【05】急襲
「……で、具体的には、何て書いてあるの?」
「“殺す”だとか“呪われろ”だとか冒涜的な言葉の後に“無駄な抵抗はやめろ。死にたくなければ瓶を壊せ、栓を燃やせ。さすれば命の補償と永遠の富を約束する”とあるわ」
「瓶と栓。これは間違いないね」
「そうね」
と、頷き茅野は顎に指を当てて思案する。
「それにしても“瓶を壊せ、栓を燃やせ”という事は、あのワインボトルの中に何かが封じられていたという事かしら?」
「悪魔的なやつ?」
「かもしれないわね……」
「これは、かつてない、大スペクタクルの予感……!」
桜井は握りしめた拳を胸の前で掲げた瞬間だった。
がつん、と大きな音が鳴って部屋が震えた。
埃がハラハラと天井から舞い落ちる。
桜井と茅野は同時に音のした方向を向く。それはベランダへ通じる扉の外であった。
ガリガリと鋭い爪が扉板を引っ掻く音。
ふんが……ふんが……という興奮しきった鼻息。
桜井は硝子張りの壁に打ちつけられた板の隙間からベランダを覗きながら言った。
「熊さんだ!」
「外壁を登ってきたのね。この熊、中々やるわ」
茅野は、悔しそうに笑う。
そうするうちに――
がつん。
熊が扉に頭突きをかました。蝶番がひしゃげ、扉板が今にもへし折れそうになっていた。
がつん。
もう一発は耐えられないだろう。
「……取り合えず、館の謎解きは後回しにして逃げましょう」
「がってん!」
二人は部屋の外に出た。桜井が入り口の扉を閉める。
すると、その瞬間、室内から、ばきん……と、一際大きな破壊音が聞こえた。
「やばい。あの熊さん殺る気まんまんだ!」
桜井はポニーテールを揺らしながら駆ける。
「熊は時速五十キロ。人類が奴らから走って逃れるのは不可能よ」
茅野は黒髪をなびかせ疾駆する。
その二人の背後では、書斎の扉が――
がつん。
内側から強烈な頭突きを受けて今にも吹き飛びそうだった。
「……取り合えず、屋根裏に避難しましょう!」
茅野は廊下の先にある屋根裏への梯子を見据える。
走る二人は寝室の扉の前を通り過ぎ階段の前へと差しかかる。
「了解……!」
桜井がそう答えた瞬間、書斎の扉が吹き飛んで扉口から黒く大きな塊が飛び出す。
ごおう……と、唸り声をひとつあげて、月輪熊は二匹の獲物の背中目がけて一直線に突っ込んでくる。
梯子まであとわずか……しかし、熊の脚は速い。あっという間に寝室の扉の前を通り過ぎ、階段の前を通り過ぎ、二人の背中に迫る。
茅野が梯子をのぼり始めた。桜井の手が梯子にかかる。
すぐ後ろまで迫っていた熊が前脚で、桜井の踵を払おうとした。寸前で彼女の靴裏が床から離れる。
「わわっ……わっ……」
梯子に飛びついた桜井は必死に上を目指す。
「梨沙さん、早く!」
茅野は天井裏にあがり右手を伸ばす。それを桜井が掴む。熊が立ちあがった。
茅野が桜井を引っ張りあげる。
同時に熊は嘶きながら前脚の爪を振るった。
ばきん、という破壊音。木屑が舞い散る。
梯子の横木が何本か吹き飛んだ。同時に桜井の両脚が屋根裏へと滑り込む。
茅野が必死に梯子を引きあげ、屋根裏の入り口の蓋を閉じた。
ぐるぐるぐる……と、まるで苛立ったような唸り声が聞こえる。
「ふう……久々に全力で走ったよ」
桜井は額に浮き出た汗を右手でぬぐった。そして右膝を抑える。最近、状態がよかったとはいえ、今の走りは中々堪えたようだ。
茅野は不安げに眉をひそめる。
「膝は大丈夫かしら?」
「まだ、もう少し行ける!」
桜井は力強く答えてリュックから取り出した水筒のキャップを外す。
「まったく、本物は大違いだね……」
その水筒には可愛いらしい熊さんの絵が描かれていた。
天井裏は埃の臭いが充満しており、薄暗い。
頭上に並んだ梁はまるで恐竜の肋骨のようだった。
館の裏側に面した小窓から射し込む日の光が唯一の光源である。
「ここに籠っている限りは大丈夫だと思うけれど」
そう言って茅野はカメラのLEDライトで照らしながら周囲を見渡す。
すると……。
「循、あれ!」
桜井が館の正面に向かって左の隅を指差す。そこには二本の人の脚とスニーカーの靴裏が見えた。
誰かが倒れている。ぴくりとも動かない。
「人形……じゃないわね。何にしろ生きた人間じゃあなさそうだけれど」
茅野が神妙な顔つきで近づいてゆく。桜井も続く。
その人物は長袖のジャージに半袖のシャツ、ジーンズという服装だった。
ぽっかりと空洞になった眼窩とむき出しの鼻孔……肉のそげ落ちた口元からは歯が覗いている。
「骸骨だね」
「そうね」
桜井と茅野は特に何の驚きもなくそう言って、顔を見合わせた。




