アプリと酢屋とあの人と
土岐は2日前から、毎晩の様にベッドに入ってiPhoneをいじっている。ここ2日、縁側でソーラー充電できるゴールゼロに携帯をつないで充電をしている。
いくら自分の記憶を手繰り寄せようとにも、相変わらず池田屋事件がいつ起きたのか思い出せないでいた。そのため、何か思い出すきっかけがないかと思い、最近ではすっかり仕舞い込んでいた携帯を引っ張り出してきた。
携帯電話を買って1年経った時点で幕末に飛ばされ、すでにこちらでも1年7ヶ月が過ぎている。という事は、もう5ヶ月ほどで購入して3年が来るわけだ。しばらく電源を入れていなかったため電源が入らなかったらどうしようと思い、最初はドキドキしながら充電した。そんな心配は杞憂に終わったけれど、別の問題が発生した。まず、ソーラーでは日差しにもよるけれど、簡単にフル充電するのは厳しい。たとえフル充電できたとしても電池の劣化が進んでいるのか、半日ほどするとあっという間に電池の残量が一桁になる。
「これ、2年サイクルで買い換える人が多いのはこういう事?・・・ナントカタイマー。ショップがない場合はどうしろって言うんだ。」
暗い部屋で一人ごちてみてもどうにもならない。
充電をした初日の夜、土岐は自分がインストールしているアプリを片っ端から確認していった。そこで、神アプリとも言える「家庭の医学」を発見。そういえば、前の機種の時に無料配布された事があってダウンロードしたのを思い出した。いや、そうじゃなくて。ここ数日私が毎晩携帯をいじっている原因の、ある意味神アプリ。ある意味腹立つアプリ。その名も「日本の歴史クイズ」。何故クイズ・・・。歴史年表だと有り難いのに。
私は元々あまりゲームをやらなかった。それでも携帯の中にはいくつかゲームアプリが入っていて、そのゲームカテゴリの中で見つけたのが初版ドラクエの隣にあった「日本の歴史クイズ」。このアプリを開いてみると時代別に分かれており、その中には「江戸時代」カテゴリがあった。
ちなみに、初版ドラクエはもちろん一度も攻略できていない。
「グッジョブ、当時の私。」
私はこのアプリを見つけた時、思わずそう漏らしてしまった。ダウンロードしただけで、一度もアプリを立ち上げた事はない。
喜んではみたものの、日本の歴史クイズはカテゴリ別に100問問題が出題され、5つの選択肢から答えを選ぶという物だった。見つけた当日には勿論「江戸時代」を選択してクイズに挑戦した。
一言「江戸時代」とは言っても、それは範囲が広い。広すぎる。100問適当に答えてみたけれど、その中には池田屋事件に関わる問題は出てこなかった。再度挑戦した時、1回目には出てこなかった問題が出題されていた事に気付く。だから、これをやっていけばその内池田屋事件にたどり着くのではないかと思った。それにしても・・・。
「いちいちクイズやってる余裕なんてないのに。もうちょっとカテゴリ分けしてくれてたらなぁ・・・。」
完全に自己中な考えだとは解っているけれど、思わずそう呟かずにはいられない。携帯を触っていれば触っているだけ、電池の残量がどんどん減ってくる。
土岐はため息をつくと、100問終えた所で携帯の電源を落とした。
また明日やろう。今日で3日目。そろそろ池田屋事件に関する問題が出てきても良いのに。一体何パターンあるんだ、このクイズ・・・。
翌日、土岐は思い立って木屋町は土佐藩邸近くにある「酢屋」を見に行こうと足を向けた。この頃の木屋町は材木問屋が軒を連ね、高瀬川周辺には高瀬舟の往来がまるで平成時代の渋滞した道路のように忙しなかった。
木屋町の酢屋も材木屋を営んでおり、現在は6代目酢屋嘉兵衛が当主を務めている。酢屋はこの頃大阪から伏見、京都へ通じる高瀬川の木材の輸送権を独占しており、大きな財を築いていた。その酢屋は海援隊の思想に賛同してその活動を支持、坂本龍馬は酢屋の2階を海援隊の本部として自身はその2階の西表側の部屋に暮らすことになる。それはきっと数年以内のことだ。
ここ高瀬川沿いの木屋町には木屋町通りを上木屋町に向けて吉村寅太郎、武市半平太(瑞山)、佐久間象山、桂小五郎といった、錚々たる人物の萬居が並んでいる。
土岐は平成にいた頃に友人との京都観光で、自転車を走らせ上木屋町、長州藩邸跡、土佐藩邸跡、酢屋を巡っていた。
こちらに来て1年経った頃、丹虎へ行ったときは長州の栄太郎に会った。
そんな私が木屋町近辺に来ているのを知ったら、嶋田先生には「懲りない人だ」と言われるかもしれない。
そんな事を考えながらも、私は160年先に観光で巡った場所をぐるりと見て回る事にした。
別に観光がしたかった訳じゃない。池田屋事件の事を考えるとどうもジッとしている事もできなかった。
土岐は木屋町通りを東へ烏丸通りまで行き、烏丸通りを上って三条通りまで行くと、そこから通り沿いにある池田屋を目指した。
平成時代には海鮮居酒屋「池田屋」となっている池田屋は、外から見たらどこにでもありそうな、普通の外観の旅籠だった。
ここの店主は攘夷志士を囲っていたという事で後々罪に問われ、旅籠は取り潰される。
攘夷志士がここから御池通り沿いの長州藩邸に逃げるとして、河原町通りへ出て上るか、木屋町通りを上るか。どちらにしても、それを見越した会津藩や桑名藩が待ち伏せしているだろう。
だったら木屋町通蛸薬師角にある土佐藩邸まで木屋町通りを下った方がいいのだろうか。土佐藩の浪士も何人もいたけれど、あくまでも取り締まり対象の筆頭は長州藩だ。
もし、自分が幕府側だとしたら、それを見越して土佐藩邸側にも人員を配置するか・・・。
どちらにしろ、逃走経路の確保は難しいように思う。
栄太郎は、最初から池田屋にいて新選組隊士に殺されたとも、後から長州藩邸から池田屋に向かい、その途中で会津藩士に斬られて殺されたとも言われている。
前者の相手が沖田さんだという話もあるし、小説を脚色するのにそのように言われているのかもしれない。
土岐はそんな事を考えながらも、木屋町通りを下ってゆっくりと酢屋を目指した。
9月も後半になると、午前中の早い時間はどことなく街の空気が冷たさを帯びてくる。グレゴリオ歴(新暦)では10月も後半だと思えばそれもそうかと思う。
土岐は出かける時、首に特注で作ってもらったスヌードを巻いていた。この時代、平成でいう所のスカーフやマフラーの様にして使う布はあったものの、スヌードの様に輪っかにした物はなく、絹の縮緬織りで作られた渋い色目の橙色のスヌードを作り上げた呉服屋である大丸の手代からは、しきりに不思議がられた。土岐はスヌードの端に刺繍で土岐の家紋である桔梗紋を入れてもらった。
土岐が出来上がった物を実際に店員の前で巻いて見せると、しきりにその店員は感心していた。スヌードなら、いくら動いても首から外れる事がないのだ。もしかしたら、その内この時代にもスヌードが売れられるようになるかもしれない。
土岐は高瀬川の西寄り、160年先は居酒屋の「和民」になっている所から通りを挟んだ向かいにある酢屋を見上げた。
その外観は160年先と大きく変わらないなと思う。ただし、両隣やこちら側の建物は大きく変わっているけれど。ギャラリーもあり、外観も小綺麗にされていた平成時代と比べると、酢屋の軒先には切り出された材木が積み上げられ、雰囲気は大分異なっている。ちなみに直ぐ北側には三条通りがあり、鴨川に掛かる三条大橋は東国から洛中に入る最終地点となっていた。中仙道か東海道のどちらを通っても、江戸日本橋から京都三条大橋までがその経路である。
時間帯もあってか、酢屋に出入りする人の数は多い。きっとここから大阪の方に材木を運ぶ船も出るのだろうし、大阪方面から入ってくる船もあるのかもしれない。人足が集団で出入りしたり、とにかく往来がある。こうしてみると、その中に後の海援隊の人間が紛れていたとしても気付かれにくいのかなと思った。まぁ、腰に二本差しの男がいたら十中八九その関係者なのかもしれないけれど・・・。
私はどれくらいの時間酢屋を見ていただろうか。
色々考え事をしていたし、あまり時間の感覚がわからなかった。それでも、きっと誰かにおかしいなと思われる程には店を凝視していたんだろう。
気がつくと、酢屋の方から二本差しの男がこちらに向かってやって来た。
当初、私は不思議そうにその男を見ていたけれど、その男の表情は訝しそうに私をしっかりと見据えていて、こちらに向かってくる目的は自分なのだと思い至った。
男は土岐の前まで来ると、訛りの強い口調で土岐に話しかけた。
「おまん、酢屋になんぞ用でもあるが?」
「いや、特にはない。繁盛しており、結構なことだな。」
ちょっと無理があるかなとも思いつつ、土岐はしれっとそう応えた。
「ずっと酢屋を見ちょったがはなきだ?」
何故見ていたのか、と聞いているのだろう。何故って言われても、特にこれといった答えはない。・・・坂本龍馬がもうちょっと早く動いたら、池田屋事件も起きないのかなと、そんなどうしようもない事は考えていたけれど。
「何となく、だ。特に意味はない。」
男はどうやらその答えが不満だったらしい。訝しそうに顔を見てくる。
「おまん、小太刀ば刺しゆうが、見たとこ武士ろう?」
「武士ではない。」
土岐は嫌そうな顔をすると、ぶっきら棒にそう言った。
「ちっくと中で話ば聞かせてくれんかね?」
男は素早く土岐の右腕を掴むと、土岐の顔を見て不敵に笑った。
右腕を掴まれては抜刀する事も叶わない。もちろん、刀を抜く事なんてこの先もないのだろうけれど。
きっとこれが最初からの目的だったんだろう。
だけどこれ、ちょっとした誘拐じゃないか。同意を得る前に連れて行こうとするとか。
でも、今回は何故か恐ろしさを全く感じなかった。これだけ人通りが多いところで何かある訳はないと私自身思ったんだろうか。
「手を離せ。別に私が何か悪さをした訳でもないだろう?逃げんから、手を離せ。」
土岐は不機嫌そうに男を見据えた。
私は、人の目を見るとその人が狂気を孕んでいる人か、分別がある人かは大抵判断出来ると思っている。それは30年ちょっと生きてきた経験側からだ。それを踏まえた上で、この男は面白そうにしているものの、おかしな人間ではないと思った。
男は目を細めると、ゆっくりと土岐の手を離して小さく呟いた。
「着いてきとおせ。」
「・・・ああ。」
土岐は短く言って頷くと、男に着いて酢屋の暖簾をくぐった。
男はそこで土岐に手を差し出し、土岐は腰から小太刀を抜き取ると無言で男にそれを渡した。
店の奥へ入っていくのかと思えば、男は入って直ぐ左手にある2階へ上がる階段を登ろうとした。
「ちょっと待て。店の奥で話すのではなく、私もこの階段を上がらねばならんのか?」
土岐は少し戸惑ったように男に言った。
「おまさんを連れて来いゆうた人が、こん先で待っちゅう。」
いやいやいや、待ってないって。行きたくない。何とも嫌な予感しかしない。
そもそも私はそんなに探るように見ていた訳でもない。ただボーッと。そう、ボーッと見ていただけだ。別に誰かさんに会いたかったから来たという訳ではない。そもそも、まだ海援隊は組織されていないと思ってる。
男はそう言うと、そのままどんどんと階段を上がって行き、登りきった所で迷う事なく襖を開けた。
「そこにおった男を連れて来たき。」
男は中に声をかけ、そのまま促す様に私に顔を向けた。
「はよぅしとおせ。」
男は階段を最後まで登るのをためらっていた土岐に一言そう言うと、部屋の中へと入っていった。
いっそこのまま小太刀を質にして逃げちゃおうかな、という考えが頭に浮かぶ。男が先に入室してしまったのはきっと、自分が小太刀を持っているから私が絶対に逃げる事はないと思ったからだろう。それにしても、なんだかモヤモヤするのはこれから起きる事を予感して?自分が取った浅はかな行動から?
「失礼する。」
不機嫌さを隠す気にもなれず、かと言って無言で入る訳にもいかず、短く入室の言葉を告げて部屋に入った。
この時代の家屋の中は大抵がそうだけれど、日中でも薄暗い。この部屋も格子戸が入室して右側にあるものの、部屋の中は薄暗かった。それでも、部屋の中には先ほどの男も含めて5人の男がいた。
私は部屋に入って部屋の真ん中まで進むと、そこに座った。その私を囲む様にして男達はこの字に座っていた。なんともむさ苦しい光景だ。




