滝沢の隠れる押し入れの方を向いた。

 頬を膨らませたまま凍りつく滝沢。

 黒い影は動かない。しかし、強烈な視線を感じる。

 息苦しさを覚えて口の中に含んだ物を吐き出しそうになるも、必死に我慢し続けた。

 そのまま襖の隙間越しに滝沢は黒い影と睨み合う。

 数秒……数十秒……数分。

 次第に火葬場の臭いはどんどん強くなり、視界にもやがかかっている事に気がつく。


 ……もしかしたら、本当に火事なのかもしれない。


 そんな懸念(けねん)が頭を過った直後だった。

 滝沢は盛大に()せ返り、口の中に含んだ物を吐き出した。




 ごおう……と入道雲の彼方から飛行機のエンジン音が降りそそぐ。

 茅野循は忸怩(じくじ)たる思いで視線をあげた。

 そこには背の高いブロック塀に囲まれた家があった。

 庭は雑草がはちきれんばかりに伸び放題となって荒れ果てており、見える範囲の窓硝子はすべて割れていた。

 二階の窓には焼け焦げたカーテンがぶらさがっており、そよ風になびいている。

「……私は今回ほど、自分のうかつさを呪った事はないわ。もう少し、早く気がつくべきだった」

 茅野の隣で桜井梨沙が、気安い笑みを浮かべながら肩をすくめる。

「それでも、こうして謎を解いて、またここにこれたのは循のお陰だよ」

 その言葉に目を細め、茅野は真剣な顔で言葉を返す。

「貴女にそう言われると、ほんの少しだけ救われた気分になれる」

「それは、どうも」

 あくまでも気安い調子の桜井。

 そんな小さな相棒の横顔を見おろし、茅野は柔らかく微笑む。

 そして、もう一度、まるで巨竜を見据える騎士のような眼差しで、風になびく二階のカーテンを見あげた。

「……でもね、梨沙さん」

「何?」

「これは言い訳ではないし、強がりでもないのだけれど」

「うん」

「私は今とても楽しんでいる。()るか殺られるかの瀬戸際だというのに……」

 桜井は茅野の端正な横顔を見あげ、呆れた様子で笑い、溜め息を吐いた。

「まったく……循は、大馬鹿野郎だよ」

「あら。それは誉め言葉かしら?」

「当然」

 二人は目を合わせ無邪気に微笑み合う。

 少し離れた場所の海沿いの国道からだろうか。大型トラックの走行音が鳴り響き、遠ざかって、かき消えた瞬間――


「行くわよ、梨沙さん」

「うん」

 まるで、それがゲーム開始の合図だとでも言うように二人は動き始める。

「今日で全部、終わらせる」

「あたし、これが終わったら、循と夏祭りで一緒に花火を見るんだ……」

「やめなさい。縁起でもない」

 茅野と桜井は、門を潜り抜けて玄関へと向かう。

 戸が外れて開け放たれたままの入り口の上部には『滝沢』と記された立派な表札が掲げられていた。


 “滝沢家”または“発狂の家”


 足を踏み入れた者はことごとく気を病んでしまうのだという。

 二人がなぜ、この危険極まりない場所へと足を運ぶ事となったのか。

 その発端は数日前に(さかのぼ)る――

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― 新着の感想 ―
[良い点] イカれた二人組のターニングポイントだYeah [一言] 尚三週目である!!
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