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花屋町通り医院  作者: Louis
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閑話:三段突き

投稿した後も本編の方にしようか少し迷っていたのですが、結局+の方から本編の方に移動させました。+の方で既に読まれた方、申し訳ありません。m(_ _)m

人さし指とは良く言ったものだ。

目の直ぐ前にある訳でもないのに、まるで身体が固まった様に動かない。動かないと言うより、正確には動けないのか。

刃物を向けられている訳でもないのに、何故だか背中に冷や汗が伝う。

何か私、ここから動いたら殺られるんじゃないだろうか、って。


目の前には無表情な顔をした男が、少し前のめりに右手の人差し指を私の右目内側に向けて立っている。

一体どうしてこうなった。


ことは半刻前に遡る。

それは単なる好奇心だった。自分の好奇心から来る行動は、時としてとんでもない方向へ行く事をすっかり失念していた。


「土岐先生、本当に武芸はからっきしなのですか?」

自分とそれほど身長が変わらない男が不思議そうに話しかける。


「何を今更。私はきっと、武家の子供相手でも簡単に負けるだろうよ。」

護身術を習った訳でもなく、何か武術をやっていた訳でもない。危険な目に遭ったらいかにして逃げるかが、今の自分に出来うる最大限の危機回避だと認識している。脚力だけは自信があるってのも悲しいけれど。


そんな土岐に対して、その気持ちなんか全く理解できないだろう男が呆れた様にため息をついた。


「先生、その様な事では命がいくつあっても足りませんよ?」


「いや、何を言ってるの?私はあなたの組の人間でもないし、今更誰かに武術の教えを請うたところで余計な危険に巻き込まれるだけだと思うよ?」


「でもあなたは、現に私や組と関わりを持ってる。」

男は意味あり気な顔をして土岐を見た。

そう言われた土岐は肩をすくめる。


そんなの、それこそ今更だ。長州藩にも土佐藩にも繋がりはあるんだ。彼らだって、花屋町通り医院がどういう医院かは知っている。よほどの事がない限り、自分が殺されるって考えは浮かばない。まぁ、用心するに越した事はないけれど。


「先生、木刀を握ったことは?」

「ない。」

「竹刀は」

「ない。」

「その腰の小太刀は」

「ただの飾りだ。」

被せるように言った言葉に、男の呆れた表情があからさまになった。


「あのね、沖田さん。私に出来る事は、腰の小太刀を捨ててでもいかに速く危険から遠ざかるか、って事なんだよ。立ち向かいでもしたら、万に一つでも助かる見込みが限りなく無くなるでしょ。そんなリスク・・・危険を犯してまで立ち向かう意味がわからんね。」


その土岐の言葉に、実際小太刀を投げ捨てた土岐の行動を聞きかじった沖田は思わずため息をついた。


「私には確かにあなたのやった事は理解できません。私としては、殺られる前に殺ればいいと思っておるし、部下にもそのように指導している。」


「ちょっと、そう言う事を言わないでくれる?少しでも命を助けたいと思ってる私への挑戦と受け取るよ?」

少し冗談っぽく言った土岐に、沖田も冗談っぽく返す。

「だとしたら、どうするのです?」

一瞬期待を込めた瞳がこちらを向く。

「え、そりゃもう、あなたとは今後一切こうやって甘味を食べに行く事はしないね。」


「あなたには、挑戦されて受けて立つという考えはないのですか?」

明らかにがっかりした様に、声を小さくした沖田が呟く。


「あはは。よく解ってるじゃないか。逃げるが勝ち、ってね。」

口角を上げた土岐が沖田を見る。


「だからってのもあるけど・・・」

土岐はそこで言葉を切ると、強い瞳を隣にいる沖田に向けた。

そんな視線を向けられた沖田の表情が引き締まる。


「私は、逃げようとする隊士を士道不覚悟とかで殺めるやり方が、本当に気にくわない。」

「・・・・・。」

そう言われた沖田が眉間にしわを寄せる。

沖田自身、もしかしたら納得出来ていないところがあるのかもしれない。


「ま、筆頭組長であるあなたに言うのも変か。今度、おたくの副長殿にでも言ってみるか。」

その言葉に、沖田が大きくため息をついた。

「本当に、勘弁してくださいよ。土方さんに殺られますよ?」

「そんな時は、山崎さんや沖田さんに助けてもらうから大丈夫。」

「大丈夫な訳ないでしょう?土岐先生を助けたら組への謀叛とみなされ、打ち首ですよ。巻き込まれる私や山崎さんの身にもなってください。」

確かに、あの男ならやりかねないな。

「あはは。」

土岐は可笑しそうに笑いながら、甘味処の暖簾をくぐった。


土岐と沖田は、時間が合えばごくたまにこうして甘味屋に来ることがあった。

土岐としては友人とカフェに行く感覚だと思っている。

カフェで話しをするのは通常、仕事の内容かもしれないし、プライベートな恋話かもしれない。


土間に高台(テーブル)椅子(ベンチ)というスタイルの甘味処で、土岐は白玉の入ったお汁粉とお茶を、沖田は饅頭とお茶をオーダーした。


「それで、最近はどうなんだ?」

「先生、いきなりですね。あなたには探りを入れるってことが・・・、いや、もう良いですけど。」

土岐は基本、相手が話してこない限りは仕事については触れないようにしている。特にここでは。新選組の情報を得ようとする気もないし、相手にあらぬ誤解をされたくもない。

土岐は黙って目の前の沖田を見つめた。


「特に、これと言ってありません。巡査の際に見かけた程度で。」

沖田には、このところ気になる女子がいるらしい。

「え、なに、それ。あんな格好した集団がいたら、怖がられるだけじゃないか。なんでオフの、非番の時にその辺りをうろつかないの?って言うか、私と甘味処に来てる場合じゃないだろ?少しは話しかけねば」


「ああ、もう!私の事は良いではありませんか。」

沖田が若干照れたような顔をして言う。

「・・・・・・。」

小学生か、という言葉を土岐はのみこんだ。


沖田だって花街には遊びに行くらしい。それでも、屯所近くの子供達と同じような目線で遊んであげて(もらって)いるんだ。・・・どこか、小学生っぽいところもあると言うか。


「土岐先生はどうなのですか?」

話題を変えようと沖田が土岐に恋話をふった。


「私は先日、見も知らぬ女子から恋文を貰って困っておったところだ。」

土岐が心底嫌そうにそう言った。


「先生、女子から恋文を貰ってその様に嫌がる者は余程の変わり者ですよ?」


「良いんだよ、変わり者で。女子と逢い引きするくらいなら、いっそ寺にでも入るかおたくの土方さんや井上さんと逢い引きした方がマシだ。」


「その例え、あり得んでしょう。先生が衆道とは思えぬし・・・。」

沖田が怪訝な顔をして土岐を見る。

「良いんだよ、別に衆道だと言われても。いっそその方が女子から恋文も来なくなるだろうし、哀しむ人間が減って・・・。」

「土岐先生?」

「うん、良いんじゃないか、マジで。」

「先生?」

「この際誰でも・・・、沖田さんでも」

土岐が沖田の袖を掴もうとすれば、沖田は嫌そうにそれを避ける。

「私はダメですよ!土岐先生も、私には医院に気になる女子がおると知って・・・。」

「へぇ、どこの医院?うちって事はあり得ないから、会津藩関係?」

「言いません!」

「だったら私と逢い引きしても、良いだろう?」

土岐はおもむろに沖田の手を掴み、下から見上げる様に様子を伺った。


「っ、あなたはっ!!」

徐々に顔を赤らめ、狼狽する様子が可愛いとさえ思える。


「私をからかわないでいただきたい!」

「仕方ないだろ?可愛いからついからかいたくなる。」

土岐がそう言えば、沖田は一気に脱力して土岐が掴んでいた手をスルリと解いた。


「私を可愛いなどと言うのは、ここではあなたくらいですよ。」

トーンダウンした沖田が複雑そうな表情をした。


「姉上、だからな。」

「もうそれは言わないでください。」

「ははっ、悪い悪い。」


全く悪びれた様子のない土岐に、沖田は呆れながらもどこか心が暖かくなるのを感じた。

この人の様に、ここまで砕けた態度で接してくる人間は居ない。大切に思う人達はもちろん居る。それでも、それほど知り合って時も経っていないこの人の様に気を張る事なく接している人物は、自分にはいない様に思われた。


「土岐先生、少しは護身ができる様になってくださいよ。」

「なに、なんでそこに話しが戻るんだ?」

「あなたは、どうやら私にとって貴重な人だからです。」

「は?」

「あなたは、もしかしたら私の弱味にもなり得る。」

「ごめん、話しが全く見えんぞ。」

土岐は訳がわからない、と言う様に沖田をみた。


「刀とは、斬撃もありますが、基本は突きです。」

「へぇ。」

「逃げる事に徹すると言うのなら、突きがかわせるようになってください。」

「いや、かわせるように、って・・・。無理でしょ?そうなる前に逃げるから。」

「対峙する事になったら?」

「う・・・。」

そこまで言われ、土岐は思わず言葉を詰まらせた。


「ちょっと私と一緒に壬生寺まで行きましょう。」

そう言った沖田は、なぜか2人分のお金を払うと素早く土岐の左前腕を掴んだ。

「ちょっ、沖田さん。お金、払うので」

「こうして恩着せがましくすれば、先生は申し訳なく思い、たまには私の我儘に付き合ってくださるでしょう?」

「なに、その理屈?これじゃまるで拉致じゃないか!」

沖田のしてやったりな顔に、土岐はムッとした表情になる。


変なところで強引だ。腕を解こうにも、がっちり固定されて外れそうにない。

「宗次郎っ、離せ!」


土岐のその言葉に、周囲にいた人達が何事かと2人を見た。

そこにはどう見ても、嫌がる花屋町通り医院の若先生の腕を掴み、無理やり連行しようとする新選組一番組組長の沖田総司の姿があった。


押してダメなら引いてみろ、って言葉がある。

土岐は抵抗するのを止めると、逆に空いている手で沖田の胴に腕を回し、抱きついた。


「なっ、何してるんですか!この様なところで・・・っ、やめてください!!」

艶のある瞳で沖田の目を見据え、ゆっくりと顔を近付けて接吻でもしそうな土岐に、今度は沖田が顔を逸らして抵抗する。


「沖田さん、今更照れてどうするんだ。さっきまでは私を連れて行こうとしてただろ?」

「先生、離してください!!」

沖田の言葉に土岐はパッと身体を離す。


一部始終を見ていた人達は、ただただ何事かと成り行きを見ていた。


「はい、やっと五分五分になった。」

土岐は沖田を見ると、ふぅ、っと息をついた。


「あーー、皆さん、お騒がせして申し訳ない。この人とのちょっとした痴話喧嘩なので」

「先生!!」

誤解を生みそうな土岐の言葉に、沖田は焦った様に土岐の手を掴むとその場からズンズンと離れて行った。


甘味処と壬生寺はそれほど離れておらず、沖田に手を引かれた土岐達は10分もすれば壬生寺の境内へと着いた。境内には誰もおらず、静かなものだ。

なんて言うか、古い表現をすれば放課後の体育館裏みたいな雰囲気だ。こう、静かな場所に呼び出されて愛の告白とか、タイマンとか。まぁ、今回はどう考えても後者っぽい雰囲気ではある。

先ほど甘味処で「突き」を避けるだなんだと言っていた気がするけれど、そんなもん不可能でしょ。新選組の沖田の「三段突き」は先の世でも有名だ。二撃目までは避けられたとしても、三撃目で確実に仕留められるとか、なんとか。


「土岐先生、覚悟は出来ました?」

「いや、無理。」

「突き、ですが。」

「うん。」

「天然理心流の突きの話をしましょうか。」

なに、この強引な流れ。それに部外者である私に師範代が教えても良いの?


「あのさ、そう言うのって、門弟以外に伝えても良いの?」

「先生に伝えたところで、なんという事もないでしょう?」


そりゃ、教えてもらっても「ああ、そうですか」で終わるだろう。試してみようと言う気にはきっとならない。

でも、ぶっちゃけ興味はある。


「一応、聞こうか。」

土岐のその一言で、沖田が嬉しそうに話し出した。


「私達の突きの一撃目は、相手の右目の内側を狙います。」

そう言って沖田は土岐の右目の内側を指差した。


「二撃目は左目の外側、そして三撃目がこめかみのやや前方内側。」

沖田の指が土岐のこめかみ内側を軽く触れて離れる。


「へぇ、私は突きと言えば、全て眉間かと思ってた・・・。」

「天然理心流は、確実に相手を仕留める剣術ですよ。」

その沖田の言葉に土岐が嫌そうな顔をする。


そんな土岐から少し距離を取った沖田が、土岐と対面するように立つとすっと右腕を伸ばして人差し指を土岐の右目内側に向けた。


「土岐先生、ここではまだ、私の剣は先生には届きません。あなたは逃げようと思えば逃げられる。」

そう言うと沖田はもう一歩だけ土岐の方へ近付いた。


「でもここでは、あなたはほぼ私からは逃げられない。いくらあなたが健脚とは言え、背中を向けた瞬間に全て終わりです。天然理心流では、もう一本ある脇差とて逃げる相手に投げつける一太刀となる。・・・私から、どうやって逃げますか?」

そう言った沖田の表情が、今まで見た事もない無表情へと変わった。


途端に背筋にヒヤリとした感覚が湧き上がり、無意識のうちに土岐は一歩後ずさった。その動きに合わせるように沖田が一歩前に出る。


そして冒頭に戻る。

もう、色々無理だ。

退路を塞がれ、こんな風に沖田さんと対峙しなければばらなかった長州の田辺さん達は相当の恐怖を味わっただろう。こんな緊張感の中、よく逃げ延びて医院まで辿り着いたものだ。


「どうやって逃げると問うけれど、逃げるのだから手段は選ばないよ。」

土岐は邪魔になる小太刀を腰から抜くと、足元に落とした。


沖田の無表情な視線が、一瞬落ちた小太刀に向いて土岐の目に戻る。

土岐は視線を沖田に向けたまま、懐から丸いピンポン玉の様な大きさの玉を3つ取り出し、その1つを右手に持った。


「へぇ、飛び道具ですか?」

「対剣術には飛び道具が相性が良いと言われてるでしょ。・・・それより、そろそろ止めないか?」

いざと言う時の為に持たされている、唐辛子などの刺激物を粉状にして和紙の玉にしたもの。


「私は別に刀を抜いている訳ではありませんよ?」

「私としては、沖田さんのその指一本で殺られる気がするんだが。」

「そんな馬鹿なことは」

「ありそうに思う。それで、一応脅しとして聞いて欲しいが、これが当たったら相当辛いぞ、呼吸と目が。」

「別に問題ありません。それに私は肺臓は強いですよ?」

「それは診察してみないとわからんぞ。」

沖田の言葉に土岐は沖田の病気の事を思い出す。


うわぁ、嫌な事を思い出した。・・・参ったな。日頃元気な分、すっかり失念していた。


土岐は手に持った玉を使う事なく懐の巾着にしまうと、先ほど落とした小太刀を拾い上げて左腰に差した。


沖田さんのご両親は確か、肺結核で亡くなったんだっけ?小児期に潜伏感染していたものが、過度の疲労やストレスで免疫力が低下するとちょっとした呼吸器感染症で発症する事がある。


「あのね、一度しっかり健康診断をした方が良いと思う。」

「けんこうしんだん?」

「そうだ。甘味を馳走になったり、突きについて教えてくれたりしておるだろう?その代りと言ってはなんだが、タダで沖田さんの身体を診てあげよう。」

土岐がそう言うのと同時に沖田が土岐に向けていた構えを解くと、嫌そうな顔をして一歩後ろに引いた。


「私はどこも悪くは」

「それはこちらが判断する。」

今度は土岐が沖田に一歩近付いた。

「せっかくですが、お断りします!」

そう言うと、沖田はそのまま土岐から離れるように走り出した。


そんな沖田に土岐は一瞬瞠目したが、1つ深く息を吐くと思わず呟いた。

「これ、結果的に相手を自分の得意分野(フィールド)に引き込む事で逃げ延びた、って事で良いのかな?」


小さくなった沖田の後姿を確認して、土岐がそちらに向かって駆け出す。

走ることでは負けませんよ、沖田さん。


その後、沖田を追いかける土岐の姿を隊士達が目撃したとか。


天然理心流をしている方と先日食事をした際、どう言う流れかで「三段突き」の話しになったのですが、テーブル越しに人差し指で構えられた時にはなんだが結構怖いものがあり。突く時に狙う位置も細かく教えて貰ったのですが、アルコールも入っていたので二撃目はおぼろげです。。。という事から思いついたお話でした。天然理心流は京都、東京、茨城の牛久と3つしか道場がなかったのですが、今度新たに九州(細かい場所は忘れました)にも道場ができるそうです。

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