【01】オカルト研究会
その日は朝から陰気な空模様だった。
午後になると天気は本格的に崩れ、大粒の生温い雨が降り始める。
その雨水は中庭の紫陽花を揺らし、雨どいからごうごうと飛沫をあげて排水溝へ雪崩れ込む。
やがて風は強まり、雨粒が横殴りになって校舎の窓硝子を一斉に叩き始めた。
「梅雨時の雨は嫌いじゃないのだけれど……ここまでの荒れ模様だと、ちょっと帰るのが億劫ね」
と、濡れた窓硝子を眺めながら憂鬱な溜め息を吐いたのは茅野循であった。
そこで桜井梨沙が得意気な顔で胸を張る。
「あたしは雨合羽があるから平気だけどね。わんこのやつ」
「高校生にもなって、雨合羽……」
「何で? 便利だよ? 両手が空くし。敵がきてもだいじょうぶ」
桜井が虚空に向かって、ジャブとストレートをリズム良く繰り出す。その様子を見て茅野は呆れ顔で肩を竦める。
「貴女は何と戦っているのよ……」
その日の放課後、二人は高校の部室棟二階の隅にある物置の掃除をしていた。
オカルト研究会の顧問の戸田より、この部屋を掃除したら部室として使ってよいと言われたので、さっそく放課後に取りかかったという訳だった。
元々は何かの部活が使っていたらしく、エアコンもついている。ちゃんと掃除をすれば快適に利用できそうだった。
因みにオカルト研究会は、茅野による『何かの適当な部活を立ちあげて部費を私的流用しよう』という悪巧みに桜井が乗っかる形で、この春に新しく作られた。
もちろん部を立ちあげるには、それ相応の易しくはない条件をクリアしなければならない。そのために、二人は一年の夏休み明けから周到な準備を行っていた。
しかし、その対価として得られた肝心の部費は、払った労力には到底見合わない雀の涙程度の金額であった。
何の活動実績もない、新設したばかりの文化系の部活など、そんなものである。
それならば……と、めげない二人は、せめて学校に自分たちの居心地のよい空間を設けようと部室を作る事にしたのだった。
「そう言えば、戸田先生に聞いたのだけれど……」
茅野は壁際のスチールラックの中段にあった段ボール箱を両手で持ちあげた。
とりあえず、この棚にある段ボールは、いったん部室棟の玄関へと運ぶ事になっていた。
それから後日、教師の立ち会いの元、より分ける手はずである。
「……戸田センセがどうしたって?」
桜井が同じくらいの重さの段ボールを二段重ねで軽々と持ちあげる。
二人は部屋をあとにして、部室棟の薄暗い廊下を並んで歩く。
「流石に秋の文化祭までに何らかの活動実績を作らないと、来年の部費はおろか、廃部になる可能性もあるのだとか……」
「へえ。でもさ、オカルト研究会って何をすればいいの? お化け退治とか?」
肝心の部長からして、この有り様である。
そもそも、桜井と茅野以外の他の部員はすべて幽霊部員だったりする。
部を設立するにあたり、数合わせで適当に集められた者たちばかりだからだ。
中には自分がオカルト研究会に在籍している事すら知らない者もいる。存在そのものがオカルトのような部活であった。
「本当に何をすればよいのかしらね。私も部活動なんて、これが生まれて初めてだから解らないわ……」
「じゃあ、筋トレでもする?」
と、桜井が冗談とも本気ともつかない調子で、そう言った瞬間だった。
突然、前方から姿を現した女子生徒の肩と茅野の肩がすれ違いざまにぶつかった。
「あっ!?」
その拍子に茅野は前方へとつんのめり、手に持った箱の中身をぶちまける。
「危ない!」
桜井は二つの箱を空中に放り投げ、咄嗟に茅野の腰に腕を回す。おかげで茅野は転倒を免れる事ができた。
「循、だいじょうぶ?」
「ありがとう。梨沙さん」
体勢を立て直しながら礼を述べる茅野。そして悔しげに、ほぞを噛む。
「あの女、逃げたわね……」
茅野にぶつかった女子生徒の姿が見当たらない。桜井も頬を膨らませて憤慨する。
「酷い! あやまりもしないでさ!」
この藤見高校で、桜井梨沙と茅野循といえば、ちょっとした有名人である。よい意味でも、悪い意味でも……。
きっと、関わり合いになりたくなかったのだろう。桜井と茅野は、そう考えた。
「……でも、残念ながら顔はしっかり覚えているわ。それから、ループタイの色は緑……つまり三年生。特定は容易よ」
茅野が魔王のごとき笑みを浮かべた。
「そんな事より、これ……早く片付けようよ」
桜井が辺りを見渡して苦笑する。
廊下には、投げ出された三つの段ボール箱から溢れた瓦落多や紙屑が散乱し、酷い有り様であった。
茅野は溜め息を一つ吐いて腰に手を当てる。
「それもそうね」
二人はしばしの間、散らばった物を再び箱の中に詰め直す作業に従事する。
その間、人通りはなく、外から聞こえる激しい雨音だけが湿った空気を静かに震わせていた。
「あら……」
おもむろに茅野が声をあげ足元のそれを拾いあげる。
「どうしたの?」
桜井の問いに、茅野は自分の手の中のそれを掲げて見せた。
それは、片面をホッチキスで止めてある一束の冊子であった。
その表紙には、こう記してある。
『郷土史研究会報12』
「きょう……ど……し……って何?」
桜井が眉をひそめて首を傾げる。
「特定の地方の歴史って事よ。つまり、特定の地方の歴史を研究する部の会報ね。これは」
「ふうん」
と、桜井が理解しているのかしていないのか解らない調子の相づちを打つ。そして、小首を傾げた。
「でも、そんな部活って、あったっけ?」
「私も聞いた事がないわね……」
しげしげと会報の表紙を見つめる茅野。そんな彼女に桜井は問うた。
「で、これがどうしたの?」
「わからないかしら?」
「うん」
素直に頷く桜井。
茅野は得意気に口角を釣りあげて微笑む。
「私たちも、会報を作りましょう!」
「ああ……」
そこで桜井は、ようやく茅野の意図を悟り、ぽんと両手を打ち合わせる。
「オカルト研究会報の製作。これを我が部の活動とするのよ!」
……このあと二人は掃除を続けながら会報の内容をどうするのか話し合う。
その結果、近隣にある心霊スポットを探訪し、レポートする事にした。
適当にネットで検索した情報をまとめてお茶を濁してもよかったのだが、話を進めるうち、実際に心霊スポットへ行ってみたくなった。ようするに、閑だったのだ。
ちょうど、学校から北東の山間に『五十嵐脳病院』という県下でよく知られた場所があった。
桜井と茅野は中間テストの最終日、学校が終わると自転車に乗って現地へ赴く事にした。
二人の自宅は五十嵐脳病院の所在地とは学校を挟んで反対方向だったので、下校せずに制服のまま直接向かう事にした。
五月病がますます悪化しそうな蒸し暑い曇天の正午過ぎ、学校の周辺に広がる田園地帯を抜け、山沿いの地域を目指した。
因みに探索に必要な物は登校時には既にスクールバッグに入れてあり、反対に筆記用具や教科書などはすべて学校に置いてきた。
かなり距離があったが、そこは閑をもて余した田舎の女子高生である。
無駄に有り余るバイタリティで、五十嵐脳病院までの道程を二輪で駆け抜ける。
やがて田園地帯を抜け、山沿いの地域を横切る国道に出た二人は、ファミリーレストランに入り、少し遅めの昼食を取る事にした。
店内は緩やかに冷房が効いており、にじんだ汗が引いてゆく。二人は駐車場が見渡せる窓際の席に座りメニューを開いた。
「うわーい。テストが終わったから、ハンバーグを食べよう。チョコミントパフェもごほうび」
桜井が無邪気に言い放つ。
「私は、この五月のフェアで一番売れてなさそうなアスパラ納豆カレーにしようかしら……」
茅野は呼び鈴を押して店員を呼ぶ。各々が注文を済ませた。
やがて料理が運ばれてきて、二人は充分に英気を養う。
食事中の話題は、やはり終わったばかりの中間テストの事に終始した。
……あの問題はどう答えた、とか、あの教科のできはどうだった……とか。
そんな話を続けるうちに茅野の表情が青ざめる。
「……梨沙さん。貴女、本当に大丈夫なのかしら? 今、話を聞いた限りでは完全にアウトのようだけれど」
「だ、だいじょうぶ……多分。まだ可能性はある」
目を逸らす桜井。
その様子をじっとりと睨めつける邪な視線がある事に、二人は気がついていなかった。