閑話:ある朝の一コマ
本編とは関係ありません。
昔から、冬は布団から出るのをためらうものだ。
こんなに暖かくて心地良い場所から出るのには、それなりに勇気がいる。
土岐は意を決して掛け布団をめくると、その勢いでベッドから降りて庭に面している障子戸の前に立った。
素足が冷気に触れて途端に冷えてくる。
「うわっ、寒っ。」
部屋の障子を開けて縁側に出てみれば、あまりの寒さに思わず呟きが漏れた。
両手をトレーナーの袖にしまって両腕を組むように身体にくっつけ、足先を重ねる様に踵重心に立つ。
はぁーっと息を吐き出せば、白い息がくっきりと見える。
昨年もそうだったけれど、家屋の機密性が低くて暖房器具が普及していないこの時代の冬の寒さは身体に染み入るようだ。
グレゴリオ暦では11月も終わりに近い。
平成時代では、もうとっくにクリスマスのイルミネーションがキレイに飾られている時期だ。
まだ初雪は降っていないけれど、それも時間の問題だろうと思う。
部屋に目を向ければ、昨夜炭を入れたままだった火鉢はとっくに火も消えて消し炭のみが残っている。
家の中でも息が白いのは、この時代では当たり前。
思わず出たため息が、白い息になって消えた。
土岐は椅子にかけてあるダウンジャケットを掴むと、おもむろに袖を通してファスナーを首元まで閉めた。
少しはマシかもしれないけれど、軽量なダウンジャケットではさすがに寒い。
「こんな事ならアコンカ◯アを持って来れば良かった。」
某アウトドアメーカーの厚手のダウンジャケットなら、この寒さもしのげるんじゃないかと思う。それに、足元は出来る事なら厚手の靴下を履いてせめてスリッパを履きたい。旅行用のものを携帯するべきだった。
平成に居た頃にはそれほど降る事のなかった雪が、この時代では当たり前の様に降る。
雨が降れば、それが雪になるのはここではよく見られる事だ。
気候学的には19世紀後半までは小氷期と呼ばれ、地球全体が現代よりも随分と寒かったらしいから、きっと来月はもっと寒くなるんだろう。
昨年は、朝起きてから白湯を飲もうと部屋のテーブルに置いていた湯呑みの水が凍っていた時にはさすがに言葉を失ったものだ。
それ以来、サーモ◯が大活躍してくれている。夏は冷たい井戸水を、冬は沸騰したてのお湯を入れておけば、朝まで十分に温度が保てる。文明の進歩は有り難い。
「また土岐せんせのおかしな格好の季節がやって来はりましたな。」
朝餉の席にトレーナーのフードを被り、スエット上下に靴下を履き、薄手のダウンジャケットを着て現れた土岐を見て、思わず松吉が苦笑しながらそう言った。
「そう言うが、ここは寒過ぎるだろう?私のいた日本はここまで寒くなかったし、なんなら床暖房という物もあって常に足の裏は暖かく、部屋だって隙間風も吹かず部屋を温めるカラクリもいく種類もあって、夏の様な着物を着て過ごす事が出来たんだ。」
子供の頃はしもやけができる事もあったけれど、大人になってからは皆無だった。
昭和の時代から平成に入って、住環境を含め、家電製品の進歩は凄まじい。
それがここではしもやけなんて当たり前。
何が嫌って、身体が温まった時の痒さが我慢できない。
平成時代の現代っ子はそもそも、しもやけの痒さを知らないんじゃないかと思う。
「そんな世が来るとは、想像もつかぬな。」
嶋田が隣に座った土岐を見ながらおかしそうにそう言った。
「そうですね。何だったら皆を私の世に招待したいくらいですよ。文明の利器の凄さを体験していただきたい。」
「ほぉ、例えば?」
嶋田がどうやら興味を持ったようだ。
以前は遠慮をしていたのか、この様に突っ込んで聞かれる事はなかった。
私からも、あえて話しを振らなかったのもあるけれど。
「そうですね、例えば乗り物。私の持っているスマホもそうですが、カラクリは電気で動いています。ここから江戸へ行くのも新幹線という乗り物、・・・んーー、大きな籠が連なって電気により動くカラクリですが、一刻もすれば京から江戸まで行けますよ。」
「一刻!?京から江戸がどすか?」
松吉が驚いた様に声をあげた。
「それにエゲレスやメリケンだって、空を飛ぶ籠の様な飛行機で9時間もあれば。・・・ああ、だから、4刻半ちょっとあれば行くことができるよ。」
「エゲレスやメリケンが・・・。」
松吉が呆けた様な表情をして呟いた。
松吉にしては珍しい表情だ。そもそもイギリスやアメリカがどこにあるのかそれすらも解っていないだろう。
平成時代に、私達が月に旅行に行くと言っている様なものだろうか。
「それで、土岐さんは行った事があるのか?」
「そうですね。私は医術の勉学はメリケンでしたので。それに、ヨーロッパ、アジア、オセアニア・・・、ああ、いわゆる異国のあちらこちらに友人もいるので、それこそ友人の住む国を渡り歩きました。」
「南蛮を渡り歩くなど、危ないのではないですか?」
お香代が心配気な顔をして土岐を見る。
「そりゃまぁ、危ないところはあるよ。けれど、今のここと大して変わらないんじゃないかな。」
「土岐せんせは武芸はからっきしだからなぁ。せんせを鍛えたい沖田さんの気持ちもわからんでもないと言うか・・・。」
松吉がもっともだという顔で土岐を見た。
「いや、武芸が出来たとしても、どうなんだろう?」
そもそも、刀やナイフよりも銃社会だ。
私は運良く何もトラブルに巻き込まれた事はないけれど、実際私の親しい友人の弟は、彼の知人に殺された。
全くもって、天誅でも大義がある訳でもなく、本当に無意味に。
いや、天誅や大義があってもダメなものはダメだけれど。
友人の弟が殺されたときの殺人動機は未だにわからないままだ。
一緒に車に乗っていて、知人の家に着いたところを側頭部を撃たれて即死だったらしい。
泣き崩れた友人を思い出して、思わずその当時の事を思い出した。
「・・・土岐さん?」
ふと隣から聞こえた嶋田の声に、土岐の意識がこの場に戻って来た。
「ああ、すいません。ちょっと友人の事を思い出しておりました。とにかく、危ないのはここも先の世も変わりませんよ。危ない時はどこにいても危ないです。」
土岐の断定的な物言いに、思わず他の3人が閉口した。
「ああ、そう言えば、異国には変わった食べ物もあるんですよ?メリケンの北にはカナダという国があるのですが、そこにはメープルツリーと言う木があるんです。この木の樹液を煮詰めるとメープルシロップという、とても甘くてトロッとした水飴の様なものができるんです。今ごろのあの国では、摂取カロリーを、ええっと、滋養をつける為に何にでもその水飴をかけて食べるんですよ。」
「飴を、何にでも?」
お香代が嫌そうな顔をした。
「そう。例えばたくあんにメープルシロップ、猪肉にメープルシロップ、焼き卵にメープルシロップ。メザシにメープルシロップ。焼き鳥にメープルシロップ。シュガー・シャンクと言うのだが。」
そう言って土岐が他3人を見れば、3人ともが嫌そうな顔をしていた。
あれ、なんか私、海外のネガテイブキャンペーンみたいな事をしてるかも?
「異国とは、やはりおかしなところなんやなぁ。」
松吉が想像する様に言う。
「それを言ったら日本も異国から見たら十分に変な国ですよ。履いてるものは草履や下駄。家屋に入る時は草履を脱ぐ。ヨーロッパなんかは家屋内も草履を履いたままだし。ああ、そうだ。女性は美しくみえるようにハイヒールという履物を履くこともあります。」
「・・・屋敷の中で草履を脱がぬのか?」
その嶋田の質問に土岐は「はい」と頷いた。
それと同時に嶋田が眉を寄せる。
「土岐せんせ、はいひーる、言うんはどのようなものどす?」
女性、美しいと言う言葉にお香代が反応した。
「こう、女子が履く履物で、踵のところが高くなってるんだ。」
土岐が手で形の説明をする。
「なぜ高くなったんどす?」
「そりゃ、道に落ちてる人糞を踏んでも足が汚れないように、・・・あ。」
ついついハイヒールが出来た経緯を素直に話してしまった。
「せんせ、異国はそないな汚いところなんどすか?」
お香代は眉間にシワを寄せながら、嫌なみのでも見るように土岐を見た。
「いや、本当に良いところもあるから!」
もう、今日は何を言ってもネガテイブなイメージしか出て来ない気がしてきた。
別に意図してる訳ではないのに。
お香代と松吉が微妙な顔をして土岐を見ている。
「そう、大自然が。自然というのは、人の手が全く加えられておらず昔からの姿を保っているところだ。とても大きな滝があったり、湖と空が繋がっている様に見える湖があったり、太陽によって色が変わる渓谷があったり、富士よりもずっと高い山があったり。フォトガラがあったら見せたいくらいだ。」
あれ、ナイアガラとグランドキャニオンの写真はフォトフォルダにあったかもしれない。
そんな事を考えながらそう言っても2人の反応は薄い。
この時代に「自然がいっぱい」と言ったところでそもそも至る所は自然のままだ。「大自然」という言葉はそれが見られなくなって初めて価値があるものになるのかもしれない。
「そうや。土岐せんせの世で有名な武将言うたら誰になるんどす?」
松吉が思い付いた様に言う。
なぜに武将?
「武将、ですか?有名と言っても、色々と居るからな。」
松吉の質問を疑問に思いつつも、少し考えを巡らせる。
「んー。・・・奥州の伊達政宗公は有名だったな。織田信長公と豊臣秀吉公は言わずもがな。それに江戸を作った徳川家康公。川中島の合戦で有名な上杉謙信公と武田信玄公。美濃のマムシと言われた斎藤道三。加賀の前田利家公。瀬戸内の長曾我部元親。中国の毛利元就。豊臣家家臣だった真田幸村。それよりも前だと平清盛、平将門、源頼朝、義経とかかな。それより前になると、実権は天皇家が持っていて公家に力があっただろ?武将と言えばこのあたりかな。」
そう言った土岐を3人は驚きを持って見ていた。
「・・・えろう沢山名前が上がってびっくりしました。錦絵に武将の絵と名前が描かれたものが男子には人気やけれど・・・。」
何故女子の土岐がそこまで知っているのか、と言う事だろう。
「松吉さん、私だって別に詳しい訳ではないよ。私のいた世では寺子屋の様なところで一通り日本の歴史を習うんだ。だから覚えている名前を上げたまで。どちらかと言うと、戦国武将は詳しい方じゃない。」
戦国時代好きの歴女ならまだしも、ドラマや歴史の授業くらいの事しか知らない。
「いや、十分だと思うよ、土岐さん。」
嶋田が驚いた様に言う。
「なら、その歴史の人物で誰か好んでおる人物はおるのか?」
嶋田の興味深そうな目が土岐を見る。
いや、嶋田先生、まだ掘り下げます?
「そう、ですね。好んでおると言うか、まぁ、興味深いと思う人物は徒然草を書いた吉田兼好。それから、平成の世に居た時に会ってみたいと思った人物は新選組の山崎さん。まぁ、こちらは実際既に会っておるので・・・。卜部兼好、兼好法師の徒然草は非常に面白く、先の世でもよく読んでおりました。」
「・・・せんせ、斜め上を行きはりますなぁ。まぁ、徒然草は有名やけど。」
お香代がボソリと呟く様に言った。
思わず土岐がその呟きを拾う。
「徒然草は、兼好と言う人物をそのまま物語っているだろ?当時の世の中をあの様に捉え、自分の意見を入れながら文章で表現した者は中々いないぞ?あの人物の物の見方がちょっと斜めで面白いんだよ。」
ついつい熱く語りたくなる。日本三大随筆の1つと言われるけれど、あの時代の背景と無常観を感じさせつつ、それでいて常にポジティブ。だから余計に面白い。
それにあれを読むと「仁和寺、大丈夫か?」と言う気持ちになる。仁和寺は徒然草にネタ提供してくれている貴重なお寺さんだ。
「まぁ、また面白い話があったら聞かせてくれぬか?土岐さんの見聞きしたものは聞いておって飽きない。」
嶋田がこの場を上手くまとめて土岐を見た。
「嶋田先生、もちろんです。」
土岐はどこかホッとして頷くと、膳の上にある味噌汁を手に取りゆっくりと口をつけた。
それはお香代が作る、いつも通りの優しい味がした。
本編を書こうと思っていたら何だか道が逸れてしまいました。
4人で朝食食べてたら、こう言う事もあるのかな〜と思って書いてみました。
徒然草に出てくる仁和寺は別にネタを提供している訳ではありませんが、確か3話くらいは仁和寺のお話があったと思います。
私としては、あの壺を被って取れなくなっちゃうお話がなんとも言えません。面白いと言うよりも、大惨事だし、命に関わるのに呆れると言うか、(笑)。他にはキラキラネーム的な話もあって「今と変わらないな」と思えたりします。




