【04】人を呪わば
「そもそも、桜井さんを呪った相手を見つけてどうするつもりなの? 復讐? 単なる偶然かもしれないのに?」
その杉本の言葉に、茅野は呆れ果てた様子で肩を竦める。
「これが偶然だと本気で思っているなら、自分の正気を疑った方がよいと思うけど」
「姉さん……ちょっと……」
薫が困り顔で姉を嗜める。
当然、杉本はムッとして言い返した。
「正気を疑った方が良いのはそっちの方じゃない? 呪いが実在するだなんて本気で考えている訳? これが中二病とかいうやつなの?」
「では、呪いではないと考えているならば、貴女は梨沙さんの怪我の原因は何だと考えているの?」
「だから、偶然でしょ?」
「偶然というのはね、因果関係が不明であるという意味でしかないのよ」
「だから、桜井が怪我をしたのは車に轢かれたからよ! それ以上でもそれ以下でもない。事故が起こった原因は、運転手の不注意か、桜井の不注意は知らないけど……藁人形なんて関係ない! 関係があるはずがない!!」
杉本はヒステリックに叫び散らした。周囲の客の目が彼女に集まる。
薫がオロオロとしながら姉と杉本の顔を交互に見渡す。
「本当に、貴女はそう思っているの?」
茅野のすべてを見透かすような赤い視線。まるで、心臓を射抜くような……。
「……どういう、意味……?」
少しだけ冷静になった杉本はトーンを下げて聞き返す。
「貴女、さっき質問したわね? 呪った相手を見つけてどうするつもりかって」
「ええ。それで?」
「別に復讐なんて、するつもりは毛頭にないわ」
「じゃあ、何で……」
「警告よ」
茅野は酷薄な笑みを浮かべる。
「何の、警告……?」
「人を呪わば穴二つ」
「は?」
「その諺の通り、何の代償もなしに呪術を行使できるだなんて、思わない事ね。あれだけ強い力を使ったのですもの」
「しっ、知らないわよ……私じゃないもの……」
呪いには代償を支払わなければならない。術者の身にも何らかの不幸が振りかかる。
それについては杉本も、事前にネットで調べたときに知った。大抵の丑の刻参りや呪いに関する説明で、そんな注意書きがなされていた。
しかし、大津神社へ行ってニ年もの間、特に何もなかった。むしろ、このニ年は幸せであったといえる。
だいたい、あの夜の杉本は丑の刻参りの正式な手順を踏んでいない。
格好もジャージとベンチコートにスニーカーだった。
そもそも、本来の丑の刻参りは七晩もの間、藁人形に五寸釘を打ち続けて、ようやく満願となる。杉本が五寸釘を打ちつけたのはあの晩だけだ。
例え呪いという不思議な力が実在したとしても、あれで呪いが発動するはずはない。
では、桜井梨沙を襲った不幸は何だというのか。
杉本は“天罰”であると考えていた。
ただ存在するだけで、大勢の罪なき人々を苦しめる才能を持った者への罰。もしくは報いのような物だと……。
だから自分は悪くない……杉本は、ずっとそう考えていた。
しかし、この日、茅野循のすべてを見透かすような視線に曝され、彼女の中の確固たる信念が、わずかに綻び始めていた。
茅野の瞳。
色素の薄い……それこそまるで、呪いのような……。
「……それから、丑の刻参りを行った事を誰かに知られてしまえば、その呪いは跳ね返ってくる」
それも知っていた。
……だが、その証拠はない。
杉本奈緒が桜井梨沙を呪おうとした証拠など、どこにも存在しないのだ。
だが、もしも茅野がそれについて何らかの証拠を握っていたとしたらどうだろう。
杉本の脳裏に疑念が膨れあがる。
……例えば、どこかで自分の筆跡を手に入れて、藁人形の名札と照合されてしまっていたとしたら……。
少なくとも、わざわざSNSで呼び出すくらいなのだから、何らかの理由で確信を持っている事は充分に考えられる。
更にあの日の夜に見た白い右手。
あれが、呪いの力を司る何かであったとしたら……。
杉本はまとめサイトで目にした書き込みを思い出す。
『この神社は呪詛の力が非常に強いのでみだりに近寄らない方がいい』
もしかすると、あの神社は特別で、あれだけの事で簡単に呪いが発動してしまうのかもしれない。
桜井の事故が呪いによるものならば茅野の言う通り、呪いは跳ね返ってくる。
これまでが幸せだったからといって、これから先も何も起こらないとは限らない。
そんな当たり前の事にようやく杉本は気がついた。
「どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
茅野の言葉の一文字一文字が、胸を鋭く深くえぐる。
杉本は息も絶え絶えになりながら、やっとの事で首を横に振った。
茅野が口角を歪める。
そして、それが、まるで確定した未来であるかのように言い放った。
「……きっと、梨沙さんを呪った相手には、これからとても酷い事が起こる」
「あ……あ……」
杉本は半開きの口から声にならない言葉を漏らす。
すると、茅野循は伝票をつかんで立ちあがった。
「私たちはそろそろ帰るわ。何かあったら連絡を頂戴」
「ちょっと、姉さん……」
姉の突然の行動に戸惑いながら薫が椅子から腰を浮かせる。
そして、茅野は椅子に座ったままの杉本を見下ろしながら言う。
「貴女は顔色が優れないようだから、少し休んでいった方が良いわ。ドリンクのお金は私が払ってあげるから」
茅野がレジの方へと向かう。
薫は申し訳なさそうな顔でぺこりと頭をさげると、姉の後を追いかけた。
そして、ふたりが店内を後にして、しばらく放心していた杉本だったが、スマホを確認すると彼氏からメッセージが届いていた。
駅前のファミリーレストランにいると返信する。すると、こちらにきてくれるらしい。
ほっと、肩の力を抜いた。
「な……何が、警告よ」
杉本は身嗜みを整え直す為にトイレへと向かった。
そして、鏡を見ると、疲れ果てて、まるで赤の他人のような顔をした自分の姿がそこにはあった。
まるで桜井梨沙に試合で負けた直後の自分のようだと杉本は思った。




