08 拷問官
薄暗い地下。壁に掛けたかがり火だけが光源。痛いほどの静寂を乱す、恐怖に切れる息。心臓はありえないほど早鐘を打っていた。カッと見開いた目に映る、板の上に乗る手。
やめてくれ!
やめてくれ!
ぶるぶると震えながら、必死に体を揺する。けれども、俺の体は僅かに揺れるばかりで、殆ど身動きもとれない。
どうして?
どうして?
どうして!?
目の前に起きている事実が受け入れられず、冷や汗を垂れ流す。
バチン、と音が立った。
瞬間、指先が燃えるような痛みを訴える。そして、喉を切り裂くように、獣の雄叫びのような、理性の欠片もない声が、迸った。
俺の仕事は城お抱えの拷問官。そしてここは俺の職場。
ここで俺は王だった。
誰も俺に逆らえない。
恐怖に震える奴隷に、思ったまま力を振るう。嫌だと、痛いと、泣き叫ぶ者達に、無慈悲に罰を与える。
初めはどんなに気丈に振る舞っていた者も、最後は絶望に顔を歪め、慈悲を請う。その姿を見るのが、何よりも好きだった。あの瞬間、俺は誰よりも優位に立っている。そう、満足できるのだ。
ここは、俺の心を何よりも満たすはずの場所だったんだ。
それなのに……!!!
にたにたと笑う女がいる。
髪は全てむしりとられ、右目は抉られ、顔の左半分は焼かれていた。乳房は両方とも覆うほどの釘を打ちつけられ、左足は切り落とされた、裸の、女。
俺の、『作品』
いいや、『失敗作』
王太子の命だった。
王太子の婚約者だったらしいが、王太子が寵愛する女に嫉妬し、殺そうとしたらしい。その相手ってのが腹違いの妹だとか。
正直、話を聞いたとき、王太子サマってのも随分と業が深い。そう思った。
だってそうだろう?
王太子と婚約者の不仲は有名だった。それも、王太子の方が冷遇している、と。
王太子の婚約者となるくらいなんだから、相手はイイトコのオジョウサマってやつだ。しがない男爵出身で、ごく潰しの用無しだからと売られた俺とは大違いの。そんなオジョウサマが、気位が高くないわけがない。でも、王太子はオジョウサマをほっぽって他の女にウツツを抜かす。
どうなるかなんて、火を見るより明らかだ。
王太子が別な女、それも妹に寵愛を向けているのは割と有名だったしな。こんな地下にばっかこもってる俺の耳にさえ届くくらいだ。俺からすれば、何も知らずに蝶よ花よと育てられたお嬢ちゃんより、王妃教育ってやつで努力してるテメェの婚約者の方を見てやれよって思ったもんだ。
選べる立場の人間ってのは、本当に傲慢だ。自分の罪を知らず、他人の罪を平気でなじる。
羨ましいこって。
本気でそう思った。
だから、俺はこの場所が好きだ。この仕事が、好きだ。
だって、俺が唯一『選べる立場』になる場所だ。
楽しかった。
人の運命を好きに握れるこの場所が、この仕事が。
王太子に聞きたい情報はない。現行犯だ。こいつには、彼女の苦しみを分からせる必要がある。できるだけ、長く苦しめろ。そう命令された時、正直震えたね。テメェの業が招いた事なのに、そのことはすっぱりさっぱり棚に上げ――もしかしたらあの王太子は、そんなことも理解していなかったのかもしれない――婚約者が邪魔だからって、よく平気なツラしてそんなこと言えんなって。でも同時に、違う意味に震えた。
名を奪われ、誰ともなくなった、平民でさえない俺なんかじゃぁ、顔を合わせるどころか、声も聞けないような、オジョウサマが目の前にいる。王妃教育を受けるほどの、正真正銘のオジョウサマ。そいつを、好きにして良いってんだぜ。
おいおいおい、マジかよ!
口角が上がるのを止められない。
涎が零れそうで、慌てて口元を拭ってなお、口角はつり上がったまま。興奮のあまり、下に熱が集まり、誤作動が起きた。
ああ、たまんねぇなぁ……。
丁度良かった。高位貴族の女なら、純潔を重んじる。
まず手始めに女の尊厳を奪った。
一応、俺なりに気を遣い、正直に話せば止めてやる、と宣言しといてやったんだがな。あの女は始終否を繰り返した。だから、そのまま奪った。
否、という答えが嘘か本当かは知らない。けれども、求められている答えではない。だからあの女が否と答えれば、俺は楽しめる。
あの女はそれが理解できていなかったのだろうか。否、とだけ繰り返し続けた。だから俺は薄々理解している。本当はそれが真実。王太子なのか誰なのかは知らない。けれども、あの女は誰かに嵌められたのさ。
さっさと認めちまえば良かったんだ。そしたら、少なくとも俺からは逃れられたんだ。
本当に、馬鹿なオジョウサマだった。
頑なに否、と返し続けるわ、何よりも、多少顔を歪める事があっても、俺の責め苦でも顔色を変えたり、泣き叫んで慈悲を請う事もない。
俺にだってプライドがある。
この仕事を何年続けてきた、と?
オジョウサマが生きていた年数よりも長いんだぜ?
最初の頃は失敗もあった。けれども、今じゃぁ、どんな奴だって、楽になる為に必死になって俺の求める答えを吐き出す。そう、できる自負があったんだ。それをあんな小娘ごときに耐えられ続けた。
ああ、腹が立つ。
そうかそうか。俺の責めは手ぬるいか。たかだか俺の半分も生きないようなオジョウサマに耐えられるようなものか。
なら、遠慮はいらねぇな?
一つ耐えれば一つエスカレートする。それも耐えれば更に。
繰り返し、繰り返し、やがてオジョウサマは物言わぬモノに成り果てた。
失敗した。
加減の分からぬ新人時代以来の失敗。
この、俺が、だ!
責め苦で俺の好きにしゃべるようになった作品たちは、俺の芸術そのもの。俺の自慢の子供たち!
この俺が、この場所で王であり続けられた理由!
誰からも一目置かれ、俺が出てくれば、罪人たちは震え上がって何でも話してくれる。そんな、恐怖の代名詞とも言われる、この、俺が! たかだか小娘一人に、敗北した瞬間だった。
わかっていた。
オジョウサマは、普通の同じ年頃の娘たちと比べ、異様に痩せていた。貧しい村娘よりも、だ。高位貴族のオジョウサマ、とはとても思えない。そんな痩せ方。病を患っていたのなら王太子の婚約者になんてなれるはずがない。となれば、あれは、虐待か、それか毒を延々と与えられていたか。そんな体で俺の本気を受ければどうなるかなんて、わかっていた。それでも俺は、己の誇りと天秤に掛け、誇りをとった。
その結果が惨敗。
笑えてくる。
今まで畏敬の眼差しを向けてきていたはずの弟子も、力のある罪人を押さえつけたり、と補助をするためだったはずの騎士たちも、軽蔑した眼差しを向けてくる。
本来なら俺がするはずの仕事も、弟子に回される。
クソが!!
俺をこんな状況に追い込んだあの女に復讐したくとも、相手はもうこの世にいない。行き場のない怒りを抱え込んで、安い酒を飲んで眠る毎日。
ふと、目が覚めたら、ここにいた。
慣れ親しんだ場所だ。たとえ二日酔いに揺れる頭でも、瞬時に理解する。ここは、俺の城だ、と。
家のベッドで寝たはずなのに、気が付けばこの部屋の椅子に座っていた。
酔っぱらいすぎて、無意識にきてしまったのだろうか。そんなありもしない馬鹿なことを思うくらいには、まだ酔いは残っていたんだと思う。
だから、気づかなかった。
左手が、どうなっているか。
バツン、と音がすると同時に、激痛。
喉の奥から絞り出された声が、自身のモノだと気づくのに、随分と時間がかかった。
酔いは瞬時に吹き飛び、もんどりうって転げまわろうと体が跳ねたはずなのに、椅子ががたがたと音をたてるだけ。
何か、強い力にねじ伏せられ、ただただ椅子に座った足をばたつかせるしかなかった。
何が起きた?
何が、起きたんだ?
痛い、痛い。
手が、指の先が、燃えるように、痛い!!
またバツン、と音がして、違う指先が痛みを訴えた。
獣のような声が上がる。
脂汗を大量に浮かべ、涙目でようやく自分の手を見た。そして、ぎょっと見開く。
板の上にのった左手。血まみれの小指と薬指の指先。
何故、俺の手が、拷問具の上に乗っている?
手が、ゆっくりと引き抜かれ、中指がセットされようとする。
嫌だ! 嫌だ、嫌だ!
必死に体に力を入れ、手を止めようとするも、何か、大きな力に抑え込まれ、無理矢理詰め込まれる。
ずくり、と爪の間に針が差し込まれた。
それだけで気持ちの悪い痛さが這い上がってくる。けれども、それじゃない。それじゃないんだ。これの痛みは。
ヒュー、ヒュー、と荒い息を零しながら、その先へと目を向ける。
突き出した棒。今は宙に浮いている。それが、板についたとき……ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だ! 考えたくもない!
「ひゃめ、やみぇ、ろ、あめろ、ひゃめろ」
渇いた舌がもつれ、うまく言葉にならない。
キリキリとゆっくりと降りていく棒。代わりに上がる、爪に差し込まれた針。それにおされ、爪がゆっくりと持ち上がっていく。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
バツン、と音がする。喉からほとばしる声に、さっきの獣のような声が自分の声だと理解した。
「が、ああああ、あ……」
ドッと脂汗が溢れる。
痛い、痛い、痛い!!
痛みに震える中、ぐい、と腕が動かされた。
あ、あああ、ま、まさか、まだ……?
定まらない視線を何とか向ける。
ああああ……人差し指が……ああ、ああああ、何故、何故、何故、何故、何故、何故……。
無限の何故が頭を占めている間に、バツン、バツン、と続けざまに音がする。そして、左手の全ての爪が無くなった。
お、終わった……。
そんなわけがないのに、身体から力が抜けた。頭が台につく。その瞬間、右手がぐい、と持ち上がった。
「ま、ま、ひゃ、か……」
涙と鼻水と涎と汗で顔面をぐちゃぐちゃにしながら、顔を上げる。
器具にセットされる右手の小指。
ひゅ、と喉が鳴る。
嫌だ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
あと、五回!?
嫌だ!!!
どうして!?
何故?!
誰がこんなことを!?
誰もいない、この部屋で、誰が俺を押さえつけ、誰が俺を拷問にかけている!?
誰か助けてくれ!
誰か!
何故俺がこんなメに遭わなくてはならないんだ!
ふと、目と、鼻の先に、影。
顔を上げれば『失敗作』が、いた。
髪は全てむしりとられ、右目は抉られ、顔の左半分は焼かれていた。乳房は両方とも覆うほどの釘を打ちつけられ、左足は切り落とされた、裸の、女。
にたにたにたにた笑いながら、黙って俺を見ている。
何一つ喋れない。だがそれは当然だ。だって、俺がこいつの舌を切り落としたんだから。
求めない言葉しか喋れないなら、要らない。だから、俺が切り落とした。ちゃんと死なないように処置をして。
女は俺の前で笑いながら、本来なら俺が座る椅子に座っている。そして俺は、罪人が座る椅子に、座っているのだ、と気づいた。
バツン、バツン、と音が響くたび、獣のような声を上げる。
両手の爪を無くして、ようやく抑え込む力から解放された。途端に椅子から転がり落ち、薄汚い床の上で両手を庇うように体を丸める。
違う、違う、違う!!
こんなのは、違う!!
こうして痛みに体中から汁を垂れ流し、身体を丸めるのは、俺の得物たちで、後の作品たちだ!
俺じゃない!!
俺は、俺は、それを眺めて笑っている立場なんだ!!!
何故!?
何故!?
突然強い力にぐい、と引き上げられた。そのまま壁の鎖に繋がれる。
目の前が壁一色になった。
これは、知っている。これは、これは……!
恐怖に首を巡らせれば、宙に浮いた鞭。
あ、ああ、やはり……。
誰も持ち手のいない鞭がしなり、空を切る。
バチン、と乾いた皮膚を打ちつける音。それが繰り返され、やがて、背の肉を抉る。
爪を剥ぎ、鞭で背を抉る。きっと、それが済めば、再びあの台に押さえつけられ、指の骨が折られる。それでも否を繰り返したから、俺はあのオジョウサマの顔を半分焼いた。
あ、ああ、これは、俺が、あのオジョウサマにやったこと……。
にたにたと笑いながら見る化け物は、俺があのオジョウサマの前で見せていた、表情だ!!
「ゆ、許してくれっ! 王太子の命令だったんだ! 俺は、俺は自分の仕事をしただけなんだ!!」
必死に慈悲を請う。まるで今まで俺が痛めつけてきた相手のように。けれども答えは返らない。返るわけがない。俺も、返さなかった……。
誰か……。
誰か、助けてくれ!!
「俺じゃない! 悪いのは王太子だ! 助けてくれ!」
がちゃがちゃと鎖を鳴らし、必死に懇願する。次の瞬間、頭が壁にめり込んだ。
突然の事に、意識が一瞬消える。
何が、あった……?
何か、強い力に掴まれた、と思ったら、壁に頭を打ち付けられた、のか……?
後頭部を未だ、何かに掴まれる感覚。ゆっくりと壁から離れていく頭。そして、高速で近づく壁。
一度、二度、三度、と後頭部を掴まれたまま、打ち付けられる。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!
助けてくれ!
このままでは死んでしまう!
嫌だっ!!
死にたくない!!
悪いのは王太子だ!
悪いのは姉の婚約者に手を出した妹だ!
俺は悪くない!
俺は悪くない!
俺は悪くない!!
仕事をして何が悪い!
悪いのは命令を出した方だろう!?
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
死にたく、ないっ!!
ぴたり、と動きが止まった。
頭を掴んでいた何かが離れていく感覚。
たす、かった……?
鎖が外れる。
たす、かった……!
ドッと安堵に汗が吹き出し、へなへなと膝から力が抜けた。
助かった!
わかってくれた!
俺は仕事だったんだ!
仕方がなかったんだ!
わかってくれた!
するり、と体に巻きつく何か。冷たく、悍ましい感触。
『ま、だ、た、の、し、ま、せ、て、ね……』
耳元で、聞こえない筈の声が、した――。
この話を書くために、拷問器具について調べました。
結果、自分が呪われそうで、怖くて、大して何も使えませんでした><;
本当はアイアンメイデンさんとか色々使おうと思ったのに、器具の説明文読むだけで怖くて……だって調べてる自分が呪われそうな事ばかり書いてあったんですよ><;
あんなの調べられるなんて、専門家の人ってすごいな、と思いました。
ガラスの十代もびっくりなチキンハートのトドで申し訳ないです……orz
『ノ〇イ』観ました!
怖かったー><;
最初、「怖がるといけないからカットした~」というくだりの映像があまりにちゃっちくて、これなら私でも観れる~と強気になったのがいけなかった……。
うめき声は雰囲気ですぎで気持ち悪く、耳に残って、観終わった後も耳鳴りのように聞こえてきて怖いし、水子? っぽいのがひっついてるシーンもゾッとしたし、少年の顔が変形した時は悲鳴を上げて頭からかぶっていた布団の中に、自分の頭部を完全に隠してしまいました><;
そういった現象? 部分も怖かったのですが、主人公? の作家さんも気持ち悪い。
少年に平然と「生活覚えてる?」と聞くデリカシーのなさにもええー? と思ったのに、ラスト……あれはない><;
あそこでカメラって……。
カメラマンだって山中で車にカメラ置いて行ったのに、作家さんはあそこでカメラって……最早狂気!
おそろしい……。
結局観終わった後、手が冷たくなり、ぷるぷると震え続けました><;
これを書くために思い出している今も震えます><;
ホラーはやっぱり怖いです><!
トドもせっかくホラージャンルで書いているこの作品、少しでも恐怖を与えられるように頑張ります。
猫田トド