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20 退魔師3



 心から願う。

 神に、教皇に、今は亡き老師に、誰でもない誰かに。








 応えるように、何かが触れた気がした。








 おぼつかない視界に、何か白い光が見える。

 ああ、知っている。

 この気配を、私は知っている。

 片腕で必死に這う。

 もう、感覚も麻痺しているのか、痛みは感じない。

 ずるり、ずるり、と這う。

 光は弱い。けれども、おぼつかない私の視界にもはっきりととらえる事が出来る。

 光に少しずつ近づく。






 あと少し。









 もう少し。

















 手を伸ばせば、届くかもしれない。













 必死に伸ばした。体を支えていたはずのその手を。

 指先が、光に触れた。そう、思った瞬間、ぐい、と誰かに引かれる感覚。

 無理矢理起こされ、手を引かれて走る。

 不思議なほど、簡単に走ることができた。

 そして、気が付けば領域の外。

 こんな遠くまで歩いた覚えはないのに、悪霊の領域の外まで来ていた。

 振り返れば、城壁ごと覆う黒い霧のような境界。今は闇払い師としての力を持つ者にしか見えず、普通の人々には精々空を覆う暗雲くらいしか異変を感じられないだろう。けれども、さしたる時間をかけず、この領域は広がり、目に映るようになるはずだ。

 急がなければ。けれども、忘れてはならない。ここまで私を運んでくれた存在を。

 そっと境界に触れる。その手に合わせるように、小さな手が見えた気がした。

「必ず戻ってくる。私ではできないかもしれない、けれど、いつか必ず、貴女の家族を救う誰かが来るはずだ。約束する。私達闇払いの総力を以て、必ず君を、君の家族を救ってみせる」

 絶対だ、と念を押す。

 一瞬、少女が見えた気がした。

 境界の向こう、死の渦巻くそこに。

 薄桃色のドレスと、長い金髪。成人女性とは思えない少女。

 それは、私にさえ確証を持って彼女だ、と言えないほど微弱で儚い気配。それでも、確かに私は見た気が、した。

 そして、私は
















 逃げた。

















 ああ、逃げたのだ。

 勝てぬ相手に、満身創痍でおめおめと逃げ出した。自分を助けてくれた少女の魂を捨て置いて。

 私と、彼の公爵と、何が違ったのかわからない。

 酷い怪我に何度も生死をさまよいながら、這う這うの体で教会に戻った私は、直ぐに彼の悪霊がオドから産まれた凶霊であることを伝えた。

 教会に走る激震。

 私に嘘の情報を流し、悪霊に時間を与える事となった闇払い師たちは、教皇の命にて全員捕縛された。

 当然だろう。

 オドから産まれた、というのはそれほどのことだ。

 もしも彼らが私にきちんと正しい情報を渡していれば、情報収集をする手間が要らず、凶霊となるまえに除霊なり、封印なり、対応は可能だったかもしれない。けれども、現実はそうはならなかった。

 凶霊は誕生し、時間だけが過ぎ、ただただ力が増しただけ。

 私からの報告と私の姿に、教皇は捕縛した闇払い師たちを含め、教会に所属する全闇払い師を引き連れ、彼の凶霊の領域ギリギリまで赴いた。








 片腕と腹部の傷も癒えぬまま、私もまた、舞い戻る。








 領域は、私が逃げ出したときはまだ王都全域程度だったが、今では国境近くまで伸びていた。

 見える限りの大地、植物は枯れ果て、土は腐り、泥となっている。

 ところどころに見える白い骨は、人のものなのか、獣のものなのか。おそらくその両方だろう。

 肉眼で見える範囲にこの世ならざる者の姿はないが、神経を研ぎ澄まさなくても感じる。一歩踏み込めば、溢れ返っているのだ、と理解できる。それほど夥しい気配が跋扈していた。

 全てを推し量っていた教皇が、やがてゆっくりと首を左右に振った。

「儂一人の力では太刀打ちできぬ。故に、我が命と引き換えに、封印を施す。お主は儂亡き後、教皇となり、封印の管理と、この凶霊を滅ぼすことのできる者を育成せよ」

 そう言って、私の手を掴んだ教皇。

 何を、と言おうと思った。

 私の体ではもう、闇払い師として活動できる範囲も狭い。それならば、今ここで命を散らすべきは私だろう。既に世界の危機は伝えた。私のやれることはやった。思い残すことがあるとすれば、私を助けてくれた少女の魂のことだが、それでも、最早私にできる事はない。きっといつか、私の意思を継いでくれた者が救ってくれるに違いない。




 だから、私に思い残すことはないのだ。




 そう思ったのに、次の瞬間頭に直接流れ込んでくる知識の、圧倒的な量に私の意識は遠のく。口頭で伝える時間がないというのもあったが、私が何を言うか理解していた教皇が、私を強制退場させたのだ。そして思惑どおり、私が目を覚ました時には全ては終わっていて、教皇はその命を以て彼の国全土を覆う結界を完成させていた。

 捕縛された彼らは、教皇が封印を施す際に足りない力を補うため、闇払い師の力を吸い取られはしたものの、生きていた。

 彼等は確かにこの世界の危機を招いたのかもしれない。けれど、命は奪われなかった。闇払い師の力は、本人が真面目に修行を一からやり直せばいずれ戻る。教皇は、彼らが反省し、良い闇払い師となるよう願ったのだろう。




 そうだ。





 人が罪を犯したからと、見せしめのように、己の鬱憤を晴らすように、命を奪おうとするのは間違っている。

 確かに第一王子たちは過ちを犯した。ならばこそ、彼等は生きてその罪を反省し、償うべきだったのだ。彼女の母親も、伯爵も、そのことを思いだしてほしい。そして、できれば凶霊として祓われるのではなく、どうか、ただのこの世ならざる者として、浄化されてほしい。

 そう願い、私は今まで以上に修行に励み、後継たちの指導に励んだ。










 あの日から、どれほどの月日が過ぎたのだろう。

 ペンを握る私の手は、皺だらけで、細い。

 あの時の教皇の年齢も越えて久しい。

 こんな年になるまで修行してなお、私には彼女たちを救う事が出来なかった。

 けれども、希望はある。

 私が指導した中に一人、私を超える可能性もった者がいた。あと数年、もしかしたらもっと早く、私を超えるかもしれない。

 後のことは彼に託し、私は今から教皇が行ったあの秘術をかけ直しに行くのだ。

 あの少女と約束した、必ず彼女の家族を救う、そのために。

 あと少し、ほんの少しの時間を稼ぐため、封印を重ね掛けする。





 境界近くに設営したテント。そこには私の他に、志を同じくした者達と、闇払い師としての限界を感じ、その力を最後に役立てたいと願った者達がいる。

 教皇より多くの力と、私の命。これだけあれば、彼がもしも太刀打ちできなくとも、その次の世代まで結界が保つことだろう。

 この秘術により命を落とすものが、私で最後であればいい。

 日記を書き終え、ゆっくりと立ち上がる。





 教皇様、と呼ばれ、その呼び名にこの年になっても慣れないものだ、と苦い笑みを一瞬浮かべた。けれどもそれをおくびにも出さずに振り返る。

 ここに集った全員が整列し、私を待っていた。

 その誰もが悲嘆はしていない。未来への希望をその目に宿している。

 力強い味方を伴い、私は再び境界の前に立った。

 結界により食い止められた力は、中で眠っているようで、あの時と全く変わらない。

 そっと境界に触れる。

「ただいま。ようやく戻ってきたよ。だけどすまない。やはり私ではできないようだ。だが、安心してほしい。すぐ後に、可能性のある者がいる。きっと、約束は果たされる」

 もういないであろう少女の魂に語りかける。

 ふと、境界に触れる私の手に、鏡合わせで重なる細い手が現れた。






 そんな、馬鹿な。

 彼女はいない。

 もう、いるはずがないんだ。





 あの日、最後に見たと思ったあれは、私の妄想でしかない筈なのだから。だって、彼女はあの時力を使い果たしていた。それに、この結界の中、この世ならざる者達が動けるはずがない。そういう結界なのだから。

 驚きに目を見張る私の前に、あの時見た幻影が現れる。

 薄桃色のドレスに、長い金髪。成人しているはずなのに、細く小さな少女。

 ゆるり、と唇が弧を描く。

「ど、うして……」

 驚きにかすれた声を上げれば、少女の目が細まる。まるで愛しい誰かを見つめるように。

 小さな唇がゆっくりと動くも、声は聞こえない。

 少女の口の中に、舌がなかった。

 舌の無い、言葉を発せないその口を動かし、私に何かを伝えようとしている。動揺しながらも私は、必死に目で追った。



















『ねぇ、怪我は、平気?』




























「け、が……?」

 いつかどこかで聞いたような言葉。

 がつんと頭を殴られた後のように頭が痛み、霞がかったかのように思考が鈍る。

 怪我、とは何だろう。

 失った左手の事だろうか?

 私は、何かを忘れてはいまいか?





 ずきずきと頭が痛む。

 ぐらぐらと視界が揺れる。








 どろり、と口から血が溢れた。










 何だこれは。

 何だ、これは……。






 腹部が痛む。






 何故?







 左の肩口が、痛む。






 何故、何故、何故……?






 ずきり、ずきり、と痛みが増していく。






 私は、何を、忘れている……?







 口から溢れてくる赤。






 忘れている?





 肩から、腹から、噴出していく赤。

 だというのに、私の後ろにいるはずの彼らは全く動く気配がない。







 

 いや、思い違いをしている、のか……?








 思い出せ。






 私は、どこで、何を、していた?







 私は。








 わたしは。















 わた、しハ。































 ワ、たシハ……。




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