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花屋町通り医院  作者: Louis
43/45

新選組のサンナンさん

「お疲れ様でした。」

そう言って出されたお茶は、沸騰したお湯から少し冷ました適温のお湯で抽出された一番茶であろう事は色を見れば明白だ。

以前もこの人にお茶を淹れて貰った事があるけれど、その時も香りが高くてとても美味しかった。人の総じての味覚は実は香りで味わっている部分が大きい。

その証拠に、鼻詰まりを起こせば途端に食べ物の味が文字通り味気なくなる。


「ありがとうございます、山南さん。あなたが淹れる茶は本当に美味しい。」

土岐は茶を淹れてくれた目の前の男に素直に感謝を込めて礼を言った。


「なんの。私にはこれくらいしか取り柄がないゆえ。」

「何を言われる。奥沢さんが、山南さんの柔術は抜群だと評しておりましたよ。」

「その様なことは・・・。」

ふと山南の右手が左前腕を触れる。

ん?何か腕が気になるのだろうか?


「・・それはそうと、あなたは沖田くんには厳しいようだ。」

どうやら先ほどの沖田に対して言った土岐の言葉が気になったのだろう。

山南の前腕に向けていた視線を戻し、土岐は苦笑した。


「悪気はないのだが、どうも私はあの人には遠慮がなくなってしまう。弟の様に感じる事があるのです。沖田さんを慕っておる隊士が居たら、私は生意気な奴だと言われて闇討ちにでも遭うやもしれません。」

真面目な顔をしてそう言えば、山南はフッと笑った。


「あなたは、不思議な人だと言われませんか?」

「どうでしょう?まぁ、少し変わり種かもしれませんね。」

自分がこの時代の感覚とズレている事は承知している。


「ところで山南さん。左手、どうされたのです?」

土岐の言葉に山南は動きを止めると、ゆっくりと自身の左手に視線を落とした。


「気付かれましたか?」

それはとても小さな声だった。


「そりゃ、これでも医院勤めですから。」

変わらない調子の土岐の受け答えに、山南は土岐の顔を凝視した。

もしかしたら山南さんは隠したかったかもしれないが、気付いてしまったら仕方ない。


「ちょっと手、見せてください。」

土岐がそう言えば、山南は戸惑う様にゆっくりと土岐の前に左手を差し出した。

剣だこの出来た、男らしい大きな手だ。

その手から少し上に3センチほどの縫合したような痕がある。


「この傷の治療、誰が?」

「大坂で傷を負い、その土地の医者に。」

「なるほど。」

「京に戻ってからは南部先生に診てもらいましたが、既に傷が塞がりかけておったので触るのはよそう、と。」

「そうか。で、その大坂の医者は筋肉を、えーと、(すじ)の確認はしてくれたのか?」

「いえ、多分それはなかったかと・・・。」

山南の否定に土岐の眉間にシワがよる。

筋肉の腱の部分に断裂があるかもしれない。


「これ、触ってるの分かります?」

親指側を触れ、示指と中指の先に触れてみる。

山南は曖昧な様子で首を振る。

土岐はそこから指の付け根部分へと指を滑らせる。

「ここは?」

「先ほどよりは、少し。」


そして前腕部へ移り、傷のあるところを触れる。


「感覚は?」

「少し、痺れを。」

土岐は頷くと淡々と続ける。


「よし、ではここは?」

中指から手のひら、前腕の前面を触る。


「・・・はい。」

「では、こっちは?」

小指から尺側の前腕に触れる。

「はい。」


「では、私の左手を握って。ああ、西洋ではシェイクハンドと言う挨拶の格好だ。山南さんは西洋の話は嫌いだったかな?・・・もっと強く。オッケー。じゃ、指を絡ませて、この様に。はい、では握る。」

恋人繋ぎの様にして、指に感じる圧力を確認する。


「次は拳作って。よし。じゃあ裏返して。はい、そこで力入れる。次は小指と親指の腹を合わせて。・・・はい、では手の平を目一杯開いて。---よし。手の力を抜いて。」


指示を出しながらも前腕の筋肉から手の筋肉を触診して行く。

ーーー遠位部で正中神経をやられてる、か。母指対立筋が全くダメだ。母指のIP(指節間関節)と示指のDIP(遠位指節間関節)の屈曲は問題なくできるな。これでは握持動作がちょっと厳しいか。

刀を握る際は総指屈筋と母指屈筋、小指対立筋で何とかするしかなさそうだな。

ただ、指先の細かな感覚は2,3指の感覚鈍磨で厳しい。その分、視覚からの情報が必要になる。

切開したとして今の医療では正中神経の回復は無理だろうし、何より感染症のリスクが高い。これには割り切って慣れてもらうしかないだろう。山南さんのQOLを考えるなら、とりあえず残っている部分で補う様な保存療法が最適か。


「ーーー土岐先生?」

黙ってしまった土岐に心配そうな声がかかる。


「ああ、すいません。考え事をしていました。山南さん、この状況、何もしないのでは変化がない。使える筋肉で握力をつけるようにトレーニンっ・・・、稽古、しよう。それから、この2本の指を使う際はしっかりと目で確認して使ってください。それが習慣にできれば良いと思う。」

土岐は言いながらも山南の左の人差し指と中指を握る。


「これでは往診の様になってしまいましたな。」

土岐が握っている指を見つめながら、山南はポツリと呟いた。


土岐は山南の指から手を離すと、山南が淹れてくれたお茶を取り、一口飲み込む。


「いえいえ、先ほどまでずっと緊張しておったので、普段自分がやっている事をするとホッとする。それに、あなたの茶は本当に美味しい。その礼です。」

その土岐の言葉に山南は薄っすらと笑みを浮かべた。


「あの、山南さん、私は思うのですが。」

改まった土岐の声音に山南が不思議そうな顔をした。

「はい?」

「自分の請け負った仕事で、きっと自分の理想とかけ離れて辛い事はままある。私とて、以前はその様な仕事をしていた事もある。」

そう言う土岐の真意を探る様に、山南は土岐の目を真っ直ぐに見つめた。


「私は武士ではないので、その矜持うんたら言われても分からない。けれど、何か別の事をすることで・・・、そうだなぁ、例えば武士を辞める事で自分の理想を追う事が出来るのなら、武士として死を選ぶよりもそれはとても素晴らしい事だと思うのです。人は、もっと自由な考えを持って良いはずだ。」

「土岐先生?」

突然なにを?と言う様な山南を無視して続ける。


「そもそも、私など花屋町通り医院の若先生などと呼ばれていますが、ちゃんちゃら可笑しい。」その言葉に山南は不思議そうな顔をした。


「土岐先生ーー。」

「とりあえず、私なりに今現在できる事をするだけです。本当は体術稽古などやりたくないのだが。」

腕を組んで難しい顔をする土岐に、山南はフッと笑顔になった。


「ああ、これは奥沢さんには内緒でお願いします。」

口の前に人差し指を当て、真面目な顔をして言う土岐に山南はとうとう可笑しそうに笑った。


「あなたと言う人は。」

まだ笑いをたたえている山南を見て、土岐は肩をすくめた。


山南さんはとても人当たりの良い人物であり、自分の考えをはっきりと持っている人物だった。

聞いた話では、時にスイッチが入った様に怒りを表す事もあるらしいが、誰に聞いても「親切な人」との答えが返ってくる。概ね穏やかな人物だ。

そんな彼が近い将来に追い詰められ、新選組をわざわざ脱走して自ら簡単に捕まり、望む様に切腹して果てるのはどう考えても切な過ぎる。

将来を夢見る島原の芸妓、明里さんはどうするんだ。身請けしたとされるのが本当なら、最後まで責任を取るべきだろう。

そもそも、切腹が美談などで良いはずがないのだ。



花屋町通り医院の土岐先生。

彼は一言で言えば「不思議な人物」だった。

最初に言葉を交わしたのは、明里のところへ通った後の島原を出て直ぐの辻だったか。

沖田くんとの仲も良く、時折屯所で見かける事もあった。

背が高く、線が細い優男。すっきりした眉に鼻筋が通り、二重の切れ長の目が印象的だ。そんな見た目に男らしい言動が加われば、世の女子が放っておくはずがない。


当初、奥沢くんから聞いておった「厳しい人物」と言う言葉が一人歩きし、まだ見た事のない花屋町通り医院の若先生は「鬼の様に恐ろしく厳つい人物」と噂されていたのが懐かしいほどだ。

それに屯所では、大っぴらに恋人を持つ事が許されない平隊士の間でも先生の人気は高い。

曰く、奥沢くんに体術を習いに来ている先生の道着姿が色っぽいのだとか。

奥沢くんに代わり、先生に体術指導をしたいと考える隊士は多いのかもしれない。

男色が流行して近藤さんが頭を痛めているが、土岐先生はその彼らの中にあって高嶺の花なのだろう。

もちろんそんな事を彼は知らないし、沖田くんがいる以上、間違いを起こそうと言う隊士はいないはずだ。


そんな彼と茶飲み友達になったのは最初の稽古がきっかけだっただろうか。

稽古が終わると先生は真っ直ぐにこの部屋に来るのが常となっていた。そして私は彼に茶をふるまう。

その都度先生は自分の左手を取り、毎回手の状態を確認していた。ある日先生をまじまじと見ていれば、確かに女子の様に見えなくもないと思う。

手に集中している先生の瞳は少し伏せられ、長い睫毛が影を作る。それに自分の手を掴む先生の手は少し華奢で、両手で握れば包み込めてしまいそうだ。


私は武士ではないから、と先生は言うが、武士階級でないのなら何だというのか。

こんな町人や商人、農民が居るとは思えない。

きっと土方さんや近藤さんも、土岐先生の事は武士だと思っている。

武士を辞める事で自分の理想を追うことができるのなら、と確かに先生はそう言った。

私の事が気がかりで、慰めてくれたとも取れるが。

ただそれとは別に何か訳ありで、武士であったが武芸を学ばずに医師になったと見て良いかもしれぬ。

気になる事と言えば、長州方との付き合いがあると聞くことか。しかし、本当のところは分からない。

分け隔てなく患者の治療をするという医院だ。それはこと治療に対する先生の真摯な態度を見ておれば誰と付き合いがあろうが不思議ではない。

だが先生は、こちらの情報を何ら引き出そうとはしない。これは土方さんも以前言っていたことだが。それに山崎くんが医院に出入りしているが、怪しいと言う報告は上がって来ない。

「尊王攘夷」の話をしても、全く興味がなさそうだ。「へぇ、そうなんですか」の一言で会話が終わる。

「開国についてどう思われるのか」と聞いても、「美味しい物が食べられる様になって良いのでは」との答えが返ってきた。

つまるところ土岐先生は、(まつりごと)に関して一切の関心がないのだと思われる。

それはこちらを(たばか)ってのことではなく、その言動を見れば本心だと思われた。


土岐先生と言えば、先日明里から聞いたが、新年の節分祭に島原の養花楼が花屋町の医院と何か面白いことを企てておるらしい。せっかくの機会だ。手の空いておる者を誘って参拝がてら観に行くとしよう。


色んな事を勘違いされたままの土岐だが、それを訂正してくれる人は幸か不幸か誰もいない。

物事と言うのは直接自分の言葉で伝えたとしても、受取手の先入観で誤解して伝わることも往々にしてあるものだ。

総長をしていた山南敬助は多分「やまなみ」なのでしょうけれど、愛称で「さんなん」を好んで使っていたみたいです。

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