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西条「ボツ」レポート集

守るべきもの

作者: 西条基樹

「ああ、心配いらないですよ。これは本物です。「コーチ」のバッグを製造しているのは、8割が中国工場なんです。つまりこれは「メイド イン チャイナ」とありますので大丈夫です。…それからこちらのヴィトンの財布も「メイド イン スペイン」とありますから本物ですよ。…ほとんどの方がブランド物はフランスで作られていると思っておられるようですが、メーカーによって作る国は様々です。安心してお使い下さい。」

「ありがとうございます!」


女性は嬉しそうに、弁護士の相田 さとしに頭を下げると、足取りも軽やかに事務所を出て行った。

それを、別のソファーに座って見ていた助手兼(?)ルポライターの西条基樹は苦笑しながら、相田の前に座った。


「まるでなんでも屋さんじゃないですか。…それも、鑑定料も取らないなんて…」

「僕は弁護士ですから、鑑定だけでお金を取るわけにはいかないですよ。」

「本業の方では、お仕事はあるんですか?」

「……」


相田は黙り込んだ。西条はまた苦笑した。

たった21歳で弁護士になったということはすごいことだが、だからと言ってすぐに仕事が入るわけじゃない。初めての仕事が、娘を虐待死させた自分の母親の弁護だったわけだが、よく「無罪」を勝ち取れたものだと西条は思う。

今の仕事はほとんどが「離婚」問題だそうだが、これも複雑で厳しいようだ。だが、仕事があるだけましだ。なくなれば、収入は0なのである。


「一応、俺が働いているホストクラブで、相田さんの事を宣伝していますけどね。」


西条が働いているホストクラブは、メンバー制で金持ちが多い。せめて「顧問弁護士」にでも雇ってもらえれば御の字なのだが、なかなかそうはいかないようだ。


その時携帯電話が鳴った。相田は思わず自分の携帯を取り出したが、西条の方だった。


「ちょっと失礼…」


西条はそう言って立ち上がり、ソファーから離れて携帯電話の受話ボタンを押した。


「はい、どうも!本当にお電話いただけるなんてー!いえいえ、昨夜はご馳走様でした!」


(なんだ、ホストクラブの客か…)


相田はそう思った。正直、相田には理解できない職業である。知らない人に愛想を振りまくだけでも気分悪いのに、それで金を稼ぐなんて…と思っている。


「えっ!?…弁護士を探してるっ!?」


西条がそう言い、相田に振り返った。相田は目を見開いた。


……


翌日-


相田は西条の車で、依頼のあった家に向かっていた。借金の返済が滞り、破産を考えているという話だった。


(借金は避けたかったんだけどなぁ…)


相田は助手席でため息をついた。弁護士である限り避けられないのは覚悟していたが、こんなに早くかかわるとは思ってもいなかったのである。


西条はパーキングで車を止めて降りると、携帯で地図を確認しながら歩き出した。相田が後を追う。


「柳田さん…ここだ!」


西条はそう言うと、インターホンのボタンを押した。「ピンポーン」という音が中で響いているのが聞こえる。…しばらくして、スピーカーから女性の声がした。


「すいません…」

「?」


相田と西条は顔を見合わせた。西条がインターホンに向かって言った。


「えっと、昨日ご依頼いただいた…」

「すいません。今、主人が首を吊っておりますので、お支払いは待って下さい…」

「!!!!!」


相田がとっさに、胸ほどある高さの門を乗り越えた。西条はボタンを何度も押しながら「止めろっ!」と叫んだ。


「弁護士ですっ!昨日ご依頼いただいた弁護士です!すぐに止めて下さいっ!!」


西条はそう言ってから、自分も門を飛び越えた。


……


相田は、中庭に面した軒にある窓ガラスを拳で叩いていた。ふすまが閉められて、中が見えない。


「開けろっ!!死ぬなっ!!開けるんだっ!!」


相田は何度もそう言いながら窓ガラスを叩くが、人が出てくる様子がない。


「相田さんっ!こっちっ!勝手口!!」


西条の声が、遠くから聞こえた。相田は声のする方へ走りだした。


……


「…危なかった…」


相田と西条は、ひれ伏す主人を前に座り、息を切らしながら同時に言った。


「…なんてばかなことをするんですか…」


西条が額を拳で拭いながら言った。相田は必死にはずむ息を抑えている。


「すいませんっ!すいませんっ!」


主人はひれ伏したまま、そう何度も言って泣いている。その主人の隣で、妻がうなだれながら言った。


「…借りているところから…死ねば借金を払わずに済むって電話がありまして…それで…」

「!?」


相田と西条は、驚きに目を見開いた。相田が尋ねた。


「…消費者信用団体保険のことですか…?」

「はい…そんな名前だったと思います。…死ねばそれが入るからって…」

「相田さん…」


西条が相田に向いて言った。


「あれって、大手は手を引いたんじゃなかったでしたっけ?」


相田は眉をしかめたままうなずき、ひれ伏したままの主人を見ながら言った。


「何年か前に問題になって何社かは手を引きましたが…その代わりに本人が死んだ後、家族に借金が遷るという問題にもなっています。…あなたが借りられた金融会社は、その団体保険に入っているということですね?」


相田のその言葉に、主人は濡れた顔を上げ、不思議そうに西条の方を見た。


「ああ、こちらが弁護士先生です。私は付き添いのものです。」


主人は相田の若さに驚いたようだが「すいません」とまた言って、うなずいた。


「…はい。借りたのは3年前なのですが、ここ1年ずっと返済が滞ってしまって…。ついさっき、電話があって「死ねば…」と言われまして…」

「電話は初めてですか?」

「いえ、毎日のように…」


相田が再び眉をしかめた。西条が相田に向いて言った。


「確か、督促の電話は1回限りと決まっているんですよね。…まるで闇金じゃないですか…。」


相田は西条の方を見ずに、主人に言った。


「契約書を見せてください。」

「はい!」


隣にいた妻が慌てて立ち上がった。


……


相田は事務所で頭を抱えていた。机の上には、契約書が積み上げられている。


「10社って…」

「どうも、自転車操業を繰り返した結果のようですね…」


机の傍に立っている西条が、額にしわを寄せて言った。


「…早速、片っ端から電話しますか。」

「……」


西条の言葉に、相田は大きくため息をついた。


……


「裁判所から?」


相田は、柳田の妻からの電話に向かって、ため息交じりに言った。


「気にしなくて構いません。破って捨てて下さい。…ええ…行かなくても、勝手に裁判されることはありません。もしそちらに電話があったら、私の方へ電話するように伝えて下さい。…はい…。」

「今度は裁判所を使ったわけですか。」


電話を切った相田に、西条がため息をつきながら言った。


「その書類の中に「借りたものは返せ!」というような言葉もあったようですよ。」


相田もため息をついている。西条が腕を組みながら言った。


「闇金は1社もないんですよね…。それでもこんなことをするんだ…。」

「ええ。向こうも必死と言うわけです。他の会社でも、ごく近所にしか配られていないチラシに「返さずに済むと思うな」という言葉を書いて、郵便受けに入れてたとか…。」

「こんなことを繰り返されたら、そりゃ…神経も参るでしょう…」


相田は腕を組み、呟くように言った。


「数年前に大手の消費者金融が叩かれてから、少しはましになったはずなんですけどね…。逆にやり方が陰湿になってきてしまってる…。」


西条も考え込むようにうなずいた。


……


「えっ!?破産をやめる!?」


その相田の声に、ソファーでうとうとしていた西条は飛び起きた。相田は携帯電話を耳に当て、叫ぶように言った。


「どうしてですかっ!?え?…それは前にもちゃんとお話しして納得…!…はぁ…はぁ…そうですか…」


相田はそこまで言って、表情をゆがめた。


「…いえいいですよ。お金は…。ええ、ただ1回破産しないと決めたのでしたら、今後は何があっても返さなきゃならない状況になりますよ。…はい…でも、もしまた気が変わりましたら、私の方へご連絡ください。はい…はい…どうも…」


相田は電話を切った。西条がデスクの前に呆然と立っている。


「破産をやめるんですか?」

「ええ…家を取り上げられるのが、嫌だということで…。」

「確か「個人再生」の話もしましたよね?…借金返済は5分の1で済んで、家を取り上げられることはないという話…」

「ええ。でも頑張って返そうという気持ちに変わったのだそうです。」

「…なんだか、嫌な予感がするんですが…」

「僕もです…。」


相田はそう言って腕を組み、椅子にもたれた。


「一旦、取り立てがなくなったことで、気が楽になっただけのような気がするんですよ。…もし、これでまた取り立てが始まってしまうようなことになったら…今度こそ、どうなるかわからない…」

「…説得し直した方がいいんじゃないでしょうか?せめて「個人再生」の方で考えられないか…って。」


西条の言葉に、相田は首を振った。


「…電話での奥さんの様子では…今何を言っても、無理だと思いますね。「頑張る」とばかり繰り返してましたから…」

「…しかし、どうするんでしょう?…確か、月々の返済は30万円超してましたよ。今から仕事が見つかったとしても、いきなり30万円もらえるような仕事なんてないでしょう…」

「その上に生活費を加えたら、どう倹約してもプラス10万はいります。」

「月40万円?…そんな仕事があれば、俺もしたいなぁ…」


西条が苦笑しながら言った。相田もつられて苦笑したが(笑いごとじゃないな)と思っていた。


……


「ねぇ…基樹さん…」


西条の妻「美幸」が、箸を置きながら言った。


「ん?」


西条は、1歳になる息子の口を拭いてやりながら美幸を見た。美幸が真剣な表情をしてうつむいている。

西条はぎくりとした。


(もしかして、離婚!?)


西条の頭の中で「稼ぎが少ないからか」とか「息子の面倒見が足りないからか」だとか、「最近、昼間いないから、浮気してると勘違いされたのか」だとか、いろんな思いが頭の中を巡った。

美幸が、うつむいたまま言った。


「その破産をやめた人…まさか、奥さんが…」

「え?」

「風俗に入るつもりじゃないよね?」

「!?」


西条は目を見開いた。確か、柳田の妻は50歳ちょうどだと聞いた。風俗なら、その年齢でも雇うところはいくらでもある…。

西条は涙目になっている美幸を見ながら、立ち上がっていた。


……


「奥様は!?…仕事って、どこへっ!?」


西条は携帯電話を耳に当て、妻の感が当たったことを確信しながら叫んでいた。


「どこか知らないって…知らないわけないでしょう!?」


息子を抱いた美幸が傍に立ち、不安そうに西条を見上げている。


「…本当に知らないんですか!?…じゃぁ、お聞きします。その奥様のお給料はいつ入るんですか?」


西条は、主人の答えを聞いて目を吊り上げた。


「すぐに辞めさせてくださいっ!…奥様は…」


美幸はその後の言葉を聞かずに、息子を抱きしめてその場を離れた。


……


「ホテヘル!?」


相田は電話を耳に当て、ベッドから起き上がった。


「…奥さんが…風俗で働くって!?…そんなことしてまで…」


電話の向こうから、西条の低い声が返ってきた。


「…すぐに辞めさせるように言ったのですが…ご主人が…それも仕方ないような事をおっしゃっていて…」

「奥さんは今どこに!?」

「…恐らく、キタかミナミの繁華街だと思います。」

「じゃぁ、ホテヘルをしらみつぶしに…」

「相田さん…ホテヘルは、キタだけでも100軒以上になります。」

「!?」

「それを片っ端から探しても…1日じゃ足りないでしょう…」

「…では、奥さんが帰ってこられるのを待って説得しましょう。」

「はい。そう思って、もう柳田さんの家の傍で待っているんですが…」

「!…わかりました!僕も行きます!」

「お願いします。」


相田は携帯電話を切ると、慌てて服を着替え始めた。


……


「ほっといて下さい!」


柳田の妻は、前に座っている西条と相田に向かって言った。妻の隣で、主人がうなだれたように座っている。


「もうこれしかないんです!家を守るにはこれしか!」

「…ちなみに…今日はいくらの収入だったのですか?」

「!!」


厳しい表情をした西条のその言葉に、妻は黙り込んだ。


「1銭にもならなかったでしょう?」


全員が驚いて西条を見た。妻はうつむいた。


「奥様の顔を見て、すぐにわかりました。正直、ほっとしています。」


相田はいつもと違う西条の様子に驚いていた。西条は妻を睨みつけながら言った。


「奥様は、自分の体はどうなってもいいという覚悟で、風俗嬢になる決心をされたのだと思います。でも、正直奥様が思ってらっしゃるより、現実はひどい。…してはならない性行為を強要されて病気を遷されたり、暴力を振るわれたり、精神的に追い詰められたりして、社会復帰に苦しんでいる風俗嬢達を、俺はたくさん知っています。」


妻は、顔を上げないまま眉を上げた。主人は思わず顔を上げ、妻の顔を見た。西条が続けた。


「それに、今日でお判りになったと思いますが、現実には奥さまが思っておられるほど稼げません。単価は確かに高い。ですがその分、大きな代償を払わなくてはならない。」


妻の目から涙がこぼれ落ちた。西条は畳みこむように言った。


「そこまでして、破産を取り下げる理由はなんでしょう?先日も相田弁護士から説明があったように「個人再生」という方法もあります。少しでも返そうという気持ちがおありなら、そちらでもいいのではないですか?…奥様の体がぼろぼろになる前に、もう1度、お2人で話し合われる事を望みます。…私の…個人的な気持ちですが…」


妻が嗚咽をもらしはじめた。主人は、きっと顔を上げて言った。


「個人再生をお願いします!」


西条と相田は、目を見張って主人を見た。主人が泣きながら両手をついて、頭を下げながら言った。


「私が間違ってました!個人再生の手続きをお願いします!」


西条と相田はほっとしたように、顔を見合わせた。


「わかりました!本腰入れて、やらせていただきます!」


相田がそう言って、立ち上がろうとした。だが、片足を立てたとたん「あっ無理!」と叫び、その場にひっくり返った。


「相田さん!?…あっ…俺も…!」


立ち上がろうとした西条も、その場に伏した。


「しっしびれ…足が…」

「…僕も…です…」


柳田夫婦は、足を押さえてもがいている2人を驚いた目で見ていたが、やがて笑い出した。

…西条と相田が立ち上がれたのは、それから10分してからだった…。


……


西条は、何かすっきりとした顔で車を運転していた。助手席に座っている相田が口を開いた。


「西条さん…ひとつだけ聞いていいですか?」

「ええ。」

「風俗嬢のこと…嫌いなんですか?」


西条は驚いて相田の顔を見たが、慌てて前を向いた。


「どうしてそんなことを?」

「…だって、とっても嫌そうな顔をしながら言ってたから…」


西条はしばらくためらった後、口を開いた。


「嫌いとかじゃないんです。数年前に「風俗嬢」についてのレポートを書いたことがありましてね…。柳田さんのように借金や家の事情で風俗嬢になった彼女たちが、心無い客に心身を傷つけられる姿をたくさん見たんです。…だから、柳田さんの奥さんにはそうなって欲しくないと思って言っただけです。」

「…すいません…」


相田はそう言ってうつむいた。西条が「いいえ」と笑ってから、少し声のトーンを高くして言った。


「とりあえずは、柳田さんが考え直してくれてよかったですよ。」

「…ええ。」

「また、明日から忙しくなりますよ、相田さん。」

「そうですね。」


西条が笑顔を向けたのを見て、相田も笑顔を返した。


(終)


……


このお話は、完全フィクションです。現在では「収入の3分の1」以上の借金はできません。また今、不法な取り立てに苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、少しでも早く、お近くの弁護士または司法書士にご相談ください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 生々しいところ [気になる点] 久しぶりすぎですぅ(笑) [一言] 借金や風俗って、現場を知らないとただの小説素材になってしまうと思うんですが、さすがはルポライターさん。ぜんぶ有りそうな話…
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