【04】疑惑
浅田がオカルト研究会の部室を訪問した日から五日が過ぎていた。
路線バスが排気音を立てながら、曲がりくねった峠道の向こうへ姿を消す。
バス停の前で、その後ろ姿を見送ったあと、二人は村瀬が暮らしていた霧生へ向けて歩き出す。
本当はすぐにでも足を運びたいところであったのだが、茅野はあるイベントに参加する為に東京へ。
桜井も補習やバイトがあり、のびのびになっていたのだ。
因みにこの日、ふたりが霧生を訪れている事を浅田は知らない。彼女に黙って動こうと提案したのは茅野である。
その理由は以下の通り。
「ちょっと、引っ掛かるのよね。だって、いくら夢を見たからって、ひとりで誰もいない大伯父さんの家まで本を返しに行こうとするかしら?」
浅田の言動に不自然さを感じたのは桜井も同じだった。
「あたしだったら、隣町の村瀬さんの息子夫婦に本を預けるけど」
「私もそう。隣町なんだから当然行けない距離ではないし、大伯父さんの仏壇もそっちの家にある訳でしょ?」
「まあ、そうだろうね」
「彼女はきっと、何か嘘を吐いているわ。……ていうか、彼女、嘘を吐くのが下手ね。顔に出るタイプみたい」
「だねえ。あの顔は……嘘を吐いている『味』だぜ……!」
桜井がぺろりと舌を出す。
「兎も角、まずは彼女がどういう目的で梨沙さんに、今回の件を相談しにきたのか知る必要があるわ」
「まあ、嘘を吐いているのは、お互い様だけどね」
「それも、そうね」
そのまま、ふたりは峠道から棚田を割って下る細い坂道へと入る。
その分岐点には錆びついた標識があり、そこには『霧生』の文字が辛うじて読み取れた。
「……ところで」
そこで桜井は、ずっと気になっていた事を茅野に訊いた。
「循の持ってる包みはいったい何なの?」
それは茅野が抱えた縦横七〇×三〇センチ程度の平たいビニールの包みだった。
ビニール越しに触ると、どうやら金網のような板が何枚か重なっているらしいが……。
「焼き肉でもするの?」
茅野は首を振る。
「これは河童退治の秘密兵器よ」
そう言って、まるで悪魔のように笑った。
炎天下の昼下がりというだけあって、霧生の往来にひと気はない。まるで廃村のように静まり返っている。
実際、放置され倒壊しかかった空き家が所々に見られた。この集落もまた過疎化の波に曝されているのだろう。
「田所さんの家の隣だから……あった。あそこだ」
村瀬宅はすぐに見つかった。桜井が指差す。
背の高い春紫苑などの雑草に被われた小さな空き地に両脇を挟まれている。裏手は茄子やトマトなどが植えられた畑だった。したがって、隣家とは距離がある。
古めかしい日本家屋で犬黄陽の生け垣に囲まれていた。
ふたりは門から続く石畳を堂々と渡り、何食わぬ顔で玄関前に立つ。
磨り硝子のはまった玄関戸の左側に、浅田の話にあったプランターがあった。
茅野がプランターを退かして、その下に置いてあった鍵を手に取る。平然と引き戸の鍵穴に差し込んだ。
「それじゃあ、とっとと入りましょう。誰かに見られたら面倒臭いわ」
「泥棒と間違われるよね」
「一応、そのときの為にいくつか言い訳を用意してきたわ」
「流石は循だね」
そんな会話を交わしながら茅野と桜井は村瀬宅に侵入する。
「お邪魔しまーす」
家の中はひんやりと薄暗く埃の臭いがした。
三和土で靴を脱ぐと、玄関から近い順に部屋を見て回る。
どの部屋も小物や日用品は段ボール箱にしまわれており、棚や箪笥の中身も、ほとんどが空っぽだった。
「また、この前の廃病院とは違った魅力があるね」
「そうね。無機質な死の香りがするわ……」
そうこうして、ふたりは裏庭に面した一番奥まった部屋……村瀬の私室に辿り着く。
正面の窓際に書斎机。
左手のパイプベッドの上に寝具はなく、ギターケースが二つ並べられていた。書斎机の隣には布のかけられた腰丈の台がある。
そして、入り口からすぐ右手に押し入れがあった。少しだけ開いており、戸の前の床にみかん箱が置いてある。
桜井がみかん箱を覗き込む。
「レコードだ……」
どれも外国のミュージシャンの国内版のものだった。
「どうやら、音楽が趣味だったみたいね」
茅野は書斎机の隣にあった腰丈の台にかかっていた布をまくった。
すると中から現れたのは古めかしいレコードプレイヤーだった。
それを見ながら茅野は、にやりと笑う。
「だいたいの事情が見えてきたわね」
「本当に!?」
と、桜井が茅野の方へ視線を向けた瞬間だった。
突然、天井が騒がしい音を立てて軋み始めた。
ドタドタ……と、まるで小さな子供が走り回っているかのように、桜井には聞こえた。
「うわ。びっくりしたなー」
呑気な悲鳴をあげて天井を見あげる桜井。
やがて残響を残す事なく天井は静まり返った。
「ねえ、循」
「何かしら」
「今のはマジで河童の怨霊?」
茅野は極めて落ち着き払った様子で、板状の包みを床に置くと、鞄の中から小さめのタッパーを取り出した。
「梨沙さん、私はね、心霊現象の実在を信じていない訳ではないわ。むしろ信じている。だって、あった方が世の中は確実に面白いもの」
「この前、あんな事があったばかりだしね」
桜井の言う“あんな事”とは、五十嵐脳病院にまつわる一件の事だ。そのとき彼女たちは常識では説明のつかない不思議な体験をした。
茅野が、とつとつと言葉を紡ぎながら、床に置いたビニールの包みをほどき始める。
「……でも、私はね、安易に心霊だとか超常だとか、そういった存在に物事の原因を求めるのは嫌いよ。それは、心霊現象がこの世に存在しない事より、ずっとつまらない」
ビニールの包みから出てきた物は、折り畳み式の檻だった。茅野はそれを組み立てる。
「循……それ、何?」
桜井が檻を指差した。
「これは、野性動物の捕獲用の罠よ」
「どうぶつ……じゃあ、さっきの音は何かのどうぶつなの?」
茅野は頷く。そしてタッパーの蓋を開ける。
「鼬、もしくは、それに類する野性動物。今の感じだと、大きさ的にチョウセンイタチだと推測されるわ」
タッパーの中にはぎっしりと輪切りになったサラミが入っている。
それを何枚かつまみ、タッパーを近くの書斎机の上に置いてから、罠に取りつけ始める。
「私は浅田さんの話を聞いたとき、真っ先に野性動物の仕業だと思ったわ。鼬が民家の屋根裏などに巣を作って騒音や悪臭などの被害をもたらす……それほど珍しい話ではない。だからすぐにピンときた」
「ふうん……」
桜井がタッパーからサラミを、ひょい、とつまんでパクつく。
「普通なら浅田さんも、河童の怨霊だなんて超常的な存在を信じる前に、野性動物が屋根裏に住み着いているという可能性を考慮するんじゃないかしら?」
「でも、それは、大伯父さんが不審な死に方をしたからじゃないの? そのせいで河童の怨霊に繋げて考えた」
桜井がもうひとつサラミをパクつく。
「梨沙さんにしては鋭いわね」
茅野はタッパーの蓋を閉めて、鞄の中にしまう。まだサラミを食べたかったらしい桜井がしょんぼりとした。それを無視して茅野は話を続ける。
「恐らく、それも彼女が河童の怨霊の存在を信じるに至った理由の一つでしょうね」
「理由の一つ? まだあるの?」
「あるわよ。あとふたつ」
茅野が右手の人差し指と中指を伸ばす。
「まず、浅田さんは元々、そういった超常的な存在を安易に信じやすい性格だった。浅田さんは小学校の頃の噂を頼りに、この件を貴女に相談しにきたでしょう?」
「だねえ。自分で言うのも何だけど、いくら噂話になっているとはいえ、あたしが霊能力者だなんて普通は信じないよ」
「そうね。きっと、だから浅田さんは、河童の実在も安易に信じてしまった」
「ふうん。なるほど。なら、もう一つの理由は?」
「もう一つの理由……それは、罪悪感よ」
「罪悪感?」
「人は誰だって自分が間違ってるだなんて思いたくない物でしょ? だから、何でも超常的な存在のせいにしたがるものなの」
「ふうん」
桜井が、解ったような解らないようなぼんやりとした相づちを打った。
「……きっと浅田さんも本を返しにきただなんていうのは嘘で、この家に後ろめたい目的があってやってきた。そして、天井を走り回る鼬の足音を聞いて、河童の怨霊の仕業だと思い込んだ。だから、のちの不運を、河童の怨霊のせいにしたの。 きっと、 自分の邪な行動が自らの不運を招いたと考えたくなかったんじゃないかしら」
「じゃあ、浅田さんが、この家で足音を聞いたあと不運続きだったのは……」
「単なる偶然でしょうね」
茅野はきっぱりと言い切った。