【28】最強最悪
井戸の底には、泥水が踝くらいの丈まで張っていた。本堂の方角にアーチ状の横穴がある。
幅が狭く、天井も低い。三人の中でもっとも長身の茅野は腰を屈めなければならなかった。
じゃぶ……じゃぶ……という足音と息遣いが反響する。
三人は桜井、茅野、九尾の順番に並んで進む。
すると、すぐに階段の途中に出た。
左側から右へと弧を描きながら地の底へ降る石段である。
天井には木製の梁が、そして両側の壁面に沿って柱が、等間隔で並んでいる。
その柱にはおびただしい数の護符が貼りつけてあり、燭台が取りつけてあった。
茅野が頭のライトの光を左手に向けると、天井が崩落しており土砂で塞がれていた。
「あっちが、本堂の地下に通じていたのね」
「この下だね。ラスボスの間は……」
桜井が勝負師の目つきになる。
「取り合えず、進む前に……」
九尾が消臭スプレーを取り出して、二人に噴霧し自分にもかけた。
それから、三人は道なりに階段を降りる。
そうして、しばらく進むと底冷えするような冷気と共に潮の匂いが濃くなってゆく。
おもむろに先頭の桜井が立ち止まり、ぶるりと背筋を震わせて己の肩を抱いた。
「梨沙さん……どうかしたのかしら?」
「うーん。何か寒気が……」
「確かに冷えてきたわね……」
「まあ、こんな場所だしね」
桜井は肩をすくめ、再び階段を降り始める。
このとき、最後尾の九尾には視えていた。
階段を登ってきた七人の姿を……。
経帷子を着ており、顔は垂布に覆われている為、その面差しは窺えない。丸太を井の形に組んだ御輿を担いでいる。
その一団は、桜井と茅野をすり抜けてゆく。
二人は気づいていない。
そして、九尾とすれ違う瞬間だった。彼女の頭の中にある風景が流れ込む――
それは砂浜であった。
大勢の観衆が見守る中、七人の男が横一列に並んで正座をしている。
男たちは両手を後ろ手に縛られていた。
観衆も男たちも、古い和装であり、その風景が過去の物である事が窺える。
これは過去の夜鳥島だ。
そして九尾は、この男たちが、さっきすれ違った七人であると悟る。
その彼らの前で身なりのよい男が、何かを喚き散らしていた。
歳の頃は四十過ぎ。
右手には白木の日本刀を一振り携ている。
まるで気の立った猿のように顔色を上気させ、行ったり来たりしている。
身なりのよい男が刀を振りあげて叫んだ。すぐに後ろにさがる。
すると、観衆が七人に向かって次々と石や砂を投げつけ始めた。
多くの者たちが怒りに顔を歪め七人を罵倒していた。
中には楽しげに笑っている者もいた。
やがて、その目を覆いたくなるような狂乱が静まると、身なりのよい男が再び前に出て刀を振りあげ、七人を次々と――
「センセ……センセ……!?」
九尾は桜井の声で我に返る。
そこで自分が壁に手を突き、茅野に肩を支えられている事に気がついた。
「何か感じたのかしら!?」
「あ……あぁ……」
九尾は姿勢を正し、先程の光景を反芻する。そして、それの意味するところを理解した。
あの七人は明治二十二年に島へと戻ってきた箜芒甕子の厄流しを執り行った者たちなのだ。
甕が島に戻ってきた事について、責任を追及されていたのだろう。
そして、恐らくあの白木の日本刀を持った男が当時の箜芒家頭主であった元親なのだ。
島長の独裁による治外法権。
きっと、この島では、ずっと、あんな事が繰り返されてきたに違いない。
何人も……何人も……何人も……たくさんの人が死んで、呪詛が深く染み込んだ島。
呪いに満たされた大きな器。
それが夜鳥島という魔境なのであろう。
恐らく明治二十二年の厄流しが失敗に終わらなくても、遅かれ早かれ、この島は未曾有の災禍に見舞われたはずだ。
「……大丈夫。行きましょう」
九尾は降り階段の真下の暗闇を見据えながら、桜井と茅野にそう言った。
再び三人は、魔境の深淵を目指した。
「声が響くねえ……」
桜井がのんきな声を響かせた。
三人は洞窟の途中に降り立つ。
かなり天井が高く、幅は軽自動車がすれ違えるくらいはあった。
桜井が左側を向くと、彼女の額から伸びたライトの明かりがその奥を照らし出す。
光の中に浮かびあがったのは、大きな岩室への入り口だった。
「あっちが最奥みたいね」
茅野の言葉に九尾が顔をしかめながら頷く。
磯の臭いと共に禍々しい気配が強くなる。
濃密な呪の香り……どこか、あの隠首村とよく似ていた。
九尾は深呼吸を一つする。
「行きましょう」
桜井と茅野が力強い表情で頷く。
三人は奥を目指す。
岩室はかなり大きい。
入り口から中を覗き込んだ三人は息を飲んだ。
「凄いわね……これ……」
流石の茅野も呆気に取られた様子であった。桜井はネックストラップに吊るされたスマホで、しきりに撮影を繰り返している。
岩室は円形のドーム状で天井からはおびただしい数の鍾乳石が垂れさがっていた。
広さは学校の体育館がすっぽりおさまってしまうくらいはある。
空間の中央には、石の台座があり、何かが乗せられていた。
藤壺や貝殻にびっしりと覆われたそれは、厄流しの儀式に使われた甕である。
そして、入り口から反対側の奥の壁であった。
壁際に岩壁を削って作られた雛壇状の段差があり、そこにたくさんの突起が並んでいた。
やはり藤壺や貝殻に覆われていたが、茅野はそれらが生け贄たちの位牌であろうと悟る。
「あれが例の位牌みたいね」
「凄い数だねえ」
それだけ、この島では何回も、何回も、例の忌々しい儀式が繰り返されてきたという事なのだろう。
九尾は思った。
この日本で、ここまで死と呪いの気配が今も色濃く漂う場所はないのかもしれないと……。
「取り合えず、藤壺や貝殻をひっぺがして、明治二十二年に戻ってきた生け贄のやつを探さなきゃ……」
と、桜井が岩室に足を踏み入れた。茅野と九尾も後に続いた。
そして、雛壇の前に立つと茅野は位牌を見渡し指を差す。
「左から右にかけて新しくなっているようね」
「解るの?」
と、九尾は相変わらずの神憑った観察眼に舌を巻く。
茅野は「ええ。藤壺や貝殻の付着具合でね」と言って、リュックからドライバーセットを取りだし、九尾に手渡す。
九尾がとまどっていると、茅野が右側の一番手前の位牌を指差した。
「更に奥から手前に向かって新しい物みたいね。甕が戻り失敗に終わったのが最後の厄流し……つまり、あれね。そのドライバーセットで表面を削って見てくれる?」
「え……うん」
自分でやればよいのに……と、首を傾げながら、ドライバーセットから取り出したマイナスドライバーで位牌の表面についた藤壺や貝殻を削ぎ落とす。
そして……。
「あっ。見えてきた。名前は、箜芒……暁美……?」
「元々の苗字が箜芒という事は……島で初めて箜芒甕子に取り憑かれた箜芒照美の親族だったのかしら?」
と、茅野が九尾の隣に立ち位牌を覗き込みながら、顎に指を当てる。
すると、その瞬間だった。
「くっくっく……」
茅野と九尾は、その不気味な笑い声に弾かれるように振り向いた。
すると少し離れた位置に佇んでいた桜井梨沙が、うつ向いて肩を揺らしながら笑っていた。
「きたのかしら……?」
茅野が身構える。
「ええ……あのときと同じ」
九尾は答える。
密度の濃い霊気と呪いの香りによって麻痺した彼女の感覚では、その存在の接近を察知する事ができなかった。
九尾は下唇を噛み締める。
直後に桜井が機械仕掛けの人形のような所作で、かくりと顔をあげた。
「誰かと思えば……いつぞやのぺてん師か……」
それは普段の彼女とは似ても似つかないしゃがれ声……。
驚異的な身体能力をほこり、右膝の傷が完治した、完全体の桜井梨沙。
そして絶対に祓う事の出来ない悪霊、箜芒甕子。
まさに最強最悪の組み合わせであった。




