文久3年(1863年)
土岐が幕末に来たのは文久2年(1862年)2月の事だった。
この年には土佐藩にて吉田東洋が暗殺されたり、大きな所では8月に生麦事件が起きている。また年の瀬の12月には長州藩の高杉晋作や伊藤俊輔(後の伊藤博文)らがイギリス公使館に放火をしている。
丁度、土岐が来て半年ほど経った頃から「天誅」と称して幕府関係者が暗殺される様になった。
前年の文久元年(1861年)には土佐藩で武市半平太らが土佐勤皇党を結成したり、皇女和宮の降嫁が行われた年にあたる。
そして現在は文久3年(1863年)7月。
「文久3年」という響き、昔大河ドラマで某俳優さんのナレーションで聞き覚えのある年号だった。沢山何かが起きた年。
春には将軍家茂公が上洛された。5月には奥沢さんが来院して、先月には長州藩の吉田栄太郎にも会った。・・・そして先日の祇園社での沖田総司らしき人物との出会い。
こうもたて続けに色んな人物に会うと、この先の事を考えると少し恐ろしくもある。
そろそろ、何か大きな事件が起きてもおかしくないと思ってるんだけど、いかんせん事件と年号が全く一致しない。
最近の京都は尊皇攘夷運動が過激化し、さらにものものしい雰囲気になってきた。
町には浪人が多くなり、中には市井の人間にいちゃもんをつける者達もいた。この時代にも、尊皇攘夷を掲げたゴロツキまがいの浪人達も多く見られた。
土岐が往診に出かけた帰り道、よく通う甘味屋の前を通りかかると何やら人が遠巻きに集まっていた。
何事かと近寄ってみると、この甘味屋の娘の9歳になるお幸ちゃんとおかみさんが浪人らしき男の前に立っていた。
おかみさんはお幸ちゃんを後ろでかばい、何やら男に頭を下げている。
「こんにちは、おかみさん。・・・どうしたんですか?」
遠巻きに見ている人をかき分けて、前に出てきて話しかけてきた土岐に、男もおかみさんも驚いたような顔をした。
「先生。お幸がえらい粗相をして、こちらのお侍はんにご迷惑を」
「ここの娘がわしの着物に茶をかけたのだ!!」
男はおかみさんの言葉を遮ると、顔を赤くして声を荒げた。
「・・・それで?」
土岐は思わず瞠目した。
「憂国の志士であるわしに茶をかけたのだ!無礼であろう!!」
「・・・・・・・。」
ーーーいるんだ、こういう人って本当に。お話の中だけかと思ったけれど、イチャモンをつけるって言うのはこう言う事を言うんだな。
「火傷をしたのなら診ます。どこが濡れたのですか?」
土岐は淡々と聞いた。
「わしの袴だ!!」
見たところ、濡れてはいるがそれで火傷を起こすとは思えない場所だった。
「火傷がないなら安心だ。この天気だ。時間が経てば直ぐに乾くだろう。」
「貴様っ、このわしを愚弄するか?!」
男は今度は土岐へと怒りの矛先を変えた。
ーーーおかしい。同じ日本語を使っているのに、ここまで話がかみ合わないのも珍しい。
男は腰を低くするとスラリと大刀を抜き、正眼に構えて言った。
「お前も武士ならば、腰のものを抜かんか!」
「おかみさん。お幸ちゃんを連れて店の中へ行ってください。」
土岐の声が低く響いた。
そんな土岐を心配そうに見ながらも、おかみさんはお幸を連れて慌てて店の中へと入って行った。
「さて、残念ながら私は武士ではないので。それに、貴方と剣を交えるいわれもない。」
土岐はそう言うと、左腰に刺している小太刀に手をかけた。
男が刀を構え直して土岐を睨む。
土岐はそのままの動作で、小太刀を鞘ごと腰から抜き取ると、人がいない方向に向かってそのまま小太刀を放り投げた。
ガチャリ、という音がして小太刀が地面に落ちる。
男も含め、周囲にいた人々は信じられないものでも見る様に土岐を見つめた。
「お主は、阿呆か?」
土岐の予期せぬ行動に、正眼に構えていた男は思わずそう呟いた。
「大体、私は竹刀さえ持ったことがないんですよ。そんな私が貴方と剣を交えて万が一にも勝てると思いますか?それに、小太刀を腰に刺しているから”抜け”と言われるんだ。それなら最初から小太刀はいらんだろう。」
腰の小太刀を捨てても変に自信有り気な土岐の態度に、男は少し呆れた様にため息をつくと、構えていた刀を鞘へと戻した。
「・・・もうよい。腸が煮えくり返る事があって、ついと店の者に絡んでしまった。すまぬ事をした。」
あれ?この人、意外と常識ある人なのかな?・・・というか、この場が何とか穏便に収まりそうで良かった。最悪、邪魔な小太刀を捨てて逃げることも考えていたけれど。
「土岐先生、いくら何でも武士の魂である刀を捨てるとは感心せんな。」
突然入ってきた第三者の声に、男も土岐も声のする方をみた。
「あれ、栄太。」
土岐は栄太郎の名前を呼びかけて、不特定多数の目があるここで呼ぶのはまずいと考えた。
栄太郎の手には先ほど土岐が投げた小太刀が握られていた。
「何だ。お二人は知り合いか?」
男が少し驚いたように土岐と栄太郎を見た。
すっかり緊迫していた雰囲気がなくなり、興味をなくした人たちが甘味屋の前から徐々に引いて行った。
土岐は栄太郎から小太刀を受け取ると、そのまま腰に差し込んだ。
「君は少々短気過ぎる。気持ちはわからんでもないが、そう言う態度が藩の評判を落とす事を考えろ。」
栄太郎は男に対して静かにそう言った。
どうやら二人は同じ長州藩らしい。
結局3人して甘味屋へ入ると、男は甘味屋のおかみさんとお幸ちゃんに謝罪した。
そして、騒動のために誰もいなくなった甘味屋で、団子を食べながら茶を飲む流れになった。
「ところで先生。私はもう栄太、という名ではない。藩に同じ名の男がおってな。紛らわしいので名を年麻呂と改めたのだ。」
「へぇ、そういう感じで名前って変えるものなの。じゃあ私も光衡に変えようかな。」
「何だか古風な名だな。」
軽く言う土岐に栄太郎が呆れたようにいう。
「そりゃあ、土岐光衡と言えば清和源氏の流れをくむ土岐源氏だ。・・・鎌倉幕府に仕えた人物の名だからな。”としまろ”もそれ程変わらんだろう?」
「いや、私は椿八幡宮神主、青山上総助殿から名を賜った。年とは豊年であり、”よい田のほう年”という意味がある。」
「ふ〜ん。」
「まぁ、光衡先生にはわからぬよ。」
土岐が薄い反応をすると、栄太郎は少し寂しそうな顔をしてそう言った。
「年麻呂は元々中間の出だからな。名も自称”吉田”だった。それが出世して藩から名が正式に許されたのだ。わしらにとって名を持つとは、特別な事なのだ。」
先ほどまで怒っていた男とは思えないほど、冷静になった男は土岐に説明するように言った。
「なるほど。ところで、貴方は?」
土岐は栄太郎に向けていた視線を男へと移した。
「わしは有吉熊次郎という。」
「(熊さん、か。)よろしく。私は土岐と言う。名は、光衡らしい。」
土岐が冗談ぽく言えば、目の前の熊さんは愉快そうに笑った。
「土岐先生は本当に変わったお人だ。もう小太刀は投げ捨てぬ方が良いぞ?皆がわしのようにはいかんだろう。」
少し咎めるように言った熊さんには、そうだな、と頷いた。
「武器を持っていたからこそ、身が危険にさらされる」と言う事はあるはずだ。
熊さんと対峙した時は本当に怖かったし、何でもない様に振る舞ってはいたけれど、頭の中ではどうやって切り抜けようかとフル回転していた。
医院に帰った後、かいつまんで今日あった事を嶋田に話した土岐が、下手をすれば命の危険もあり、危機感が足りないと嶋田にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。