節分オバケとコスプレと
日本人の「コスプレ文化」は、実はとても歴史があるのではないかと思わずにはいられない。
下手をすると西洋のハロウィンの仮装よりも更に歴史がある習慣なのかもしれない。
ハロウィンは元々ケルト民族の風習で、ジャック・オ・ランタンを作って厄除けをする習わしだった。それがスコットランド、アイルランドからアメリカに伝わり、1900年初頭に徐々に仮装をする様になったとの事だ。
私のアメリカの友人曰く、ハロウィンの日には魔女や妖怪、先祖の魂が現世に溢れるから、仮装をする事で自分が人間だとバレず、一緒に連れて行かれる心配がない、と聞いた。本当のところは知らない。
それとは違う、「節分おばけ」と言う日本の古い行事をご存知だろうか?
このイベントの歴史は古く、江戸時代後期からとされているが京都では江戸中期頃から行われていたと聞く。節分前夜に各々が普段とは違った格好をし、老人が若い女性の格好、子供が大人の格好、男性が女装、女性が男装などのいわゆるコスプレをしながら厄祓いのために寺院を参拝する習慣があった。厄祓いと言う観点から言えば、ハロウィンも節分おばけも似たようなものかもしれない。
ちなみに節分おばけの「おばけ」とは、「お化髪」が語源であるとされる説があるけれど、実際ここで誰に聞いてもよくわからないままだ。
この行事を全く知らなかった土岐は、最初の年にとても驚いたものだった。
しかも新年明けての新春のお祭りである。
「え、日本人のコスプレ好きってこの時代からだったの?」
と思わず言葉が出たのは仕方ない事だと思う。
自分の見知った男性患者が女装のまま医院に挨拶に来た時は、何の悪い冗談かと思ったほどだ。
ここは島原にも近いから、それこそお祭り好きな人達も多く集う。
そして現在土岐を悩ませている問題。
「せんせ、昨年は諦めましたけど、今年は参加するゆうてはりましたやろ?」
妙齢の恰幅の良い女性が土岐の診察室で土岐に詰め寄っていた。
土岐の後ろにいるお香代も苦笑を浮かべている。
その場しのぎで確かに昨年、そう言った。
島原の養花楼の女将始め、芸子達、特に土岐の事をまだ忘れられない菊野のたっての希望で土岐を女装させたいというオファーが来ているのだ。
しかも女将に至っては、土岐に太夫の格好をさせたいと息巻いている。
はっきり言って有り難迷惑、本当に勘弁してほしい。
「いつもお世話になっとるせんせの厄祓いや。きっちりさせてもらわんと、示しがつきまへん。」「いや、女将」
「あてが腕によりをかけて、せんせを島原一のおばけ太夫に仕立ててみせます。何やったら、養花楼を上げて太夫道中を」
「女将!!」
聞き捨てならない言葉を聞いた土岐が、焦った様に大きな声を出した。
「すまない、女将。たとえ節分おばけには参加するとしても、おばけ太夫だけは勘弁してくれ。あの様な格好では目立ち過ぎる。」
怖い。怖すぎる。おばけ太夫って、そもそも妖怪っぽいネーミングじゃないか。それに見世物パンダはごめんだ。絶対におかまっぽい変な太夫が出来上がる。それを知ってる人達に見られるなんて、嫌すぎる!!
土岐はそれを想像してゾッとした。
「よろしおす。ほなせんせ、節分の夕刻にはうちとこまで来てください。芸妓一同、あてらもお待ちしとります。」
女将が意味ありげに微笑みながら土岐にそう告げた。
「わかりました、伺う様にします。」
土岐がそう言えば、女将は納得した様に椅子から立ち上がると、キレイな礼を一つして診察室を出て行った。
「お香代さん、申し訳ないが、養花楼へ行く折は一緒に来てくれないか?」
弱々しく言う土岐に、お香代は苦笑したまま頷いた。
花屋町通りを西に行き、通い慣れた島原の大門を潜る。まだ時間が早いせいか、島原大門の提灯にはまだ火が灯されていない。
それでも今日は節分だけあって、京の街やここ島原も人の往来が多くあった。
大門をくぐって直ぐにある坊城通りを右に曲がれば、曲がって直ぐの左手に養花楼(平成時代の輪◯屋)はあった。格子窓のある、大きな三階建ての建物だ。
現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたため、まだ6年しか経っていないので真新しい。なんでも、以前の建物は安政3年の火事で焼失したのだとか。
現在は3階建であるが、昭和36年(1961年)の台風で3階部分の屋根が吹き飛び、その後3階部分を取り壊して2階建てにしたため平成時代には2階建ての建物となっている。
日本で最も古い廓の中でも古い置屋であり、創業は元禄年間(1688〜1704年)とされるが、詳しい資料は残されていない。
この見世には菊野や、現在では幕末維新の名花と称される「さくら木太夫」も所属している。
土岐はお香代と共に木戸の前まで来ると、軽く木戸を叩いて声をかけた。
「医院の土岐と香代です。」
その声に応じて直ぐに木戸が開けられた。
「せんせ、お待ちしとりました。」
まだ小さな禿らしき子供が出迎える。
診察の時はいつもは女将が出迎えてくれるので、何だか変な気分だ。
石畳の土間を通って奥へ進み、直ぐ左手側の居住スペースへと案内される。
ちなみにこの右手側には茶室があり、2階部分には太夫道中で使う傘を襖に貼った「傘の間」や、本物の紅葉で形付けを行い色付けした壁が一面にある「紅葉の間」がある。
土岐とお香代は左手側の居住スペースに案内され、いつも往診を行なっている部屋に通された。
そこには女将が座しており、お香代と土岐を座る様に促した。
「土岐せんせ、香代さん、ご足労どしたなぁ。」
女将は機嫌よく切り出した。
「いや、本日はお招きいただき」
「せんせ。」
土岐の挨拶を女将が遮る。
「女将?」
土岐が不思議そうに女将を見た。
「せんせは、芸妓を、太夫言うんをどのくらい知ってはるん?」
「太夫、ですか?一番の芸妓である、と。」
「それで?」
「え?」
「そんだけや無いでっしゃろ?」
えっと・・・、それだけです、と言える雰囲気ではないんだけど。
「太夫はここ島原で一番の芸妓なんはおうてます。そやけど、それだけやおまへん。太夫は別格の存在どす。十万石の大名と同等の官位である正五位を持っとって、天子様との謁見が許されとる身分や。そこら辺の侍風情が会える様な芸妓やあらしまへん。」
え、そうなの?
土岐は思わず隣に座るお香代に目を向けるが、お香代は困った様に頷きながらも微笑んでいた。
「そやし(だから)、島原の遊びは御所の宮遊びなんどす。太夫はんの稽古事は全てが天子様のあらしゃる御所風や。芸事も書・和歌・絵・お香・胡弓・お茶・舞とやらはります。」
「・・・・。」
いや、芸事は沢山あるんだろうな〜くらいには思ってたけど、多過ぎる。
「太夫はんの着物の着付けも、十二単と同じ紐一本の着付けなんどすえ。」
「紐、一本?」
ただでさえ女物の着物にも疎かった土岐が、十二単なんて知る訳がない。
「せんせ、太夫がどんだけの価値ある存在なんかは理解しはりました?」
「はい。」
勉強不足でごめんなさい。大変な仕事だとは思っていたけれど、身分も高く、才色兼備でなければ成れないと言う事は理解した。
「せんせは芸妓遊びをしはりまへん。」
「・・・はい。」
そりゃ、芸妓さん呼んで遊んでも私自身芸事にお付き合いするのにも無知過ぎるし、せいぜいお酒に付き合ってあげるくらいしかできない。更に色事となれば他を当たってください、となる。
「せやから、あてらのせめてもの気持ちとして、せんせを太夫の『おばけ』にしてみせます。」
「はい・・・え?」
ちょっ、何でそこ?!それは無しのはずでは?
女将のその言葉に、芸妓の姐さん方3名に囲まれる。
どの姐さんも、土岐の患者だ。
「お香代さん!」
お香代を呼べば、お香代は苦笑したまま「先生、堪忍え」なんて京言葉で返してくる。
やられた!これ、お香代さんもグルだ。
グッと目をつぶり、ゆっくりと開いて深呼吸する。
「わかりました。腹をくくります。参加すると言ったのは私だ。」
その言葉を皮切りに、土岐の周囲が動き出す。
先ずは化粧だと顔をいじられる。
「ちょっ、冷たっ。」
今でいうところの化粧水で顔の油分を取るらしい。これ、かなり冷たい。
そして手の温かさで滑らかにした鬢付け油を顔から襟足、肌が出ている部分全体に馴染ませるように擦り込んで行く。
次に練り白粉を板刷毛で顔、首や襟足が白くなるように塗りながら伸ばして行き、最後に牡丹刷毛で白く塗った部分を叩くようにして押し込んで行く。これは地味にちょっと痛い。
それが終わると白粉に砥の粉を混ぜてこれを鼻筋、目元や頬に乗せる。それからパウダー状の白粉で全体を整えて、チーク、アイブロウライナー、アイライナーを入れ、目尻に少し紅を差した。
そして黒い練り物の様なものを持って来られ、「お歯黒しましょか」と言われたので、それを断固拒否する。
「お歯黒入れるなら、もうこちらには往診に来ません!!」と抵抗し、何とかお歯黒は免れた。
白い歯が良しとされる平成時代にいた私にとって、お歯黒をするなどあり得ない事だ。
下唇の真ん中に紅を差し、何とか化粧は終わりとなった。
お次は着替えだと言われ、お香代を残して襦袢だけにさせられる。
そしてこれから着替える襦袢は白ではなく赤色だ。
その際に胸元近くまで白粉をお香代さんにはたかれた。
ここでまた姐さん達が戻ってくる。
まだまだ長さの足らない髪には長いかもじが付けられうまい具合に結われて行く。
その結った髪には次々とべっ甲の簪が刺され、大きな櫛と、キラキラした簪まで付けられる。
この段階で、一気に頭が重くなった。精神的にも物理的にも。
そうしてから立たされると、幾重にも着物が着せられると最後は絢爛な帯を前帯で五角に結ばれ、打掛けを着せられる。この打掛けも地味に重い。
これでは身体全体が重くていつもの様に動く事もかなわない。
この状態で、どうやったら神社参拝が出来ると言うのか。
「こんなところどっしゃろか。」
女将がひと息付くと土岐から少し離れ、土岐の全身を眺めると満足気に頷いた。
「せんせ、とってもお綺麗や。」
「ほんに、殿方には見えまへんわ。」
「ほんもんの太夫はんに見えますえ?」
姐さん方からもため息の様な賛辞を貰う。
「土岐先生、とてもお綺麗でございますよ。」
お香代が感慨深気に言う。
そんな彼女達に、思わず冷たい視線を向ける。
だから、ぜんっ全嬉しくないんだってば。
「ほな、せんせ。内八文字の踏み方を教えまひょか?」
女将は立ち上がると、禿に三枚歯下駄を取りに行かせた。
内八文字とは京都の太夫の太夫道中で太夫が歩く足運びの事だ。ちなみに、吉原の花魁道中では外八文字を踏む。
「女将、私の足袋は・・・。」
足が冷たくて仕方ない。靴下か足袋履かないと、これではまたしもやけが出来てしまう。
「せんせ、太夫はんの足は素足どす。足袋は履きまへんえ?」
おい、本当に何なんだ、この苦行は。苦行と言わずして何と言うの?
それともあれか。神に祈りを捧げるのに苦行は付き物とでも言うのか。
女将は禿の持って来た三枚歯下駄を履くと、自ら土岐に内八文字をやってみせた。
ゆっくりと外側から内側に向かって下から八の字を書く様に足を運び、そこで一旦止めて下駄の先を正面へ戻す。これを左右の足で繰り返して進む。
これ、50m進むだけでも相当な時間がかかりそうだ。
土岐は手を支えられながらも三枚歯下駄を履かされる。
するといつもの視界よりは断然高い位置に頭が来る。三枚歯下駄の高さは六寸(約18cm)。土岐の目線は180cmくらいの身長の人と同じくらいだ。
大女である。
とりあえず動いてみようと足を動かすが、思ったよりも下駄が重い。
八の字を書くように足を前に出し、ゆっくりと出した足を正面に戻すと体重をかける。これを3回繰り返しただけで、土岐は大きく息を吐いた。
白い息が大きく吐き出される。
これ、足の強さにそこそこ自信のある自分でも厳しい。
きっと明日は間違いなく筋肉痛だ。
太夫の偉大さを改めて実感する。
衣装の総重量が約30kg。ちなみに武士の甲冑が16,7kg。甲冑は着てもまだ動けるだろう。でも、これはむりだ。
太夫さんのゆっくりした動きはわざと優雅にゆっくりとしている訳ではなく、逆にあの速度でしか動けないのだと知る。
「初めてにしては上出来どす。ほな、行きましょか?」
「へ?行くってどこへ?」
「いややわ、せんせ。参拝に決まっとりますやろ?」
何の為の節分おばけなの?とでも言いたそうな女将を見て土岐は項垂れた。
その途端、首にズシリと頭の重たさが乗って慌てて頭を上げる。
「頼む。医院までは三枚歯下駄で我慢するから、せめて医院に着いたら履物だけでも草履か下駄に変えさせてくれないか?」
頭や身体はすこぶる重い。足だけが外気に晒されて感覚がおかしくなるほど冷たくて痛い。
そこに持ってきて両方の下駄は重すぎる。
土岐としては必死だった。
「分かりました。ほな、医院まで。」
女将のその言葉に、いつの間に着替えたのかお香代が黒いツヤのある着物を着て側に控える。
その頭も綺麗に結い直され、品の良い簪が3つあるだけだ。
土岐がお香代の頭を羨ましそうに見ていると、先ほどの禿ともう1人の禿が赤い着物に身を包み、2人並んでスタンばる。
そうして大きな傘を持った男性が、真面目な顔をして土岐を見ると礼儀正しく頭を下げた。
って、松吉さん!!あんた何やってんだ!
何なんだ。
何なんだ一体!!
「せんせ、ほな、出ましょか?」
可愛いらしい声がしてそちらを向けば、男装をしていると思われる菊野が土岐の手を取る。
「・・・菊野さん?」
「へぇ。せんせ、惚れ惚れする様な太夫っぷりどすえ。」
可愛いらしい声で微笑む菊野は文句なしで可愛い。
土岐は菊野に手を取られ、戸惑いながらも言われるがままにゆっくりと門まで来ると、敷居を跨いだ。
先に出た松吉が傘を開くと2人の禿が一行を先導すべく前方に並び、お香代と菊野が土岐の手を両方から取る。どうやらお香代が引船、松吉が傘持ちをするらしい。松吉の持った傘には大きく「高」の字が書かれている。これは養花楼の傘の特徴だ。
引船とは太夫のマネージャー兼身の回りの世話をするメイドさんの様な存在だ。
傘持ちはその名の通り、太夫道中で大きな傘をさして太夫の後ろに控える男性だ。
土岐が足元を気にしながら坊城通りに出た瞬間、ワッとした歓声が周囲から上がった。
土岐は驚いて上体を真っ直ぐ起こして周囲を見る。この動作だけでもやけにゆっくりになってしまうのは仕方のない事だ。
直ぐに目に入ったのは角屋の当主、徳右衛門さん。一番前でニコニコ顔だ。
「いやせんせ、想像以上ですわ。わてがせんせに逢い状を送りたいくらいや。」
その徳右衛門の言葉に土岐は引きつった笑みを浮かべる。
やられた。本当に皆にやられた。
見知った患者さん達、たまたま島原に来ていた人達、大勢が養花楼の前に列を作って並んでいた。こんな事、事前告知がなければ起こり得ない。
私が節分おばけで太夫の格好をするのは決定事項だったと言う訳だ。
もうここまで来たら腹をくくる。
くくるから、どうか沖田さん達や長州、土佐の知人にだけは会いたくない。
絶対にこれから先、笑いのネタにされる。
土岐は思い切りやさぐれた気持ちで内心いっぱいになりながらも、真っ直ぐに島原の大門の方向を見据えた。
あそこを出て医院までは200mほどだ。
絶対に、出来るだけ早く医院にまでたどり着いてやる。
土岐先生、ご愁傷様です。
知らぬは本人ばかり也。
たとえ女装しても、可愛らしい展開にならないのがこのお話です。たぶん(笑)。
どんな形であれ「節分おばけ」に触れたかったので満足です。
この行事、近年から京都で一部行われているようですが、段々と平成の世の中にも復活するのでしょうか。




