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16 公爵2



 白い手が伸びてくる。

 まるで時が止まったかのような静けさの中、音もなく。



 愛しい者を見るかのように赤い唇が弧を描き、ゆるりと緩む目。しかしその目はどろりと濁り、光はない。

 優しげな微笑みを浮かべているのに、その顔に相応しい感情が存在していない。



 伸びてきた手が、頬を撫でる。

 ひやりと冷たい冷気が合わせて流れる。

 頬を撫で、包み込まれた瞬間、全身が粟立った。

 ゾッとするほど冷たく、一切の柔らかさの無い手のひら。

 がちがちと、自身の意に反して歯がぶつかり合い、音をたてる。

「な、ぜだ……エトワール……何故、お前が……」

『あ、ら……妻、が、夫、に、会、い、に、来、る、の、に、理、由、が、必、要、か、し、ら……?』

 表面上愛しげだった笑みが変わる。ニタニタと嘲るようなそれに。







 妻?




 夫?




 お前と私が……?







 馬鹿を言うな。

 私とお前が夫婦だったことなどない。

 いや、確かに王命と、公爵家当主による懇願で公爵家を救うために嫁いできたお前と、それを受け入れた私は、書類上は夫婦だった。だが、真実夫婦だったことはないはずだ。

 それは、エトワール自身だって勘付いていたはず。

 私は初めから他に好いた者がいる、とエトワールを拒絶した。エトワールもそれで構わないと受け入れた。

 そんな私達が夫婦?

 ありえない……。

 そして、私の知るエトワールは先ほどのような愚かな発言をする女ではなかった。常にこちらの意図を言わずとも察知し、出しゃばらず、余計な事を言わず、控えながらも十分な利益をもたらす、ただそれだけの存在だった。

 要は余計な事をしない、金を産む道具だ。

 それ以上でも、以下でもない。

 しかし、今そんなことを言ってはならない。

 私はなんとか笑みを浮かべる。たとえそれがひきつっていようとも構わない。今浮かべられる最上の笑みを浮かべる。

「あ、ああ、そうだ、な……。死してなお、私を慕い、こうして姿を見せてくれたことを嬉しく思う……」

 自らエトワールに触れる。

 冷たい肌。

 硬い体を抱き寄せ、まるで大切なものに触れるかのように肩を抱く。

 途端、響き渡る笑い声。

 神経を逆撫でするような、耳をつんざく笑い声。

 腕の中のエトワールが、のけぞりながら笑っていた。













『私、が、知、ら、な、い、と、で、も?』












 突然頭を私の方へ向け、問うエトワール。

 大きく見開かられた、濁った眼に映る私は、恐怖に青褪めていた。その顔を眺めながら、何を、と掠れた声で何とか尋ね返す。






 公爵家の血が流れていないことを。

 それをコンプレックスに思っていることを。

 だからこそ人一倍身分にこだわっていることを。

 自身の敵は一切許さず、けれども自らは手を下さない卑怯者であることを。

 私が、エトワールの事も、エトワールの実家の事も、ただの財布程度にしか考えていないことを。

 村人たちが、本当は十分に生活が成り立ってなお、私の甘言に惑わされたことを。

 エトワールが手を引いた事業を、私が秘密裏に自分名義に書き換え、運営していたことを。







 何もかも、全てを知って、その上でエトワールは笑っていた。

 何も言わず。

 何も聞かず。

 何も見えていないふりをして。








 エトワールが笑う。

 嗤う。

 ワラウ。





 馬鹿な人、と私のことを。

 愚かな人、と私のことを。

 可哀そうな人、と私のことを。

 神経を逆撫でする笑いと共に。















『貴、方、は、お、義父、様、に、愛、さ、れ、て、い、た』












 実の子ではなくとも、一度は愛した妻の子。その手に抱き、育てた。堕ちていく私に失望して、それでも期待して、結局絶望して、最後の温情として貴族のまま死なせようと画策するも、愛情が邪魔して手を下せなかった。

 歪な声が語る父。

 そんなこと、知らない。

 今更、そんなことを言われても……。

 私がわからないような振る舞いなのが悪い……!

 そんなことより、何故、私ではなく、お前ごときが父の事を知っているのだ。

 感情が波打つ。

 恐怖ではなく、怒りに。

 不快だ。

 何が不快なのかわからないが、不快だ。

 ああ、きっとそうだ。金吐き女が私に暴言を吐き、私の知らない父を語ることが許せないのだ。そうに違いない。





 馬鹿な人、とエトワールが笑う。






『気、づ、い、て、い、れ、ば、こ、ん、な、こ、と、に、は、な、ら、な、かっ、た、の、に』

 冷たい手が背に回る。

「ぐぅっ」

 ぎちりと食い込む爪。

 尋常ではない強さで締め付けてくる腕。

 冷たくて、硬い。

 ぎしぎしと背が悲鳴を上げる。

 本当に馬鹿ね、と嘲る声が続いた。

 父が、何度も私に語りかけていたのに、私が目を閉じ、耳を塞ぎ、背を向けていただけだ、と。

 馬鹿な……!

 私たちの間に会話はなかった。

 絶対にだ!

 私は、父に語りかけられたことなど一度もない!

 あの男は、いつだって黙って立っていた。ただ静かに。

 私だって初めは何度も話しかけようと努力した!

 そう、何度も、だ!

 だが、その度にあの目に無言で見下ろされ、失望の溜息を吐かれ、やがて諦めた。あの男は、けして私を認めない。いや、許さないのだ、と……。


















『ほ、ん、と、う、に……?』


















 にぃ、と間近で笑うエトワールの歪な顔。

 どろり、とエトワールの顔が溶ける。

 濁った左目が垂れて落ちた。

 驚き、逃げようともがく間もなく、背に回った腕の力が増す。背骨が折れそうなほど強く、強く。

 不気味なその顔が見えなくなった代わりに、襲いくる痛みに思考は回らず、この苦痛からいかにして逃げ出そうか、それさえも考えられなくなった。

 左目が、私たちの間に挟まり、ぐちりとつぶれるが、そのことにさえ、どうでも良くなるほどの苦痛。

『貴、方、は、い、つ、だっ、て、そ、う……。都、合、良、く、記、憶、を、書、き、換、え、る。だ、か、ら、自、分、は、悪、く、な、い、と……』








 ずっと嫌いだったの。そう愛しげに告げる声に、何を言っているのか理解ができない。








 口から零れるのは呻き声だけ。

 そんな私を嘲笑うようにエトワールはほんの少しだけ力を抜き、語り続ける。

 もともと私の事は知っていた。王命でなければ嫁ぎたくもなかった、そう……。

 ……馬鹿な……。

 私は、エトワールが私に惚れていて、愛されたくて、献身的に尽くしていた、あの姿を覚えている。

 女ながらに領主のまねごとをする小賢しい女。そう社交界で噂され、男達に敬遠され、嫁の貰い手どころか婿の来手もなかった。結婚さえも王命が下らねば怪しかった女。それが、エトワール。

 そうだ、そのはずだ。

 私はその姿を知っている。

 社交界で女の友人さえもなく、ひっそりと壁に張り付いている姿を幾度となく見てきた。偶に誰かと話している、と思っても、年配の、そう、それこそ父親ほど年の離れたどこぞの領主と商談をしているくらい。

 甘い蜜に群がるようにやってくる女達のように、女としての武器も、艶やかな笑みも持たぬ雑草。

 取るに足らない存在。

 今でもお前の惨めな姿を覚えているぞ……!

 だから、だからこそお前は私に惚れたのだ。

 男に相手されなかった惨めな女。お前にぴったりな物語を演じてやった。

 他の女に惚れていて、お前が無理に引き裂いたという負い目。だからこそお前は献身的に尽くす。そして私はお前の献身に絆されていくふりをして、時折子供の小遣いで買えるようなゴミを、さぞ御大層な物のふりして大仰に感謝し、他に女がいると言った口で、戸惑いながらも愛を囁きながら贈る。そうすれば、私の気持ちが自分へ傾いてきているように感じ、お前はいっそう私に傾倒し、尽くす。

 そうやって縛り付け、お前がけして外の世界の雑音を拾わぬよう、常に見張り、私の都合の良い道具として扱い続けていた。だからこそ、その姿になったのだろうが!










『私、嫌、い、だっ、た、わ。貴、方、の、自、分、が、魅、力、的、だ、と、言、わ、ん、ば、か、り、の、笑、顔』








 うふふ、とまるで少女のように微笑み、無邪気に言い放つ声。

 一瞬、思考が停止した。

 今、この女はなんと言った?

 嫌い?

 私の笑みが?

 私の微笑みを求めて数多の女が恋敵たちを非道な方法で蹴落としたこともある、私の笑みが?

 混乱する私をよそに、エトワールは続ける。












 微笑みかけられると吐き気がしたの。

 貴方が私を褥に呼ばないことをとても喜んでいた。愚かな使用人たちが、私を哀れだと笑う後ろで、私が両手を上げて喜んでいたの、気づかなかったの?

 何を思ったのか手を出してきた時、もしも口づけてきたら貴方の舌を噛み千切ってやろうかと思ったわ。貴族の娘として、嫁いだ先で子を成すのも一つの仕事と諦めたけれども。

 貴方にわかるかしら。嫌いな男に抱かれ、その子供が己の体の中で育っていく不快感。

 出てきたそれが、おぞましい化け物に思えた。

 知らなかったでしょう。これが、貴族の仮面。貴方がはき違えていた、正しい仮面の在り方よ。だから、貴方は御義父様に失望されたのよ。

 己が心の内を悟らせず、理不尽な杯も必要に応じて笑顔で飲み干し、追加を要求する余裕を見せてこそ、貴族なの。

 たとえそれが毒の針だろうと、血を吐かずに、顔色一つ変えずに、己が本心を悟らせずに飲み干す。それが、貴方にできて?

 愛しげに目を細め、うっとりと見つめてくるエトワール。

 白い手が片方背から離れ、そっと私の頬を撫でる。その指先の動きは、まさに愛しく思う相手に触れる優しがあった。そう、まるで本気で愛する男か、それとも、何よりも大切な子供に触れるかのような。

 あの、地を這うような声ではなく、少女のように弾む、愛らしい声音で愛している、と囁くその女を、私は知っている。

「あ……あぁ……」

 口からは意味の無い言葉が溢れてきた。

 背に残された手が、ゆっくりと爪をたて、肉を抉る。その痛みに顔をしかめる私に、ほら、だめよ、とまるで子供に諭すように笑う女が一人。

 知っているが、知らない。

 私は、こんな女、知らない。

 誰だ、これは……。



『で、も、貴、方、に、は、感、謝、も、し、て、い、る、の、よ?』



 不意に手の力が緩んだ。

 痛みに歪み、詰めていたせいで、口からは不格好な息が零れる。けれども私の意識はそんなことよりも、未だ私を抱きしめる女へと注がれていた。

『あ、の、子、を、く、れ、て』

 たった今、おぞましい化け物、とそう言った口で、舌の根も乾かぬうちにその子供を歓迎している、と言う。

 何を、言っているのだ、この女は……。

『あ、の、子、は、私、の、怒、り、憎、し、み、怨、嗟、の、中、で、育、ち、産、ま、れ、た、子』

 女ははしゃいだ声を上げ、私が聞いているのかどうか、そんなことを気にするそぶりもなく紡ぐ。

 あんなにいい子はいないわ。

 類い稀な逸材。

 ねぇ、貴方も知っているでしょう? この国が、何をしている、どんな国か。

 古い貴族は沢山、ええ、そう、それはそれは沢山の(すべ)を知っている。

 だから、ね? 私もその術を用い、毒を仕込んでみたの。

 甘い、甘い、毒よ。

 あの子は憎悪の澱みから産まれ、毒を喰らい、純粋なオドとして成長してくれた。

 可愛い可愛い私の子。

 あの子の世界に必要なのは私だけ。私以外の言葉を聞く必要はなかったから。

 そのために必要だった環境も、貴方がくれたの。

 本当に、馬鹿な人。

 自分で自分の首を絞めるなんて。

 恨んだわ。

 憎んだわ。

 殺してやりたいと思っていたわ。

 けれどもその力は私にはない。

 だから、ね?

 わかるでしょう?

 その力を持つため、私は純粋な悪意のオドからもう一度産まれたのよ。貴方の協力の下。

 嬉しいでしょう?

 楽しみでしょう?

 自分で育てた呪いの力で殺されるのは。

 ケタケタと耳障りな笑いを零す女。

 狂っている、そう理解した。

 この女は狂っている。

 なんということだ。こんな狂った女を、王は私に押し付けたというのか!?

 何故、私ばかりがこんな不幸な目に合わねばならないのだ!?

 私は生まれてからずっと不幸の中にいた。幸せになれるよう人一倍努力をしてきた。だからこそ幸せになる権利を誰よりも持っているはずだ!

 それなのに、何故!

 必死に体を揺する。

 気が狂った女の拘束から抜け出そうともがいた。それさえも、女は馬鹿にするように、いや、小さな子供の愚かな行為を見守るように、残った右目で見つめている。それがなおいっそう私を苛立たせる、と知っているかのように。

 どれだけ抗おうとも、その拘束は解けない。

 細身の女の腕一本が、振り払えない。それどころか、徐々に再び背に爪が立てられていく。

 苦悶に顔を歪めれば、とても嬉しそうにじっくりとその顔を観察するように覗き込んでくる。



 クソが。

 クソが、クソが、クソが、クソがっ!!!

 金を産むだけの道具の分際でっ!!

 私に、この私にこのような真似、許されると思っているのか!!

 クソがぁああっ!!

『ねぇ……そ、ろ、そ、ろ、飽、き、た、わ……』

「ッ」

 本当につまらなさそうに呟く声。

 先ほどまで楽しそうに見ていたはずの右目が、冷たい輝きを放つ。

 そこには、なんの感情もない。

 ただただ恐怖に歪む私の顔を映していた。

『ね……死、ん、で……』

「がはっ」

 そっと左腕が戻ってきて、優しく抱きしめられたと思った瞬間、背骨が軋む。

 ゆっくり、じっくり、時間をかけるように少しずつ力が込められていく。

 痛みの中、理解する。

 この化け物が私をどうやって殺すのかを。

 それは、嫌だ。

 死にたくない。

 死にたくないし、死ぬにしたってそんな死に方は嫌だ!!

 誰か、誰か助けてくれっっ!








 目をつぶり、必死に救いを求める私の瞼の裏に、僅かな閃光が走った。

『ぎゃっ』

 途端短い悲鳴。

 私の物ではない。となると、それは――。

「来い!」

 おそるおそる目を開きかけた私の腕を、誰かがぐい、と引っ張った。

 そのまま縺れそうになる足を何とか動かし、引かれるままに走る。

 誰が何をしたのかはわからない。わからないが、只一つ、あの化け物から逃れるのは今しかない。それだけは、わかったから――。












『仄〇い水〇底から』読みました。

 全体的にもやっとする作品でした。どの話にも救いがないというか……。

 文章自体は水のようだなーと感じました。静けさから突然荒れ狂うような。最後は淀んで奇妙な感覚を残していく……ああ、プロの作家さんはすごいなぁ……。

 トドもそんな文書を書いてみたいものです……orz


 オススメ、ありがとうございました!



『ヴァン〇イアVSゾ〇ビ』観ました。

いえ、正確には近くのレンタルショップになかったので、探して一部分だけ観ました。

ごめんなさい><;

とりあえず、その一部分だけの感想で失礼します。

うーん……まぁ、うん、グロはいいんですグロは……怖かったですが><;

時折訪れる百合百合しいあれは……??

あと、ラスト(?)はどう解釈したらいいんですか??

なんか……あれですね。多分、トドみたいな方が作ったんですかね?

ホラーよくわからないから化け物出して、グロだして、サービスシーンを入れとけば、多分何とかなる、的な!と思いました。

ごめんなさい。一部分をいくつか見ただけなので、そう思っただけなのかも……。全体を通してみれば何かちがったのかもです……。

送料入れても千円以下で投げ売りされていますし、買ってみようかと思うのですが、ホラー物を一晩以上家に置いておくと、何か怖いものが寄ってくるんじゃないかと思い、なかなか手が出ないのです……。

本当にごめんなさい……><;

あと、以前盆踊りで三次元の裸にさほど興味がない、と書きましたが、パンチラにもあまり興味がががが……。

トドは、かっちりお洋服着ている方が好きです。チラリもポロリもないくらいかっちりした姿が好きです。素敵老紳士くらいかっちり着込んでいてほしいです。ごめんなさい><;


オススメ、ありがとうございました!

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