1話 おなじみの
「ーーはっ」
体を無理やり起こす。そして目や喉をひたすら触り、撫でる。
ーーある。あの時刺されて見えなくなった目が。最後に刺されて息を引き取った喉が。
息が上がる。あの時の痛みが、悲しみが、憎しみが全て這いつくばるように体に染みついている。思い出すだけで気が狂いそうになる。
「……あれは夢だったのか?」
そう思いたかった。でもあんな立体的に思い出せるような夢などあるのだろうか。少なくとも、夏光はあれを夢だとは絶対に思えなかった。なぜなら、今夏光が居るのは真っ白な雲らしき物の上。この光景からイメージされるのは1つしかなかった。
「違う、夢じゃない。俺はーー」
「死んだんだよ。君は」
突如降りかかる中性的な声が夏光の耳に入った。後ろを向くと、小学生くらいの大きさの少年が腕を後頭部に組んでいた。服は真っ白なシャツに茶色い半ズボン。いかにも普通の服装だ。
「お前は誰だ?」
夏光の問いかけに少年はニヤッと笑みを浮かべて答えた。子どもではないような笑い方。無邪気さが無い。
「誰だと思う?」
「分からないから聞いてるんだ。お前は誰だ?」
とにかく早く状況が知りたいがために、夏光は口調を強くして聞いた。
「君はつまらない人だねえ……僕は君達が時に頼ったり、恨んだりする神だよ」
「は? 神?」
拍子の抜けた答えに夏光はつい吹き出しそうになった。
それもそうだ。神なんて人間が思った空想の存在でしかない。時に人は神を頼り、時に神を恨むが、結局そんなものは言い訳でしかなくて、神なんて居ない。夏光はそう思っていた。
「つまらない冗談は求めてないぞ」
「……はぁ、君は死んだんだ。目の前に神が出てきたっておかしくないだろう?」
「……死んだ?」
「覚えてるんだろう? 両目をやられた後に喉をズガッとやられたこと。随分と派手にやられてたよねえ。僕だったら軽くトラウマになっちゃう」
嫌なほど覚えていた。あんな残酷なやられかたをした上に、家族を殺されたのだ。忘れるわけが無かった。
「…………じゃあ、ここは何処なんだよ。天国か?」
「天国でも地獄でもない、何でもない空間って言えば分かるかな。君は今死にたてホヤホヤなんだ。まだ死後の世界をさまよってる」
「へぇ」
無愛想に夏光は返した。
死んだのに、あまり実感がわかない。ただ認めたくないだけなのだろうか。それとも生きている意味が無いような命がようやく終わりを告げてくれて、ホッとしているのか。夏佳だったら多分ーー
「ーーそういえば夏佳はどうしたんだ? 夏佳はどこにいる?」
途端に思い出し、まるで人が変わったかのように強い口調で言うと神は少し戸惑いながらも、夏光の肩に手を置いて落ち着かせた。
「君の妹も死んだよ」
「…………」
「あんなに刺されたら死んで当たり前だ。最後まで君にお礼を言いながら死んだよ。いやあ、実に兄思いでしっかりとした妹さんだ。君と全く違って」
「そのとおりだな」
それは知っていた。夏佳を守ろうとして立ち向かった兄に向かって擦れた声で『ありがとう』と言っていたのは夏光の記憶に鮮明に残っていた。
「あいつは……。夏佳は……。俺のせいで死んだんだ……。俺は肝心な時に何も出来なくて、結局最後まで夏佳を守れなかった……」
大粒の涙がこぼれる。ただただ悔しかった。無力なせいで夏佳を守れなかったことが、夏佳のために最後まで何も出来なかったことが。
「夏佳にーーもう1度会いたい……」
叶うことのない望みが口からこぼれた。