壁ドン
タイトルを「He stretched his arms to the wall to place me between those arms, in order to coner me.」から変えました。
夜遅く帰宅して、異性の友人を数人連れて両親の住む家の自室へ入る、というシチュエーションを想像してみて欲しい。
心のどこかで両親が起きていたらどうしよう?などと考えてしまうかもしれない。
もちろん、そこにやましい気持ちが一切なかったとしても。
まぁ、こんな事は滅多にない訳だけれど。
きっと明朝には嶋田先生、お香代さんや松吉さんも知る事となるだろうが、何だか悪い事をしている様な気分になるのは何でだろう?
「こちらだ。足元に気をつけてくれ。」
廊下を渡り、少し段差を上った中庭に面した廊下沿いに土岐の部屋はあった。
部屋に入れば白檀の香りが鼻をかすめる。
土岐は慣れた手付きで机の上に置かれている行灯に火を灯すと、小太刀をその机の上に置いた。
8畳程の部屋には着物を入れる箪笥の他に背の高い机が置かれ、椅子も置かれていた。小ぶりの本棚には、一段を埋め尽くす本がキレイに並べられており、その下には茶器が並べられ、小ぶりの湯のみ茶碗が並べられていた。その本棚の上には香炉がある。
部屋の奥の壁側には寝台が置かれ、そこには端切れや綿花を入れて作られた着物の端切れのパッチワーククッションも置かれていた。
土岐は部屋の奥に立てかけてある木で作られた折りたたみ式の丸テーブルを取り出すと、部屋の真ん中に広げる。そして新吉に貰った酒瓶と包みを取り出した。
「刀置きは3振りしか置けないから、大刀を置いてくれ。小刀は、・・・机の上にでも置いてくれないか?」
土岐がそう言えば、3人の男は左腰からそれぞれ刀を外すと土岐に言われた様に刀を置いた。机の上は小刀でいっぱいだ。
そして、3人は床に座るとそのまま折りたたみテーブルを囲む。
「何と言うか、土岐先生の寝所はかなり変わっておるな。」
辺りを見回していた吉田が静かに口を開く。
「ああ、見たこともない文机に寝台。・・・それに香炉とは、まるで女子のようだな。」
有吉も辺りをキョロキョロしてみている。
いや、まるでって言うか、そうなんだってば。
久坂に至っては、色々と準備をする土岐を見据えていた。
「そうだ、私は浴衣に着替えるが、皆さんはどうする?私のもので良ければお貸しするが。」
「そうだな。貸していただいても良いか?」
吉田がそう言うと、有吉も後に続いた。
「私はこのままで構わん。お気遣い感謝する。」
久坂がそう言って断ると、土岐は両肩をすくめた。
「久坂さん、着物と袴、シワになっちゃいますよ?」
土岐がそう言えば、久坂は承知している、という様に頷いた。
「では、私は着替えて来ます。先に始めていてください。そこの湯のみを使って頂いたら良いので。」
そう言うと、土岐は浴衣と手ぬぐいを持って部屋を出て行った。
通常は、こういう準備は家人がするものだと言う事をイマイチ土岐は解っていない。親しい間柄ならともかく、だ。
土岐が部屋を出て行った事を確認すると、久坂はおもむろに立ち上がり、土岐の本棚の前へ行くとその中の一冊を適当に取り出した。
「おい、久坂。何をしておる。」
吉田が咎める様に久坂に言った。
「湯のみを使ってくれと言っておるのだ。同じところにある本を触ったところで問題なかろう?それに土岐先生の読み物だからな。同じ医者として気になる。」
そう言いながらも久坂はページをめくる。
「先生が戻ってから見せて貰えば良かろう?」
今度は有吉がそう言った。
言っても聞かない久坂に諦めた視線を送った二人は、袴と着物を脱いで土岐から借りた浴衣に袖を通し、手早く着替えた。
二人は着ていた着物と袴を畳むと、部屋の隅に重ねて置いた。
その間久坂はペラペラとその本を捲っていたが、硬い表情をすると、その本を閉じる。
「どうしたのだ?何が書いてあった?」
久坂の変化に気付いた吉田が久坂に声をかけた。
「・・・多分、腑分けの教書だと思うが。」
「たぶん?」
有吉が久坂の言葉を訝しがる。
「何が書いてあるかは、さっぱり解らぬ。」
「Human Anatomy」と内側に書かれた本は、土岐が覚えている限りの人体解剖の知識と名称を書き込み、残念な画力ながらも何となくそれと解る様に絵を描いていったものだった。
ーーーどういう事だ、これは?何故土岐先生がこの様な文字の本を持っておる?
先生は、横浜のエゲレス人医師のところで学んだとでも言うのか?
廊下に足音がして、土岐が部屋へと戻って来た。
髪の毛を後ろでひとまとめにし、浴衣に着替えた土岐はかなり雰囲気が違って見えた。
「あれ、どうされた?先に酒を飲んでもらっていたら良かったのに。」
部屋に漂う何とも妙な雰囲気に、土岐は首をかしげた。
「土岐先生。あなたはエゲレスの何をご存知なのだ?」
久坂が唐突に土岐に聞いた。
「は?何の話なんだ?」
土岐は良く分からず、吉田や有吉に視線を向けた。
そしてふと、久坂が持っている自分で書いた人体解剖の冊子に目が留まる。
「ここにある本やロンドン留学の事だ。先生は角屋で言っておっただろう?なぜ先生は、知っておる?」
久坂のその言葉は、吉田や有吉には理解できなかったようだ。
「何を訳のわからぬ事を言っておるのだ?先生が何を知っておると言うのだ?」
吉田が訳が解らない、という風に久坂に聞いた。
「角屋で先生が何を言っておったのだ?」
有吉もそれが気になるらしい。
土岐はその様子にため息をつくと、本棚に置いてある湯呑茶碗を4つ取りだした。それを持って吉田と久坂の隣に座る。
そしてそのまま酒の瓶を開けて湯呑茶碗に注ぐと一つ一つを皆の前に置いていく。
そのままつまみの包を開けると、小さい重箱の蓋を開いてテーブルの真ん中に置いた。
「よし、出来た。若干一名着替えていないが、ま、パジャマパーティーのノリだな、これは。」
「ぱじゃ・・・?なんだ、それは?・・・それより、久坂は先生に何を聞いておるのだ?」
吉田が気になって土岐に聞いた。
「その前に、家飲みの礼儀作法だ。皆、湯のみを持って。」
男3人は納得が行っていない様子だが、しぶしぶと湯のみを持つ。
「では、それを掲げて・・・、そう。じゃ、かんぱい!」
乾杯の音頭を取っても他3人は「かんぱい」を言わなかったが、知らないものは仕方がない。
土岐は湯のみに注いだ酒を一気に飲み干した。
他3人も、土岐の見よう見まねで飲み干す。
「角屋で、今夜はもう飲まんと言っておらなんだか?」
有吉が思い出した様にボソリと言った。
「家飲みは別だろ。ここなら、何時でも好きな時に寝られる。」
土岐の中では道理が通っているらしい応えに、有吉は呆れながらも空になった湯のみに酒を注いだ。
「それで?」
目の前の久坂が土岐を見据える。
「利助。今は、俊輔?他にも4人、行ってんだろ?ロンドンに。」
「おい、俊輔とは、あの俊輔か?」
吉田が土岐と久坂を見る。
久坂は目を細めて土岐を見つめた。
「あんたらは、攘夷思想で暴走している。だが、藩の中ではそれではいかんと思う者たちがいるはずだ。だから、幕府に内密で長州からエゲレスに留学に行かせたのだろう?」
土岐は久坂を見ながらそう言った。
「土岐先生は、何を訳の解らぬ事を言っておる。そもそも我ら長州がそのような」
「どこからその話を聞いたのだ。」
有吉の言葉を久坂の低い声が遮った。
「エゲレスのウィリス医師、と言えば納得するか?」
土岐が、真っ直ぐに久坂を見ながらそう言った。
もちろん、土岐は横浜に在駐しているウィリス医師とは面識がないので全くの嘘だ。
「やはり、そうか。」
久坂は一人納得したように息を吐いた。
あれ、意外と素直に信じちゃったよ。
土岐は内心驚いた。
「待て。どういう事か説明しろ、久坂。」
吉田がテーブルに身体を乗り出した。
「土岐先生の言った通り、伊藤俊輔、井上聞多、山尾庸造、野村弥吉、遠藤謹助の5名は藩の威信をかけて5月にエゲレスへと向かった。」
久坂が吉田をみてそう言った。
「だが、奴らの中の3人は、昨年12月に御殿山のエゲレス公使館に火を放ったのだぞ?!」
有吉が思わず大声でそう言った。
吉田と久坂が咎めるような視線を有吉に送る。それは対外的には秘密になっている事だ。
「ちょっと、熊さん。もっと声を小さくしてくれないか?」
土岐が迷惑そうに有吉を見る。
「いや、しかし」
「もう良い、有吉。大体の事は理解した。」
吉田は苦々しそうに低く呟いた。
ーーー久坂とは違い、藩の重役達は、我ら軽卒にはそれすらも知らせなかったと言う事だ。攘夷断行は今や藩の目標と致すところ。だが、裏ではエゲレスの力が必要だと判断したのだ。それほどまでに我らでは太刀打ち出来ぬという事か。・・・私ができる事は、ただ藩の意思に沿うよう動くことだ。
「わしは、納得できん。」
有吉は苦しそうに呟く。
きっと彼も、自分の立ち位置とやるべき事は理解しているんだろう。
「ほんとに複雑だよな。問題はシンプルなはずなのに。・・・けどさ、この国はあんたらの殿様や幕府が思っている様に、開国しか道はないんだよ、実際。時代の方向を見誤ったら後々天地ほどの差ができる。」
重々しい会話の中で、土岐は軽い口調でそう言った。
「だいたい、あなたは一介の町医者だろう?我らの藩の、日本国の何が解ると言うのだ?」
有吉は消化できないモヤモヤを土岐にぶつける。
土岐はただ、肩をすくめてみせた。
「土岐先生、あなたはまだそれほど親しくない我らを自らの屋敷に上げたのだ。藩の機密を知っているあなたは、ともすればここで我らに殺されるかもしれん。」
久坂が落ち着いた口調でそういった。
「それは、大いに困る。」
土岐は隣の久坂から離れる様に後退る。
有吉も吉田も、そんな土岐をジッと見ていた。
久坂はゆっくりと膝立ちで土岐に迫る。
トン、と土岐の背中が壁にぶつかる。
久坂は読めない表情で土岐の眼前に迫ると、土岐を逃さない様に両手を壁に着いた。
おい。ちょっと待て。
それを男と思ってる私にやるのか?
世の女性は羞恥と期待で、きっとドキドキが止まらないシチュエーションかもしれない。
私だって、三十路まで生きて来てリアルでこんな状況に陥るとは思ってもみないよ!
いわゆる「壁ドン」。
胸がドキドキする。背筋に変なゾクゾク感を感じる。
だがそこには甘い雰囲気など微塵もなく、恐怖から来るその感覚に、変な汗が出て来た。
なるほど、と思って読んだ記事から。
壁ドン(Kabe-don), where a boy stands a girl against a wall and slams it with his fist to show that he's all hot and bothered by the mere thought of her.
で、もう一つ。
あごクイ(Ago-kui), the cupping of the girls's chin, again to make a statement that she is his, all his and he will never let her go.
The definition was from The Japan Times, the article "It's the season of love: Won't someone please grab hold of my chin?", by Kaori Shoji. Feb.15th,2016.