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花屋町通り医院  作者: Louis
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体術とは

感情の読めない表情。

こちらを真っ直ぐに見据えるような、深い何かを感じさせる眼。

目を逸らしたいと思うのに、目線がかち合って外せない。

私はやはり、この人の目は苦手だ。

それにしても、ひと回り近くも若い男の子に何故緊張する必要があるんだ。

目の前の人物は、「男の子」と言う可愛らしい存在ではないけれど。


さすがの土岐も共通の話題が全く浮かばずに困っていた。


そもそも斎藤一という人物を歴史上の人物としては知っていても、生身の彼の事は全く知らない。以前会社勤務をしていた際、エレベーターに乗った時に運悪く無口で苦手な上司と一緒になり、気まずさから何か話題を見つけて喋らなきゃと焦った事があったけれど、そう言えばその時のような感覚かもしれないと、土岐は半ば現実逃避をしていた。


どれくらい時間が経っただろうか。

とても長く感じられたが、実際には1、2分だったかもしれない。


「お2人して、何を見つめ合っておられるのです?」

不思議そうな声が目線を逸らさずにいた2人の間に響く。


天の助けとばかりにそちらを向けば、久しく見ていなかった人物が不思議そうな顔をして立っていた。その横には知らない男性も一緒だ。


「あれ、奥沢さん。ご無沙汰しておる。お元気でしたか?」

土岐はホッとしたように微笑んだ。


「はい、お陰様で。土岐先生は?」

「ああ、変わりなくやってる。」

そう言いながらも土岐の視線は奥沢の隣に立つ見知らぬ男性に向いた。


「初めてお目にかかる。拙者、尾形俊太郎と申す。」

「花屋町通り医院の土岐です。」


また、名前を聞いた事のある隊士だ。

丸顔の、少しつり目気味なふくよかな顔立ちをしている。

背丈は私より少し低いだろうか。

この人からはどことなく人懐っこさを感じるし、何となく好感が持てる。


尾形は会津戦争を生き残り、その後は新選組を抜けて国元の熊本に戻って私塾を開く。死ぬまで自分が新選組隊士だった事を隠し、彼が明治維新後も生き残って大正時代まで生きた事が分かったのは2013年に入ってからの事だ。肥後藩は倒幕方だ。そんな国元で自分が新選組隊士だったと知られたら、それこそ何かのお咎めを受けた可能性もある。

それでも自分が遺した書の片隅に「元壬生浪士」と書いたのは、彼が後の世の誰かに自分が新選組隊士だった事を知ってもらいたかったからかもしれない。

ゆくゆくは副長助勤や山崎同様に諸士取調役兼監察方になっており、その能力の高さを評価されて近藤や土方からの信頼も厚かったと聞く。後に文学師範にもなっていたはずだ。


「先生のお噂はかねがね聞き及んでおります。」

尾形と名乗った隊士は、朗らかにそう言った。


噂と聞いて、新選組内部での自分の噂はどうせロクでもないものだと想像する。

そう思っている土岐は、尾形の言葉を頷くことで受け流した。


「して、斎藤さんと土岐先生はこの寒い中ここで何を?」

奥沢が不思議そうに2人を見比べるように聞く。


「いや、特に何かしておった訳ではない。先ほどまでここに沖田さんが居たんだが。」

土岐が斎藤に目を向けると、斎藤は僅かに頷いた。


「土方さんが総司を呼んでおったのでな。」

みなまで語らない斎藤の言葉に、奥沢と尾形はどうやら状況を理解したようだ。


「先生。」

斎藤が短く呼ぶ。


「はい?」

土岐は少し首を傾けると、不思議そうに応えた。


「私も、総司が言っておった様に己の身は己で守れた方が良いと思う。」

斎藤がゆっくりと土岐の正面に向き、土岐を見つめてそう言った。


土岐はため息を吐きたくなるのをグッとこらえる。

もしかして、さっきから私を見ていたのはそれを伝えたかったからなんだろうか?

何を考えているのか全く読めない表情だったけれど。

沖田さんに言われた言葉に従っていると思うと、律儀と言うか、何と言うか。


「斎藤組長?」

不思議そうに斎藤の名を奥沢が呼ぶ。

尾形と奥沢が斎藤と土岐を交互に見た。


「沖田さんや斎藤さんの言うのはもっともな話だと思う。だが、武芸とは一朝一夕でどうこうなるものではないだろう?それに、私には人を斬るのは無理だ。」

土岐はそう言うと、腕を組みながら深く息をついた。


そう言った土岐に男3人の視線が集まる。

「別にあんたらの事を否定する訳ではない。ただ、私個人としてそこは譲れないんですよ。もっぱら、斬られた人を治療する方が専門なんでね。」


土岐の言葉にほんの少しの怒気が含まれる。


たとえ斬られた人が誰だろうが、毎回斬った人には少なからず頭に来ている。お互いに斬られる覚悟でやりあうのだろうが、こちらにとっては迷惑極まりないし、斬られた人を助けられなかった時の無力感といったら半端ないんだ。


「以前沖田さんにも言ったけれど、危険が迫ったら何を置いても逃げるようにする。」

だから問題ないだろ、と言う土岐の態度に奥沢と尾形がバツの悪そうな顔をした。


「ならば、体術だけでもかじった方が良い。逃げるなりに有利に働くであろう?」

あくまでも冷静な斎藤の声に、土岐はちょっと大人気なかったなと思いながらも頷いた。


「そうだな。逃げるのに有効であれば。どこぞの道場にでも行って」

「では、私が先生にご指導致します。」

土岐の言葉を遮って奥沢が土岐を見た。


何でだろう、奥沢さんの目がキラキラして見える。


「おい、奥沢。」

隣に居た尾形が奥沢をたしなめるように名を呼ぶ。


「土岐先生に何かしらのご恩返しができるのであれば、これほど嬉しい事はござらん。」

奥沢は、どうやら以前土岐の治療を受けた事に恩義を感じているらしい。


「いや、奥沢さん。・・・ちょっと、斎藤さん。」

土岐が困った様に斎藤に視線を投げる。

そもそも、組の伍長を勤める者が外部の関係無い者に武術指導をしても良いのだろうか。


斎藤は冷静な表情で土岐と奥沢のやり取りを見ていたが、1つ頷くと静かに口を開いた。


「良いのではないか?沖田さんと副長には、俺から伝えておく。」

問題が解決したとばかりに少し表情を緩めた斎藤は、どうやら沖田と土方に事の次第を報告するつもりらしい。


っとに、空気読んでくれ!

私が嫌がってるの、見れば分かるでしょ?

唯一空気を読んでいた尾形が、諦めろと言う様に土岐を見て首を横に振った。


1863年12月21日金曜日(1864年1月29日)。

この日も朝から寒く、雪がちらついていた。

そんな日にも関わらず、土岐は温石を懐に入れて壬生川通りを北に向かっていた。

今日が1回目の稽古である。

ここ重要。やりたくないけど、1回目の稽古である。

嶋田先生や松吉さんはどことなく嬉しそうな、安堵した様な感じで送り出され、お香代さんからは心配そうに見送られた。


土岐は珍しく袴を履き、上は木綿の着物に身を包んで首にはスヌードを着け、生地のしっかりした絹の羽織を着て傘を差していた。


速足で歩けば壬生まで30分もかからずに到着する。

直接道場へ来てくれとの事だったので、土岐は門の所で門番に会釈をすると誰に挨拶する事もなく直接道場の入口へと向かった。

上がり框で草履を脱いでいれば、直ぐ後ろに人の気配を感じた。

土岐がゆっくりと振り返れば、そこにはよく見知った顔。


「あれ、山崎さん。こんにちは。」

「これは土岐先生。お待ちしておりました。」

「は?」

お待ちしておりました、とはどういう事だ。


「今日は奥沢さんが体術の指導をしてくれるとの事だったが?」

「はい、そのように聞いておりますよ。」

山崎は特に不思議がる事もなくそう言った。


「どうぞ、こちらへ。」

山崎の後を怪訝そうに着いて行った土岐は、道場に入るなりピタリと動きを止めた。


「・・・申し訳ないが、また今度出直すとしよう。」

道場内にいる人間に十分に聞こえる大きさの声でそう言うと、一礼をして踵を返す。


すかさず山崎が土岐の腕を掴んだ。

「先生、まだ来たばかりですよ。」

「いや、山崎さん。離してくれないか?今度また、人が少ない時に出直そう。」


隊士達が稽古をしているのであれば特に問題はない。

大きな声が飛び交い、木刀のぶつかる音と足を踏み込む音でうるさいくらいなら。

だが、道場内は物音もせずに静まりかえっている。

それなりに人がいるのに、だ。


土岐が道場に入った時、神棚を背にして山南、沖田、尾形、奥沢と何人かは顔を見た事がある隊士達が土岐と山崎の方を向いて座っていた。


これ、明らかにおかしいでしょ?


「ご無沙汰しておる、土岐先生。」

山南がきれいな礼を土岐に向けた。

これを無視して帰る訳にはいかない。


山崎が土岐の腕を離すと、奥沢の隣に座った。


「これは山南さん。ご無沙汰しておる。」

土岐もその場に正座をすると、山南に向かって礼を取った。


「奥沢くんが土岐先生の体術指導をすると聞きましてな。興味を持った者達が、このように。」

そう言いながらも山南は自分の隣に座る隊士達を見た。


いやいや、興味を持った者達って。


「土岐先生がやる気になられたのなら、私としては嬉しい限りです。私もお手伝いをしましょう。」

沖田が嬉しそうに土岐を見る。


「沖田さん、あなた暇なんですか?私なんかを見ておるよりも他にいくらでもやる事がおありだろう?私は奥沢さんと2人きりの稽古だと思ってこちらに来たのだが?」

そんな沖田を土岐はばっさりと切り捨てる。


「申し訳ござらん、土岐先生。見本を見せられるようにと尾形さんにお願いしておったのですが・・・。」

奥沢はきっと、あの場に居た話の分かっている尾形に相手役をお願いしたんだろう。

まぁ、話の分かる尾形さんは良しとする。


「良いでしょう。私は(いとま)するとします。でも先生、ある程度形になったら私がお相手いたしますよ。」


だから、対沖田さんは背筋が寒くなるから稽古と言えど嫌なんだってば。


沖田は憮然としている土岐を見据えてそう言うと、神棚に礼をしてさっさと道場を後にした。


「はぁーーー。」

思わず土岐から大きなため息が漏れれば山南が苦笑して立ち上がる。

それに釣られる様に山崎が立ち上がれば、他の隊士達もそれに続いた。


「土岐先生、終わった頃に茶でも用意しております。」

山南が静かに言う。

「かたじけない。」

土岐がボソリと礼を言った。


「先生、棒術を学びたかったら声かけてください。」

山崎が道場を出る際にそんな事を言う。


土岐は頷きながらも「ああ、そう言えば山崎さんって棒術が凄かったんだっけ。」とぼんやり思った。


結局、道場に残ったのは奥沢、尾形と土岐の3人だけとなった。


奥沢と尾形が動き、神棚に向かって礼をしたので土岐も習うように礼をする。

そして奥沢と尾形が土岐に向き直った。

「土岐先生。先生は本当に全く体術を知らんのですよね?」

最終確認の様に奥沢が言う。


「ああ。」

土岐は短く答えた。

体術どころか、武術に関しては全くの無知だ。


土岐の肯定に奥沢が頷く。

「体術の基本とは、相手の重心を崩す事にある。いわば、重心の取り合いで相手より早く重心を取った方が勝つ。」


「なるほど?」

全くわからない。


「つまり、身体の各部位にはそれぞれに重心が存在し、そこに外から力を加えると身体は力に負けて浮き上がります。・・・尾形さん。」


奥沢は尾形を前に立たせると、尾形の上腕を取った。

「例えば、尾形さんの重心は私の掴んでいる『ここ』に存在する。これに圧を加えると、」

そう言いつつも奥沢が軽い調子で尾形を押す。

すると押された尾形の身体はフラついて後退した。

「この様に。」


「だが、いくら同じ様に押しても、ここでは尾形さんの身体を動かす事はかなわない。」

先ほどと少しズレたところを押した奥沢に対し、尾形はしっかりと踏ん張ってみせた。


「・・・なるほど。」

土岐が頷くのを確認して、奥沢は自分の立ち位置を土岐に譲る。


「先ずはここを押してください。押す時は腕の力を抜き、肩甲骨を少し下げる様に開いて固定すると良い。」

奥沢が尾形の上腕のポイントを指差す。


土岐は尾形に軽く目礼してからその上腕に手を置くと、「肩甲骨を開く」に意識を置いて身体で押してみた。

すると土岐の力でも尾形の身体が浮き上がる。

「うわっ。」

思わず素になって声が出た。

尾形がフッと笑う。


「では、次に少しずらして押してみてください。」

奥沢に言われた通りに押してみるが、一向に尾形の身体が浮く様な事はない。


「つまりはこれが基本中の基本なのです。」

「なるほど。」

奥沢は小学校の先生にでも成れるんじゃないかと思う程、丁寧で優しい。

こう言う人が指導してくれたら子供達もきっと理解しやすいだろう。


初めて何かを実感できた土岐は、やっと納得した様にそう言った。

しかし、実際に少しは使い物になるにはまだまだ年月がかかりそうだと思わず遠い目になる。

今まで下半身の筋肉はランニングでそれなりに鍛えてきた自信はあった。けれどランニングでは上半身を鍛えられない。

これ、腹筋と腕立て伏せ、背筋の筋トレをした方が良さそうだわ。

焦っても仕方ない。ステップバイステップで行こう。

武術、てんでダメです。

はるか昔に弓道をしていましたが、それくらいしか出来ません。

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