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19 退魔師2



「くっ」

 にっこりと笑う顔に、咄嗟に体を捻り、そのまま大きく後退して距離を空けた。

 私が離れたことを大して気にした様子もない悪霊。彼女からけして視線を離さず、私の背から娘を奪った伯爵に声をかける。

「その子を離せ!」

「お断りじゃ。この娘が我が孫に何をしたか、知らぬ者が口を挟むな」

 冷え冷えとした拒絶の声。

 確かに、彼女は義姉の婚約者を奪ったのかもしれない。けれども、だからといって、あのような暴力を受けるいわれはない。

「男女の心の変化は、一概に否定してはならないはずだ!」

「あの小僧がこの娘とどうなろうと、そんなことはどうでも良いのだよ」

「では、何故? そのせいで彼女が殺されてしまったことを恨んでいるのではないのか?」

 すぅ、と伯爵の雰囲気が変わった。

 なんと表現すればいいのか……。むき出しの眼球だが、先ほどまでは不釣り合いなほど穏やかな光を湛えていた。それが、急に全て無くなったのだ。そして一切の感情が消える。そこにはまるで虚ろなうろが二つあるかのよう。

 吸い込まれそうな気配にぐっと腹に力を入れ、足を踏ん張る。

「そんなモノは最後の一押しに他ならない。あの小僧も、この小娘も、公爵家の若造も、使用人たちも、領民たちも、国王も、我が娘と、孫にした仕打ち、儂は親として、祖父として断じて許さぬ!」

「確かに、貴方の娘と孫娘は不運だった! だが、この国の全てを巻き込む必要はあったのか!? 神はお許しにならない!」

「黙れ小僧! 居もせぬ、居たとしても役にも立たぬ神の教えなど、聞く価値もないわ!!」

「ぐぅっ」

 伯爵から負の力が押し寄せる。

 怒りに任せるような圧倒的な力の波に、踏ん張っていた体が吹き飛ばされ、近くの樹に打ち付けられた。

 体中が軋む。

 口から血が、滴った。

 もしかしたら、どこか、骨にヒビでも入ったかもしれない。

 ざり、と土を踏む音に、視線を上げれば怒りの形相の伯爵。

「神がいるのならば、何故我が娘は、孫娘は、嬲り殺されねばならなかった!? 我が娘たちが何をしたというのだ!? なんの罪でこのようなめに遭った!? 説明してみろ!」

「そ、それは……でも、だからといって、貴方がこのような復讐をしても良いという事ではないはずだ! 罪があるのならばそれを明らかにし、法の下で裁くべきだ!」

 よろめきながらも何とか立ち上がる。

 何を考えているのか、悪霊は私達から距離を取り、ただ静かに微笑みながら見守っている。その姿だけを見れば、親に叱咤される息子を見つめる母親くらいに見える。

 やはり、わからない。

 何故あのような姿をしている彼女が、悪霊なんかに……。怒り狂っている様子もなく、只ほんの少しからかって遊んでいるような雰囲気。視線だって先ほどとは違い、実に優しく慈しむように細められている。

 これでは、これではまるで、伯爵の方が憎悪から悪霊へと堕ちた者ではないか。

 怒りに荒れ狂い、対話をしようにも理性のタガが外れていて、どこから踏み込めば良いのかわからない。

 人としての常識や良心が僅かでも残っていれば、そこに訴えれば僅かに揺らぎが見られる。その揺らぎから踏み込み、癒しの力を以て落ち着いてもらう。その後は刺激しないように根気強く説得を繰り返し、了承を得られて初めて在るべき場所へと導ける。

 過去、伯爵のように怒り狂った相手がいなかったわけではない。その中でも、他者を巻き込むことを厭わなくなった者もいた。そして、そう言った者達は、総じて説得に応じない。







 何故だ。

 外れたタガは、何故戻らない。

 伯爵も、以前に払うしかなく払ってきた者達も、元は善良だった。それこそ、誰からも愛され、敬われるような。中には元聖職者もいた。本来ならば私のように導くはずの存在が何故、と思わずにいられない。





「何故あやつらに許され、儂たちに許されぬ? 何故、踏みにじられる側はただ黙って耐えねばならぬ? 同じ土俵? だからどうした。あやつらに、無関係なくせにしたり顔で正義や正論を説こうとするお前たちに、抑えられ、泣き寝入りするくらいならば、儂はどこまででも堕ちる! そして、神にさえ、弓を引こうぞ!」

「くっ」

 瀕死の少女を片腕に抱いたまま、振り上げられた杖。

 咄嗟に横に飛び退いて避けた。

 杖は一直線に上から下へと振り下ろされ、地面に大きな穴をあけた。私がぶつかったまま背にしていた樹は、まるで雷にでも打たれたかのように真二つに折れ、裂け目から燻るような煙を上げている。

 悪霊は総じて恐ろしい力を持つ。その悪霊から力を与えられた者も同じく。このままぶつかり合うのはどうあがいても不利だ。

「どうか、話を聞いてほしい! あの子だってこんなことは望んでいないはずだ!」

「お主に何がわかる!」

 わからない。

 わかっていないのかもしれない。

 それでも、咄嗟に答えていた。















「彼女は両親に愛されていなくとも、家族を愛していたはずだ! そうでなければ、あの時私を助けようなどとはしなかったはず!」













 そうだ。

 そうでなければ、彼女は私を助けたりしない。

 私を助けたのではなく、母親を助けたのだ。これ以上罪を重ねぬように、と。

 そう、思った時だった。

 ざわり、木々が揺らめく。

 明らかに空気が重くなった。

 沢山の修羅場を超えて来た私でさえ、震えてしまう。きっと、常人ならば発狂してしまったことだろう。

 今伯爵から目を離すのは自殺行為かもしれない。けれども、その伯爵が霞んで見えるほどの圧に、首が勝手に巡る。

 変わらず品よく弧を描く唇。けれども、目だけが違った。

 どろりと濁った死人の目。

 貴族らしく人を観察する隙のない目。

 母親のような慈愛に満ちた目。

 そのどれでもない目が、あった。

 伯爵の見せたうろのような目ではない。けれどもそれよりも悍ましい、闇のような目。

















『わ、た、く、し、が、あ、の、子、を、愛、し、て、い、な、い、で、すっ、て?』




















「がぁああああっ」

 目を離したりはしていない。けれども、気が付いたときには悪霊は私の傍らに立っていた。

 視覚不能の動きに驚愕する暇はない。

 左腕が、肩からもぎ取られ、信じられない痛みに口から悲鳴が上がる。

 ぶちぶちと自分の腕がもぎ取られる感覚。ごきりと骨が、骨同士をつなぐ筋と一緒に引きはがされていく。あまりに現実離れした痛みに、悲鳴と言うよりも獣の咆哮の様だ、とどこか冷静に考える自分がいた。

『わ、た、く、し、が、あ、の、子、を、愛、し、て、い、な、い、で、すっ、て?』

「あぐっ」

 頭部をわしづかみにされたかと思えば、地面に叩きつけられる。

 大きく世界が揺れた。

 ゆっくりと頭にかかる力が軽くなる。

『わ、た、く、し、が、あ、の、子、を、愛、し、て、い、な、い、で、すっ、て?』

 三度目の問いかけ。

 痛みに耐えつつ、残った右腕で体を支えながら顔を起こす。

 何とか視界にとらえた悪霊は、薄緑色の綺麗なドレスを身に纏い、背筋をぴんと伸ばして立っている。私の腕を引きちぎったり、頭をわしづかんで簡単に地面に叩きつける手は、白く細い。それを体の前で軽く組んでいた。

 ゆるやかに傾げられた頭部。穏やかな微笑み。

 一瞬前の狂気とは程遠い姿。

「あ、貴方が言ったのだ、と聞いた。娘を、あの子を、純粋なオドとするために操っていた、と」

『だ、か、ら、愛、し、て、い、な、い、と?』

「娘を道具だと思っていたのだろう? 貴方が公爵への復讐を果たすための……」

『素、直、な、子、な、の、ね』

 あんなゴミの話を信じるなんて、と笑う声。

 ハッとした。

 確かに公爵は妻も子も民さえも興味がなく、己だけが大切な、人としてどうかという人物だった。だが、あの時の公爵の姿に嘘はない。けれども、悪霊と堕ちた彼女は、元は人格者だ。そんな人物が、本当に娘を道具と思うものだろうか? たとえどれほど嫌っている相手との子だとしても。

 そもそも。

 そう、そもそもだ。悪霊に堕ちるほど恨んでいる相手の子を、そう容易く身ごもれるものだろうか?

 そこに至ったのは何故?

 公爵は情け、と言っていた。だが、彼女はそれを拒絶することもできた。それでもなお受け入れた理由はなんだったのだろう?

 考えようにももがれた腕が痛み、思考がまとまらない。

 ダメだ。視界も揺らぐ。

「どうした? もう終わりか?」

「ぐっ」

 頭を細く硬い物で押さえつけられる。おそらく、伯爵が持っていた杖だろう。

 杖に押さえられているとは思えないほどの力。放っておけばそのまま頭が潰されそうだ。

 何とかポケットを探り当て、中から小さな水晶を取り出す。

 教会の聖域と呼ばれる場所で湧水に沈め、月の光を蓄えた聖なる石。そこに神への祈りの言葉を捧げれば、この世ならざる者達を弾く力を纏うようになる。

 握りしめた水晶を、伯爵に向かって投げつけた。

 押さえつけられ、地に伏せた状態で投げたところで大した強さではない。それでもいい。届けば、それでいい。

「祓え給え、清め給え、かむながら守り給い、さきわえ給え!」

「ぐぁああっ」

 手のひらに握りこめるほど小さな水晶。祈りの言葉と共に伯爵に触れると同時に、伯爵が悲鳴を上げた。雷に打たれたかのように硬直する。

 頭を抑え込んでいた杖が緩み、這い出た。

 左肩の激痛を堪えながら、右腕一本で体を起こす。そして伯爵の腕から少女を奪い返そうと顔を向け、いつの間にかその腕に少女がいないことに気づいた。

 どこに、と見渡せば、伯爵よりも後方、悪霊の腕の中。

 残念、とからかうように微笑まれる。




 どうすれば彼女を助け、この窮地を脱することができる!?




 不意打ちなら、水晶でもあの悪霊を怯ませることができるが、そうでないのならばこれほどの力を持つ存在相手には片手で払われてしまう。かといって、一本しかない聖水を今使うのはない。使ったところで、伯爵は弱らせられるだろうが、悪霊は精々擦り傷程度かもしれない。タリスマンを使った祈りは相手が弱って祓える時だ。

 二人、というのが辛い。せめてどちらか……伯爵一人ならば確実なのに。

 怪我からの出血のせいで意識を保つのも辛い。

「小童がぁあああっ」

「くそっ」

 水晶の衝撃から立ち直った伯爵が怒声を上げる。

 早い。

 復活が早すぎる。

 やはり時間が経つほどに力が強まっている。

 振るわれる杖を紙一重で何とか避ける度、悪霊との距離が開いていく。少女を抱いた悪霊は楽しげにこちらを観察して、襲ってくる気配はない。けれども、悪霊との距離が大きく開いたその瞬間だった。

「ぁあああああっ」

 響き渡る女性の悲鳴。

 ハッとして悪霊の方を向けば、少女の腹を貫く腕。にこやかな微笑みを浮かべたまま、当然のように。

『ダ、メ、じゃ、な、い』

「くそっ」

 その子を離せ、と飛び込みたくなるが、伯爵がすぐに間に入る。

 どうすれば、どうすればいい!

 彼女にこれ以上の怪我は駄目だ。ただでさえ既に瀕死ともいえる重傷を負っていたのに。

「どうした? そちらに気を取られていていいのかな?」

「え……?」

 突然、伯爵が優しく微笑んだ。

 何を言われたのかわからず、瞬く。













「お主の怪我は、大丈夫なのかのぉ……?」

 皮膚の無い、ぐずぐずに溶けたその顔が、にたりと笑う。その瞬間、自身の意思に関係なく膝が落ちる。










 肩ではない。腹に感じる痛み。

 そうだ、私は以前悪霊と対峙したとき、腹部を貫かれた。何故、今まで忘れていた……?

 砕けた少女が巻いてくれた歪んだ包帯。

 じわり、と濡れていく感覚。

 傷が開いた、のか?

 開かないわけがない。今まで開いていない方がおかしいのに。

 急激に体が冷えていく気がした。

 目が霞んでいく。

 身体から力が抜ける。

「なんじゃ。死ぬのか?」

 つまらぬのぉ、と呟く声。

「ちょっと真実に気づかせてやっただけで、脆いものよ」

『帰、り、ま、しょ、う、お、父、様』

「そうだな。逃げたアレが死んでしまう前に迎えに行ってやらんとな」

 声が遠ざかっていく。

「ま、て……」

 あの少女を救わなくては。

 そうは思えども体が動かない。






 私は、死ぬのか?

 ここで?

 この危機を誰にも伝えられずに?














 嫌だ……。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!

 誰、か……!


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[一言] 神道系の闇払いさんでしたか。
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