The truth
疲れた・・・。
マジで疲れた。
昨日医院を空けたしわ寄せがこんなに来るとは思ってもみなかった土岐は、ぐったりと机に突っ伏した。
「若せんせ、まだまだ今夜は長ぉなりますよ?」
お香代さんの何とも言えない含みのある言い方に、土岐は力なく笑う。
土岐は思い切りグッと伸びをすると、診療室を出て自室に戻った。
髪を手ぐしで整え、後ろでキュッと結ぶ。作務衣を脱いで、灰色の着流しに着替えると、昨日中身を確認した旅行カバンを持った。
反対の手には1年前にお土産で買った佐々木酒造の酒を持つ。
佐々木酒造は、実は平成の時代に唯一洛中に残る造り酒屋であり、俳優の佐々木蔵⚪︎助の実家でもある。使われている水は、かの太閤秀吉が茶の湯で使った水源を使用しているらしい。
細い路地にひっそりとある佐々木酒造へ行ったのはほんの1年前のことだ。
土岐達が朝食を食べた部屋には、既に膳が並べられ、料理が置かれていた。
心なしか、何時もよりも豪華な気がする。
土岐は定位置に座り、自分の傍に酒とカバンを置いた。
普段は飲むことのない、酒の準備もされている。
お香代が席に着くと、嶋田がそれを待っていた様に発声をした。
「なんでも、土岐さんの住んでいた所では”記念日”なるものがあるのだろう?今日は土岐さんがここに来てそろそろ1年が経つ。今宵はその”記念日”なるものの祝いを行おうと思ってな。では、・・・乾杯!」
土岐は驚いて隣でお猪口をかかげている嶋田をまじまじと見つめた。
まさか、幕末で記念日を祝って「乾杯」の言葉を聞けるとは思ってもみなかった。
いや、何時だったか、島原の角屋へ行った時に嶋田先生にその話をしたかもしれない。そんな些細な事を、この人は覚えていたのかと驚きを隠せなかった。
一気に杯を空けた嶋田を、土岐は相変わらず見つめていた。
「なんだ、土岐さん。あなたも飲み干さなければいけないのだろう?」
言われて土岐はお猪口をかかげると、口につけて一気に酒をあおった。
途端に鼻腔と喉が酒の香りと熱さにカッとする。
土岐は酒が強い方ではなかった。空きっ腹に酒は堪える。
「皆さん、ありがとうございます。本当に、何と言ったら良いのか・・・。あまり酔っ払いたくないので、先に夕餉をいただきます。」
そう言って土岐は、照れているのか酒で顔が赤いのか、お香代の作った料理をばくばくと食べ始めた。
兎に角、3人の心遣いが嬉しかった。
ある程度食べると、大分お腹も満たされて来た。
嶋田が頃合いを見計らった様に土岐のお猪口に酒を注ぐ。土岐はそれをまた飲み干した。
土岐は自分の隣に置いていた、佐々木酒造の瓶を取ると蓋を開け、嶋田のお猪口に酒を注いだ。
「嶋田先生、これは1年前に買った酒ですが、美味しく飲めると思います。どうぞ。」
そう言う土岐に嶋田はゆっくりとお猪口に口を付ける。
軽く酒を口に含むと、一気にお猪口をあおった。
「これは美味い酒だな。」
そう言った嶋田に笑顔になった土岐は、松吉とお香代の下に行くと、2人にも酒を振舞った。
「それにしても、不思議な入れ物やなぁ。」
お香代が珍しそうに酒の入った瓶を見た。
「これは、この時代ではギヤマンと言われているもので、私の時代ではガラスと言われています。」
自分の席に戻った土岐は、酒の瓶を持ってそう説明した。
「この時代と私の時代、とは?」
松吉が良くわからないと言う様に土岐を見た。
比較的明るい行灯の光が、いたずらでもする様な表情の土岐をうつす。
「そのままの意味ですよ、松吉さん。」
松吉は、土岐が持っている荷の中から時々持って見つめている板を取り出すのを見ていた。
土岐が板に触れると、その板から光が出た。
「これは携帯電話と言って、遠くに居る人とお話しが出来るカラクリです。そうだな、例えばメリケンに居る人間とも直接話す事が出来るんです。・・・それ以外にも、フォトガラを撮ったり、音楽・・・音を聞いたり、調べ物をしたり。」
土岐はiPod appを立ち上げると、Norah Jonesの音楽を再生する。
するとiPhoneのスピーカーから、Jazzの音色と共に力強い歌声が響いて来た。
これには3人共に固まった様に微動だにしなかった。
「これは私の好きな音楽の一つです。」
土岐は3人を見る様に話した。
幕末の座敷にJazzと言うミスマッチにも思えるシチュエーションだが、行灯の光と合間って、何となしにBarの様な雰囲気だなと思った。
「私は土岐さんを初めて見た時、妖術使いだと思ったよ。・・・何も無かった所から突然荷車の様なものに乗って現れたからな。何と面妖な男だと思ったものだ。」
嶋田はその時を思い出した様に目を細めた。
「あの時は本当に驚きました。それに、突然飛び出して来た嶋田先生に腹立たしく思ったのです。・・・あれから一年です。」
「若先生、若先生は尾張の出なのでしょう?」
松吉が確認する様に言う。
土岐はそんな松吉の言葉に頷いた。
「そう。私はこの時代の尾張、私の時代の名古屋の出です。・・・文久4年、元治2年、慶応4年、明治45年、大正15年、昭和64年、平成26年。・・・足したら全部で何年になります?」
「160年?」
お香代がボソリと呟いた。
「そう、今のはこの国の元号です。少なくともこの国は、滅びる事なく後160年は続いています。つまり、私は平成26年の日の本からここに来ました。・・・なので、皆さんは私の曽祖父の父親の世代になるのかな。」
3人はまじまじと土岐を見つめていたが、ふっと緊張を解く様に表情を緩めた。
「そうではないかと、思っておりました。」
京都の言葉ではないお香代の言葉とセリフに土岐の方が驚いた。
「最初にそれを言われたのは、嶋田先生でございます。」
「えっと、あの。・・・お香代さん?」
武家の娘の様に話すお香代に土岐は戸惑った。
「若先生も、我らの事を薄々は気付いておられたでしょう?・・・私もお香代も武家の出です。・・・嶋田先生はもとはある藩の藩医をしておられました。」
松吉が姿勢を正して続けた。
「そう、だったんですか。いや、何だかお2人の立ち居振る舞いが町人ではないなとは思っていたんです。松吉さんなんて、腰に大小を差してるし。・・・なるほど。」
思ったよりも驚いた様に見えない土岐に、嶋田が言った。
「それほど驚く事ではなかったかな。」
「そりゃ・・、そうですね。この時代は脱藩は罪なんでしたっけ?まぁ、私にはそれが罪になるのが良く理解できませんが。・・・それに、人にはそれぞれ人に言いたくない事が沢山あるんです。以前は以前、今は今で言いじゃないですか。私の様に160年も過去に飛んだらどうします?いちいち気にしていたら、やって行けませんよ。例えば、ですよ?嶋田先生や松吉さん、お香代さんが私みたいに織田信長や伊達政宗、武田信玄・・・まぁ、誰でも良いんですけど、その辺りの人の時代に飛ばされたらどうします?まだまだ戦国乱世、習慣も常識も違う。きっともの凄く戸惑うと思います。・・・私の身に起こった事はそう言う事なんですよ。それを誰かに理解して欲しかった。でも、そんな事を言ったら変人だと思われるでしょう?・・・だから、皆さんが武家だろうが、そんなものは些細な事だ。」
やたら饒舌に語る土岐を不思議そうにみる嶋田は少し眉をひそめた。
「土岐さん、酔っておるのか?」
「え?ああ、そうかもしれません。何だか身体がふわふわします。」
土岐は4人でこそこそと秘密の共有をしている状況に、何だか訳も分からずおかしさがこみ上げて来た。
「若先生、大丈夫ですか?」
お香代が小刻みに震える土岐に心配そうに声をかける。
我慢の限界を迎えた土岐は噴き出す様に笑い出した。
最後に土岐が何となく覚えているのは、嶋田先生、松吉、お香代の三人の少し呆れたような顔だった。
某俳優さんのご実家の酒蔵へ行ったのは、もう1年も前です。
あの時は、とにかく自転車で走りまくりました。
そして自分の足で廻る街は、距離感もつかめてこれまた何とも楽しいものです。
しかし、一年経つのが早いなぁ。
今度は来春に出張で行く予定ですが、できれば旅行で行きたい〜〜。