A photo taking
「あった・・・・。」
酢屋に行ってから3日目の夜。毎日スマホを充電しては夜な夜な携帯画面と睨めっこしていた土岐は暗い部屋の中でベッドに入り、明るく光を放つスマホを左手で握りしめ、画面を凝視していた。
右手にはボールペンが握られ、memoと書かれたノートにスマホの画面に表示されている内容を書き取っていた。
なんとなく絶望的な気分になるのは、そこに表示されている内容のためだろうか。
『<江戸時代 ランダム100問>
第78問
・元治元年6月5日(1864年7月8日)の池田屋事件は会津藩御預かりであった新選組を一躍有名にした京都の池田屋という旅籠で起きた事件である。この事件によって倒幕派であった浪士が多く命を落とし、大政奉還が1年ほど遅れたとも言われている。この時に池田屋に居た倒幕派の志士で、池田屋にて討ち死にしなかった者の名前を下記から一人選べ。
A: 石川潤次郎 B: 宮部鼎蔵 C: 吉田稔麿 D: 大高又次郎 E: 有吉熊次郎』
色々と突っ込みどころのある問題だと思う。というか、このクイズは全体的にマニアックな問題が多い気がする。普通誰が生き残ったかなんて問題はないだろう。
土岐はその選択肢にある見知った二人の名前を見て、思い切り眉間を寄せた。
宮部という人は池田屋で亡くなると読んだことがある。石川という人と大高という人は名前を聞いたことがないし、全く知らない。栄太(稔麿)は死なないでほしいと思っている本人だから言わずもがなだけれど、まったく思ってもみなかった人物。熊さん、あんた何やってんだ。この人が事件の時に池田屋に居たなんて知らなかった。いや、そう言えば皆で角屋へ行ったとき、攘夷について熱く語っていたのは熊さんだったか・・・。そんな人が池田屋にいても不思議ではない、か。
石川さん、大高さんか熊さんの内一人しか助からないってことなの?
そしておそるおそるといった具合に土岐は画面を指でポンとタップし、クイズの正解にはならないであろう、「C: 吉田稔麿」を選択した。
すると画面には大きなバツマークが現れて、正解の人物名が表示される。
『正解 E:有吉熊次郎』
途端にホッとしたような、思わず力が抜けたような感覚がした。
「もー、だめだ。・・・とりあえず、寝よう。」
土岐はスマホの電源を落とすと、ベッドの脇に携帯を置いて大きな溜息をつき、ゆっくりと目を閉じた。
このところ寝る前にスマホの画面を見ていたせいか、睡眠の質が落ちているのかもしれない。寝る前にパソコンやスマホの画面を見ていると、脳がなかなかリラックスできないのだとか平成にいた時に言われていた気がする。だいたい長期間「画面」自体を見ることなんてなかった。それに、実際睡眠時間がスマホを見ている分削られる。
翌朝、起こされることなく土岐は目が覚めた。それでも頭が少しボーっとして、どうもすっきりとしない。ゆっくりとベッドから降り、机の上にあるサーモスのマイボトルを持って廊下側の障子戸を開けて外に出れば、いまの土岐の心情を表しているかのような曇天が広がっていた。
あーー、空までどんよりしてるよ。それに、やっぱりちょっと肌寒い。
あと約8ヶ月、か・・・。
土岐は縁側に腰掛けると、スエットのフードを被った。
昨夜部屋に戻る前にお湯を沸かし、サーモスの中に入れておいた土岐は、旅行鞄に入っていたスティクタイプのカフェラテの封を開けてサーモスの中に入れて長い匙で攪拌させると、この時代にはまだ簡単に手に入ることのない珈琲の香りが辺りに漂ってきた。
土岐は水筒にゆっくり顔を近づけると、懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。そのまま口を付けて一くち口に含めば、独特の苦味と少しの甘さをもつカフェラテの味が口の中に広がった。
もう、あと数回しか飲めないカフェラテ。インスタントとはいえ、今現在ここで売っていたら1両出しても買うかもしれない。
それほど土岐は珈琲に飢えていた。
「はぁーーーっ。朝にラテ飲めるなんて、なんて贅沢・・・。」
マイボトルから視線を外し、それを床に置くとぼんやりと空を見上げれば、ともすれば雨が降り出しそうな感じだ。
スエットのポケットを探り、目当ての物を探り当てて目の前に持ってくる。金色の包み紙を開けて、その中身を口の中に放り込めば懐かしくも甘い味が口腔内に広がる。これも食べずに我慢してとっておいたガー○チョコレート。実は、まだ数個しか食べていない。
そしてラテを飲めば、土岐の気分が少し浮上する。
とりあえず、一度栄太達とどうにか連絡を取って、新選組には衛生指導をして・・・。どうにもならないかもしれないけれど、自分なりに動いてみよう。もう、しばらくスマホも使うことはないな・・・。
みんなの写真でも撮れたらなと思い、それは無理かと苦笑する。
せめて街の写真でも撮ってみるか。そうと決まれば善は急げ。
土岐は井戸で顔を洗い服を作務衣に着替えると、廊下に立って自分の部屋へと携帯のカメラを構えた。そして一枚写真を撮り、今度は見慣れた庭の写真を撮る。
台所まで行って、朝食を作っているお香代の姿を撮れば、機械的な音にお香代が振り返った。
「せんせ、おはようございます。」
「おはよう、お香代さん。」
そう言いながらも今度はお香代を正面から写真に写す。
「なんやまた、けったいな事してはる。」
怪訝そうな顔をしてお香代がそう言えば、土岐は口角を上げた。
「街や皆のフォトガラを撮っておこうと思ってね。朝餉までには戻るよ。」
「いえ、いけません。せんせは何かに夢中になったら、時間の感覚ものうなるやろ?出掛けはるなら、嶋田せんせにちゃんと断りを入れて朝餉を召し上がってからにしてください。」
全く信用されていない。いや、お香代さんは私のことをよく見ているし、自分なりに自覚があるため、思わず言い返せなかった。
お香代の言葉に渋々と従った土岐は、嶋田に断りを入れるために嶋田の部屋に向かい、散歩に出る断りを入れた。
そして、いつも通りに朝餉を食べると、3人に断りを入れてから散歩に出ることにした。
「土岐さんは何をあの様にしておるのだ?」
嶋田が不思議そうにお香代に聞いた。
「あの様に、とは?」
松吉が嶋田に聞く。
「浮足立って見えるが。」
「なんでも、フォトガラを撮りに行くとか。」
細かい理由を知っているお香代が嶋田に応える。
「なるほど、あのカラクリか。・・・散歩に行くと言っていたが、あのカラクリが誰かに見つからぬと良いのだがな・・・。」
少し心配顏をした嶋田がポツリと呟きため息をついた。
たしかに。どこか抜けた所がある土岐を思い浮かべ、松吉もお香代も少しだけ心配顏になった。
そんな事を気にもかけない土岐は、花屋町通り医院の門の前で携帯を構えると、左右に人がいないかを確認して一枚写真を撮った。遠目に見られたところできっと何をしているのかはわからない。
とくにどこかへ行こうと決めた訳ではない。少し散歩をする様な感覚で、なるべく人に見られないような所で写真を撮ろうと考えていた。人物像の方が良いだろうけれど、そんなに簡単に写真を撮らせてくれる人なんてこの時代にはいない。
とりあえず、近所にある島原方面へ向った土岐は、島原の大門手前で立ち止まった。
この時間帯、島原から朝帰りする男性客がちらほら見受けられる。
土岐は何気なく大門を見ていたが、ある人物が目に入って思わず身体を翻した。
「おや、もしやそこにおられるのは土岐先生ではないか?」
どうやら、この人物の方が先に土岐に気付いたらしい。
土岐は諦めたようにその人物に向き直った。
誤解のないように言っておくけど、別に私はこの人が嫌いな訳ではない。決して。むしろ、どんな人物なのかずっと気にはなっている。でも、積極的に関わりを持つ気はなかったし、前回あちらへ行った際に会釈だけして話をした事はなかった。隊士たちがこの男性の名前を呼んでいたのを耳にしたため、この人の名前は覚えていた。
私が花屋町通り医院の土岐だと、副長殿にでも聞いたんだろうか。
「・・・これは、新選組の。」
「何やら、朝帰りという照れくさいところを見られましたな。」
言って本当に照れたように柔らかく笑った人物。
「花屋町通り医院の土岐と申す。」
「新選組で総長をしておる、山南敬助と申す。」
その人物はゆっくりと頭を下げた。
新選組総長の山南敬助。愛称ではサンナンさんとも呼ばれていた。
以前沖田さんが新選組屯所前で「親切者は松原さんと山南さん」と言った、親切者コンビの片割れの人物。いや、別にコンビでもないけれど。小野派一刀流の免許皆伝者で、後に神田お玉が池にある玄武館で北辰一刀流の千葉周作道場の門人となり、これを学ぶ。近藤勇率いる天然理心流の試衛館とも他流試合をするなど剣にも熱心だった人物だ。また、論客としても優れた才があったとされている。
その人物が朝から島原の大門から出てきたのだから、ちょっとしたスキャンダルといえばスキャンダルっぽいのだが、なにせ山南敬助には島原の芸妓である想い人の明里が居るのは幕末史好きの間では有名な話だ。
「山南さん、ここで立ち話もなんだし、私は散歩をするために出てきたので屯所までの道すがら、少し付き合いますよ。歩きませんか?」
「医院は直ぐそこだが、戻らなくてもよろしいのか?」
「はい。」
屯所までは、言っても2、3kmほどしかない。平成にいた時は朝方のランニングで5kmは普通に走っていたことを思えば、本当に大した距離ではない。
それに、土岐には『下心』があった。
避けていた割には、会ってしまったらこの人物の写真をスマホで撮れないものかという考えがもたげてきた。もちろん、ダメ元である。
山南とともに、花屋町通りを東に向かい、壬生川通りを左に折れるとこれを北に上った。五条通りを左に折れて坊城通りまで来ると、これを右に折れて北へ上る。この坊城通りが壬生の屯所までまっすぐに伸びているのだ。平成時代には五条通りと松原通りの間の坊城通りは京都産業大学附属中学・高校の敷地になっておりなくなっているが、もちろん今はしっかりと存在している。
「土岐先生は知っておられるかわからんが、いま日本は海外列強の脅威に瀕しており、国を守るためにも攘夷はなさねばならんことだ。」
山南との会話は、主に政治のことであった。
少しの世間話をした後、ふと池田屋事件を思った土岐は、何気に頭に思い浮かんだ事を口にした。「・・・そう言えば、このところ世間では尊王攘夷活動が活発ですね」と。
活発にしているのは、長州を筆頭とする人達だけれど。
だが、ほんの15分ばかり話を聞いて、山南が熱心な尊王攘夷思想の持ち主である事がよくわかった。
どちらかと言えば、長州の熊さんの話を聞いているような。
であるのに関わらず、新選組が会津藩お預かりになってしまったため、尊王攘夷思想はなりを潜めて文字通り、幕府の良いように動いている。
幕府は尊王攘夷とは真逆の開国を目指しており、京都の治安維持に勤めている新選組にいる山南さんは、本当はどういう気持ちでいるのかが気になってしまった。絶対にこの人は長州の熊さん達と話が合うはずだ。できることなら紹介してあげたいと思うほどに。
もちろん、そんな事は無理だけれど。
こうやって見ると新選組は付く藩が会津藩でなかったのなら、長州寄りの考え方を持っていて、もしかしたら倒幕に向けて動いた可能性もあったかもしれない。まぁ、武士になりたい近藤や土方がトップにいたら、『倒幕』というのは彼らには難しいかもしれないけれど。
ただ、武士道や市中取締といったものの陰に隠れているけれど、新選組もれっきとした政治集団だと私は思っている。
「土岐先生には、私の話はいささかつまらぬものかもしれんが。」
山南が少し困ったような表情でそう言った。
山南さんの話を聞きながらも相槌を打ちつつ自分の頭の中で色々と考えていたら、どうやら生返事をしていたらしい。
「あ、いや。そういうことではないのだ。少し考え事をしていたので。」
思わず言い訳をするように山南を見て言った土岐は、おもむろに切り出した。
「あの、山南さん。少し止まってそこの端で立っていてくれないか?」
「は?」
「あ、いや。少しの間で良いので、ちょっとあちらの方を見て貰えると助かる。」
言われた山南は怪訝そうな顔をし何かを言おうとしたものの、土岐に言われた様に「あちらの方」へと身体を向けた。
さすがに正面切って写真を撮る勇気がなかった土岐は、山南に少し斜めを向いてもらい、山南の視界からは携帯が見えない位置で全体像を撮ろうと考えた。
ピースサインをしてもらおうかとも思ったけれど、それは流石に自重した。
「土岐先生、まだですか?」
怪訝そうに山南が言う。
「もう少し。」
言いつつ土岐は周囲を確認し、懐の巾着からスマホを取り出すとカメラを立ち上げて手早くシャッターを切った。
機械音がして思わず山南が振り向くと同時に、何事もなかったように携帯を巾着の中にしまった。
これ、シャッター音を切るアプリを入れておくべきだったかもしれない。今更思ったところで仕方ないけれど、シャッター音がなければ堂々とは言えなくとも写真が撮れただろうに。
「・・・何をされておった?」
「実は、山南さんのフォトガラを撮っておったのです。」
土岐が冗談のように言うと、山南は少し呆れた顔をした。
「その様に見え透いた嘘を。」
怒っている様子もなく、少し呆れた様子の山南は、またゆっくりと歩き出した。
土岐もそれに続く。
どうやら、山南は土岐が冗談を言っていると思ったらしい。
そりゃそうか。フォトガラは今の時代、写真館へ行き、しばらくジッとした状態で動かない様にして撮影するものだ。
「普通は、それ程知りもせん人物に背中を向けるものではないが。・・・まぁ、あなたの事だ。」
山南は面白そうに土岐を見ながら納得した様な顔をした。
おい。私は一体新選組でどう言われてるんだ。




