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自殺少女と陰気なななめ少年  作者: イワブチ
6/12

第六話、チグリジア

          〇



 高尾レミの用事は本当にくだらないものだったので、踊り場での問答は割愛する。

 ようするに、この前のあれ――西ヶ原さんへのいやがらせについて、誰にも話していないかどうかの確認だった。

 ぼくが話していないと言うと、今度はあのキスはどういうつもりなのかと、きわめて頓珍漢なことを問うてきた。

 呆れてしばし唖然とした。唖然としたついでに、苛立だった。そしてぼくは無視することに決めた。


「ねえ、待ってよ」


 断る。

 待たずに、自分の教室へ戻った。

 すると高尾レミは、あろうことかぼくを追って教室に侵入、さらに机の前に仁王立ちしたのだ。

 周囲はにわかに色めきだった。やはり高尾レミはその容姿で、学年において目立っているらしい。男子の半数近くの視線がぼくらに集中している。


「おーい、野方。なあ、どうした? えっと、そっちの子は」


 ろくに会話もしたことないクラスメイトの男子生徒がそう言った。ぼくに話しかけているのに、視線はほとんど高尾レミを捉えている。この機会に彼女と近づきになろうという魂胆が透けて見えた。

 なにが、えっとそっちの子は、だよ。高尾レミだって知っているくせに。

 クラスの中心グループの一人であるこの男子生徒を蔑ろにするような態度をとるのは賢くない。面倒だが、ぼくは柔和な笑みを浮かべた。


「高尾さんの落とし物を拾ったから渡そうと思って。ここまで来てもらったんだ」


 ぼくは鞄の中から文庫本を取り出した。

 高尾さんが訝しげな顔をしたが、ぼくは男子生徒の前で彼女にそれを渡した。


「へえ、なにこれ? 聞いたことないなあ。もしかして、あれ、ほら、ラノベってやつ?」


 ぼくは心中で苦笑した。全然違うよ、助平野郎。


「そろそろ終業式だよね。ちょっと多目的室に用事があるから、先に行くよ」

「あっ、野方――」


 高尾レミと男子生徒、さらには幾人かの視線を引きはがすようにして、ぼくは教室から出る。

 新校舎二階の奥、多目的室の隣には休憩スペースがあり、自動販売機とが並んでいた。ぼくはそこでコーラを買ってベンチに腰掛けた。

 数分後、高尾レミが現れた。

 ぼくは開口一番言った。


「どういうつもりだよ。教室まで入ってきて」

「だから、キスしたじゃん。忘れたわけ?」

「あんたはバカか? 黙っている代わりに、したんだ。それ以上でも以下でもないよ。もうなんなんだよ」


 高尾レミは一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに気を取り直して言った。


「そんなに安くないよ、私のキス。さっきだって見たでしょ、教室で、さ」

「はあ?」

「わかんないの? ええ、うそ。だってみんな見てたんだよ。ほら、私けっこう目立つから、ね」


 そんな死ぬほどどうでもいい自慢話のために疑問の声をあげたんじゃない。安くないってのが不可解だったんだ。

 安いも安くないも、吹っ掛けてきたのは高尾レミのほうからだろう。何を言っているんだ、こいつは。

 ぼくは時計を見た。そろそろ体育館へ行かなければならない。

 溜息をついて言う。


「あのさ、もう終業式始まるけど?」

「いいじゃん、出なくっても。それよりさ、私、マロくんとお話がしたいなあ」


 高尾レミは媚びるように囁いた。

 ぼくは舌打ちをする。


「気安く呼ばないでくれるかな」

「えー、いいじゃんべつに。さっき聞いたんだ、下の名前。モトマロってどんな字?」

「……で、結局話はそれだけか? 誰にもあんたがしてたことは言わないつもりだから。それでいいだろ?」


 不毛だった。こんなエゴの塊みたいな女と過ごす時間に何の意味もなかった。

 ぼくは立ち上がって、飲み干したコーラの缶を捨てた。


「もうぼくに話しかけないでくれ。それじゃあ」


 不良でもワルでも落ちこぼれでもないんだ。終業式に出ないわけにはいかない。

 ぼくは何かごちゃごちゃと声を上げる高尾レミを無視して体育館へ急いだ。

 そういえば、高尾レミに小説を渡しっぱなしだった。だけど、まあ、いいか。



          〇



 火急を知らせる連絡が入ったのは、終業式も閉幕して、ぼくが校門をくぐろうとしていたときだった。

 携帯が震え、ディスプレイに『西ヶ原』と表示されている。

 来たか。


「もしもし」


――野方くん。


「用件は?」


――あのね、ごめんなさい。野方くん、私……。


「いいから、用件を。例のか?」


――……うん。


「場所は」


――教室。私の。


 通話を切ると、ぼくは踵を返して校舎の方へ向かった。

 校庭では野球部が大声を上げながら白球を追っていた。

 残念なことに、彼らは今年も甲子園へのチケットを入手できなかったらしい。三回戦を終えた次の朝、同じクラスの二宮は坊主頭をさすりながら、「あと一歩だったんだけどな」と爽やかに笑っていた。まだその顔に諦めの色は浮かんでいなかった。来年がある。目は如実にそう語っていた。

 外野からのバックホームを待つキャッチャーの二宮を眺めながら、次こそは報われるといいなと思った。ぼくも甲子園に行ってみたい。


 校内は閑散としていた。

 ぼくが旧校舎で煙草を吸っている間に、部活動に勤しむ生徒以外はほとんど帰ったようだ。ほんの少し前まで、夏の予定を話す生徒たちの喧しい声で賑わっていたが、いまはその残響さえ聞こえない。

 静かだった。静かで新鮮だった。待ち構えている厄介事さえなければ、ぶらぶらとご機嫌な散歩と洒落込みたかった。

 2Dの扉を開けると、窓際の前から二番目の席に西ヶ原さんは座っていた。ほかには誰もいない。教卓には、黄色い花が飾られていた。

 近寄ってみると、彼女は俯いて、何かに耐えるように震えていた。カーテンがひらひらと揺れて、彼女の顔を撫でているのにも気づいていない。

 机の上に小さな鋏が置いてあった。

 これが今回の手段か? じゃあ、間に合ったのか。

 ぼくはなぜか心の奥の隅に失意のようなものを感じた。それはほじくり出して考えてみる価値のあるものに思えた。


「……野方くん」


 西ヶ原さんは悄然と顔をあげた。みっともない顔だった。十秒と直視していたくない。それくらい悲痛に歪んでいた。

 ぼくは目をそらしながら訊ねる。


「これで喉でも突き刺そうとしたのか」

「……わからない。でも、たぶん、そうなのかも」

「なら預かっておく」


 ぼくは鋏を取り上げて鞄に押し込んだ。

 戻そうとした視線が、西ヶ原さんの机の中をかすめた。汚れた雑巾の類は入っていなかった。


「もう、大丈夫か?」

「……」


 反応がない。

 ぼくはあたりをうかがって、凶器になりそうなものを探した。だがすぐやめた。そんなもの腐るほど、あらゆる場所にあるのだ。取り除こうったって無駄だ。結局のところ、人を殺すのは、凶器ではなく、意志なのだから。

 ぼくはもう一度声をかけて、西ヶ原さんの席を離れた。


「待って」


 扉を開こうとしていた手を止めて、ぼくは振り返った。


「あの……もう少し……」


もう少し、なんだよ?


「あの、ね。ごめんなさい、もう少しだけ……」


 ぼくが黙って見ていると、西ヶ原さんはいまにも泣き出しそうに眉根を寄せた。


「……もう少しだけ、一緒にいて欲しいの」

「衝動は収まったのか?」


 彼女は、ゆっくりと、ほとんど強制されているかのように首を縦に振った。


「それなら、ぼくはいらないよな」

「っ!」


 西ヶ原さんが息を呑んだ。

 冷酷かもしれないが、取引以外の用で時間を割かれるのは気分がいいものじゃない。それにそんな義理も暇もないのだ。

 ぼくは、もう彼女の顔を見ないようにして扉を開けた。視界に一瞬、教卓の黄色い花が映る。あれはたしか、――。

 さようなら。心の中で呟く。

 廊下に出ると、教室の中から物音が聞こえた。

 慌ただしい気配、おそらく机や椅子にぶつかっているのだろう。音が止んだ途端、扉が開いて西ヶ原さんが教室から飛び出してきた。

 彼女は見向きもしなかった。阿呆面さげて、木偶の坊みたいにつっ立っているぼくに衝突しかけたが、実際は目に入らないようだった。そうして、何かに追い立てられるようにして廊下を階段の方へ駆けていった。

 一拍置いて――くそっ、危ないじゃないか、そう思ったときには、事態が急を要していることに気が付いた。

 ぼくは弾かれたように西ヶ原さんの後を追いかけた。

 階段を駆け上がり、踊り場を折り返しても、彼女の姿は見えない。足音は上の方から聞こえてくる。

 くそがっ、まだ収まっていなかったんだ! 堪えていやがったんだ! だから、ぼくに頼んだんだ。

 迂闊だった。奴は煙草のことを密告しに行くつもりだろうか?

 しかし、職員室は階下で、西ヶ原さんは上に向かっていた。それに、そんな様子でもなかった。

 だとしたら――。



「おい」


 最上階の四階にたどり着いたとき、彼女は吹きつける風に長い黒髪をなびかせて、窓枠に手をかけていた。


「おい! なにやってんだ」


 距離は数メートルほど。一気に詰めれば、引きはがすことは難しくない――そう判断して、一歩踏み出す。

 しかし、西ヶ原さんがこちらを向くと、ぼくは意識的に足を止めた。

 彼女は涙を流して、絶望していた。

 絶望しながら、願っていた。



「……死にたくない、死にたくないよ」

「えっ――」



 たぶん幻影だ。でも、たしかにぼくは見た。

 真っ黒い、それこそ墨汁を流し込んだような、不気味な影が、彼女の背中を押していた。それが何のなのか、ぼくは知っていた。見覚えがあったのだ。

 あれは、そう――悪意だ。悪意の塊だ。

 ぼくは動けなかった。動くつもりもなかった。膝は情けないほど震えていた。


 口から、かすれたうめき声が漏れる。

 日が雲に隠れたのか、あたりの明度が落ちた。

 蝉がその場を取り繕うように、かまびすしい歌声で、陽気な合唱を奏でていた。

 


 そして、西ヶ原さんは宙に舞った。




 ただただ、恐ろしかったんだ。

 本能的なものだ。心臓のあたりに馬鹿でかい刃物を突きつけられているような、問答無用の恐怖。

 そいつが、ぼくを襲っていたんだ。

 なあ、わかるだろう?

 そいつが、ぼくを襲っていたんだよ。



――どこかで、間の抜けた鈍い音がした。



 夏休みが始まろうとしている。




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