【05】幻
人形は一メートル四十センチの大きさで、まるで本物の生きている少女のようだった。
青白い肌は艶かしく、所々に血管が透けているように見える。
体温があって柔らかそうに思えるが、触ると硬く冷たい。
よく見ると身体中のいたるところに傷があった。特に頭の左上半分が大きく破損しており、左眼がなくなっていた。
二人は壁裏にあったデッドスペースから、その人形を引きずり出して観察する。
「材質は多分、桐ね」
茅野はデジタル一眼カメラをいったん床に置いて、人形の砕けた頭部を覗き込む。
「技法としては、日本の生人形に近いと思うけれど」
「いき……にんぎょう……?」
桜井が首を傾げる。
「幕末から明治にかけて、大阪の難波新地や江戸の浅草などの見世物興行に出された細工物のひとつね。まるで生きているようなリアルさが、生人形の肝ね」
「うん。これを作った職人さんはやばいね」
桜井が人形の顔を覗き込む。
そのわずかに開いた唇の隙間に懐中電灯を当てると、口腔の中の歯や舌まで見える。
どうやら頭部の中は空洞になっているらしく、舌だけではなく、三十本近くある歯や歯茎にいたるまで精密に作られていた。
その細かさは技術の凄さよりも、どこか偏執的なものを感じさせ、作り手の狂気を窺わせた。
「それにしても、人形そのものは、文句なしに美しくて芸術的だと思うけれど……」
「うん。キモい」
桜井がずばり断言する。
「あの志熊さんの小説を読んだときみたいな、ザワザワ感がする」
「それは、言い得て妙ね。確かに何か見てはいけない物を見ている気分がするわ」
流石の二人も人形の醸し出す雰囲気に飲まれ、顔をしかめる。
「あの声は、この人形なのかな?」
その桜井の問いに、茅野は人形の右手首を持ちあげて答える。
「見て。梨沙さん。この指先……こすれてる」
「本当だ……」
人形の指先が削れて、塗料が剥がれている。
「あの、ガリガリと引っ掻く音……やっぱり、この人形が……」
その瞬間だった。
人形の目蓋が瞬く。
「循!」
桜井の声に弾かれるように、茅野はデジタル一眼カメラを持ちあげて、レンズを人形に向けた。
すると、その直後だった。
人形が口を動かして喋り出す。
「助けて……追われています。助けて……」
口や顎に稼働部分はない。にも関わらず滑らかな動きで人形は喋った。
このにわかには信じがたい現象に、二人は顔を見合わせる。
「循……」
「梨沙さん……」
そして、同時に同じ見解を口にする。
「いくらなんでも、ありえないよ」
「これは流石にないわね」
二人は目の前で起こった事を信じようとしなかった。
茅野がカメラのサブディスプレイで、たった今撮影したばかりの映像を再生する。
「見て。梨沙さん……」
「どれどれ……」
画面には床に寝かされた人形が映し出されている。
そのまま何事もなく――
『循……』
『梨沙さん……』
『いくらなんでも、ありえないよ』
『これは流石にないわね』
人形の声が入っていないし、人形の口元もまったく動いていない。
「何て言うかさあ。ハリウッド映画のCGを見ている時の違和感ていうかさあ。もうちょっと、自然さが欲しかったよ」
「そうね。リアル過ぎて逆に現実感がないというか……やっぱり、ホラー映画は八十年代から九十年代の特殊メイクが至高ね。CGが駄目だとは言わないけれど、生々しさは現物には敵わない。つまりトム・サヴィーニは神っていう事よ」
急にホラー映画について語り出す茅野。桜井は苦笑して肩をすくめる。
「まあ言いたい事は解るけど、循ってホラー映画の話をしだすと急に早口になるよね」
「好きな事を語る時は、誰だってそうなるもの」
悪びれもせずにそう言って、再び茅野は人形の傍らにしゃがみ込む。
「梨沙さん。スマホで、この人形の指先を撮影してみて」
「うん。解ったけど……」
いまいち茅野の意図が掴めなかったようで、怪訝そうな顔で桜井は言われた通りに人形の右手を持ちあげてスマホのカメラを指先に近づける。
そしてシャッターを切り、撮影した写真を確認すると……。
「あれ?」
写真と人形の指先を見比べる。
「指のこすれたあとがない」
人形の方の指先には、こすれたあとがついているが、写真にはそういったあとが見られない。
茅野が人形の手首を持ちあげて不敵に笑う。
「要するに、このこすれたあとも幻覚っていう事ね」
「あじな真似をする人形だねえ」
桜井は、そう言ってつんつんと人形の頬を突っつく。
「山本さんが目撃した少女も、この人形かな?」
「恐らくはね。どこまでが幻だったのかは解らないけれど。多分、彼女の言っていた違和感は、私たちが感じた物と同じなんでしょうね」
「その幻は、機械には記録されないみたいだね」
「そうみたいね」
……と、そこで、桜井は首を傾げる。
「でもさあ、なら、あのスウェーデンの動画は何なの? あれには女の子の声と引っ掻く音が入ってたよね?」
その疑問に茅野はあっさりと答える。
「あれはきっとやらせよ。恐らくは、スウェーデン堀たちも、この地下室であの幻聴を耳にした。しかし、カメラのマイクには録音されていなかったから、あとから実際に聞いた幻聴を参考に音声をつけ加えた。……今となっては確かめようはないけれど、だいたいこんなところだと思うわ」
「ああ。なるほどね。……それで、どうする?」
茅野は立ちあがり、顎に指を当ててしばらく思案した後に、レンズを人形に向けたまま回しっぱなしのカメラを床に置いた。
「とりあえずはカメラを回しっぱなしにして、おかしな事が起こったらサブディスプレイで確認。その間は梨沙さんがスマホで人形を中心に周囲を撮影……常にカメラで見張るようにすれば、幻で悩まされる事はないわ」
「なるほど……了解」
そして茅野は、スマホを上着のポケットから取り出して画面を指でなぞる。
「そして、この人形の事を九尾先生に訊いてみましょう。確か彼女はアンティークの家具や雑貨の蒐集が趣味だったはず。この人形についても何か知っている可能性は充分にあるわ」
そう言って、茅野は九尾に電話をかけてからスマホを耳に当てた。




