【01】黄泉へと架かる橋
二〇二〇年一月十一日だった。
桜井梨沙と茅野循は長野との県境にある六間町を訪れていた。
心霊スポット探訪である。
六間は山間の盆地に広がる人口が五万人弱の小さな町だった。
その町外れの山の麓にあるひなびた旅館『鹿釜荘』を二人は今回の拠点と定めた。
この宿へと昼頃にチェックインすると、すぐに浴場へと向かう二人。
内風呂も外風呂も狭く年季が入っていたが、風情があり雰囲気は落ち着いていた。その為についつい長湯してしまう。
風呂あがりに浴衣へと着替えたあと、板張りの脱衣場の隅にあるテレビの前に並べられたマッサージチェアで、身体を小刻みに揺らしながら涼む二人であった。
「あぁ……効く……最近はバイトばかりだったしなあ……」
軽く目を瞑り、リクライニングさせたシートに身を委ねる桜井。
「それは、お疲れ様。ところで今回の“霧先橋”についてなんだけど……」
「おお。そうそう……どんなスポットなの?」
「今回のは、中々今までにない感じよ……」
茅野は得意気な顔で語りだした――
それは大型匿名掲示板のオカルト板が全盛期の頃だった。
ある日の深夜に一つのスレッドが立った。そのスレタイは……。
『ヤバイwww帰れなくなったwwwww』
「そのスレ主によると、恋人と面白半分に心霊スポットへと行ったら、異界へと迷い込んで帰れなくなったという事らしいんだけど……」
「気合いが足りないね。だから戻ってこれないんだよ」
その桜井の言葉には、謎の説得力がにじみ出ていた。
それは、これまで様々な危険スポットから生還した彼女の自信の表れでもあった。
「……で、それが霧先橋だったと」
「そうね。そのスレが立った時点ではまだ霧先橋だと特定はされていなかったんだけど」
「そもそもどういうスポットなのさ?」
「何でも、午前零時になったと同時にその橋の真ん中で振り向くと異界に迷い込んで帰れなくなるらしいわ」
「ふうん……異世界転移……なろう系だね」
「私としては、ウィンチェスター社製の散弾銃とチェーンソーを持っていきたいところだけど」
「それ、この前に観たブルース・キャンベルのやつじゃん……あれも異世界転移ものだけど」
「死ぬまでに一回でいいからスピンコッキングってやってみたいの」
「なら、腕力を鍛えなきゃ」
……などと、訳の解らないやり取りをするうちにマッサージが終わる。桜井は立ちあがり、近くの自販機でフルーツ牛乳を購入した。
「んで、そのスレは結局、どうなったの?」
茅野はマッサージチェアの料金ボックスに再び百円を投入して、マッサージを再開する。
「それからスレ主は、建物の明かりを発見したというレスを最後に、ぱたりと反応しなくなったわ。朝の五時少し前だったみたい」
「ふうん。それで?」
桜井はフルーツ牛乳の蓋を開けると、腰に手を当てて半分近くまで飲み干す。再びマッサージチェアに腰をおろした。料金ボックスに百円を投入する。
「あ、あ、あ、あ……効くぅ……」
「……スレ主の反応が再びあったのは、三日後の二十三時頃ね」
492: ブラザー◆likja93nk 10/06(水)23:05 ID:※※※※※※※※
やばい
493: 名無しさんきっと来る 10/06(水)23:12 ID:※※※※※※※※
>>492
お、どうなった?
494: 名無しさんきっと来る 10/06(水)23:15 ID:※※※※※※※※
>>492
おかえりー
で?
495: 名無しさんきっと来る 10/06(水)23:17 ID:※※※※※※※※
>>492
もう帰れた?
496: 名無しさんきっと来る 10/06(水)23:18 ID:※※※※※※※※
だから釣りだろ
きららぎ駅のパクリ
497: 名無しさんきっと来る 10/06(水)23:20 ID:※※※※※※※※
彼女のおっぱいうP
498: 名無しさんきっと来る 10/06(水)23:21 ID:※※※※※※※※
釣り宣言くるか?
499: ブラザー◆likja93nk 10/06(水)23:25 ID:※※※※※※※※
黄泉と吉
「……というレスを最後に、スレ主の書き込みはパタリとなくなったの」
「黄泉……その橋は黄泉の国へと繋がっていたって事なのかな? 吉? おみくじのやつ?」
「さあ……まだ何とも言えないわ」
「ふうん」と相づちをうち、残りのフルーツ牛乳を飲み干す桜井。茅野は話を続ける。
「兎も角、それから数日後、長野県在住の二十三歳の男女が失踪し、その男の乗っていた車が、この辺りの山中で発見されたというニュースが報じられたの」
「まさか、それが……?」
「そうよ。ニュースで公開されたその男の写真なんだけど、彼は額に“Brother”と書かれた赤いキャップを被っていたの。もちろん、これは当時のオカルト板で大きな話題となった。そして、彼の車が見つかったのが、霧先橋の手前だったの」
「うわぁお……」
桜井が極上のサーロインステーキを目の前にしたかのように、瞳を輝かせる。
「そんな訳で、今夜はその霧先橋に行くわよ。フロントに事前に言っておけば、深夜でも玄関を開けてくれるそうだから、何もなかったら、とっとと帰ってきましょ」
「りょうかーい」
桜井がそう言って敬礼のポーズをしたあと、マッサージチェアが止まった。
「そろそろ部屋に帰りましょう。お昼ご飯を食べたら、少し夜に備えて仮眠を取った方がいいわ」
「ウォーミングアップの温泉卓球は?」
「起きたらにしましょう」
「らじゃー」
二人は同時に椅子から腰を浮かせた。脱衣場を後にする。
そして、女湯の暖簾をくぐり抜け、廊下に出た瞬間だった。
「これ、お嬢さん方」
桜井と茅野は同時に振り向く。
すると、そこにいつの間にか、酷く腰の曲がった和装の老人がいた。
白髪で枯れ枝のように痩せており、その大きく見開かれた瞳は血走っていた。
「な、何? お爺ちゃん」
さしもの桜井梨沙も、老人の醸し出す異様な雰囲気に気圧された様子で、おずおずと尋ねた。
「もしも、霧先橋に行こうとしているならやめときなされ……」
「はあ……」
茅野が戸惑い気味に相づちをうつ。
「あの辺りには昔から、人を喰う恐ろしい天狗が棲んでおる……悪い事は言わん」
そう言い残し、老人は唖然と佇む桜井と茅野を置いて男湯の方へと消えた。




