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花屋町通り医院  作者: Louis
14/45

嶋原の角屋にて

花屋町通りを西に向かうと、少し右カーブを描いた突き当たりには島原の大門がある。

友人のうんちく話によると、江戸の吉原も大門に着くのにはカーブのある道を行く。これは通りから大門の中が見えない様にする作りなのだとか。本当のところは調べた訳じゃないからわからない。


京都には花街と呼ばれる場所が大きく分けると六つあって、それがこの島原と上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町と宮川町にあたる。

ただここ島原は花街とは言っても、江戸の吉原とは大きく違っていた。

角屋はどちらかと言うと、「文化サロン」的要素が大きく、女遊びをする場所と言うよりは、女性たちは自分たちの芸を客に見せて接待し、お座敷を盛り上げるエンターテイナーだ。もちろん、合意の上でしっぽりという事もあったけれど、基本的には平成でいうところの「会える芸能人」の様な位置づけだ。


芸妓達は置屋と呼ばれる、いわゆる「芸能事務所」に所属していて、揚屋(文化サロン)である角屋などが客のリクエストに応じて逢状を置屋に届け、芸妓は置屋から揚屋である角屋までやってくる、というシステムだ。

この時代に来る直前に一度角屋に行ったけれど、そこには立て札が立てられており、「江戸の吉原と一緒にするな。心外だ。(かなりアバウトに要約)」という様な事が書かれていた。

あの時はまだ昼間だったし、自転車をこいで友人と大門をくぐった。


先の世のあの日と比べて今は薄暗く、大門から真っ直ぐに伸びる道筋どうすじ(メインストリート)には店が掲げる提灯のボウっとした光が溢れており、何とも雅で華やかな雰囲気だ。

この時間のここに来ると、町中で起きている過激な取り締まりや恐喝まがいの事件が別世界の事の様に感じられる。

たいてい土岐が島原へ来る時は嶋田も一緒だが、今日は珍しく1人だった。

グレーの単衣の細かい模様の入った大島紬の着流しに、黒地に白の細いストライプの入った帯。左腰には何時もの小太刀をさし、珍しく下駄を履いた土岐は何時もより少し目線が高かった。今は167センチくらいになっているだろうか。どこからどう見ても洒落たイキな兄さんだ。


うん、久しぶりにヒールの靴を履いたくらいの目線だわ。

そんな事を考えながら、角屋までの道を歩けば、途中何人かの見知った顔に出会った。


「おう若先生、今日は嶋田先生は一緒やないんか?」

「せんせ、何時もうちんとこの子達が世話んなってなぁ。おおきに。」


かけられる声に一言二言返し、土岐は軽く会釈をして微笑むと、そのまま突き当りにある角屋を目指した。


角屋の提灯を通り抜け、門をくぐる。すると角屋独特の赤いベンガラの壁が目に入る。石畳を歩き、中戸口の両脇にあるえんじゅの木を通って斜めに伸びる石畳を進む。

楼閣の上がりかまちのところで土岐は左腰の小太刀を抜いた。


前を見れば、壮年の男性が笑顔で立っていた。

「これは若先生、ようお越しやす。」

角屋の店主、徳右衛門とくえもんが上がり框のところで土岐を出迎えた。


「徳右衛門さん、今宵はお世話になります。新吉さんも、ご苦労様。」

土岐はそう言うと、新吉に抜いた小太刀を預けた。


「おばんどす、若先生。」

新吉は軽く頭を下げて土岐に応えた。


「若先生、お連れさんがお部屋でお待ちどす。案内しますよって、どうぞ。」

徳右衛門はそう言って土岐の前に立つと、廊下の奥へと土岐を案内した。

そしてそのまま二階への階段を上がる。


「今宵も大勢の旦那はんがおみえやけど、・・・浪士組の旦那はん方もおみえや。」

徳右衛門が小さな声で土岐に言った。


「そうですか。」

「局長はんらもおみえやから、気ぃつけてください。」

言われた土岐は、静かに頷いた。

この当時、浪士組は「市中見廻り」と称して楼閣内での帯刀を許されていた。


ーーー面倒臭いな、と思った。

島原ここではなく、祇園へでも足を運んだというのに。

角屋は壬生浪士組もよく通っていたとされる店だ。彼らがいた所で不思議な事はない。

ただこのところ、壬生浪士組の中でも芹沢鴨という人物の評判はすこぶる悪い。他にも浪士組から来ている人達がいるみたいだけれど、待ち合わせている連れとはできれば鉢合わせをさせたくない。

徳右衛門さんの事だ。きっと離れた部屋を抑えてくれているだろう。

佐幕派の彼らからしたら、奉勅攘夷を掲げる長州藩は「敵」だ。


徳右衛門に案内されてやって来た部屋は、今までに来た事がない奥の部屋にあった。

徳右衛門は土岐に軽く会釈をすると、そのまま来た廊下を戻っていった。


「ーー失礼します。土岐ですが、入ってもよろしいか?」

「御簾の間」と名付けられた部屋の前でそう声をかけると、すっと障子戸が開いて中から吉田年麻呂が顔を出した。


「おお、お待ちしておった。入ってくれ。」

吉田に言われて部屋へと入る。


私を含めて4人しかいないのに、この部屋はかなり大き過ぎるんじゃないか?と思った。


「この度はお招きいただきありがとうございます、久坂さん。」

ゆっくりと頭を下げる。


「いや、お越しいただきありがたく思う。何分、こちらの方が大変世話になったゆえ。」

久坂が頭を下げた。


お互いにゆっくりと顔を上げる。


「何を二人して堅苦しい挨拶をしておる。早く上手い酒と料理を食べようではないか。」

しびれを切らした有吉熊次郎が言う。


土岐は上座の膳の前に座り、横に栄太郎、対面に久坂と有吉が座っている。


各々が手酌でお猪口に酒を注いで飲んでいる。

土岐も覚悟を決めてお猪口に酒を注いで、それを一気に飲み干した。

冷酒とはいえ、喉の所がカーッと熱くなってくる。


ーーーしかし、何だかこれはこれで凄い光景だと思う。

昨年までは、自分がこんな席に座るとは考えてもみなかった。

この目の前の久坂さんは、確か吉田松陰の妹さんを嫁にもらった人だったはず。


「土岐先生、あの折は本当に助かりました。私があの様なことで、本当に恥ずかし限り・・・。」


「いや、正直驚きましたよ。藩邸に医者があなたしかいない、と言われた時には。でもまぁ、大事にならずに良かった。」

土岐は素直な感想を述べた。


「まぁ、我らも今はごたついておるからな・・・。」

久坂が曖昧な感じでそういった。

長州藩ではフランス、オランダ、アメリカの連合艦隊による攻撃で下関防御が急務となり、藩内には大問題が絶えなかった。これの打開策として、長州藩主は高杉晋作に下関防御を任せ、高杉は奇兵隊を指揮することになる。


「そう言えば、薩摩がエゲレスに砲撃したのを知っておるか?」

久坂が土岐に聞いた。

「えっ、そうなの?」

土岐は思わず素で驚いた。

長州と言い薩摩と言い、無茶苦茶やるな、というのが土岐の印象だった。


そもそも、対外的には外国艦船を砲撃して暴走している様にみせているけれど、長州藩は密航留学生をロンドンに5人も送っている。つまる所、攘夷の最終目的は対局に位置する「開国」であり、攘夷という思想で国内を統一させて天皇を安心させた上、改めて開国する、というのが狙いだった。

幕府も倒幕派も目指しているゴールは同じ所だったはず。

そこに色んな立場や思惑が絡み付いて訳わからん状態になっているんだと思う。


「私には、あんたらが何で色々を引っ掻き回しているのか理解できないよ。攘夷攘夷と言いながらも、あんたらのお仲間はロンドン、だろ?」


酒が弱く、少し頬を赤くした土岐がなんでもない事のように言った。


「何の事か、よくわからんが?」

久坂が土岐を見据えて低く言った。


熊さんも栄太郎も、何の事だか理解できていない様子だな。もしかして、この二人は留学の事を知らないんだろうか?


ちょうど変な空気になった時、外の障子戸に影が差した。


「ごめんやっしゃ。養花楼の菊野どす。」

戸の外から声がかかり、栄太郎が席を立つと少し離れた障子戸を開けた。


そこには美しく着飾った天神の菊野ともう一人、妖艶な女性が座っていた。


「待っておったぞ。ささ、中へ。」

栄太郎が二人を部屋の中へ招き入れる。


二人の女性がそれぞれ席に着くと、有吉と久坂はそれぞれお猪口を手にした。

土岐もしぶしぶながら、お猪口を手にする。

栄太郎が席に着くと、芸妓二人は上座に座る久坂と土岐のお猪口に酌をした。


「ごきげんいかがどすか?土岐せんせ。」


「ぼちぼちです。」


「お召し、はんなりしてええ色どすな。よぉうつってはりますえ?」

菊野は、着物が似合っていると褒める。


「そりゃどうも。」

菊野が土岐に話しかけているが、珍しく土岐の返しは冷たい。


土岐は心の中で「菊野さん、ごめんなさい。」と謝った。

菊野は花屋町通り医院からほど近い置屋、養花楼の芸妓で、菊野が高熱で倒れた際に土岐が往診へ行って看病をした。

その時の土岐の真摯な態度がきっかけとなったのか、菊野は土岐に惚れてしまったのだ。いかんせん土岐は女性だし、女子に興味はない。


「土岐先生、菊野を袖にした(ふった)ってのは本当か?」

菊野を挟んだ隣にいる吉田が本人を目の前にして聞いてきた。


「はい。」

ちょっとちょっと、本人目の前にして聞かないでよ!


「だからと言って、もう少し優しくしてやってはどうだ?」

吉田が菊野に同情したようにいう。


対面の久坂と有吉は静かにこちらの話を聞いていた。


思わず私はトン、とお猪口を膳に置くと吉田の方に向いた。間には菊野が座っている。


「あのね、栄太。それは絶対に良くない。女子の事を思うなら、思わせぶりな態度は取るもんじゃない。優しくされたら後で辛い思いをするのは女子だって事を、男どもはわかってない!」


その言葉に菊野と吉田は瞠目した。


「・・・と、常々姉上が言っておった。」

不思議そうに土岐をみる面々に焦りを覚えながらも、冷静を装ってそう付け加えた。


本当に自分の酒の弱さには呆れる。

ちょっと酔っ払ったみたいだ。






角屋さんは代々徳右衛門を名乗ります。2014年現在は、14代目徳右衛門さんが角屋もてなしの文化美術館の館長さんをされています。

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