Unexpected Impact
私は友人と一緒に京都へ旅行に来ていた。私の友人はいわゆる歴女で、今回の旅行は「幕末めぐりツアー」だった。だからと言ってツアーに参加していた訳ではなく、友人のプランのもと必死に自転車をこぎながら、幕末の史跡を廻っていたのだ。
私はと言うと、彼女程の歴女ではない。ただ、幕末という時代に興味があり、人物や歴史的流れを知っているという程度だった。人物に関しても、有名ではない人物でも知っている人も居たし、逆に有名でも知らない人物も沢山いた。
紅葉の季節だった京都は沢山の観光客に溢れていた。それでも私達は紅葉には一切目もくれず、ただひたすらに史跡を廻っていた。
廻っていた、はずだった。
私達は島原の角屋を見学した後、そのまま大門を出て東西にのびる花屋町通りを東に向かっていた。
そんな折、友人が突然進路を変えて北に曲がったため、私は焦って彼女の後ろを追いかけて左折した。
そこで着物を着た男性が突然眼前に飛び出してきた為、私は避け切れずに自転車ごと思いっきりすっ転んだ。
強い衝撃とともに身体に痛みが走る。自転車に乗っていて転んだのなんて、小学生以来かもしれない。
「ったぁ・・・。」
思わず声が漏れると共に、急に目の前に飛び出してきた人物にすこし腹立たしさを覚える。
何でわざわざ自転車の前に飛び出して来るかな。
ゆっくりと顔を上げた私の前に、着物を着た男性が驚いた表情で立っていた。
「すいませんでした。怪我はありませんか?」
内心の不本意さを隠して、私は男性に尋ねた。
そんな私を相変わらず驚いた眼差しで見つめる男性に、私は自然と眉間にしわを寄せていた。
なに、この人。人が謝ってるのに、何で何も言わない訳。っていうか、何をそんなに驚いているんだろう?
私の隣には、自転車と旅行鞄が転がっていた。
驚いた顔をしていた男性は、ハッと我に返ると周囲を見回した。つられて私も周囲をみる。
そこには角を曲がったはずの友人の姿はどこにも無かった。
そして私に奇異なものを見るような眼差しがいくつも突き刺さる。
何なの、一体。
男性は驚きから立ち直ると、よく通る声で言った。
「ここは目立つ。その、そこの荷車の様なものと荷を持って付いてきなさい。」
荷車、って、自転車のこと?
私は自分が置かれた状況に訳が解らず、言われるままに自転車を起して荷物を籠に入れると、直ぐに男性の後に付いて行った。
何だか人々の視線が痛い。
なぜか背筋に薄ら寒い様な感覚を感じると共に、やたらと心臓の鼓動を大きく感じた。
500mほど東に歩いたところで屋敷の門の前で止まった男性は、おもむろに振り返ると急かすように私に門の中に入る様に言ってきた。
私は男性に続いて自転車を持ちあげて敷居をくぐると、入ってすぐの所に自転車を停めた。
そこにはかなり小さいながらも良く整えられた庭。そして建物の入口には「医院」と書かれた小さな木板の看板が掲げられていた。
私はカバンを持つと、そのままお屋敷のような建物の中に促され、訳も分からずその男性に着いて行った。
ある部屋に入ると障子を閉められ、向かい合う様に座らされた。
「さて、あなたにはいくつか質問がある。」
男性は真っ直ぐに私を見ると、おもむろに話し始めた。
「はぁ。」
私は曖昧な相槌を返した。
質問したいのはこっちなんですけど、と言う言葉を飲み込む。
「その、面妖な着物は初めて見るし、異国の着物のように見える。・・・あなたは異国から参られたのか?」
目の前の男性が言った面妖とは、ダウンジャケットに細身のパンツ、持っているカバンだろうか。だいたい異国って・・・。
私が黙っていると、男性はさらに質問を続けた。
「それにあなた、もしやと思ったが、女子であろう?なぜその様な頭をしておるのだ?」
そのような頭と言われても、私の髪はこのところずっとショートだ。それのどこが悪い。
よく理解できない状況と、この男性の言葉にだんだんとイライラが募った。
「その前にですね、何であなたは自転車の前に飛び出して来たんですか?いくら自転車だからって、酷い怪我をすることだってあるのに。」
男性の質問にこたえる事なく思っていた事を口にした。
「突然出てきたのはあなただろう?私はただ、歩いておっただけだ。」
何を言っているのか?という様に男性がいう。
私はその言葉に思わず口を閉じた。
全てがおかしい。アスファルトではない道路。車も全く見当たらない。それにここに来るまでに見た人達の服装は全て着物。この目の前の人物の喋り方。先ほどから背筋がうすら寒くなったのは何も間違えではなくて、現実に起きたことを身体が認識したからなのかもしれない。
それを認めたくはないけれど、もしかしたら私は、某脳外科医のお話しよろしく迷い込んでしまったのかもしれない。
「それは、申し訳、ありませんでした。」
不承不承で謝る。
何となく頭で考えていた事に、段々と恐怖を覚えてきた。自然と顔が青ざめてくる。
私は無意識に自分の身体を両腕で抱きしめた。
「どうされた?身体の調子でも悪いのか?・・・私はこう見えても医者でな。」
私はそう言った男の顔をマジマジと見つめた。若くもなく、歳をとっている訳でもない。着ている着物は落ち着いていて小綺麗だ。やけにその格好が板についていて、この男性の品の良さを引き立てている。
この男は自分の事を医者と言った。でも、こんな格好をして仕事をする医者は今までに見た事がない。
「あなたは、・・・・。」
相手の名前を聞こうとして、まだ名乗っていない事に思い至った。
「私は、土岐と言います。友人と京都観光をしていたのですが、その友人とはぐれてしまいました。・・・周囲は何だか町の様子も様変わりしていて、よく訳もわからないまま今に至ります。私は自分が方向音痴だと思っていないのですが、ここの前の通りは花屋町通りなんでしょう?」
私は花屋町通りを真っ直ぐ東に自転車に乗っていたから、半ば確信を持って男性に聞いた。
「その通り、ここは花屋町通りだよ。」
男性は当たり前だと言う様に言った。
「で、あなたはここの医院で医者をしている、と。」
その言葉に男性は肯定の意で頷いてみせた。
「私は、この花屋町通りで医院をしておる漢方医だ。あなたは異人ではなく、この国の人のようだね・・・。京都の人ではないのだろう?」
私の話す言葉を聞いて、この男性は私が日本人だと判断したんだろう。
「ええ。」
私は頷きながらも肯定した。
「そうか。あなたは知らぬかもしれんが、近頃、京都の街も物騒になって来てね。徳川様に楯突く輩が多くなってきた。特に不逞浪士が増えだしてからは、私の医院も何かと忙しくてね。」
徳川様、不逞浪士という単語に、私はほぼ確信めいた結論に至った。
ここは平成の現代ではない。ここは、きっとリアルな幕末だ、と。
そう考えると、先ほどここまで歩いてきた時に感じた視線も町の様子も目の前の人物の事も全てが納得行く気がした。
なぜ?とか、そんな事が本当に起きるのかとかは関係なかった。
ただ、そういう現実に直面するしかなかった。
そしてこの人物こそが、私が現在もお世話になっている花屋町通り医院の医師であり、私が若先生と呼ばれるようになる頃から大先生と呼ばれるようになった嶋田先生だった。