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花屋町通り医院  作者: Louis
24/45

松本くん

通常その日が始まると、1日のスケジュールというものは大体決まっている。

以前から予定が入っていればそれが優先される事は当たり前だし、仕事量もトラブルさえ起こらなければ、ある程度は1日の流れを自分で予測できるものだ。まぁ、ここは急患はざらだからそれも加味して、だけれど。


それでも、例えば仕事をしていていきなり本社から社長が前触れなく来たり、「今日、そちらに行くことにしたから」と言われれば、支社支店のもの達はスケジュール調節に右往左往することになるわけだ。


別に私は支社支店で働いている訳ではないけれど。

でもきっとそれが一番近い状況だと思う。


今日予定していた仕事、一部終わらなかったし、スケジュール合わせの為に夕方の予定をキャンセルすることになった。

土岐は思わずため息をつきたくなるのを我慢して、目の前に座っている二人の男性を見つめた。

嶋田先生と、思ったよりも随分と若いシュッとした松本先生。

以前見たことがある写真は年を取ってからのものだったから、そりゃ松本先生も若い頃があったわけだ。

土岐はこの御仁には以前から会ってみたいと思っていたし、何なら「土岐さんへ」と書いたサインだって欲しいくらいだ。なのになんでこんなに気分が高揚しないんだろう。現在の医学会の超エリートで、私なんかが普通は会えない様な人物なのに。


「ところで土岐さんは、腑分け(解剖)をした事がおありか?」

良く通る声でそう言った品の良さそうな松本は、とても興味深そうな表情で土岐にそう尋ねた。


「ええ、まぁ。」

土岐はなんとも煮え切らない様子だ。


今日は本当は、お香代さんと一緒に夕刻から出かけるはずだった。

お香代からの提案で、定期的に女子会をすることになっていたのだ。


今夜の予定が突然変更されることになったのは、昼過ぎた頃だった。

幕府の御典医である松本良順の使いの者が医院にやってきて、松本医師が今晩時間を取る事が出来るので、嶋田と土岐と一緒に島原の角屋へ行かないかと突如お誘いがきたのだ。

松本医師も忙しい身であり、突然の事ながらもこちらは快諾をした。今の所、何をおいてもプライオリティーは一番高いと思われる。

例え土岐が心の底からお香代とのガールズトークを楽しみにしていたとしても。


プロ意識に欠けると言われようが、何だか今夜はご飯を食べながら腑分けの話をする気分にはならない。昔は解剖実習の合間に普通にランチを食べていたけれど、ご飯を食べながら解剖の話をするのは学生の頃で終わりにしたい。


「どちらで?」


「・・・まぁ、医学所のような所で、です。」

それに色々と突っ込まれても、答えられない。今現在、日本国内でそう何箇所かで腑分けをする場所があるわけではないのだ。絶対に怪しまれる。というか、既に怪しまれていると思う。


「なるほど。それで、腑分けをしてみてどうおもわれた?」


松本にそう言われた土岐は、思わず松本を凝視した。

一体何が聞きたいんだろう?


「どう思ったと言われましても・・・。腑分けをするのは人体がどの様になっているのかを知るのにとても大切であり、今後の臨床においても重要でしょう。人の体の中を知らなければ、人の身体を診る者としては何もできないと思います。」


「・・・ほう。」

松本が感心した様にそう言葉を漏らした。


「それで、嶋田先生からは土岐さんが縫合を見てみたいと言っていると聞いたが?」

松本はチラリと嶋田を伺うようにみた。


嶋田は松本の言葉に大きく頷いた。

「私は、元々漢方医だからな。」

嶋田が松本にそう告げた。


「ああ、はい。それは見てみたいです。私自身、無責任ながら何となく友人のやっていたことを真似ているだけですから。」


我ながら、とんでもない言い草だとは思う。平成の時代でこんなことをしていたら、間違いなくしょっぴかれるだろう。それでも、この時代では私の処置も何とか役に立っているのだ。友人の縫合練習を頭の隅に思い出しつつ、できる事はやっている、という具合だった。


私の親友は外科医だった。彼女は文句を言っていた事もあったけれど、彼女の指導医(オーベン)だった先生は縫合に細かく、通常の縫合よりも細かく丁寧だった為に患者さんからは傷痕がキレイだと喜ばれていた。結果的には私の友人も同じようにする様になっていた。ドラマなどで縫合の練習シーンが出てきたりするけれど、私の友人はスーパーでブロック肉を買って来てリアルに自宅で練習をしていた。

ともあれ縫合自体も重要だが、縫合する前の処置もとても重要だと思っている。それは出来るだけ感染症のリスクを少なくするためだ。


「ほう、ご友人は医者ですか?」


「はい。外科を専門でやっていました。」

どちらで、とは聞かないでほしい。


「げか、ですか?」

松本医師は良く分からない、という様に言った。


「ああ、えっと。蘭方医だったんですよ、私の友人は。」


「なるほど。そんなご友人が居られるなら、私の金創縫合も新しい事はないかもしれないな。」


「いえ。私の友人はもう居りません。それに、ぜひ確認してみたいのです。私のやり方が合っているかどうか。」

土岐は素直に考えている事を松本に伝えた。


「良かろう。承知した。」

松本は大きく頷くと、土岐をジッと見つめた。


「しかし、嶋田先生が他の医者に医院を任せるようになるとは思いませんでしたな。」

相変わらず興味深そうな顔をした松本は、嶋田に向かってそう言った。


「そんな事はない。それに、土岐さんは優秀なんでな。」


「それも文で何度も読みました。あなたが土岐さんを褒めるから、こうして会ってみたくなったんですよ。」

松本が呆れた様に嶋田に向かってそう言った。


いや、何。この感じ。親が自分の子供の自慢をして、それを子供が困った様に聞いてるっていうの?そんな感じ。


「それに、その様な格好をしておるが女子なのだろう?まぁ、細かい事は詮索せぬが。」

松本は土岐をまじまじと見て言った。


「まぁ、そう言えば、一応そうですね。」


「いや、そう言えばって土岐さん。女子の格好をしたら立派に女子に見えるぞ?」

嶋田先生がすかさずフォローを入れたけど、それはフォローと言えるべきものなんだろうか?女子に見えるって、見えなきゃ若先生の女装癖とか何とかきっと言われちゃうよ。

嶋田のフォローを微妙な表情で聞いていた土岐を見て、松本は豪快に笑いだした。


ひとしきり笑った松本は笑い終わると、ゆっくりと口を開いた。


「いや、すまんすまん。この嶋田先生とうまくやっておるお人だ。それに滅多に嶋田先生は人を褒めん。私は土岐さんの事はそれなりの人物だと思うておるよ。」


「それは、その・・・。」

何の拷問ですか?人生こんなに面と向かって褒められた経験もなければ耐性もない。

思わず照れ隠しで俯いてしまった。


「松本、もうそのくらいにしてやれ。」

土岐の様子に気付いた嶋田が口を挟んだ。


「おお、そうだ!!」

松本は大きな声を出すと、片手で膝をパンと打った。


「嶋田先生、あなたはまだ独り身だろう?土岐さんを嫁に貰えば全て丸く収まるのではないか?」


もう、何だかとても良いアイデアを思いつきました!!とばかりに松本は嶋田に向かってそう言った。


嶋田先生は思わずポカンとした顔をして松本先生を見た後に、ゆっくりとこちらに視線を向けると押し黙った。

何を考えているのかは読めないが、真剣な視線を向けてくる嶋田先生に私は内心不安になった。

冗談とは言え、私の様ないわく付きの人間と結婚したいと思う人はそうそういないだろう。

それに、お世話なおばちゃんみたいに近場で簡単にカップルにしようというのはやめてほしい。


「ちょっと、松本先生。滅多な事は言わないでいただきたい。嶋田先生が困っているではありませんか。嶋田先生には、こう、女性らしい方がお似合いです。それに、私は基本的に院内恋愛したいとは思いません。」


「いんないれんあい?」


ああ、この言葉も通じないよね。

「えっと、同じ奉公先で知り合ってお互い好きになり、恋仲になる、という事です。」


「では、どこで知り合うというのだ?」

松本が至極当たり前のことを聞いてきた。


「・・・さあ?」

確かに、現代では色んな場所で出会いがあるけれど、本当ここでは一体どこで出会うんだろう?


「嶋田先生、先生がうかうかしておると土岐さんが女子だと気付いた男に持って行かれますよ?」

松本の言葉に土岐は思わず眉根を寄せていた。


いやいや。そんな人が居たらお目にかかりたい。私は単なる居候だしこんな生活をしている限り、それは有り得ないから。それに自慢じゃないが、今までに一目惚れをした事もなければされた事もない。今までは大抵お互いを良く知った上で付き合ってきたんだ。それに。まだまだ平成の時代に帰るのを諦めた訳じゃない。


「それに、私だって土岐さん。あなたに興味を持っておる。あなたの様な女子に会ったのは初めてだ。どうだ、嶋田先生のところではなく、私の元に来んか?」


松本に強い視線を向けられた土岐は、更に困った様な表情をした。

それは、ヘッドハンティングってこと?現代でいうと、東大の大学病院に来いとでも言われてるんだろうか。それはちょっと敷居が高すぎる。


「そうだな。それはちと困るな。」

静かに呟かれた言葉に松本は興味深そうに、土岐は驚きを持って嶋田を見つめた。


「土岐さんは私にとってなくてはならん存在だ。その大事な人を連れて行かれるのは、確かに困る。」


えっと、それはスタッフ的な意味ですよね?


「嶋田先生、それは杞憂です。私はどこへも行く予定はないし、行くとすれば里(平成)に帰る時でしょう。それまでは、きっちりと医院で働かせて頂きます。」


「だが、あなたを好きだと言う男が現れたらどうする?・・・私があなたを好いていて、あなたも私を好きになったら?」

松本がなぜか自信有り気にそう言った。


好き?松本先生何いってんの。だから、ビジネス的な話をしてるよね?そもそも何でそこに「好き」って言葉が出てくるんだ?


「それこそ杞憂ですよ。ご心配せずとも、私があなたを好きになることはないので大丈夫です。そりゃ、高名な方だと思っていますし、嶋田先生の信頼も厚い方だ。加えて高学歴高収入高ステータス。・・・けど、世の中自分のところに来いと言われて喜ぶ様な女子ばかりじゃない事を覚えておくべきだ。」


土岐にそう言われた松本は、瞠目して土岐を見つめた。そんな松本と土岐を、嶋田も驚いた顔をして見ている。

土岐が話す言葉に若干意味不明な言葉が混じっていたものの、松本には大まかな意味は理解できた。


「こんなにはっきりと袖にされたのは初めてだ。」

松本は呟く様に言葉を漏らした。


ん?袖?この人、何言ってんの?


「では、土岐さんの中で女子とはどうあるべきか?」

依然として興味深いという表情で松本は更に問うた。


「そりゃ、色んなタイプの、っと、色んな考え方の女子がいます。もちろん、良い条件の男性と添い遂げたいと思う女子は多いでしょう。だって、そのように親から教育されて来たし、きっと生活も楽でしょう。でも、女子だって男性と同じように教育を受けて自分で自立できる道もあると思います。中にはとても頭が良く、男性よりも勉学ができる女子だっている。ただ、そういう機会が与えられなかっただけで埋もれてしまった才能も沢山あるはずだ。私は以前より自立したいと思っていたし、これからだってそう思ってる。殿方に養ってほしいとは思っていない。」


松本と嶋田はしげしげと土岐を見つめた後、ふぅと大きく息を吐いた。


「嶋田先生。本当に、この女人ひとを私のところに寄越してくれませんか?」


「そのつもりだ。土岐さんに金創の手当てを教示してくれるのだろう?」

嶋田はそう答えると、松本を睨む様に見つめた。


松本も話をすり替えられて思わず黙り込む。


「松本先生、ご教示いただけるのを楽しみにしております。」

松本と嶋田が無言でお互い見つめ合う中、土岐は嬉しそうに二人を見てそう言った。


「もちろん。私も土岐さんが来られるのを楽しみにしています。」

松本が気を取り直して笑顔を作るのを、嶋田が胡散臭そうに見ていたが、土岐は全く気が付いていなかった。


土岐は松本と会って、今まで彼に持っていた印象がガラリと変わった。

何と言っても当人はまだ若い。そして言い方は良くないが、あの松本良順には見えなかった。これから何年もかけて、きっと写真で見るような男性になって行くんだろうけれど、何ていうんだろう・・・・。ちょっと軽い。「松本良順先生」というよりは、「松本くん」って方がしっくりくるかも。


ともあれ、この出会いは土岐にとって仕事の上でも大きな出会いとなった。









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