嶋原の角屋にて 2
「そやし(だから)、せんせは女子に人気がおます。あんさんと違うて、うちらの心をよう解こうてくらはりますのんや。」
菊野にそう言われた吉田は、なんとも言えない顔をした。
ーーーそりゃ、同性だからこうして欲しいだろうな、って事は分かるんだよ。それが裏目に出ていたのか。
「土岐先生は、どちらかに心に決めた女子でもおられるのか?」
今まで黙っていた久坂が土岐を見ながら聞いてきた。
「いえ、私にはその様な方はおりません。なにぶん、忙しい毎日を過ごしておるので・・・。」
仕事が忙しくて恋愛してる余裕はないと言い訳をしてハタと気付く。
ちょっと待て。
それはまずいんじゃなかろうか。
最後に彼氏がいたのはここに来る半年前だったような。
そう、「お前は俺が居なくても生きていけるだろ?」とフラれたのは確か幕末に来る半年前だ。
私、今後もどんどんアラサーから遠ざかっていって、今度は数年もするとアラフォーと呼ばれる年齢に突入するわけだ。
なのに。なのに彼氏の一人も居ないって言うのはどうなんだろう?
「私には仕事がある!」っていう人間には絶対になりたくないと思ってた。それが、いくら言い訳とは言え今現在自分が置かれている現状はその言い訳となんら変わらないんじゃないか?
「だったら、たまには肩の力でも抜けばよろしかろう。女子は良いぞ?好いた女子でなくとも・・・。」
目の前の久坂が、まるで説くような口調で言う。
例えそれを「男」に置き換えたとしても、それはちょっと無理な事だと思った。誰でも良いという訳ではないんだ。
そういえば、三十路まで生きてきて気付いた事がある。
それは以前、周囲にいる男友達を見ていて思った。友人付き合いをしている中で、何人かは女性付き合いが派手だった。そんな彼らは同時に数人の女性と付き合っていたんだけれど、とにかくマメなんだ。そして、得てしてこういう男に限って仕事も出来た。時間の使い方が上手いというか、よくそんな事が出来るもんだと呆れた事があった。それに、風俗通いにハマっているやつもいたっけ・・・。
もちろん、一途に一人の女性を想っている友人もいた。
きっと幕末も、そう言ったところでは平成の世の中と大差ないんだろう。
「久坂さん、申し訳ないが私は女遊びは好きじゃない。誰か好きになった人が出来るまで、そういうのは遠慮するよ。」
「かたいのぉ、先生は。こんな世の中だ。いつ死ぬとも限らんのに、女子と遊ばねばやっておれん。」
有吉が呆れた様にいう。
「お堅くて結構。そういう事は人それぞれだ。」
「ほんに、おもろいお人やなぁ、菊野はん。」
久坂と有吉の隣にいた芸妓が初めて口を挟み、口に手を当てて微笑んだ。
「へぇ。そやからあきまへんのんや。」
菊野はゆっくりと頷くと、チラリと土岐の横顔を見た。
「まぁ、とにかく、そう言う事なんで。菊野さん、ごめんなさい。」
土岐は菊野の向き直ると、がばりと頭を下げた。
内心は色々と凹んでいる。
「いややわあ、せんせ。せんせは悪ぅおへんえ。」
土岐が顔を上げれば、困った顔をした菊野がこちらを見ていた。
「まぁ、芸妓に頭を下げるのは、早々出来る事ではないな。」
吉田が感心したように言う。
話ながらも酒を飲み、食事をしていた面々はほどほどに気分が良くなっていた。
「さて。では、ちょっと雪隠まで行ってくる。」
土岐は少し酔い覚ましをして来ようと思った。
「あぁ、そうだ。今宵は浪士組の皆さんもここにいるようですよ。」
立ちながら土岐が言うと、男3人はなんとも言えない嫌そうな顔になった。
「知っておる。先生も、気を付けてな。」
久坂が視線を鋭くして土岐に言った。
「いや、気をつけるも何も、私は一介の町医者だからな。倒幕も尊王攘夷も興味がない。」
やはり何でもない事の様に土岐は言って、そのまま部屋を後にした。
吉田と有吉がぽかんとした顔をする中、久坂は1人、読めない表情をしていた。
「あの様に。我らが決死の覚悟を持って倒幕や尊王攘夷をうたっているというのを、先生はわかっておるのか?!」
有吉が信じられないという具合に久坂と吉田に同意を求めた。
「まぁ、何と言うか。あの人は我らの同志ではないからな。きっと本当に興味が無いんだろうよ。短い付き合いではあるが、先生は少し見ているものが違う気がする。そのように言われても、不思議と腹が立たん。」
吉田は土岐が出て行った障子戸を見ながら言った。
「そうだな・・・。あの人には、何故かわしらの知らん事が見えておるのかもしれんな。」
吉田も知らんエゲレス留学の事を、一体どうやって知ったのか。
久坂が土岐に色んな意味で興味を持ったのは当然のことだろう。
土岐は中庭に面した柱に身体を預けると、帯に挿していた扇子を取り出してゆっくりと扇ぎだした。
平成の世の中よりは涼しい気がしないでもないけれど、京都はやっぱり暑いんだな。
こんなにエアコンが恋しくなるとは思ってもみなかった。ここに人が居なかったらブラトップにでもなりたい気分だ。
あっついなぁ・・・。
土岐は周囲を確認し、自分の襟元を少し緩めると、ゆっくりと扇子で扇いだ。
空には満点の星空が広がっている。
「・・・Twinkle twinkle little star...how I wonder what you are・・・。」
自然とキラキラ星の歌詞が出てくる。
雪隠の帰りに廊下を渡ってみれば、柱に寄りかかっている人物が目に入った。
思わずピタリと足が止まる。
釣り行灯の光に照らされた表情が何となく物憂げに見え、襟元を少し開けて扇子で扇ぐ姿が、何とも扇情的に見えて思わずゴクリと喉が鳴った。
しかし全体像を目でとらえれば、一気に高まった気持ちは霧散する。
ーーなんだ、男じゃねぇか。紛らわしい。
思わずその優男を睨めば、不意にそいつが気付いた様にこちらを向いた。
大抵の野郎は、俺が睨めばそそくさと立ち去る。
そいつはゆっくりとした動作で襟元を整えると、扇をパチリと閉じた。
「凄く星が綺麗ですよ。山でもないのに流れ星まで見えるんだな、ここは。」
そう言ってまたゆっくりと空を仰ぐ。
ここには俺しかいないから、その言葉はきっと俺に言ったんだろう。
「星なんざ、京も江戸も変わらねぇよ。別に珍しいもんじゃねぇだろ。」
何となしに付き合ってそう応えれば、「そりゃそうか。ここじゃ当たり前か。」と独り言の様に男が呟く。
「なんだ、あんたは京の人じゃねぇのか?」
「ああ、今は京に住んでいるが、出自は尾張ですよ。そう言う兄さんは江戸辺り?」
「ああ、武蔵だ。」
「へぇ、武蔵か。一度は今の江戸にも行ってみたいもんだ。」
「江戸は良いぜ?京も趣きがあるが、江戸は何といっても公方様が治めておられる土地だ。」
「そうだな。城は観てみたいな。」
そこまで話していると、ドスドスと足音がして男がやって来た。
隣の男と土岐の前でスッと頭を下げてから焦った様に声をあげた。
「良かった、こちらにおられたんですね!・・・・、って、土岐先生?!」
一瞬驚いた表情をした男が土岐を見て驚きの声を上げた。
「ああ、お久しぶりです。奥沢さん。」
土岐はそんな奥沢に微笑みながら挨拶をする。
そんな奥沢と土岐を、すぐ隣に立つ男が興味深そうに見ていた。
奥沢が、ハッとした表情をして男に向きなおると、小声で短く続けた。
「・副長。局長が。」
「ちっ。ったく、どうしようもねぇな。あの人は。」
一気に不機嫌そうになった男はチラリと土岐を見た。
「・・・じゃあな、先生。」
そう一言を残すと、男は振り返る事なく廊下の奥へと消えて行った。
「ねぇ、奥沢さん。」
「はい。」
「今の人、副長さん?」
「はい。」
ーーー土方さん?・・・とは聞けないけれど、暗がりの中ではっきりと顔は見えなかったものの、今の彼は私の中の山南さんのイメージではない。
「今日は、どこの間を使ってるの?」
「は?扇の間ですが?」
奥沢が怪訝な顔をした。
「沖田さんが来てるなら、ちょっと挨拶を、と思ってね。・・・奥沢さん、私の事沖田さんに話しただろ?以前、祇園社で沖田さんに会った時にね。」
土岐は奥沢にかまをかけてみた。
「いえ、私はただ土岐先生の言い付けを守り、稽古が出来ない理由の説明を、ですね・・・。」
弁解する奥沢がおかしくて、思わずフッと笑がこみ上げた。
やはり、あの祇園社で会った青年は沖田総司で間違いないらしい。
「ははっ、冗談だよ。奥沢さんが言い付けを守った事もあり、捻挫もしっかりと治ったんだ。・・・それじゃ、私もそろそろ戻るよ。」
土岐は奥沢に軽く会釈をすると、奥沢が来たのとは反対方向へと向かった。
奥沢も軽く頭を下げた後、そんな土岐を見つめていたが、ため息を吐くと扇の間へと足を向けた。
御簾の間と扇の間では確かに離れてはいるが、同じ2階だ。
しかも、局長殿は副長さんの手が必要な状態になっているらしい。きっと近藤勇や新見錦なんかもいるんだろう。伍長の奥沢さんも来ていると言う事は、組長連中もあらかた来ているはずだ。・・・向こうは帯刀してるのに、こっちは丸腰。
これはますます出くわしたらヤバいじゃん。
うん。久坂さん達には、早々にお帰りいただこう。