壬生へ
約束は約束。
「良いですよ、そちらまで行きます。」と言ってしまったからには、例え会いたくない人がいようとも、行くしかない。
ーーーごめん!この間言っていたスイーツ食べに行く約束なんだけれど、どうしてもその日に外せない仕事が入ってしまったから、本当に申し訳ないけれど日にちと、できたら待ち合わせ場所の変更をしてもらう事は可能かな?
と、携帯があれば気軽に書いて日にちと本題の待ち合わせ場所の変更してもらっただろう。絶対に。
でも、今現在それと同じことをするには文をしたため、それを運んでもらい、相手からの返事をまた運んでもらい、受け取ってまた文を書いてそれを運んでもらう。
もう何だか人様にも迷惑をかけるし、何よりもそんな事をしているのがまどろっこしい。
壬生は花屋町通り医院からはたった2kmの距離だ。走れば余裕を持っても15分で到着する。
ほんと、つくづくメールのありがたさを実感する。
ほぼタイムラグがなく届くメールは近況や連絡事項をだいたいリアルタイムで送受信できる。
今思えば、魔法の様なツールだったと思う。
なんのことはない。土岐は「沖田総司と一緒に甘味処へ行く」という約束の待ち合わせ場所について悩んでいた。
「良いですよ、屯所まで行きます」と気軽に返答した。
居るかもしれない。でも、ラッキーなら出かけていて居ないかもしれない。あの2人、芹沢鴨と土方歳三。
なんで屯所で待ち合わせなんてしちゃったんだろう。
いくら後悔したところで、今更だ。
女子の格好をして出かけていたのは今から1週間前。その帰り道に運悪く2人に出会ってしまった。夜の暗闇ならともかく、お互いにバッチリと顔を見ている。
もちろん、服装も違うんだ。今日は白大島の着流しに、左腰には小太刀を刺している。会ってもバレないかもしれない。でも、バレるかもしれない。
特に芹沢鴨は医家の出だったはずだ。まぁ、彼が医術を学んだのかは定かじゃないが、背格好で女子だとバレるかもしれない。
土岐はどうしても不安をぬぐえないでいた。
「ほんと、なんでこんなに近いんだろう。」
甘味処へ行くのなら楽しいはずの道中も、待ち合わせを考えると、どうも気分がすっきりしない。
壬生川沿いを上り、それより西にある坊城通りを上れば、ほどなくして左手に壬生寺が見えてきた。
この当時、新選組は壬生の郷士である八木家や前川家に分宿していた。
土岐は一旦立ち止まり、懐から小さな手ぬぐいを出すと首周りの汗を拭う。
「しかし、今日は暑いな・・・。」
もう暦の上では9月だ。9日には重陽の節句(菊の節句)がある。
新暦だと10月に入っているのにな。そういえば、昔(平成)も10月なのに暑い日が結構あったなぁ。
土岐はふとそんなことを思った。
土岐は壬生寺を通りすぎ、左手を見ると、八木家の門前には幾つかの鉢に丁寧に分けられた白と黄色の菊の花がきれいに咲いていた。
土岐は思わず引き寄せられる様に菊に近付く。
「これは、キレイだな。」
思わず独り言が漏れた。
「キレイであろう?八木の奥方が丹精込めて育てられたのだ。」
掛けられた声に思わずそちらを見れば、そこには二本刺しに坊主頭のいかつい男性が立っていた。
この人も新選組の人・・・?
土岐はその男性に向くと、軽く頭を下げた。
「こちらに何か御用がおありか?」
男性は穏やかに土岐に話しかけて来た。
「あ、はい。私、花屋町通り医院の土岐と申す。本日は沖田さんと約束があり、こちらまで参った。」
土岐は極力初対面の人とは、普段と口調を変えて話すようにしていた。
土岐が男の目を真っ直ぐ見てそう言えば、男は何故か嬉しそうに微笑むと、頷いた。
「あいわかった。少しここで待っていて下され。沖田組長を探して来よう。」
男は土岐にそう言うと、今出て来た八木邸ではなく、坊城通りを挟んだ向かいにある前川邸の門へと入って行った。
良かった。何だか穏やかで親切そうな人だ。このまま、無事に甘味処へ早く行きたい。
土岐は菊の花を眺めながらもチラリと前川邸を確認しながら待っていた。
「お主は、ここで何をしておるのだ?」
前川邸に向いて立っていた所で、突然背中から声が掛けられた。
何とも聞き覚えのある低い声に、思わず身体が強張る。
土岐は意を決した様に、後ろに居るであろう男へとゆっくりと向き直ると、軽く頭を下げて言った。
「私、花屋町通り医院の土岐と申す。先ほどそちらから出て来られた方に沖田さんを呼びに行って貰っておる故、ここで待たせて頂く。」
そして土岐がゆっくりと顔を上げ、自分よりも高い位置にある男の顔を真正面から見上げた。
男は少し驚いた様な表情をしたかと思うと、突然、豪快に笑い出した。
もちろん、土岐には何故笑われているかがわからない。
「その様に初対面で笑うのは失礼と言うものだろう?」
土岐が思わず不機嫌そうに言えば、男はすまんすまんと言いながらも、何とか笑いをおさめる事に成功したようだ。
「わしはここの筆頭局長をしておる、芹沢鴨と申す。花屋町通り医院の若先生とはお主の事だろう?思うておったよりも華奢な人物だったのでな。失礼した。」
一体、世間での私の印象はどうなってるんだ?それにしても、目の前の人物、芹沢鴨は以前会った時とは随分と印象が違うな。この間は昼間から酒でも飲んで居たんだろうか?
「・・・いや、構わない。」
芹沢は、そんな土岐をジッと見つめていたが、思い付いた様に言った。
「ああ、そうだ。お主を若先生と見込んで聞きたい事がある。少し中で話しが出来まいか?」
「いや、しかし沖田さんの」
「なに、1日一緒に居ろと言う訳ではなし。ほんの数刻の事だ。沖田には伝える。」
芹沢は土岐の言葉を遮ると、もう決まった事の様にそう言った。
マジで強引だ。この人は今までもきっとこうしてやって来たんだろう。・・・ジャイ○ンみたい。でも、どうやらバレてない様で良かった。
「こちらだ。」
そう言って門の中へ土岐を促す様に入って行った。
八木邸は、門を入って数メートルの所に「武士用」の上がり框がある。その更に奥には、武士以外の人間が使う上がり框があった。
上がり框を上がると直ぐに一間あり、そのまま2間続き、廊下の奥にはこじんまりとした庭が見えていた。
そして2間目には2人の男性が談笑して居た。
男2人は芹沢が戻るとピタリと話すのをやめ、直ぐに芹沢の下へとやって来た。
その男2人の視線は、自然と芹沢の後ろに向けられた。
土岐は2人に向かって軽く会釈をする。
「芹沢さん、こちらは?」
1人の男が芹沢に問う。
「花屋町通りの若先生だ。」
「土岐と申します。」
土岐は男2人に向かって改めて頭を下げた。
「私は、平山という。」
「私は平間だ。」
二人の男が土岐にむかって軽く頭を下げてそう名乗った。
「平間、ちょっと沖田に若先生を借りると伝えてきてくれ。」
言われた平間は一瞬怪訝な表情をしたが、「わかりました。」とだけ応えると、置いてあった草履を履くと八木家の門を出て行った。
この人は言葉が足りない気がする。だいたい、さっき沖田さんを探しに行ってくれた人もいるのに。今の芹沢さんの言い方だと、何かと誤解されそうな気がする。まるで拉致られたみたいじゃないか。まぁ、有無を言わさず連れてこられたからそうだとも言えるけれど。
土岐は一番奥の間まで通されると、芹沢と対面して座った。
そのまま小太刀を自分の左側に置く。
平山が少し離れたところに控えた。
間もなく、女性がお茶とお茶請けを持ってやってくると、土岐と芹沢の前にそれを置いた。
「すまん。」
「ありがとうございます。」
芹沢と土岐が同時に女性に言った。
そのまま平山の前にも茶を置く。
女性はチラリと芹沢を見ると、興味深そうに土岐を見てから「ごゆるりと」とだけ言って立ち上がる。
土岐はその女性が部屋から出て行くのを目で追っていた。
「八木家の奥方だ。」
芹沢が土岐の視線を見てそうい言った。
ーーー突然押し掛けてきた浪人達を受け入れ、食事から身の回りの世話まで全てをやらなければならなくなった八木家の苦労は相当なものだと思う。自分には絶対に出来ないだろうなと、土岐は感心しながら女性を見送った。
「ところで芹沢さん、私に何か聞きたい事があるのだろう?」
土岐は時間を気にして直ぐに本題に入った。
「ああ、そうだ。若先生はわしを見て、どう思う?」
「芹沢さんを見てどう思うか?それは身体についてですか?それともあなたの事で?」
診察をした訳でもないのに。それとも視診で何か分かるか、ということだろうか。
そう言った土岐を見て、芹沢が楽しそうにニヤリとした。
「ほう、わしの事は何と思う?構わんから有り体に申してみよ。」
「・・・そうですね、世間でのあなたの評判は良い事を全く聞かない。むしろ、噂が正しければやっている事が横暴だと思う。きっとお仲間にも迷惑をかけているだろうから、もしかしたらその内お仲間に寝首を掻かれるかもしれませんよ?」
土岐は緊張しながらも、思っている事を淡々と口にした。
「貴様!!有り体とはいえ、無礼であろう!!」
控えていた平山が片膝を付いて立ち上がろうとした。
直ぐさまそれを芹沢が手を上げて制する。
「ただ、先ほど会ったばかりだが、私にはあなたが何も考えていない人間には見えない。あなたが横暴な振る舞いをしなければならない原因が、きっと組内部にあるのだろうし、それをさせている周囲にも問題があるのかもしれない。得てして噂とは、物事の一方向からの物の見方だけ広まってしまう事が多く、その裏にあるものは語られない。」
芹沢鴨と言う人物は、とても多面的な人物だと思っている。人間はもともと多面的なものだけれど、この人の場合はそれが極端だと思う。もちろん、持って生まれた短気な性格が誰からも制御されていない事によって前面に出ているのだと思う。この人が八木家の息子さん達に絵を描いて遊んでやったり、息子さん達が懐いていたり、八木家のお葬式の際には進んで弔問場に立ったり。全くの暴君ではなく、気を使う事も出来た人だった。
「ほぉ。お主は面白い事を言うのだな。」
芹沢は楽しそうな表情をして言った。
「私の考えを有り体に言ったまで。それで?身体は何かあるのですか?」
土岐は早く終わらせたいとでも言う様に聞いた。
「近くの医者へ行ったらな、瘡毒だと言われたのだ。」
「!!・・・芹沢さん!!」
平山が驚いた様に芹沢を見た。
「平山、他言無用だ。」
芹沢が平山を睨みながら言った。
「見たところ、腫瘤もなければ顔や頭には発疹は見られないが。」
そう言いながら、土岐は芹沢に近付くとおもむろに両手を耳の下に伸ばした。
芹沢が何かを言いかけようとしたが、土岐の真剣な目に思わず口をつぐんだ。
「手足の裏や全身に赤い発疹が出たことはあるか?身体の怠さや関節の痛みは?」
言いながらも頚部リンパ節を順に触診する。
「今はないが、時々怠さや関節の痛みがある。発疹も、今は大体消えておる。」
「なるほど。ちょっと上半身を脱いでくれ。何時からその症状が出たのだ?」
「もう1年ほどになるか。」
言いながらも芹沢は着物の合わせを開くと、両方の腕を抜いて上半身を出した。
土岐はそのまま背中側に回ると、背中の状態を確認した。
「確かに、瘡毒の症状と一致するが。瘡毒から来る身体の不調は注意力散漫にもなるし、症状が現れている時は気分が常に優れない。発疹が特徴的でまず間違う事はないだろう。今のあなたを見る限り、リンパ節の、首のここの腫脹や以前あった症状から判断するなら、その医者の見たて通り、瘡毒で間違いない。」
土岐は自分の首を指差しながら、芹沢の目を真っ直ぐに見てそう言った。
「そうか。」
着物を戻しながら静かに呟かれた言葉に、少しの諦めにも似たニュアンスを感じた。
「・・・昇汞液と言う、まぁ、確か0.104%だかの塩化第二水銀を服用する事で完治すると言う話もあるが、まず正確な服用は無理で、容量を間違って水俣病になるだろうな。」
「言っておる意味が解らぬ。」
そりゃ分かんないよね。私も昔何かでそんな事をちょろっと読んだことがあるだけだ。この人が昇汞液の名前を聞いたことがあるなら、とも思ったけど・・・。
「すまない。私にはどうにもならん。」
少し沈んだ気持ちでいると、外で何やら言い合う声が聞こえ、芹沢、平山と土岐が外に視線を向けると、元気の良い大きな声が聞こえた。
「土岐先生ー!大丈夫ですか?!私、もう待ちくたびれました!!」
「これっ、沖田組長!!」
沖田の言葉に思わず平間がつっこみ、沖田を呼びに行ってくれた男が困った顔をして立っていた。
「すまなかったな。」
芹沢が土岐と沖田を見てそう言った。
「いえ。お力になれず。」
土岐は芹沢を見ると眉尻を下げた。
「ああ、そうだ。ちょっと待っておれ。」
芹沢はそう言うと、置いてあった葛篭を開けて中から何やら取り出すと、それを手に取って土岐の前に差し出した。
「受け取れ。診察代だ。」
「?」
土岐がゆっくりと手を伸ばすと、芹沢は布で包まれている物を土岐の手に乗せた。途端にズシリとした重みを感じて焦る。
「これは?」
土岐が芹沢を見ながら聞いた。
「わしが持っておる鉄扇よりも、随分と小ぶりだがな。開けてみろ。」
言われて土岐が布を開ければ、中からかなり華奢な鉄扇が出て来た。
「・・・これ、どこぞの女子の為に作ったのではないのか?」
その細工の細やかさが、どうしても男物とは思えない。
土岐がそう言うと、芹沢はいたずらな顔をしてニヤリと笑った。
「ああ、そうだ。別の女子に渡そうと思っていたんだがな。・・土岐先生。お主が持っておれ。鉄扇は部屋の中では刀をも防げる。」
土岐は芹沢の言葉に思わず目を見開いた。
「芹沢さん。」
芹沢は、私が女子だと気付いている!
一瞬ヒヤリとした感覚があったが、それもこの人物の顔をみたら大丈夫だと思えた。この人は、無闇矢鱈に言いふらす様な人じゃない。
「有難く、受け取ります。」
土岐はそう言うと、鉄扇を帯に刺した。
小太刀を取り、ゆっくりと立ち上がる。
上がり框では、沖田と平間、坊主頭の男が座っていた。
「用事は終わったのですか?」
沖田が土岐を見上げて言った。
土岐は頷くと、足に草履を引っ掛けた。
「ではな、若先生。」
芹沢が出て来て土岐に声をかける。
「ああ、芹沢さんもお大事に。酒の飲み過ぎと、私が言った事、気をつけて。」
「ん?」
「寝首をかく。」
私がそう言えば、隣の沖田さんが訳が解らないという顔をして私を見た。
芹沢さんは、呆れた顔をして私を見ていた。
それから2週間もしない9月16日の雨の夜、この時私の隣にいた沖田さんを含む、土方歳三、山南敬助、原田左之助の4人が八木家で寝ていた芹沢さん、平山さん、平間さんとそれぞれ同衾していた女性3人を奇襲し、平間さんと女性2人以外の全員が惨殺された。
私はと言えば、もちろんこの事件を知っていたけれど、相変わらずその日にちまでは覚えていなかった。




