情けは人のためならず
訝しそうにこちらを見る視線が突き刺さる。
酢屋を探りに来ていた人物だと思われている様だから、アウェイ感が半端ない。
でも、なぜだろう。身の危険を感じるとか、恐怖心が湧いてこない。
土岐は目の前にいる人物をジッと見つめた。
大概、上座にいるのがそのグループのリーダーだと相場が決まっている。
ただ、目の前にいる人物は自分が思い描いていた人物ではなかった。平成にいた時には大河ドラマもやっていたし、あれだけ写真を見ていれば薄暗くてもその顔が自分が想像していた人物ではないとすぐにわかる。
目の前の人物は、私の目を真正面から見返しており、その瞳は鋭い色を湛えていた。
でも、なんでだろう。鋭い瞳なら新選組の土方さんの方がもっとキツイだろうか。以前なら確実に恐怖を感じていたそういう瞳に慣れてしまったのだろうかと思えば、少し自分自身に可笑しさを感じてしまい、思わず口元がフッと緩んだ。
その途端、目の前の人物が思い切り訝しそうな顔をした。
「おまん、こん状況がどういう状況か、分かっちゅうか?」
低い声で、少し恫喝するように男は口にした。
「状況もなにも、私はただこの店をボーッと眺めていただけだが?」
本当のことを言っているから、それ以上何も思いつかない。
「どこの誰にここをさなぐれと頼まれた?」
男が続けて質問する。
「・・・さなぐれ?」
土岐は少し不思議そうな表情で首を傾けた。
「誰にここを『探れ』と言われたか、ゆうことだ。」
先ほど土岐を連れてきた男が声をあげた。
「ああ、なるほど。・・・探れもなにも、本当にただ見ていただけだ。だいたい、あなた方は誰です?その訛り、土佐藩の方々か?」
土岐は周囲を見ながらも、真正面の男に視線を合わせると、ゆっくりと問いかけた。
「質問しゆうはこちらだ。おんしゃあ、どこの誰だ?」
ここは自分が誰かを伝えないと、きっと堂々巡りのような気がする。聞くならそっちから名乗ったら良いのにと思うけれど、教えてくれそうな雰囲気でもない。
「私は、花屋町通り医院の土岐、と申す。」
土岐は目の前の男を見据えながらもゆっくりとした口調でそう言った。
「あっ・・・。」
すると突然先ほど土岐を連れてきた男が短く声を上げた。
「どうした、田中?」
目の前の男が田中と呼ばれた男に声をかける。
「花屋町通り医院の土岐先生ゆうたら、がけに長岡さんの怪我を治してくれた人やか?」
「長岡さんゆうたら、謙吉さんか?」
別の声が言う。
長岡謙吉・・・?そんな名前の人、知らない。この人達のように土佐訛りが強ければ覚えていそうだけれど。
土岐は訝しそうな顔をして周囲の会話に耳を傾けていた。
「だそうだが?おまんがまっこと花屋町通り医院の土岐先生なら、覚えちゅうが?」
「いや、知らん。長岡謙吉という名の患者は、聞いたことがない。」
「嘘でも知っちゅうゆうたら、助かると言うがやき。」
目の前の男はそう言うと目を細めて土岐を見た。
明らかな脅しのような言葉にさすがに状況が悪くなってきたな、と思う。全く怖くないといえば、それは嘘だ。それでも、こんな状況になっても先ほどから感じるイライラ感は拭えない。
「嘘を言ったところで、どうせ直ぐバレるだろ?だいたい何も悪い事をしている訳でもないのに『助かると言うのに』と言われる筋合いはない。」
イラっとしながらも、土岐は目の前の男に向かってそう言った。
「まっこと馬鹿正直な男やのう、おまんは。」
「は・・・?」
土岐はイライラを隠す事なく目の前の男を見据えた。
「今井純正、ゆうたら知っちゅうが?」
ニヤリと笑ってそう言った男の顔を、グーでやっちゃっても良いだろうか?いや、喧嘩なんてしたことないけど。
っていうか、え。今井さん?今井純正って言った?
その名前を聞いて、土岐はすぐにある一人の男の顔を思い出した。
土岐は以前、足首を痛めたという土佐訛りの強い男に市中の甘味処で会った。甘味処に来ていたにも関わらず、甘味を買う以外の金を持っていないというこの男を花屋町通りの医院まで連れて行き、足首の治療と固定を行うと数回にわたって治療をした。どういう訳か、医者を毛嫌いしているように見受けられた男にはもちろん治療代を払う気もないと思っていたので、そこは土岐がポケットマネーから医院に支払っていた。それ以降この人物に会う事もなかったし、これからも会う事はないだろうと思っていた。
土岐は目の前の男に視線を置いたまま、あからさまにため息をついた。
「・・・彼はあの時、全く金を持っていないと言っていたし、なぜか医者を毛嫌いしているようだったが?だから私が代わりに治療代を支払っておいたんだが。・・・もしかしてあなたが彼の治療代を肩代わりしてくれるのか?」
そう言った土岐に、目の前の男はニヤリと口角を上げた。
「どうやら、おまんは花屋町通り医院の若先生で間違いないようだな。それに長岡さんが医者を毛嫌いするんは理由があるきに。」
「理由?」
土岐が不思議そうに男に尋ねる。
「あん人は、土佐藩出身の医者じゃき。江戸や大坂に医術や文学を学びに遊学しちゅう。その長岡さんは常々ゆうとった。京にはろくな医者がおらん、とな。」
「なるほど。それで碌でもない医者の私が怪我をした足を診ようと言ったもんだから、あのように嫌がっておったのか・・・。」
土岐は思わず納得してしまった。長岡に限らず、土岐だって長岡と同じようなことを思っている。ここにはマトモな医者が少ないな、と。
自分が足に怪我をして、もし知らない医者に治療してやると声をかけられた場面を想像した土岐は、何とも複雑な気分になった。相手を理解するには、まずは相手の立場に立ったらその人の気持ちが理解できると言うけれど。これは確かにそうだ。
「何というか、私は今井さんに余計な事をしてしまったようだな。・・・相手の気持ちも考えず・・・。」
さっきまでの苛立った気持ちは何処へやら。
なんか、少し凹むわ・・・。
「だが、あん人はその後も土岐先生の治療を何回か受けに行ったろ?」
そんな土岐に対し、田中が後ろから声をかけた。
「でも、治療代は支払えないほど酷かった、ということだろ?」
実際、本当に医院の治療が酷いと思った患者は二度と医院に来ることはないだろう。それはここも先の世も変わりはしない。いくら信頼関係ができていても、医者の言った一言や処置一つで「ここへは二度と来ない」と思われるものだ。それに一喜一憂している様ではこういう仕事はやっていけない。それに診る側は「こんなにも患者さんにやってあげてるのに」と押し付けがましく思ったら、その診る側の人間はきっと直ぐにダメになる。
「いや、あん人は先生から学ぶ事があったとゆうとった。」
「・・・え?」
土岐は田中に向き直ると、怪訝そうな顔を向けた。
「長岡さんは、今更自分の身分を明かすのも行動を改める訳にもいかず、その・・・。」
それってプライドの問題?武士って本当に面倒臭い。
そう思っていると上座に座っている男が、コホンと咳払いをした。
「長岡さんは、きっと後日医院へ治療費を納めに行くがやき、ちっくと待っとおせ。」
「いや、治療費は結構だ。私が彼を医院に連れて行って勝手に治療しただけだ。それより、そろそろ帰らんと医院の者達が心配する。」
自分も本当にまだまだだと思いながら、今回の事はしっかりと心に留めておこうと思う。
「あらぬ疑いをかけて、すまなかった。」
「いや・・・。」
そう謝った上座の男にチラリと視線を向けた土岐だったが、ゆっくりと立膝をして立ち上がろうとした。
「それでは、皆さん。何か体調が悪くなった折は、どうぞ遠慮なく。それでは、失礼する。」
土岐はそう言うと、ゆっくりと頭を下げた。
「田中、しだまで(途中まで)先生を送ってくれんか?」
上座の男が田中に声をかけると、田中はしっかりと頷いた。
田中が部屋の外に出れば、土岐は田中に従って部屋の外へと出た。
何とも不思議なひと時だったなと思う。あの人はいなかったな。・・・むしろ、居てくれなくて良かったと思う。居たらきっと交流ができて、情が移ってますます大変な状況になるかもしれない。
「土岐先生、小太刀を。」
そう言って田中は土岐へと小太刀を渡すと、階段を先に降り始めた。土岐がそのあとに続く。
酢屋の暖簾を潜り、外に出た材木の積まれているところで田中と土岐は向かい合った。
向かい合った田中は、まだかなり年若い様に見える。
土岐の視線を感じてか、田中はフッと土岐から視線を外した。
「その、許してつかぁさい。疑って・・・。」
「え?いやいや、別に謝る必要ないだろ。私こそ、いま思えば紛らわしい事をしていたんだし。」
「それに、先生は俺以外の名ぁを知らん。」
誰も私に対して自己紹介をしなかったことに引け目を感じているんだろうか?まぁ、・・・こっちがしたから通常ならするものか。
「あー、いや。別に良いから。」
それに、名を知ったとして、後で後悔するのは避けたい。こんな事を思うのは本当に我ながら小さい人間だと思う。でも、さっき居た人たちは土佐藩の人たちだとして、きっと後の海援隊に入るような人たちだと思う。という事は、いま悩んでる事件に関わる可能性も否定できない。
「俺は、田中光顕やか。」
そう言った田中に対し、土岐は思わずその顔を凝視した。
まだ年若く、月代は剃らずに髷を結い、頬骨が高く細い目がキリッと凛々しい顔立ちをしている青年だ。
田中光顕?え、うそ。先の世で酢屋へ観光に行った時、この人が酢屋の二階の改修の時に張りの上から出てきた海援隊の日誌に「涙痕帳」と名付けた本人??確かそれは昭和に入ってからで、その当時のこの人は93歳だかそのくらいで、幕末の時代に生きた人が90代まで生きるって長生きだな・・・、なんて思ったものだ。
久しぶりに驚いた土岐は、直ぐに言葉が出なかった。
「土岐先生?どうしたが?」
田中が不思議そうな顔で土岐を見る。
「いや、なんでもない。私の知ってる人物と名前が同じだったから、ちょっと驚いただけだ。」
歳を取ったあなたのことだけど、とは言えない。
「ほぉーかぇ。(そーかい。)」
そう言って歩き出しながら笑った顔は、先の世の写真とはまるで違い、可愛らしさが残る笑顔だった。今日初めて会って声をかけられた時の事を思えば、本当に同一人物だろうか?というくらいだ。
「・・・情けは人のためならず、って言葉があるのを田中さんは知ってるか?」
土岐はそんな柔らかい表情の田中を見ながらふと思いついたように聞いた。
田中は土岐の視線を受けて一瞬考える顔をしたが、そのまま頷いた。
「あれをさ、私の里では大きく勘違いしてる人たちが結構いるんだよ。」
「土岐先生の里?」
不思議そうに田中が聞いた。
「そう。その言葉通り、他人に情けをかけたらその人のためにならないから、他人に情けはかけない方が良い、って思ってる。」
土岐は可笑しそうに笑った。
そう言った土岐の言葉を、田中は驚いた顔をして聞いていた。
そんな二人はすでに河原町通りまで来ていた。酢屋から西に向かって50mほど行くと、そこはもう河原町通りだ。
「ほりゃあまた、しょうやき。」
「ん?・・・いま何と言った?」
いまの土佐弁はさすがに意味がわからない。
言われた田中は少し考えた風にしながら、ゆっくりと口にした。
「それはまた、凄いな、と。」
頷いた土岐は、「だろう?」と可笑しそうにいう。
「なるばあ(なるほど)、今日あった事をゆうちゅうのやき。」
田中は足を止めると、土岐に向き直った。
土岐もつられて足を止める。
「世の中は人が思っておるより狭いからな。その狭い世の中、一人が別の人に情けをかければ、巡り巡って自分の所に返ってくる、というのが本来の意味だ。私が今井さんにかけた情けが巡り巡って私自身を助けた、ってことで、ポジティブにとらえるようにするよ。」
「ぽじ、て?・・・よお解らんけんど、俺もそうにかぁーらん。(俺もそうだと思う。)」
そう言いながら、歩き出そうとした田中を土岐は手で制した。
「ああ、もうここで良い。道が分からん訳でもなし。田中さんは戻ってくれ。」
土岐がそう言えば、田中は素直に頷いた。
「ほいたら先生。気をつけて行きおせ。」
田中はそう言って深く頭を下げた。
土岐は頷くと、片手をあげた。
「では、またな。田中さん。」
そう言って河原町通りを南へ向かう土岐の後ろ姿をしばらく見つめていた田中だったが、くるりと酢屋へ身体を向けると来た道を引き返していった。
結局のところ、今日は土佐藩に知人ができたくらいで、池田屋事件に関する情報は何も得られなかった。そんなものがその辺に転がってる訳もないけれど。
もうクイズをやるのいい加減止めたいと思いながらも、また夜になったらiPhoneの電源を入れるんだろうなと思うと、知らずと大きなため息が出た。




