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花屋町通り医院  作者: Louis
37/45

Bumped into "him".

一年以上開いてしまいました。

まだ読んでいただければ、有り難いです。m(_ _)m



「・・・すまない。もう一度言ってくれないか?」

思わずため息をつきそうになりながら、土岐は目の前の男にゆっくりと話しかけた。


「何度でも言ってやる、この、スケベ野郎!!俺の女に手ぇ出して、ただで済むと思うなよ!!ちょっと女子にモテるからって、良い気になんじゃねぇ!!」

興奮した男は、拳を握り締めながらも顔を赤くして息巻いている。


こういうのを、イチャモンをつけられると言わずして何と言うのだろう?

いや、この男にしたらチャモンではないのかもしれないが。


「要するに、私があんたの許嫁に手を出して、あんたの許嫁はあんたとの縁談を解消すると言って来た。そしてあんたの許嫁は私と夫婦(めおと)になると言っておる、と。そう言う事だな?」


「んなもん、いちいち確認してんじゃねぇ!!」

男が怒りを爆発させて睨みつけてくる。


はっきり言って、全く身に覚えがない。そもそも私が女性に手を出すのはあり得ない。

しかし、よわったな。これ以上ヒートアップされてこの(ひと)に殴りかかられても、私には対処できる術がない。


午前の診察が終わり、土岐は1人で河原町へと用事に来ていた。自室で焚いている白檀の香の在庫が少なくなってきたためそれを買い足そうと思っていたのだけれど、店に行く途中でこの目の前の男に呼び止められた。


「あーー、一応確認するが、あんたの許嫁の名は何という?」

「はっ?!てめぇ、ふざけてんのか??お(その)の事ぁ、忘れたとは言わせねぇぞ!!」


ああ、あの女の子か。少しつり目の、気の強そうな女の子の顔が頭に浮かぶ。

土岐はお園の母親に呼ばれて数回往診に行った事を思い出した。


「お園さんには数回会ったが、そこへは彼女の母親に呼ばれて往診に行っただけだ。断じて横恋慕など考えてない。そもそも私は自分の患者を診る時は100%真面目に取り組んでるんだ。変な言い掛かりは迷惑だ。」

熱量の高い男を前に、土岐は冷静にそう告げた。


「は?ひゃくぱー・・・?医者だか何だか知らねぇが、そんな事で言い逃れ出来ると思ってんのか、てめぇはっ!」

男はそう言うと、土岐の胸ぐらをグイッと掴み上げた。

そのまま土岐の身体が男の方に引き寄せられる。


っ、ちょっと、マジで止めて欲しい・・・。

苦しいから。

土岐はうんざりした気分でいきり立った男を見た。

ここまでされても、一切力で抵抗する気にならない。いや、出来るならしたいけれど。こんな事なら平成に居た時に護身術でもやっておけば良かったと思う。一応小太刀を腰に刺しているのだから、武士かもしれないから手出しはまずいと思ってくれたら都合が良いのに。

この状況が後日噂になって、また「土岐先生を鍛えねば」と誰かさんに言われそうな気もする。



「ちょっと、あんさん!さっきから聞いとったら、何どすの!?」

「土岐せんせがそないな事する訳、ありゃしまへんやろ!」

「あんさんの許嫁の戯言どすわ!」

「大体、土岐せんせとその女の婚姻など、うちらが許しまへん!!」


人通りの少ない路地裏ならいざ知らず、人通りがそれなりにある表通りでの男2人のこのやり取りは、多くの人の目に留まっていた。図らずしも土岐はそれなりに有名な医者となっていたし、相変わらず女子からの支持が厚い。


「そうやで、あんた。良い加減な事は言うもんやない!」

「土岐せんせが怪我しはったら、誰があてらの治療をするんや?」

「わかったらさっさとその手を外し!」


見知った町人の男性患者さん達からも声が上がる。

本当にありがたい事だ。


「なっ、なにをっ・・・!」

そう声を上げた男は、やっと自分の周囲がどうなっているのか気付いた様だ。

自分達を囲む様にして、7,8人の男女がそこにはいた。


土岐が冷めた目で前の男を見つめていると、男の怒りに染まった眼が動揺を含んだものに変わる。


「土岐先生に何かあったら、きっと新選組の沖田が黙っていないのではないか?あんたは壬生狼に追いかけ回されるやも知れぬな。」

突然よく通る声が響いた。


編笠を目深に被り表情は見えないが、その左腰には二本差し。町人しかいない中、突然の武士の登場に周囲を囲んでいた町人が道を開けた。


土岐の胸ぐらを掴んだままの男が青白い顔をしてその侍を見つめ、土岐もその男へと視線を向けた。


「っいてっ!」

その侍はおもむろに男の手を掴むと、軽く捻って土岐から手を外させた。

男は捻られた手を押さえながら、更に青い顔をして侍を見つめる。


侍は男を無視して土岐へ向き直ると軽く頭を下げた。


「ご無沙汰しております、光衡殿。余りにご無沙汰しておるから、もはや忘れられておるやもしれぬが。」


その言葉に、思わず土岐の目が見開かれた。


光衡って、まさかこの声・・・。

こんな街中の衆人環視の中なのに。

土岐は逸る気持ちを抑えて、青い顔をして侍とのやり取りを見ている男に向き直った。


「あんた、まだ何か言いた事があるなら日を改めて花屋町通りの医院まで来てくれ。その時に改めて話しを聞こう。」

男は捻られた手を押さえながら青い顔をしたまま土岐を見ているだけで、否定も肯定もしなかった。


「それから皆さん、私を庇って頂きありがとう。本当なら個々に礼を言いたいくらいだが、今日はこれで許してくれ。」

土岐は町人を一巡見てから深々と頭を下げた。


町人から「頭を上げておくれやす!」と言った声がかけられた。

土岐はゆっくりと頭を上げると、周囲の人達に視線を向けた。

自分の周囲の人達はもちろん、遠巻きに何事が起きているのかと自分達が注目されている事に大きく溜息をつきたくなった。その気持ちを抑え込み、口元に薄く笑みを浮かべる。


「それでは皆さん、私は(いとま)します。」

微かに町人に微笑んでから、編笠の男に視線を向ける。


「あんた、ちょっと一緒に来てくれ。」

土岐は静かにそう言うと、編笠の男の左手首を掴み河原町通りを北へズンズンと歩き出した。

男は戸惑った様子もなく土岐に引かれて行く。


そこにいた町人と土岐とトラブルを起こした男は、土岐と編笠の男を不思議な表情で見送った。

土岐に掴みかかった男は複雑そうに土岐の後姿を見つめながらもどこかホッとした表情を浮かべていた。侍が絡んで、最悪な事態も起こり得る。


土岐はそのまま河原町通りを北に上って行き、木屋町通りと河原町通りの間にある備前島町の裏路地に進む。そしてある一件の茶屋の前で立ち止まると、おもむろに引き戸を開けた。


「すまない、花屋町通りの土岐です。」

土岐が奥にそう声をかければ、程なくして中から妙齢の女性が現れた。


「あれ、せんせ。・・・今日はお一人やないんですね。」

たおやかな女性は土岐の後ろに視線を向けながらゆっくりとした調子で言った。


「はい。女将、奥の部屋が空いておる様なら使わせて貰って良いだろうか?」

「そりゃ、この時刻やから空いとるよって、構やしまへんけど。・・・なんやあったら言うとくれやす。」


女将と呼ばれた女性は、未だに編笠を被った男に対しチラと視線を送ると、土岐へ向かって微笑んだ。


「かたじけない、女将さん。」

土岐もうっすらと微笑みながら女性に返した。


土岐はこの茶屋には何度も往診に来た事があった。

その時から、たまに一人でゆっくりしたい時などにここの奥の部屋を使わせて貰う事がある。

もちろん、ここは「茶屋」であり、基本的に部屋は2人で使うのが常ではあるが。


土岐と男は長い廊下を進むと突き当たりの右側の扉を開けて部屋に入った。

奥の部屋は6畳2間になっており、入って直ぐの部屋には障子戸が開け放たれて小さくて趣味の良い庭園がある。その右隣の部屋には、大人2人が寝られそうな大きさの布団と行灯、火鉢が置かれており、部屋の隅には鏡台が置かれていた。


ずっと無言だった男がゆっくりと編笠を外せば、そこには久しく見ていなかった顔があった。

少し頬がこけただろうか。

感じた安堵感と共に、やはり腹立たしい気持ちが湧いてくる。


「あんたは何考えてんだ?」

挨拶をすっ飛ばし、思わず文句が口をついて出た。


「京都から締め出されたにも関わらず、こうして人目に付くところに出てくる。私に新選組の見張りでも付いていたらどうするつもりだ?沖田さんでも近くに居たら?そうなったら、いくら私でもあなたを庇い切れない。人がどれだけ心配していたと思ってる。」


池田屋事件の事を考えれば、何とかならないものかと現在進行系で気を揉んでいる。身勝手な事とはいえ、私なりに随分と悩んだんだ。


「土岐先生、申し訳、ござらん。」

男、吉田はゆっくりと床に座ると、手を付いて頭を下げた。


土岐は吉田の前に人一人分開けて座ると、低い声で呟く様に言った。

「ほんとだよ。・・・で?」


吉田はその声にゆっくりと顔を上げれば、眉間にシワを寄せた不機嫌そうな瞳が見つめていた。


「で、とは?」

「今まで、何をしていたんだ?なぜ、何も連絡を寄こさなかったの?」

「藩の方で色々とあったのだ。俺も江戸へ行ったり長州へ戻ったりと忙しくしておった。詳細は流石に言えぬが。」

そんな吉田を土岐は訝しげに見つめた。

「ふ〜ん。なに。じゃあ栄太は京都テロ計画でもお仲間と立ててたわけ?」

「京都、てろけいかく?」


言われた吉田が理解出来ないと言うように首を傾けた。


「私が新選組と懇意にしているのはそちらにも伝わっているだろうし、それで私の事が信用ならなくなったのか?」

「違う、そうではない!」

土岐の言葉を吉田が強く否定した。


「有吉などは、一言先生に言わねばと言ってはおったが。・・・だが、確かにあなたには近付き難くなった。あなたの周囲には頻繁に沖田を見かけるというし、医院にも新選組の者が出入りしておるだろう?」


「ああ、当初は御用改め除けだったけどね。田辺さん辺りから聞いているのか?」

「そうだ。」

吉田の顔が悔しげに歪む。


「奴らに我らの仲間が、どれだけ殺されておるか。」

苦々しく言った吉田の悔しさは本物だ。

今の幕府は、色々とやっている事が不味過ぎる。その一端を担う新選組は憎しみの対象だろう。


「栄太、だからと言って過激な事をする理由にはならないと思うよ?憎しみは往々にして連鎖する。」

土岐はそう言って大きく息をした。


「時代には流れと言うものがある。それを読み違える人は不幸だ。」

そう言った土岐の表情が複雑な感情を押し込める様に悲し気になる。


「新選組は泥舟だよ、栄太。」

そう言った土岐に吉田は目を見開いた。


「同じ様に志を持っていても、進む方向が違えば結果は天地の如く違う。片方は進み続け、片方は沈没する。」


「何を言って」

吉田は戸惑った様に言ったが、土岐はそのまま言葉を続けた。

沖田と土岐先生はそれなりに懇意にしておるはずだ。なのに泥舟とは・・・。


「悲しいかな、彼らは長くは続かないだろう。彼らとは付き合いがあるし親しい者達も居る。・・・が、彼らが向かう道は厳しいものだ。」

土岐の声が暗くなった。


「ーー栄太達が無茶な事はせずとも、その更に上の存在も遠くない内に解体されるだろう。・・・だから、馬鹿げた事を考えておるならば止めた方が良い。何より、市井の人々に迷惑がかかる。」


「先生、あなたは何を言って」

「大体、あんたらの考えそうな事は想像が付く。市井の人達に迷惑をかける様な過激な事を考えているなら、止めるべきだ。それに、今はまだ新選組や幕府がそれを見過ごす事はないだろう。 」


はっきりと「こうなる」と言えたらどんなに楽なんだろう。結果として栄太は命を落とすんだと告げる事ができれば。だからと言って、じゃあどの様に言えば良いわけ?

幕府とか先に出来る新政府とか、ぶっちゃけどうでも良い。

完全な自分のワガママだけれど、この人達や新選組の人達が無事であればと思う。

この人が、ただの歴史上の人物であれば良かった。奥沢さんが、ただの見ず知らずの隊士であれば良かった。・・・私は、皆と深く関わり過ぎた。

土岐がゆっくりと目を閉じる。



「土岐先生・・・・。」


まるで土岐が泣いているように見えた吉田は思わず土岐の名を呟いて口篭る。


土岐先生は何を知っていると言うのか。それとも憶測だけで物を言っているのか。そもそも、まるで全て解っている様な物言いは・・・。


欠落していた俺は、攘夷の気持ちを持ちつつも立身出世を夢見た事もあった。だが旗本になる事も、備前岡山藩の仕官への道も捨てて再度長州への復帰を望んだ。桂さんや久坂、高杉に利助達が藩内部を尊王攘夷で固めて来た。それを遠くで見ているのはどうにも歯痒かった。懇意にしておった江戸旗本の妻木田宮様は攘夷の建白書を幕閣に出したが為、疑念を抱かれて目付役を罷免された。今の幕府は腐り切っておる。ここは大きな事を成さねばこの国は変わらん。


吉田はそんな事をつらつらと考えていた。


「---それから、先ほどは正直助かった。女子の事で絡まれたのは初めてだ。ありがとう、栄太。」

フィと視線を外しながら、土岐は付け足す様に呟いた。


「なに、大した事ではない。」

吉田は思い出した様にフッと表情を緩めた。

しかし思い込みの激しい女子はいるものだ。モテるというのは同じ男としては羨ましい限りだが。


「いや、しかし少し冷えるな。火鉢の火でもおこそうか。」

土岐は話題を逸らすようにそういうと、布団が敷いてある部屋へと移動し、火鉢の隅に置いてある火打石を何度か打って火花を火口(ほくち)に移して息を吹きかけ、付け木に火を移して再度息を吹いて火鉢の中にそっと置いた。

吉田はその一連の動きを見ながら今まで感じた事のある違和感に、ふと思い至る。


粗野なところがないのだ、この人は。武士ではないと前々から言っておるが、町人とは思えぬ身のこなし。ましてや農民や商人とも思えぬ。一体どの様に育ったら、この様な知識や立ち居振る舞いが身につくと言うのか。

先ほどまで悩むような表情で言葉をつむいでいた土岐は、大きな布団の隅に胡座をかいて座り、ただ黙々と火起こしに集中していた。


未だ小太刀を腰に差し、首には橙色の縮緬の布を巻き、渋い深いウグイス色の着流しを着ている土岐は、やはり粗野なところなどありはしない。


「土岐先生、小太刀が邪魔であろう?」

吉田は土岐に近付き、直ぐ隣に膝立ちすると、土岐の小太刀を鞘ごと腰から引き抜いた。


こんな事は、武士の間では決してあり得ない。

いくら友とは言え、他人に自分の腰にある刀を触らせるなど。


「ん、すまない。」

そう言いつつも、小太刀に全く関心がないようだ。


「・・・いや。ここに置いておきますよ。」

この人は絶対に武士ではない。まぁ、これを投げ捨てるくらいだしな・・・。


「よし、できた。これで少しは暖が取れるな。」

土岐は火鉢に手をかざすと、ホッと息をついた。


「ときに先生、この場所は?」


「ああ、ここは私がたまに往診している茶屋だ。生活しておれば1人になりたい時もあるだろう?そういう時に女将にお願いして利用させてもらってるんだ。ここは静かだし、人が来る事はない。布団だってあるから、仮眠を取るにも都合が良いんだよ。」


吉田は自分が座っている、明らかに2人で使う用途の布団に微妙な表情をした。


「まぁ、通常は男女が使うのだろうが、気にしなければどうと言う事もない。」

土岐は吉田の表情を見て取ると、なんという事もないようにそう言った。


そのまま布団の上にゴロリと寝転ぶと、右腕を両目の上に置いて大きく深呼吸をした。


「あーー、結局用事が終わらなかったな・・・。」


「用事?」

「ああ、部屋の香が切れたので、買いに来ていたんですよ。・・・しかし参ったな。これじゃ職務放棄になってしまう。」

このままここに居たら、午後の診察時間に間に合わない。


「しょくむほうき?」


「そう。仕事を途中で投げ出す、ってことだ。・・・そうならない為にもそろそろ帰らねば。あーー、もう。」


そう言って土岐はガバッと起き上がった。


「栄太、もし宿を取っていないなら、この部屋は明日まで好きに使ってくれて良い。とりあえず、私は急いで医院に戻る。今度ゆっくりと話しがしたいが栄太にはどこへ行けば会える?」


「俺は明日にでも国許へ戻るよう、京を発つつもりだ。」

そう述べた吉田に、土岐は思わず眉間を寄せた。


栄太が長州に帰ってしまったらゆっくりと話しをする事はかなわない。


「そうか。では、栄太に今伝えたい事を伝えておく。」

「伝えたい事?」

吉田が訝し気に土岐を見た。


「そう。さっき私が言った事をじっくりと考えて欲しい。」

「どの事だ?」

「だから、京都テロ計画を中止しろって事だ。」

「だから、そのてろけいかく、とはどう言う意味だ?」

「自分の胸に手を当てて考えてみろ。」


そう言った土岐に吉田はゆっくりと目を細め、伺う様に土岐を見た。


「先生は、何を知っておる?」

ゆっくり伸びて来た手が土岐の腕を掴む。


「・・・全部。」

思わず、そう口をついて言葉が出た。


「なに?」

土岐の腕を掴んだ吉田の力が強くなり、吉田は無意識に土岐を引き寄せた。


「私が、幕府や長州、この日本の行く末を全て知っていると言ったら?」

「また、その様な冗談を・・・。」

吉田は土岐が冗談を言っているととらえ、ふと目前で己を見つめる真剣な瞳に釘付けになった。


「確かに、私は冗談が好きだ。・・・例えば、栄太達がテロを計画して、今の幕府を転覆させようとする。その情報が実は可哀想な商家の男から幕府方に漏れていて、ある旅籠で幕府方にもテロ集団にも大きな犠牲が出るとする。その犠牲の中には私が新選組で懇意にしている隊士もいれば、栄太もいるかもしれない。私は自分が懇意にしてる人達に死んでほしくない。だから、その様なテロ計画を立てているなら私はそれを止めさせたい、って事だ。理解したか?」


かなり際どいところまで言ってしまった。テロの意味が解らなくても賢い栄太は大体の事を理解しただろう。


近い距離にある栄太の瞳が動揺した様に揺れた。

「先生は、・・・。」

「なに?」


吉田はそう呟いた後、無言になり土岐の瞳を見つめた。

その真意を探るように。


もう、これ以上は言える事は何もない。

土岐は自分を見つめる吉田からふと視線を逸らした。

それと同時に、吉田が大きく息を吐いた。


「先生が、なぜその様な事を言われるかは分からぬが、先生が新選組の隊士や俺を大事に思っておられると言う事はわかった。俺個人としては、他人にその様に思われておるという事だけで有り難い事だ。」


そう言う栄太を見れば、少し照れた様な表情をしていた。


「だが俺は、この国のために事を成さねばならんのです。俺個人の問題など、国事にとっては些細なこと。俺の存在が礎となり、この国を支えられたら本望だ。」

そう言う栄太は穏やかな顔をしていた。少し前の、憎しみをたたえた表情とは違う。


「・・・っ」

土岐はそんな吉田を、思わず深く抱きしめた。


何でこの人達はこうも真っ直ぐなんだろう?栄太だけじゃない。新選組にしろ、倒幕方にしろ。

何で。


「ちょっ、土岐先生!?」

吉田の焦った声が耳元で聞こえる。


「あんたらの思考には、狭量な私はついて行けない。」

そう言うので精一杯だった。

私が何かを言ったところで、その覚悟はきっと揺るがない。


吉田は土岐の言葉にフッと笑うと、ゆっくりと土岐を抱きしめた。

ふんわり香る白檀の香りと、思ったよりも柔らかな感触に思わず回した腕に力を込めた。


「怒らんで聞いて欲しいんだが、以前先生が女子の様に見えた事があった。この様に抱き合っておると、思わず感違いしそうだ。元来俺は衆道の気はないのだが。」


そう言って吉田は腕を回したままゆっくりと土岐から身体を離した。

それほど身長差がないため、同じ高さの視線で見つめ合う。

そして自分達が布団の上に居て、更にきつく抱きしめ合っていた事に思い至った。


「ふっ、安心してくれ。私も衆道の気はない。」

土岐は可笑しそうに笑みを漏らした。

その表情がどこか切なそうで、吉田は思わずドキリとした。

思わず抱きしめたくなる気持ちを抑えて言葉を紡ぐ。


「土岐先生、先生はどうか俺たちの行く末を見ていてくれ。幕府方にも俺たちにも組しない先生は、きっと公正な立場で物事を見る事が出来るであろう。その様な人物は貴重なはずだ。」


「ああ、そうだな。」

土岐は切なそうな表情をしつつもゆっくと頷いた。


「名残り惜しいが、そろそろ私は行かねば。・・・西洋の別れの挨拶だ。」

そう言って土岐は吉田を抱きしめ、自らの頬を吉田の左右の頬に軽く当てた。


「栄太、身体を大切に。くれぐれも無茶をするな。命を大切に。テロは止めておけ。」

吉田の耳元で口早にそう告げる。

ゆっくと身体を離そうとすれば、今度は吉田が土岐を掻き抱いた。


「あなたも、どうか心を傷める事の無きよう。」

「ああ、そうだな。努力する。」

土岐の苦笑する様な声を聞き、吉田はゆっくりと土岐の身体を解放した。

この人はこの先、俺たちと新選組との間で心を傷める事もあるだろう。


吉田は頬の火照りを感じながらも、小太刀を持って立ち上がる土岐を目で追った。


「ではな、栄太。・・・いや、吉田稔麿殿。また会おう。」

やはり切なそうにそう言って振り返る事なく去って言った土岐の後ろ姿を見つめ、吉田は大きく息を吐いた。

そして先刻、許嫁を取られたと言う男と迷惑そうに対応していた土岐の姿を思い出した。


「あれではきっと、女子だけではなかろう・・・。」

複雑な気持ちになりながらも、先ほどの土岐とのやり取りを思い出した吉田は、再度頬が火照るのを感じて溜息をついた。








*欠落: どうやら吉田稔麿の身分では「脱藩」と言う言葉は使われなかったようです。欠落は脱藩と同義語です。

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