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花屋町通り医院  作者: Louis
33/45

壬生にて

山南は土岐の不満そうな顔を見た。


「伍長をしておる奥沢が、あなたの名を出して剣術の稽古を暫く休んでおったことがある。あの者は剣に熱心で、稽古には人一倍力を入れておる。その奥沢が『土岐先生に迷惑を掛ける訳にはいかぬ』と言って稽古を休んだのだ。隊の中では、あなたはきっといかつい鬼の様に怖い人物だろうと噂が流れた。」


土岐は驚いた様に山南の顔をみた。


「だが、沖田くんと屯所に来られた際、お見かけしたあなたはいかついどころか噂とは真逆な様子だった。」


前に一度屯所に来た時、初めて言葉を交わした故芹沢鴨から不躾に笑われたことがある。もしかして、余りにも私のイメージが違っていて、人の噂は当てにならないとでも思われたのだろうか?


「それにあなたは以前、刀を向ける浪士を前にして刀を投げ捨てた事がおありだろう?」


その一言に、土岐は思わず目を見開いた。

何でそれを知ってるの?あの時、熊さんも栄太も一緒にいた。私に刀向けてたのは熊さんだし。新選組の人間に見られてたの??

思わず背筋がヒヤリとした。


そんな土岐を見て、山南は笑みを浮かべる。


「土岐先生、あなたは他人が思いも付かぬ事をしたと、自覚されておるか?」


「・・・は?」


「その様なことをする者は、日の本広しと言えどもそうそう居らぬだろう。となれば、その噂も瞬く間に広がる。」

そう言った山南は、とてもおかしそうにクックッと笑いを噛み殺す様に笑った。


土岐は山南の真意を測りかねて、怪訝そうな顔で山南を見ていた。


「その様なあなたが、私が背を向けたところで私を襲うとは考えにくい。」


笑いを引っ込めた山南は、勤めて真面目な顔を作りつつ土岐にそう言った。

土岐は思わず大きく息を吐き出した。

山南は、どうやら土岐の表情を読んで土岐の疑問に答えてくれたらしい。


焦った。山南さんの人となりを知っている訳でもないし、攘夷志士との繋がりに気付かれてカマをかけられたのかと思った。

この人を見ている限り、そう言う訳ではなさそうだわ。


「私には、朝っぱらから人を襲おうという趣味はない。」

土岐が微妙な顔をしてそう言えば、訳知り顔をした山南はおかしそうに頷いた。



坊城通りを壬生寺近くまで来れば、人の気配や大勢の息の合った声が聞こえて来た。

どうやら、新選組の隊士達が壬生寺の境内で朝稽古をしているらしい。

思わず見てみたい気になった土岐だったが、あまり長い時間散歩に出るのも医院に迷惑がかかると思い、そろそろ引き返そうと思っていた。


「もうその様な刻限か。・・・土岐先生、もし時間がおありなら、少し稽古を見て行かれるか?」


「あ、いや。私はこれで。」


「へぇ、こりゃまた奇妙な取り合わせじゃねぇか。」

興味深そうな声音に聞き覚えのある声がした方を向けば、そこには予想通りの人物が立っていた。

首に手拭いをかけ、稽古着を着ていた男のその手には木刀が握られている。


「・これは土方さん。ご無沙汰いたしておる。」

土岐は軽く会釈をして挨拶をした。


「ご無沙汰しておる、土岐先生。・・・で、山南さん。あんたは今日は非番か?」

少し含みを持った物言いで、土方が山南に話しかけた。


「ああ。・・・土岐先生が散歩をされておる所に出会ってな。壬生まで付き合ってもらったのだ。」


「そうかい。せっかく壬生までご足労かけたんだ。中で茶でも飲んで行ってくれ。」


「あ、いや。私はそろそろ戻らねば。————!」

土岐がそう言いかけた時、頭の上にポタリとした感触を感じて思わず上を向いた。

途端に坊城通りの砂の上に、パラパラと音を立てて大粒の水滴が落ちて来た。

そして、周囲は一気にザーーッと音を立てた雨音に包まれる。


「チッ、降ってきやがった。」

土方が忌々しそうに口にする。


土岐は思わず腕を頭上に持っていく。何の効果もないけれど。


壬生寺の方ではザワザワした声が聞こえ、程なくして大勢の隊士達が焦った様に門から出て来た。


「このままでは濡れてしまう。土岐先生、一旦屯所に入ろう。」

焦って言う山南に促され、土方もそれに頷く。

土岐は不承不承ながらも頷くと、迷わず八木邸の方へ入って行く土方と山南の後に続いた。

芹沢鴨がいなくなり、居住スペースを八木邸に移したんだろうか?

芹沢鴨が住んでいた建物の東側に案内され、3人で土方の部屋へと入った。この広さはデフォルトなの?と言いたくなるが、ここもまた6畳間のようだ。


慌てて屋内に入ったものの、ずぶ濡れではないもののそれなりに濡れた。

髪も濡れて、しっとりした感じになってしまった。

そして、ぶっちゃけちょっと寒い。

恐るべし、ゲリラ豪雨。

そもそも、この時代にゲリラ豪雨とは言わないけれど、この雨の強さはゲリラ豪雨と言っても良い。

これ、このままだと風邪引くかも。

でももちろん、着替えなんてものは持っていない。


山南は一度自室に戻ると言って部屋を出て行った。

そりゃそうだよね。きっと着物を着替えたいんだろう。

私だって出来ればそうしたい。


「先生、ちょっと待っててくれ。」


土方はそう言うと、箪笥を開けて何やら物色し始める。


「よし、まずはこれだ。」

そう言ってポンと投げて寄越された物を反射的にキャッチする。

自分の手の中には手拭いが握られていた。


「髪を拭かねば風邪を引くだろう?先生が風邪引いちゃ、洒落にならん。」

そう言いながらもまだ何かを物色していた土方は、襦袢と着物と袴を取り出していた。


「かたじけない。」

土岐はポツリと言い、ヘアゴムを取り外して手首にはめると、手にした手拭いで髪をグシャグシャと乾かし、それを首にかけた。


「そのまま作務衣を着ていたんじゃ、風邪を引く。俺ので良けりゃ、こいつに着替えたらどうだ?」


え?聞き間違い?何か、鬼の副長と言われる人から凄く親切な言葉が聞こえたんですけど。


土岐は、思わず土方を凝視していたらしい。


「・俺が寒くて着替えてぇんだから、先生だって同じだろ?」

若干照れた様にぶっきらぼうに言った土方が、土岐に襦袢と着物を渡した。


これは予想外だ。あの土方が。世の女性はこう言う時にきっとギャップ萌え、とか思って恋に落ちたりするんだろうか?

私の場合、こんな事を考えてる時点で論外だけど。


「ああ、助かる。土方さん、ありがとう。」

ここは好意に甘えようと思い、素直に礼を言った。


そう言った土岐に頷いた土方は、おもむろに稽古着を脱ぎ出した。そのまま土方を見ていた土岐だったが、さすがに着替えを見ているのも憚られ、手に持っている襦袢と着物を広げてみた。襦袢は丈が短いことから袴用なのだろう。この際贅沢は言ってられない。

着物の方は、紺地に織りで細かい模様の入った土方の着流しだ。

土岐は襟元に入れていた巾着と鉄扇を取り出すと、畳の上に置いた。膝立ちの状態で土方に背中を向け、作務衣の上着を脱いで貸して貰った襦袢を羽織ると、手早く着ていた襦袢を脱いで前を整えた。貸して貰った襦袢は少し厚手で、胸のサラシが透ける事はないだろう。ここまでくれば、借りた着流しに腕を通し、作務衣の下を脱いだ。そして土方の方に向き直り、着流しを羽織った状態で自分の着ていた襦袢と作務衣をきれいに畳んでいく。

私は「男」だ。男性の前で着替えられない、なんて言ってられないし、三十路も越えておりそんな初心(うぶ)な人間でもない。

土岐がふと視線を感じて前を向けば、着替え終わった土方がジッとこちらを凝視していた。


「・・・土方さん?」

土岐が不思議そうに問いながら首をかしげると、我に返ったように瞬きをした土方が、腰紐と帯を差し出した。


「ああ、そう言やぁ、俺の着物は少し大きいかもしれねぇ。女物で悪ぃが、これを使うと良い。」


土岐は差し出された腰紐を思わず見つめてしまった。

淡いピンク色。土方さんは女物で悪いと前置きしたけど、まぁ・・・。彼が何故こんな物を持ってるかはあえて詮索しない。腰紐があるだけありがたい。


「かたじけない。」

何事もない様にそれを受け取ると、土岐は立ち上がった。そのまま自分の足元を見れば、数センチ程裾が床に着いていた。土方さんとの身長差は大体5センチ程だ。土岐は着物の裾をくるぶしまで持って来ると、手際よく腰紐を巻きつけてこれを括った。

その上から帯を巻いてしまえば、いわゆるおはしょりは見えない。

土岐は素早く腰まわりを整えて、床に置いていた巾着を懐にしまい、鉄扇は帯に差した。

そのまま床に正座をして手櫛で髪を後ろで束ねると、ゴム紐で手早く括った。括り切れなかった髪が左右に溢れたが、見苦しい程ではないだろう。


ここまで手際良く着物が着られる様になったのは、ひとえにお香代さんと言う着付けの先生がいたからだ。おはしょりは土岐の最も苦手とする所だった。だって、男物の着物には必要ない。


ふぅ、と一息付いて目の前の土方を見れば、感心した様な目線を向けていた。


「女子が見ていたら、きっと惚れちまうだろうな。」

しみじみと言った土方の言葉の意味が理解出来ず、思わず首を捻る。


「男の着替えに思わず見とれたのは、産まれて初めてだ。・・・茶の作法を見てるような。」

照れるでもなく、平然とそう言った土方を思い切り怪訝な顔で見ても仕方ないことだと思う。

大体、私がこの部屋に入ってからこの男はおかしい。妙に優しいと言うか、何時もの鬼の副長のピリピリした感じがない。それにいまのコメントはちょっと変でしょ。


土方としては、妙に手際が良くて優雅に見えた、と伝えたいところだが、その真意が今ので土岐に伝わる訳がない。


「そりゃどうも。」

土岐はあえて突っ込まず、素っ気なく返した。


「失礼するよ。」

外から声が掛けられ、自室から戻って来た山南がお盆に湯のみを3つ乗せて入って来た。


「すまねぇな、山南さん。」

土方は茶の用意をした山南に一言言った。


「いや。土岐先生が帰られる前に茶でも、と思ったまで。」

言った山南は、土方と土岐の前に茶受けに乗せた湯のみを置いた。


「ありがとうございます。」

土岐は山南へと軽く頭を下げた。


相変わらず、6畳間は3人も人が入ると圧迫感を感じる。

思わず長居をしてしまった土岐だが、副長と総長が揃っているし、ついでだとばかりに伝えておきたい事を口にした。


「そう言えば、今度山崎さんに伝えようと思っていた事があるのですが、一つ新選組で気をつけていただきたい事がある。」

おもむろにそう言った土岐の言葉に、山南と土方の視線が鋭くなる。


あ、やっと何時もの土方さんの雰囲気だ。

鋭い目が土岐を見ている。


「新選組で気をつけて欲しい事、ですか?」

山南も訝し気な顔をする。


「はい。・・・ただ別に、誰かに、と言う訳ではない。隊士の体調面や衛生面を気をつけていただきたい。」


「えいせいめん?」

訳が分からないと言う様に、土方が言葉を復唱した。


「屯所を見渡してみれば分かると思うが、お世辞にもきれい、とは言えないだろ?」

部外者の確信を持った言い方に、土方も山南も思わず口を噤む。


「そうなれば、流行り病も蔓延するし、動ける隊士も減ってしまう。ならば直ぐに対策を打つ必要がある。」


思い当たる所があるのか、土方と山南は渋々と言った具合に頷いた。


「大きく分けて5つあるのだが、一つは部屋の掃除を徹底すること。これには雪隠(トイレ)も含まれる。二つ目は、屯所に入る時はうがい、手洗いの徹底。」


「うがい、手洗い?」

山南が不思議そうに聞く。


土岐は頷きながらも説明する。

「ああ。病とは、身体の中に悪い物が侵入して引き起こされる事が多い。だったら、悪い物が付いてる手を水で洗い、喉の奥を水で洗い流すだけでも違うというもの。悪くなってから対処するより、悪くならない様にするのが大切だ。そして、具合が悪くなった者がいたら、この者を隔離する必要がある。理由は、他の隊士に病をうつさないためだ。」


そう土岐が言えば、土方が大きく頷いて口にした。

「なるほどな。」


「三つ目は、食べ残った残飯の処理の徹底。これからの季節はまだ良いが、また暑い季節は巡って来る。残飯を処理するのに、農家の肥料にするなりどこかに埋めたてるなりした方が良い。」

実は、数年後に松本先生から豚を飼う様に提案される。豚は食べ物にもなるし、残飯処理もしてくれる。ただ、これは西本願寺に移ってからの事であり、狭い前川邸や八木邸では衛生面を考えても無理な話だ。


「四つ目は、食べ物。滋養の付くものをしっかりと食べ、体力を付けておく必要がある。いざと言う時に、身体が丈夫でなければ動けない。そして最後。・・・若者達ばかりだから難しいかもしれんが、女遊びはほどほどに。夜鷹を相手にしたり、誰かれ構わず遊んでおると後で痛い目をみる。しまいには瘡毒で動けなくなるのを、2人共ご存知だろう?」


金も無いし、女遊びが出来ないから屯所内での男色が流行したと聞く。でも、夜鷹の所へ行く隊士もいるかもしれない。


土岐がそう言えば、土方も山南も苦々しい顔をした。いくら厳しく隊士をしめても、女子関係まで目を光らせておくのは難しい。


「しかし、我々もそこまでは口出しできんな・・・。」

山南が思わずと言った具合に口にした。


「まぁ、最後のは難しいかもしれん。その代わり、毎日とは言わぬので、せめて定期的に水浴びや湯浴びをして清潔にしてほしい。」

STD(性感染症)だけではない。平成の時代でも、人に言わないだけで多くの人が感染していると思われる白癬菌(はくせんきん)。この菌は、何も足だけに感染するものではない。手や爪、顔、股間や尻にだって感染し、増殖する。

学生の頃、皮膚病理の授業で教授から白癬菌の話を聞かされて気分が悪くなったのを覚えている。昔から皮膚科領域は苦手だ。

今の時代、感染場所が公共施設の風呂だったりするので、大衆浴場へ行くのは一番危険だ。だからせめて、屯所で身体を洗って欲しい。


「わかった。早速対応する。」

土方が神妙な顔をして言った。


土岐はその言葉を聞いて少しホッとした。

土方は有言実行するのが早いと伝わっている。

これがきっかけとなって、少しでも体調不良の隊士が減れば良いと思う。そして来年の事件の日が無事に過ぎてくれたら良い。

無事に過ぎる、というのは語弊があるが。多かれ少なかれ、きっと人が死ぬのだから。

急に喉の渇きを感じて、山南が持ってきてくれた湯のみを手に取ると、ゆっくりとお茶を口に含む。

程よく暖かいお茶に、気分が落ち着いて来た。

さて、思わずと言った具合に一つ用事が終わった。さすがにそろそろ帰らなきゃいけないけど、まだ外から雨の音が聞こえる。

傘をさしても合羽を着ても、きっと土方さんの着物は濡れてしまう。

もう一度、作務衣に着替え直して走って帰ろうか。



ちょっと悪戯が過ぎたので、そのお話をこちらに閑話として載せるのはばかられ、+αと言う形で別小説投稿という形で載せました。ちょっとRの要素があるので、苦手な方はスルーしてください。

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