【09】ストーカー
時刻は二十時を回っていた。
「……で、何で私たちなんですか」
茅野が渋い表情をする。
「そうだよ。センセ。頼ってくれたのはすごくうれしいけどさあ。流石にあたしらじゃなくて警察に電話した方が……」
その桜井のまっとうな意見に相田は首を振った。
「いや。警察には通報した。でも『気のせいじゃないすかぁー? 警ら強化しますんでぇー』とか軽く言われてすぐに帰っていった!」
茅野は苦笑する。
「それは……まあそうなるかもしれませんね。何も盗られた物がないのなら」
「それだけじゃないっ! あいつら、智也くんを見て鼻で笑いやがった! あの税金泥棒めっ!!」
思い出したら腹が立ってきたらしい。ぎりぎりと歯噛みする相田。
茅野の笑顔が引き攣る。
「いや、別に智也くんを見て笑ったんじゃなくて、グッズの数が異常で引いただけじゃあ……」
「何だと!」
桜井は部屋を見渡し、あきれた様子で溜め息を吐いた。
「まあ確かに中々すごい部屋だね……」
するとその直後、隣室の住人が帰宅したらしく扉を開閉する音が鳴り響いた――。
そこは相田愛依の暮らすアパートの寝室だった。
茅野と桜井の元に相田から連絡があったのは、黒狛からそれぞれの家に帰宅した後だった。
不審者が家に進入したのだという。
二人は相田のアパートの所在を教えてもらい、自転車で駆けつけたという次第だった。
「……でも、本当に気のせいという可能性はないのですか?」
と、茅野が少し遠慮気味に言った。
相田は、きっ、と睨みつける。
「お前まで、私を疑うのか!」
どうも、恐怖とずさんな警察の対応で気が立っているらしい。まるで尻尾を太くして唸る猫である。
それとは対照的な冷静さで茅野は問う。
「でも、さっき、他の棟の扉の開け閉めする音がけっこう響いていましたけど、あれと聞き間違えた可能性は?」
「いや……」と多少冷静になった様子の相田は、おもむろに寝室から外に出た。
「じゃあ、ちょっと、ついてこい……」
桜井と茅野は顔を見合わせると、相田の後に続いて一階へと向かった。
そこはキッチンの入り口の壁だった。
ちょうど、相田の胸の位置くらいの高さに二本の模造刀が刃を交差させる形でかけられていた。
模造刀は中華風の装飾が施された両刃の直刀だった。
「何この格好いい剣」
その桜井の質問に答えたのは茅野だった。
「倚天の剣と青紅の剣ね。“LS”の」
「いてんと……せいこう?」
桜井が首を傾げる。
「右が倚天で左が青紅。どちらも中国に伝わる伝説の武器よ」
「ふうん……」
桜井がぼんやりとした相づちを打つと、相田は「その通りだ」と頷く。
LSとは『Legendary Swordian』というタイトルの女性向けソーシャルゲームの略称である。
世界各国の伝説に残る架空の武器を擬人化した男性キャラクターをパートナーに、プレイヤーの分身が異世界から押し寄せる魔物を討伐するというストーリーとなっている。数年前にアニメ化もされている、それなりに知名度のある作品であった。
擬人化武器の男性キャラは当然ながらイケメン揃いで、戦闘時には剣の姿になってプレイヤーの分身と共に戦ったりする。
ちょうど、この作品にハマっていた頃、相田は劣等感を拗らせ過ぎて腐に傾倒していた。
「まあ、先生がLSユーザーだったと知っても今さら驚きませんが……これがどうかしたんですか?」
茅野の問いに相田は『解ってないなこいつ……』と言いたげに頭を振る。
「いいか? これは、あえて直さずにそのままにしてあるが……今は、どっちの刃が上になっている?」
「えっと……せいこうの方……?」
桜井が答えると相田は、かっ……と目を見開く。
「そうだ。しかし、それは絶対にあり得んのだ! 茅野……お前なら解るはずだ」
「ええ。よく解りました」
先生が想像以上にイカれているって事が……と、心の中でつけ加える。
「だろう? これは犯人が青天厨で、天青押しだった私に喧嘩を売っているのだ!」
「そんな馬鹿な……」と、よろける茅野。
「二人が何の話をしているのか、さっぱり解らないよ……」
桜井が困り顔で肩をすくめる。
そこで茅野はふと気がついた。
倚天と青紅のかけられた壁の下部だった。
コンセントがあった。近くの棚の上にある炊飯器と電子レンジのプラグが刺さっている。
「どしたの? 循」
その桜井の質問には答えず、茅野は鞄の中からドライバーセットを取り出した。
「茅野? お前はいったい何を……」
相田のその言葉を右手で制し、人差し指を立てて唇につけた。
桜井と相田は怪訝な表情で顔を見合わせる。
茅野はというと屈んで、プラグを抜いて器用にコンセントを壁から外し始めた。
桜井と相田は茅野の意図が解らず、きょとんとした表情で首を傾げる。
「……梨沙さん」
茅野が唐突に声をあげた。
「なーに?」
「説明し忘れたけれど、倚天の剣と青紅の剣は、元々は三國志演義の曹操の持ち物だったといわれる名剣よ」
「唐突に説明が始まったな」
相田が苦笑する。茅野は作業をしながら更に話し続ける。
「……LS内ではおっとりした倚天とオラオラ系の青紅の幼馴染みコンビとして描かれているわ」
「ふうん」
桜井は本当にどうでもよさげな相づちを打った。
そうして、茅野は何やら黙視でコンセントの裏を確認したあと、再び壁にはめ直す。おもむろに立ちあがると、スマホで文字を打ち始めた。
「だから、お前は、いったい何を……」
茅野は相田と桜井にスマホの画面を見せる。
そこには、こう記してあった。
『盗聴器が仕掛けてあります。外で話しましょう』
桜井と相田は大きく目を見開いた。
茅野は口角を釣りあげる。
「……では、先生。お腹が空いたので、どこかへご飯でも食べに行きましょう。おごってください」
「うわーい!」
桜井が諸手をあげて喜ぶ。
そこで相田は、自分の夕食がまだであった事をようやく思い出した。




