厄払い
最近、何かがおかしいと思う。
それとも、以前は私が全く気づかなかっただけ?
幕末に来て1年もの間特に歴史上知っている人物に会う事もなかったのに、なぜ最近はちょこちょこ会う機会が増えたんだろう?それとも、この地で医者をするという事は出会わない様にしようと思う事自体不可能なんだろうか?
いい加減に腹をくくらなければならない、と言う気持ちはある。
あるんだけれど、それでもちょっとは神仏に頼んでみようか、という安易な思いから、私は一人八坂神社へとやってきた。
完全なる「厄払い」というやつだ。
花屋町通りから八坂神社(祇園社)までは大体徒歩で54、5分だから、距離にしたら大体4.5kmくらい。
私は正式に神殿には上がらず、お賽銭を入れてその前に立った。
2礼2拍手1礼して手を合わせる。
ーーー神様。どうか、どうかこれ以上色んな人達と出くわしません様に。そして関わっている人達が平和に暮らしていけますように。願わくば、どうか、どうか私を早く平成の世の中へと戻してください。
ご利益にあずかろうと、お願いを念入りに3回心の中で繰り返しゆっくりと頭を上げた。
そしてまた、ゆっくりと2礼2拍手1礼する。
ふと気づくと、隣には青年が立っていた。その人も、何だか熱心に何かをお祈りしているようだった。
土岐は邪魔をしてはいけないと思い、そのまま何も言わずに階段を降りようとした。
「随分と熱心に祈られていたんですね。」
その青年に突然声をかけられ、土岐は自然とそちらを向いた。
そこには月代に袴姿の男性が立っていた。左には二本差し。身長は自分よりも少し高いくらいだろうか。やや猫背。色黒で目元の黒子がその人物を少し幼く見せている。
「ああ、最近どうもツイていないようでね。もうこれは神頼みしかないと思ったんですよ。」
何を見ず知らずの人に話してるんだろ・・・。
その私の言葉に、笑った青年の口元には八重歯が覗いていた。
「へぇ、そうなんですか。まぁ、こんなご時世だ。何が起こるかわかりませんからね。」
「そうですね。あなたも熱心に祈られていましたよね。」
その私の言葉に、青年が少し寂しそうな表情をした。
「仲間が、これからも無事であれば良いと祈っていたのです。」
「そうなんですね。それでは、私はこれで失礼します。」
幕末にいる人たちはそれぞれ色んな境遇に置かれている。あまり詮索は良くないと思った土岐は、早々に会話を切り上げてこの場を去ろうとした。
「ちょっと、待って貰えませんか?」
そう言った青年は、思わず土岐の着物の袖をつかんだ。
土岐はその青年の行動に驚いて思わず固まる。
昨今の治安が悪い京都。かなりの確率で変な人に絡まれることもあるだろう。まだ真昼間だからとたかをくくっていたけれど、やっぱり気を抜かないようにしないと何があるかはわからない。
私は思わず怪訝そうな顔でその青年を見たんだろう。
「あっ、すみません!つい、呼び止めようとして焦って掴んでしまいました。」
土岐の袖をパッと離しながら、焦ったように青年は言った。
「いえ、・・・何か?」
「あなた、もしかして甘味が好きではありませんか?私、美味しい団子屋を知っているのですが、これから一緒に行きませんか?」
土岐はあまりの言葉に思わず青年を凝視した。
・・・この子、大丈夫なんだろうか??
平成の時代にこう言う男性が居たら、私は思い切り無視して逃げる。
でも。
「あの、一応言っておくけど、私は男だよ?」
「そんなの、見ればわかります。」
今度はその青年が怪訝な顔をした。
「何で私が甘味が好きだと思ったの?」
「そりゃ、甘味好きの匂いがするんですよ。」
そう言われて土岐は自分の着物の匂い嗅いだ。
青年はそんな土岐を笑顔で見つめる。
・・・わからん。
というか、この青年と私の会話は噛み合ってない気がする。
「あのね、お兄さん。私もそんなに暇じゃないんだ。ここから家に帰るのに半刻近くかかるんだ。悪いけど、また今度の機会にしてくれないか?」
「そうやって、もう行かないんでしょう?」
そう言うと、青年は残念そうにため息をついた。
「わかりました。何時も自分の思うようには物事ってのは行かないものです。・・・今日はせっかくの非番だったのですが、私も屯所へ帰るとします。」
ん?屯所?
「で、お兄さんは、お宅はどちらなんです?」
「ああ、私は花屋町通りまで行くんだ。」
土岐がそう言うと、青年は嬉しそうな顔をした。
「そうなんですか!私も方向が同じです。これも何かの縁です。途中まで一緒に参りましょう。」
いや、一人で帰りたい。あなたの様な不審な人物と一緒に居たくない。とは何故か言える雰囲気でもなく、土岐は内心少しげんなりしながらもこの青年に付き合って途中まで帰る事になった。
「あーー、ところでお兄さん、お名前は何とおっしゃるのですか?」
青年が思いついた様に尋ねた。
「まずはあなたから名乗るのが筋だろう?」
かなりげんなりしながらも、土岐は青年にいう。
「そりゃそうか。・・・えっとですね、私は、・・・宗次郎と言います。」
名前を言う前の妙な間はなんだ。・・・というか、宗次郎?
「宗次郎さん、か。私は土岐と言う。」
「土岐さんですか?!・・・もしかして、花屋町通りの土岐さんとは、医院の土岐先生ですか?」
自分の事を知っている様な口ぶりに、土岐は一瞬瞠目した。
「そうだけど、何で宗次郎さんが私を知ってるの?」
「私の、・・・友人が、土岐先生にお世話になったことがあるんですよ。」
「へぇ、そうなんですか。」
「そうですか〜。あなたが土岐先生ですか。」
そう言ってジロジロと見てくる宗次郎青年に、土岐は居心地の悪さを感じた。
「あのね、宗次郎さん。そんなに人を見るもんじゃない。不躾だろう?」
「ああ、これはすみません。」
宗次郎青年は素直に謝ると、照れたように頭に手をやった。
「その、私の友人がですね、土岐先生の言いつけをしっかりと守っておったので、どんなに恐ろしい先生に言いつけられたのかと思っていたのですが・・・。この様に線の細い美丈夫な方だとは思いませんでした。」
土岐は自分が「歯に絹着せない人物」と言われているのは知っている。特に診察中には容赦がないのを自覚していた。
しかし、この青年とはどうにもペースが合わない気がする。厄払いのつもりで八坂神社まで来たのに、なんだか変なもの(男性)をくっ付けて帰る事になった自分は、果たして厄払いに来たのか厄を貰ったのか、良くわからなかった。
道すがら、宗次郎青年は他愛もない話をたくさんしていた。彼は江戸から京都に来たこと。家には優しい父の様な男性と小姑の様な男性がいること。仕事が忙しいこと、どこどこの甘味が美味しいということを延々と話していた。
私はもっぱら聞き方で、だんだんと時間が経過していく程にこの青年のペースにも慣れていった。
とても話し好きで、かまってちゃん。それでいて本音はあまり見せていない様なところがある青年。
それが帰りすがら、宗次郎青年に感じた私の印象だった。
宗次郎青年は結局、花屋町通りまで一緒にやってきた。医院の前まで来ると、そのまま帰る、と言って壬生川を北へと折れて行った。
土岐はお香代に帰宅を告げると自室へと戻った。
そこで作務衣に着替えながら、先ほどの宗次郎と名乗った青年のことを思い浮かべる。
ありえない、事ではない。
以前、母方の伯父だという宮原久五郎の肖像画をネットで見たことがあった。
眉の凛々しい、男性らしい精悍な顔つきの肖像画だった。
その肖像画と宗次郎青年が似ているのかどうかは良く分からない。
分からないんだけれど、多分私の予想は間違っていない気がする。
愛嬌がある顔立ち。目元の黒子、猫背の甘味が好きな宗次郎。
私の考えが正しければ、彼の名字はきっと「沖田」だ。
そうだとしたら、厄払いになってないじゃん・・・。
私は思わず片手で額を押さえたのだった。