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【03】呪いの力


「梨沙さんを呪った犯人探しに協力して欲しいの」


 当然、杉本は断るつもりであった。

 呪いなど馬鹿馬鹿しい……非科学的だ……何とでも言い訳はなり立つ。

「でも、茅野さん……」

 喋りだそうとした瞬間だった。

「あ、飲み物、取ってきますよ。同じ物でいいですよね?」

 ずっと黙って話を聞いていた茅野薫がそう言って腰を浮かせた。気がつくと、自分のグラスも空になっていた。

「ええ。ありがとう」

 薫に気の効くところを見せられて、杉本の中で張りつめていたものが少しだけ和らぐ。

 もうあと一年か二年も立てば、自分好みのイケメンになりそうだ。年下の彼氏というのも悪くないかもしれない。

 今の彼氏は社会人で忙しく、なかなか一緒に過ごす時間が取れない。その事が、唯一にして最大の不満点だったからだ。

 杉本は器用に三つのグラスを持って遠ざかる茅野薫の背中を見送りながら、そんな事を考える。

 すると茅野が「ふふん」と鼻を鳴らす。

「私の自慢の弟、可愛いでしょう?」

「……ええ、まあ」

 考えを見透かされたような気がして、杉本は引き釣った笑みを浮かべた。

「あの子、サッカー部のエースで異性から凄くモテるのだけれど、全然、恋人を作ろうとしないのよね」

 それは、どうしてなのか……と、杉本が質問しようとした直前だった。先に茅野が口を開く。 

「それで、何かしら?」

「え……?」

「ほら、さっき、何か言いかけたじゃない」

「ああ……」

 もう一度、薫の方へと目線を向ける。ドリンクバーには列ができていた。

 目線を戻し、さっき飲み込んだ言葉を口にする。

「本当に、桜井さんの怪我は呪いのせいなの? というか、呪いなんていうものが、そもそもこの世に実在するのかも怪しいと思うけど。いくら右膝を怪我したからって……やっぱり考えすぎなんじゃないかな?」

 すると茅野が「ふん」と小馬鹿にしたように笑った。

「大津神社には、梨沙さんの藁人形の他にも三体の藁人形があったわ……」

 茅野は白浜権蔵、鈴木里美、蕪木克己についての調べた事を話した。もちろん、三人の名前は伏せた。

 すると、今度は杉本が鼻を鳴らす。

「その“企業の創業者”の人は、いつ死んでもおかしくない年齢だったし、“ブロガーの主婦”は単に同姓同名の別人かもしれないわ。“元ホストのクズ”は今も元気に馬鹿な女を騙している真っ最中かもしれない。呪いじゃなくて偶然よ。呪いが存在すると思うから藁人形が創業者とブロガーの死に関係があるように見えるだけでしょ?」

 杉本はまくし立てる。

 そこで薫がグラスを持って戻ってくる。

 茅野と杉本にグラスを配り、自分もオレンジジュースを手にして腰をおろす。

「あ、ガムシロップはちゃんと三つ入れたけど、よくかき混ぜてね」

「ありがとう」

 茅野は弟の忠告に素直な返事をするとストローでアイス珈琲を攪拌(かくはん)する。なぜかその表情は満足げだった。

 それを(いぶか)しく感じながら、杉本は茅野に問い質す。

「そもそも、桜井さんを呪った相手を見つけてどうするつもりなの? 復讐? 単なる偶然かもしれないのに?」

 偶然なんかではない。そんな事は杉本が一番良く知っていた。

 あんな事が現実に起こるはずがない。普通ならば……。

 しかし、杉本はあの夜、それ(・・)を目にしてしまった。




 桜井梨沙に無視されて以来、杉本奈緒の心中は千々ちぢに乱れていた。

 表面では平静を(よそお)ってはいたが、頭の中は常に桜井の事だけを考えていた。

 再び藤見市に足を運ぼうとしたが、なけなしの正気を振り絞り、何とか思い止まっていた。

 次に桜井の顔を見たら、自分が何をしでかすのかまったく予想がつかなかったからだ。

 そんな己を恐れ、もて剰したまま、時だけが流れてゆく……。

 そして、その鬱屈(うっくつ)した感情が臨界点に近づきかけたある日の事だった。

 何気なく、パソコンでまとめサイトの古い記事を見ていた時の事だ。

 彼女は、その存在を知ってしまった。


 『すげー効くぞwwww』


 ちょうど、大津神社は彼女の自宅から自転車で四十分程度の距離にあった。

 何となく、そこがいわゆる心霊スポットであるという噂は知ってはいた。

 そしてスレのまとめを読むうちに彼女の心から憎悪が溢れ出し、悪意へと変化する。

 傲慢(ごうまん)な桜井梨沙に天罰を……。

 こうして十四歳の彼女は、大津神社へと向う事になった。




 杉本は暗闇の中、自転車のペダルを漕ぐ。

 そのときは既に秋も深まり、冬が近づいていた。長く厳しい、この地方特有の寒い冬が……。

 吐く息が白く、遠くから聞こえる貨物列車の走行音とチェーンの軋む音だけが夜闇に響き渡る。

 杉本は警ら中のパトカーに出くわさないかと、ひやひやしっぱなしだった。

 自転車の篭の中の鞄には藁人形や木槌などの怪しい品物が詰まっている。

 そもそも、青少年育成保護条例で十四歳が出歩いて良い時間をとうに過ぎている。

 職務質問を受けたらアウトだろう。

 心臓が高鳴り、吐き気がした。

 まるで柔道の試合前のようだった。

 それでも杉本は桜井梨沙への憎しみを糧にペダルを力強く踏み込み、目的の場所へと近づいてゆく。

 古びた住宅街の路地を進み、その外れの農道を進む。

 そして、深夜の一時半過ぎに、ようやく大津神社の境内へ続く石段の前へと辿り着いた。

 自転車を停めて篭から鞄を取り出す。

 本来ならば白装束をまとい、頭に鉄輪(かなわ)を被り、そこに蝋燭を差して一本足の下駄を履かなければならないらしい。

 万全を期したい気持ちも当然ながらあった。しかし、そんな格好で夜間にうろつき、誰かに遭遇したところを想像すると、とても勇気がわかなかったので妥協した。

 これは呪術ではなく通過儀礼だ。

 自分が桜井梨沙を乗り越える為の……だから、正式な手順など意味をなさない。自分自身でやりとげたという実感を得られればよいのだ。

 そう考えて、中途半端な自分を誤魔化した。

 ともあれ、杉本は石段の横の茂みに自転車を倒して隠し、鞄から懐中電灯を取り出し石段をのぼった。

 鳥居の前に立ち、誰もいない荒れ果てた境内を懐中電灯で照らした瞬間、唐突に恐怖が込みあげてくる。

 社殿の裏から、縁の下から、木の裏から、狛犬の影から……何か得体の知れない物が(うごめ)き這い出てきそうな気がした。

 しかし、ここで帰るのは、また桜井梨沙に負けるような物だと気を入れ直して鳥居を潜り抜ける。

 その瞬間、きん、と耳鳴りがして鼓膜が張詰めるような感覚がした。下腹から不快感が駆け登り、一回だけ悪阻つわりのように嘔吐えずく。

 神様がやめろと言っているのかもしれない。

 そんな考えが脳裏を過ったが、すぐに頭を振り、弱気を心の中から追い出した。

 そのまま、社殿(しゃでん)の前まで行き深呼吸をしながら、手を合わせた。

 すると不思議と気持ちが落ち着いてくる。ここにきて、ようやく覚悟が決まったような気がした。

 杉本はゆっくりと散歩でもするかのように社殿を半時計回りに回り、おあつらえ向きの木を見つける。

 そして、鞄から五寸釘を取り出し、あらかじめ準備していた桜井梨沙の名札を串刺しにした。

 次に藁人形と木槌を取り出し、五寸釘を人形の右足にあてがう。

 貫く場所を右足にした理由は特にない。

 強いて言うなら胴体や頭に釘を打つと、本当に桜井梨沙が死んでしまいそうな気がしたからだ。

 死ななくてもいい。むしろ死なない方がいい。生きて少しでも才能なき者の痛みを味わうべきだ。

 才能を持った者には、そうする(・・・・)義務と責任がある(・・・・・・・・)

 ありったけの憎しみと妄執を込めて、杉本は木槌を振るった。

「思いしれ……。思いしれっ! ……思いしれっ!!」


 コーン、コーン、コーン……。


 木槌を打ち付ける音が境内の暗黒を震わせる。

 そして、五寸釘が深々とめり込み、更なる一撃を杉本が振るおうとした、そのときだった。

 ふわり、と杉本のうなじを生温い風が()でつけた。

 ……ほんのすぐ近くで誰かが微笑んだような気がした。微かな笑い声が耳の穴の産毛を揺らしたのだ。

 杉本は大きく目を見開き、そのままの格好で凍りつく。

 数十秒……一分……どれだけの時間が経過したかも解らないその時だった。

 眼前にある藁人形を打ちつけたばかりの木の幹……その右側から白い右手が、にゅっと現れた。

 木の後ろに誰かがいる。

 青白い血管の浮かんだ不気味な手の甲。

 その白い右手は木の幹の表面をバタバタと這い回る蜘蛛のように撫で、

「ひっ……」

 桜井梨沙の藁人形をぎゅっと掴んだ。

 絶叫が(とどろ)く。

 一拍遅れて、それが自分の悲鳴である事に気がついた。

 杉本は暗闇の中、全力で駆け出す。

 わずかに木立の合間をぬって射す、遠くの町の明かりを頼りに。

 恐怖の雄叫びをあげ、(よだれ)を撒き散らしながら必死に……。

「ああ……あ……あ……ああああっ!」

 誰かが背後で笑っているような気がした。

 惨めで、無様な自分自身を……。

 杉本は一度も振り返らずに石段を一番下まで駆けおりる。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 膝に手を突き荒い息を地面に向かって吹きかける。

 木槌や鞄、懐中電灯を置いてきた事に気がついた。

 その途端、腹がのたうつ芋虫のように脈打ち、杉本奈緒は胃液を吐き散らした。




 杉本はこの夜見た事を極力忘れようとした。

 お陰で桜井梨沙への歪んだ想いも、綺麗に頭の中から追い出す事ができた。

 それから彼女は柔道部を退部して、ごく普通の日々を満喫した。


 そうして中学三年生になったある日の事。

 リビングで家族と夕御飯を食べている時に、つけっぱなしのテレビのニュースで桜井梨沙が事故にあった事を知った。

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