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花屋町通り医院  作者: Louis
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Back to the ordinary day

私は、比較的ゆるい家庭で育った。

友人の家の様に、「門限」なんてものは存在しなかった。

うちの母親は良い言い方をすれば「放任主義」で、一報さえ入れればコンパの後に友人達と宿泊しても何も言わなかった。

ただ、一言。「学生と言ってももう大人なんだから、自分のやる事にはしっかりと責任を持ちなさい。何かあっても自己責任だからね。」

後から思い至ったけれど、これは子供を信頼していなければ言えない言葉で、言われたこっちは「しっかりしなきゃ」と思い、羽目を外す事は一度としてなかった。

朝帰りをしても、父親からも母親からも何も言われる事はなかったのだ。


そんな私にとってこれは初めての体験であり、どう対処して良いのか皆目見当がつかない。

とにかく、謝るしかないのだ。


「男の格好をしているとは言え、仮にも女子が外泊とは。・・・事の重大さをわかっておるのか、土岐さん?」


「いや、ですから、手が離せない患者さんが居てですね。その方の対処に時間がかかってしまい、もう夜も遅くて出歩くのも危ないと判断して帰らなかったのです。」


嶋田先生が患者を前にした私にそんな事を言うとは思ってもみなかった。

使いも出したし私は何も間違ったことはしていない、というのが土岐の言い分だった。

何もやましいことはしていない。患者の対応に一生懸命だった。だいたいあのまま帰ろうとすれば松吉と吉田さんが斬り合いになったかもしれない。

私は何も間違ったことをしていない!!


そう言う思いを込めて、先ほどからお小言を言う嶋田先生を見据えた。


もうこれ以上言っても仕方がないと判断したのだろう、嶋田は大きなため息をついた。


「土岐さん、あなたは私たちにとって家族も同然の存在なんだ。あなたがした事は医者として間違っちゃいない。むしろ、よくやったと褒めるべきだろう。だが、私たちがあなたの事を心配したと言う事を理解してほしい。」


反発をしていた気持ちが嶋田の一言で鳴りを潜め、代わりにジワジワと暖かい気持ちが心を満たしていく。


傍に一緒に座っている松吉とお香代も心配そうな眼差しを向けていた。


「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。その様に暖かい言葉を・・・。」

私は、どこかで自分は異分子だと思っていた。ここに来てほぼ1年。それでも私はここには本当は属さない人間だと何処かでそう思ってきた。そんな私を家族同然と言ってくれるこの人達に、心が温かくなると同時に何とも言えない家族に感じる愛おしさがこみ上げてきた。


「私は多分、またこの様な事に巻き込まれるかもしれない。けれど、嶋田先生の今の言葉は忘れません。私の家はここで、・・・。私は必ずここに帰ってきます。本当にすいませんでした。」


土岐はそう言うと、畳すれすれまで頭を下げた。

そんな土岐を、他の3人は嬉しそうな顔をしてみていた。


お香代さんに言われて、私は朝風呂に入った。

旅行鞄に入れていたシャンプー、コンディショナーとボディソープで身体を洗う。この、大げさだと思いながらも命名した「お風呂セット三種の神器」を使うのは、決まって特別な時だけだ。今の私にとってはとても貴重なものだった。ともあれ、旅行用のこれらは毎回使っていれば直ぐになくなってしまう。

懐かしい香りと泡に、まるで自分が平成の時代に戻った様な気がした。

ゆっくりと湯船に浸かり、歯ブラシにたっぷり歯磨き粉をつけて一緒に歯磨きまでした。普段は塩で歯磨きをしているが、今日は特別に歯磨き粉を使う。

いつまでここにいるのか先が見えない不安は確かにある。これらの物だって消費期限があるし、いつまでも存在するわけではない。

それでも、先の事を考えた所でどうにかなるものでもない。


先の世の家族の事も、もちろん幕末(こちら)に来てそれこそ何度となく考えた。考えたんだけれど、考えれば考えるほどに、精神的にパニックが起きそうになる。だからあえて、「私の家族はきっと大丈夫」とポジティブに考える様にしている。

そう考えなければやっていられない。

私はここで私のできる事をするだけだ。


新たにそう決意をすると、湯船から上がって太陽の匂いのするバスタオルに身体を包んだ。以前は毎日愛用していたボディオイルをまんべんなく身体につける。バラの香油がブレンドされたオイルは湯殿にその香りが充満し、土岐を心地よい気分にさせた。


自室へ戻った土岐は、普段あまり開ける事のなかった旅行カバンを開いた。

そのカバンの中身を一つづつ出して確認していく。

財布、定期入れ、京都の地図、ノート、ボールペン、iPhone、イヤホン、充電器、コールゼロ(ソーラー充電器)、ビクトリノックス、フラッシュライト、サーモスマイボトル、タオル、ランニングウエア、ランニングブラ、ランポーチ、ズボン、ダウンジャケット、セーター2着、インターウエア3枚、ブラトップ、ブラジャー3つ、パンツ3枚、靴下3足、生理用品(タンポン、ナプキン)、土産用に買ったエコナプキン、薬入れ(葛根湯にロキソニン錠1シート、整腸剤、胃薬)、マスク、ハンドクリーム、化粧品、指輪、ピアス、ネックレス、お土産用の佐々木酒造のお酒、インスタント・カフェラテスティック微糖、チョコレート、ガムそして履いていたランシューズ。


我ながら、コンパクトによくこれだけの物を入れて来たんだと思う。

普通の女子じょしが旅行にどんな物を持っていくのかは分からないけれど、いつも私はこんなもんだ。震災がいつ起きるかも分からないし、防災グッズとしてのものも常に旅行へは持ち歩いていた。

それに旅先でのランニングは私の趣味の一環で、旅行へ行ったり出張に行ったりするとその先で観光がてらよく走っていた。1年前の京都観光でも、旅ランを楽しみにしていたのに。


嶋田先生達に、私の出自を話すべきかとずっと悩んで来た。・・・そろそろ本当の事を話すべきだろうとも思っている。それに、一緒に暮らしていてわかった事だけれど、松吉さんもお香代さんも、その立ち居振る舞いからとても町人の出だとは思えない。きっと武家の出身だろう。そうなると、嶋田先生もただの町医者とは思えない。私は基本的に無理にプライベートを聞くのはよしとしていない。

きっとお互いに秘密を持っている事を、お互いが気付いているだろう。私の事だって、絶対に3人ともおかしいと思っているはずだ。私は自分の持ち物について、聞かれたら隠さずに話をしていた。理解されているのかは別として、隠すことはしなかった。それは彼らに話しても、それを誰かに漏らすとは思わなかったからだ。

そろそろ、良いのかもしれない。


髪をバスタオルで乾かし、ゴム紐で後ろにくくる。

手早く作務衣を着て、身なりを整える。


私は決心すると、朝餉の準備がされているであろう部屋へと向かった。


部屋には味噌汁の美味しそうな香りが充満しており、一気にお腹が空いてきた。

4つの膳が均等に並べられ、上座には嶋田先生と私の膳が並び、下座には松吉さんとお香代さんの膳が並べられていた。

来た当初は末席だった私も、医師として勤めるようになってからは、何故か嶋田先生の隣が定席となっていた。


全員が席に着き、いただきますの合図で何時もは静かな朝食が始まる。

皆がご飯を食べ始めると、土岐は意を決したように提案をした。


「あの、実は。みなさんに折り入ってお話があります。今日の夕餉の時にお話をしたいのですが、構わないでしょうか?」

少し緊張した面持ちで言った私に、3人は何だろうとでも言う様に土岐をみた。


「改まった話なのか?」

隣に座っている嶋田が落ち着いた声音で土岐に聞いた。


「改まったというか、まぁ、私自身の話なのです。」

土岐が嶋田の方を向いて言う。


「なるほど、ならば夕餉の後に酒でも飲みながら話をしようか。」

嶋田の言葉に3人は頷いた。


「ほな、何や酒のツマミを用意せなあかんな。」

お香代が思案顔で言う。


「せやな。何や、飛び切り美味そうなんを用意せなあかんな。」

嬉しそうに言う松吉を土岐は不思議そうに見た。


3人とも、何となく嬉しそうに見えるのは私の気のせいだろうか?

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