最後のひとり
「成る程…」
私は頷いた。ケンは一通り話し終えると、溜息まじりに言った。
「おやっさん、あの廃屋と、そこで何があったのかが判れば…」
そうだ。恐らくは、それがケンを救うカギになるだろう…
だが、手懸かりは無いに等しい。私は、原点に戻って考える事にした。
「ケン、もう一度メールを見せてくれないか?」
ケンは頷き、携帯の画面を『私』に向けた。
『アト、ミッカ』
画面の中央に列ぶ半角文字に、何か違和感をおぼえた………“中央”!?何故、本文が左上から始まってないのだろう?
「ケン、何故中央に文字があるんだろう?」
ケンは少し考えて、
「タグを使ったか、あるいは見えない文が前にあるとか…!?」
どうやらケンも気付いたようだ。
「こいつを“引用返信”してみるか…」
だが、このままでは、文字が有っても判らない。
「おやっさん、ノートのPCある?」
唐突にケンが聞いてきた。私は愛用のノートパソコンを取り出した。
「今からそこに転送するから、メアド教えて。」
私は困惑しながらも、ケンに従った。やがて、ケンの携帯からメールが転送されてきた。
「おやっさん、画面の背景色を変えて。」
私は頷いて背景色を変えてみた。すると…
『ナゼオマエタチハキタノダ・・・ワタシヲミルナ!!!!ワタシヲミルナミルナミルナミルナ!ワタシヲミタモノハアト、ミッカノウチニコロシテヤルカナラズダ!ダカラワタシヲミタコトハワスレロ。シニタクナケレバワスレテシマエ!!』
声も出なかった…最も原始的な感情、“恐怖”が二人を包んでいた…
『彼女』…死して尚残る怨念。一体、『彼女』に何があったのか…?
「取り敢えず“猟奇事件”を扱ったサイトを探してみるか…」
私は、キーボードを叩き始めた。そして“それ”は割と早く見付かった。“彼女”の名前は『梁子』(やなこ)、5年前に生きたまま解剖された看護婦。犯人は夫で医者の慶介。動機は『医学界の発展の為』だそうだ。
生きたまま身体を切り裂かれた梁子は、笑っていたという。麻薬で身体の感覚が麻痺していた上に、精神も破綻していたからである。慶介は天才的外科医で、予てより考案していた『無血臓器摘出手術法』を完成させる為に、梁子の身体を使った。その時、一つだけ、二人の間に約束があった。『誰にも見られない事』
そして、約束は破られた…
事件の翌日、慶介は現場に立って、梁子の全てを写真に収めていた。
慶介は満足感に満ちていた…“これ”は芸術だ。人ならぬ神のつくり賜うた『ヒト』という存在。緻密に設計された『肉体』、様々な容姿、役割を持つ『内臓』…慶介は夢中でシャッターを切った。梁子を写しながら、彼は失禁していた。涙が頬を伝った。悲しみではない。感動の為だった。
「素晴らしい…素晴らしいよ、梁子…」
慶介はもはや外科医ではなくなっていた…『医学』という“麻薬”に侵された狂人と化していた…
それから数日の後、慶介のブログで、梁子の写真と慶介の恍惚感溢れる文が流れた。『誰にも見られない』約束は、破られた…
結果、このブログから慶介の逮捕につながるのだが、慶介は、自供を終えた三日後に死んだ。自らの身体を切り裂き、己の内臓を全て抜きだしていた。使用したメスは、慶介の物だった。だが、一体誰がメスを慶介に渡したのか…?隠し持っていた筈は無い。警察の身体検査は生易しい物ではない。では、誰が…?
私は、梁子を知っている。彼女は私の姉の娘…また、あの『廃屋』に行く事になろうとは…幸か不幸か、私は棺に納められた梁子の顔しか見ていない。つまり、私は『見ていない』のだ。
「ケン、行くとしようか…全てを終わりにしよう」
私の声にケンが頷いた。
はたして、あの子は私の話を聞いてくれるだろうか?だが、今はそれに賭けるしかないのだ。私になついていたかわいい姪だった、あの梁子に逢えるだろうか…そんな想いを胸に、車を走らせた。
「着いたぞ…」
ケンは血の気の失せた顔で頷くと、車を降りた。目の前に佇む廃屋、全ての始まりの場所へ、私とケンは入っていった…
玄関で、不意にケンが私に携帯を渡した。
「もしメールがきたら、おやっさんが見てよ…」
どうやら、自分の死に方は知りたくないらしい。
「そのメールを止める為に来たんだ。行くぞ…」
私達は、ケンが梁子を『見てしまった』部屋に歩いていった。
「ここだよ…」
酷く怯えた声でケンが呟いた。私は大きな声で『彼女』を呼んだ。
「梁子、オレだ。居るんだろう?話があるんだ、顔を見せてくれ!」
梁子の姿は現れず、声だけが聞こえた。
「おじさん…?」
ああ、梁子の声だ…
「梁子、久しぶりだな。本当は此処には来たくなかったんだ、お前のいない淋しさと悲しさを思い出すからな…」
「ごめんね…でも、どうしたの?私の事、誰に聞いたの…?」
私は、全てを話した。
「…という訳だ。今日はこいつの命乞いに来たってわけだ。何とかならないものかな…?」
梁子は冷え切った声で答えた。
「この部屋を出る迄に私の姿を忘れたら助けてあげる事にするわ…」
「分かった。有難う、梁子…またいつか来てもいいかな?」
「ええ、おじさんだけは特別に許してあげる。」
私は、ケンの肩を叩いて言った。
「忘れろ、そうすれば助かる」
ケンは震えながら小さく頷いた。
「じゃあな、梁子」
「うん、またね…」
私とケンは外に向かって歩き出した。
「あっ…」
玄関まで来た時、ケンの靴紐がほどけた。
「おやっさん、先に行ってていいよ。」
「分かった」
私が外に出た瞬間、ケンから預かった携帯が鳴った。まさか―
『オワリハ、オシツブシ』
メールを読み終えた途端、廃屋が大きな音をたてて崩れた。
「彼、忘れなかったみたい…約束だから、ね…」
梁子の声が瓦礫の中から聞こえたような気がした…
私にも予想はついていた。多分、こうなる事が…
「ケン…」
そして、私の携帯が聞いた事の無い着信音で鳴った―
『パソコンデ、ワタシヲミタノネ...』
メールを見た私に梁子が、耳元で囁いた―
「アト、ミッカ」
―『ハンカク』完 ―
お付き合いいただきありがとうございました。身近な『携帯メール』からの恐怖を書きたくて…これは全三部作の始めです。この後も順次公開致しますので、興味をもたれた方は宜しくお願いいたします。トマト男爵でした。