「病弱な幼馴染の所に足繫く通う婚約者と掛けまして、底の抜けたバケツと説きます」
「病弱な幼馴染の所に足繫く通う婚約者と掛けまして、底の抜けたバケツと説きます」
「……そのココロは」
「どうにもすくいようがないでしょう」
人気喫茶店の二階テラス席で、向かいに座った友人が、溜息を隠すようにアイスティーに口をつける。
涼し気なグラスには、透明度の高い氷と、凍らせたフルーツが浮いていて鮮やかだ。
友人の肩口に座っている少女姿の守護精霊はフルーツが気になるようで、フルーツを寄越せとせがんでいる。
「かわいそうな底抜けバケツ」
「それまでの頑張りを称えて、丁重に弔う事にするわ」
底が抜けるまで頑張ってくれたのだから、労力には報いなくては。
バケツに宿る精霊には新品をプレゼントする事を約束しましょう。
「それで?終わりはいつ?」
「そろそろ……」
そう言って、通りに向けた目に、見慣れた紋章付きの馬車が走りこんで来るのが見えた。
私はお気に入りの砂糖菓子に手を伸ばしながら、笑顔で友人にウインクを投げる。
「このあとすぐ!よ」
***
私は商人上がりの新興貴族、リジン男爵家の継嗣ユフィカ。
我が家が他国との交易路開拓の貢献で評価されて、男爵位を賜ったのは五年前。
交易路開拓の際に協力関係にあった伯爵家と、婚姻による縁付きをする事で合意に至ったのもその頃だ。
その際に婚約を結んだのが私ユフィカと、ディシエント伯爵家の次男であるナイアス様だった。
年齢が近い事と、守護精霊の相性で決まった婚約なので、惚れた腫れたとかは私達の間にはなかった。
そして、病弱(自称)な幼馴染の元に足繫く通っているのが、このナイアス様なのである。
***
喫茶店は盛況で、予約していない人達は屋外で空席ができるのを待つ事になっている。
今も煉瓦で舗装された店前の歩道では少なくない人数が待機の列を作っているのだが、馬車から降りた人間がその列を無視して店の入り口に向かうのがテラス席からも確認できた。
階下で少し揉めるような声がした後、階段を上る荒い足音が響いてくる。その後にも足音が続いているので、上って来るのは三人かな。
ややあって、テラス席の出入りに使われるガラスの扉が大きく開け放たれた。
「ユフィカ!貴様こんな所にいたのか!」
顔を真っ赤にして怒鳴り込んで来たのはナイアス・ディシエント伯爵令息。
その後ろから顔を覗かせているのはオルティナ・ヴォイワド嬢。病弱だと言う割に、あの勢いについて来たなんて随分とお元気です事。
遅れて、かわいらしいエプロンドレスを着用した店内案内係が申し訳なさそうな顔をしてテラスにやってきた。
テラス席には四人掛けのテーブル席が三卓用意されており、私と友人が一卓、女性三人の客が一卓、ご家族連れと思われる客が一卓使用している状態。
冷えた目で闖入者を眺める全員の視線を受けて、案内係が慌てて頭を下げる。
「テラス席でおくつろぎの皆様、お騒がせしてしまい大変申し訳なく存じます、今すぐ警備の者達を呼びますので…」
「必要ない!ユフィカ達の席は四人掛けだ、僕達が相席してやろうではないか!」
「まあ、ナイアス様、こちらでお茶ができるんですの?一回来てみたかったんです、うれしい」
大声で案内係の言葉を遮るナイアス様は、無能なボンクラ振りを遺憾なく発揮してくださり、私は笑顔を隠しきれません。
「相席したいのでしたらどうぞ、いいわよねフレイ?」
「あぁ、構わないよ」
花を模したクリームも美しいケーキを上品に口に運びながら、友人フレイが頷くが、それを待たずにナイアス様とヴォイワド嬢が席に着く。
(待てのできない犬のようでとてもかわいいね)とフレイの口が動くのを見て声を出しそうになってしまった。笑わせないで欲しい。
丸テーブルなので隣り合う席はないが、私とフレイが向かい合わせに座っているので、残っている席に座る二人。
「僕達にもこいつらと同じ物を持ってこい」
偉そうに案内係に申し付けるナイアス様に、他の客たちは不快そうな空気を隠そうともしない。
このくらい目立ってもらえば対外的なアピールとしては十分なので、そろそろフォローを入れておこう。
折角の楽しいティータイムを不快なだけで終わらせてしまうのは勿体ないし。
ナイアス様を無視して、私に視線を向ける案内係に声をかける。
「言う通りにしてくださる?」
「お客様がそう仰るのであれば…」
「それと、あちらの皆様の支払いは全て私に回していただける?」
「え…と?」
私の言葉に、案内係も他の席の方達も困惑したように沈黙する。
「お騒がせしてしまったお詫びですわ」
向けられた視線に笑顔を返す私に、皆様も笑顔を返してくださるので了承と受け取りましょう。
「かしこまりました、そのように対応いたします」
案内係は再度深く頭を下げて、テラス席を後にした。注文を受けるのは本来彼女の役目ではないので、彼女にも後で詫びを入れておこう。
テーブルの周囲に人がいなくなったのを確認してから、手元にいた私の守護精霊に頼んで不可視の収音幕を張ってもらう。
音が聞こえない程ではないが、一定の音量を超えた音は外に出さない幕を。
私の守護精霊は音に関連する精霊だ、人の耳に届く音の音量調節もできれば、発した言葉を改ざんして届かせる事もできる。後半については公にしていないけれど。
幕が張られた事にフレイは気付いた、ナイアス様とヴォイワド嬢は気付いていない。
ナイアス様は不愉快そうに、ヴォイワド嬢は何やら頬を染めてフレイを見ている。フレイの事を知らないんだなあと感心してしまう。
「全く、婚約者との約束をすっぽかして他の男とこんな所にいるとはな、これだから平民は身持ちが悪い」
「まあ、ヴォイワド嬢の事を随分とひどく仰るのね」
「貴様の事だ!」
「おかしな事を仰いますね、私は今男爵家の子女なので平民ではありませんし、ヴォイワド嬢は貴族籍ではないですよね?」
私の嫌味にも正直に反応するナイアス様。
これは、ナイアス様の生来の気質にもよるけれど、守護精霊の影響も大きい。
ナイアス様の守護精霊は『真実の精霊』と言うなかなか珍しい精霊で、真実を話す/話させるという能力を持つ。
守護精霊との意思疎通がきちんとできていれば、自分の真実を隠しながら相手に真実を喋らせるという規格外の能力も発揮できるようだが、ディシエント家は彼がそこまでは成長できないだろうと判断を下し、あわよくば私との婚姻で人前に立つナイアス様の失言だけは減らせればいいなあくらいの話ではあったのだけど。
本人はそんな事も知らず、まあ素直にあれもこれもペラペラとお話されてしまう困った存在に育ってしまった。
教育に失敗したディシエント家の皆様には反省をして欲しいとは思うわけですが。
しかし、直接関わらなければ大変興味深い存在なんですけどねえとアイスティーで喉を潤していると、向かい側からとても楽しそうなフレイが覗き込んでくる。
早く私もそっち側に立ちたい。
「オルティナは父母共れっきとした貴族だったのだから、貴族だ!」
「ご両親にもご本人にも爵位がないのに、貴族と言われると困ってしまうなあ」
私を睨みつけて喚くナイアス様に、フレイが茶々を入れる。視線は私に固定したまま。
フレイの守護精霊は、ナイアス様もヴォイワド嬢も好ましく思っていないらしく、ベストの胸ポケットに逃げ込んでいる。
特に人見知りではなかったのに珍しい…よほどこの二人から不快な香りでもするのだろうか…?
守護精霊と言えば、ヴォイワド嬢の守護精霊の姿が見えない。
ナイアス様の守護精霊は、意思疎通がちゃんとできないと実体化できない…と言うか、精神と同化したままになってしまう特殊タイプなのだけど、ヴォイワド嬢の守護精霊もそういうタイプなんだろうか、そこまで珍しいなら噂になっていてもおかしくないのにな。
「なんだと……この…間男風情が偉そうに!そもそもお前はどこの誰なんだ、僕にそんな偉そうな口をきいて」
「……私のこの趣味は、割と有名だと思っていたんだけど、そうでもなかったみたい?」
「いいえ?まともな貴族なら必ず一度は聞いた事あるはずよ」
「僕がまともじゃないとでもいいたいのか」
ナイアス様は、そもそも貴族の社交の場にほとんど出て来ない。出てくる時でもヴォイワド嬢をエスコートしているので、婚約者でない相手を連れている人間として遠巻きにされている場合がほとんどだ。
本人も交流とかは私がやれば良いと言う認識らしく、自分達をちやほやしてくれる人間としか会話をしない。
そのちやほやしてくれる人は、どちらかと言えばリジン家の金銭か伝手が目当てだと思うんだけど…。
かと言って市井での情報に詳しいわけでもなく、成人済みだと言うのに箱庭できゃっきゃしている坊ちゃんである、と思われている人間がまともなわけがない。
知らぬは本人ばかりなり…いや、隣の幼馴染もか。
「まともな男性は、婚約者との約束をキャンセルして他の女性の所に行ったりしませんでしょ」
「はっ!お前だって同じ事をしてるくせに偉そうに」
「今日、私がナイアス様との約束の場所に行かなかったのは、どうせ今日も来られないだろうと思っていたからですし、この状況を見たらそれは正しかったんですよね?婚約者とのデートに赤の他人であるヴォイワド嬢を連れてくるわけないんですから」
一人でここに来たなら、謝罪をするのも吝かではありませんでしたわ。
そう告げて砂糖菓子を摘まむ私を睨みつけるナイアス様だが、次の言葉は出て来ない。勢いだけで自分を正当化しようとするからすぐ行き詰るのが実にチョロい。
「あ…あの、ごめんなさい、私が不安で…ナイアスを呼んでしまったせいで」
「オルティナは悪くない!体が弱いのはオルティナのせいじゃないんだから!」
「でも、待ち合わせ場所にユフィカ様がいないって聞いて、私…謝らなきゃと思って…体調も少し良くなった所だったから、ついてきてしまったんです」
「はあそうですか」
旗色が悪いと見たのか、ヴォイワド嬢が謝罪っぽいものをねじ込んで来た。
体調が良くなったとか言ってるけど、お店の名前を見たからついて来たんだろうなあと思っている。それを狙って店名を書いたので、計画通りってやつですよ。
しかし庇う言葉を口にするナイアス様の、ご自分に酔った顔がすごい。ヴォイワド嬢もまあまあ自己陶酔感高めのお顔してるけど、ナイアス様は二割増しくらい。
気のない返事をした後、菓子を咀嚼する振りで口の内側を噛んで笑いを堪える。
フレイは笑いを隠そうともしてないので、おのれ…という気持ちで見てしまう。
かわいそうな自分演出で目を潤ませながら、フレイをチラ見するヴォイワド嬢が面白いのも勘弁してほしい。
「ふふ…いやすごい、病弱とは聞いていたけど、随分とココロは図太いらしい」
「なんだと!お前はオルティナに何の恨みがあるんだ不躾なやつめ!」
「恨み?そうだね、ユフィカが婚約者にすっぽかされ続けた時間がなければ、私がもっとユフィカと遊べたのになあという恨みかな」
「堂々と人の婚約者に横恋慕してる事を白状するとはな、語るに落ちるとはこのことだ」
もうやめて、私の口の中が(噛みしめすぎて)ズタズタになっちゃう…!
私の淑女外装がパージしてしまう前に、フレイについてのネタバレをする方が良さそうだなと思っていると、フレイがウインクをしてきた。
もうちょっと遊びたいのね、わかった。
アイスティーを飲む動きに合わせて軽く頷く。
私達のやりとりは見えていないらしいナイアス様が、ますますご自分に酔った様子で私との婚約の不満を連ねていく。
「そもそも、伯爵家の私が男爵家に婿入りと言うのが気に入らないのだ、お前が私に惚れて婚姻相手にとねだったのだろうが迷惑な話だ」
たすけて、アイスティーが口から出そう。
そんな事実はありません。婚約締結の場での話を何も覚えてないんだなと言う事しかわからない。
「だが!残念だったな!私の心は昔からずっとこのオルティナにある」
知ってた。みんな知ってた。何だったら、ディシエント伯爵夫妻から、婚約前に事細かに説明があった。
当時からずっと病弱な幼馴染参りをしていたので、ディシエント伯爵家の中でも婚約相手がナイアス様で大丈夫かと言う話はあったらしい。
婚約時期の少し前までは、実際に「病弱な幼馴染み」だったようだが、そこの真偽は気にしていなかったのでスルーした。
最終的に、かわいい三男に貴族でありつづけるチャンスをあげたい伯爵と、夢中になる相手がすでに要る方が面倒がないかなと思った私の合意をもって婚約のゴーサインは出たわけだが。
両家で取り決めとして、私の成人の儀から一年経った頃までに、ナイアス様の幼馴染参りが終わらなかった場合は婚約白紙にする事で合意が取れている。
皆薄ら気付いていたんだと思う。
ナイアス様の幼馴染への執着が、恋情とかではなく、自己陶酔によるものだと。
「ナイアス様……♡」
やめてたたみかけないで!なんとか飲み込んだぞ、これで口から出る事はない、ギリセーフ。
フレイ笑うな。
いやしかし自己陶酔ダブル劇場すごいな、これ席が横並びだったらお互い抱き合ってたんだろうな。
今はテーブルが広いので手を繋ごうとするだけでも大分不格好になるから、多分やらない。
「うん、もういいかな」
「そうね、終わりにしましょうか」
フレイと私は笑いをなんとか収めて、平静な声を出す。
楽しいお話はもう十分なので、後は手続きのお話です。
自分達の劇場に感涙していない私達に、お二人が怪訝な目を向けてきますが、その顔をしたいのはこっちなんだなあ…。
「ナイアス様、私が貴方に惚れた事実はございませんし、この婚約は両家の約定によって白紙になる事が決定しております」
「は…?はくし?」
「本日は、その最終確認のためのお約束でしたが、ナイアス様は待ち合わせ場所に現れず、私の元にヴォイワド嬢を伴って来た言う事で白紙にする条件を満たしました」
待ち合わせ場所に向かわせた侍従から、待ち合わせ時間より半刻程遅れて来たのはナイアス様の侍従のみだったと連絡を受けている。まあそんなこったろうとは思っていた。
そして、私の行先として伝えるように言ってあった店にヴォイワド嬢を伴って来たという事で、幼馴染参りの悪癖は終ぞ治らなかったという事が証明された。
私の成人の儀は一年と一日前。これで婚約白紙の条件は全て満たした、という事だ。
「これから、父とディシエント伯爵様にこちらの旨を連絡しますので、婚約は恙なく白紙になる事でしょう、良かったですね」
「おめでとう、これで二人の間に障害はなくなったね」
輝く笑顔で祝いの言葉を口にするフレイに、ナイアス様は呆けた顔を向けているが、ヴォイワド嬢の顔からは血の気が引いた。
ナイアス様がこのままだと貴族でなくなるという事が理解できるくらいの頭はあったんだなあ。
「そ…そんな!私のせいでナイアス様の婚約が白紙になるなんて…あの…考え直していただけませんか!」
「オルティナ…」
「私…私はナイアス様のために身を引きますから…」
「オルティナ、しかし私は」
「ナイアス様は黙っててください!」
必死の形相になったヴォイワド嬢に、ナイアス様が若干引いている。
これはあれかな、裕福なリジン家に婿入りしたナイアス様の愛妾として責任なし豪遊ありの生活を希望してた感じかな…?
いや、だったらもうちょっとナイアス様と私の時間をお膳立てしなければいけなかったのでは……。
等と考えていたら、私でもフレイでもない高い声がヴォイワド嬢の喚き声を遮った。
『その女、ずっと嘘のニオイでくさい!どっかやって!』
フレイの守護精霊が耐えられなくなったらしい。ベストのポケットに鼻より下を隠したままヴォイワド嬢を睨みつけている。
香りの精霊なのだが、人の感情や病なども香りで判別ができると言う話は聞いていたが、なるほど嘘のニオイか。
『"自分の事しか考えてないエグみのある酸っぱいニオイ"すごく不快!』
自分のためだけに嘘をついていると言われたヴォイワド嬢は蒼白だ。
『そっちの男の"自分に都合の良い事しか考えてない甘ダルいニオイ"と混ざってほんとうにさいあくのニオイ!』
自分に都合の良い事しか考えてないと言われたナイアス様は、一瞬赤くなった後で青くなる。
しかし甘ダルいニオイとは…嗅ぎたくないな。
利害関係のない精霊からの指摘にショックを受けた二人が大人しくなったので、私は持っていた婚約白紙の条件を記載した書類の写しを渡す。
「まあ、何を言っても婚約の白紙はもう決定事項ですので、お二人共お幸せに」
「嘘も自己陶酔もほどほどにね…」
二人の感情が無に近くなったのか、フレイの守護精霊は少し落ち着いたようだ。
私の守護精霊はフレイの守護精霊が叫んだあたりで私の髪にもぐりこんでいる。大きな音は余り好まない子なのだ。
もうこれ以上二人も騒ぐ事はなさそうだし、お疲れ様と労って収音幕を解除してもらう。
用も済んだし、私達が頼んだ物は(闖入者が来る前に)堪能できたので、彼らの注文分が運ばれる前にお暇しようか、とフレイに目配せをする。
頷いたフレイの胸元で、再度守護精霊が顔を出した。
『そういえば、そっちの女、病のニオイはしないけど、病の精霊のニオイはするよ』
さがしてたでしょう?
そう言った精霊の声に、私とフレイはヴォイワド嬢を凝視してしまう。
『病の精霊』は病をもたらすと言われており、あまり良い印象を持たれていない精霊だ。
それをわかって隠していたであろうヴォイワド嬢の顔色は、今や紙のように白い。
「どうして……」
「何…オルティナの精霊が、何だって…」
「ちょっとナイアス様は黙っててください」
ヴォイワド嬢の外見をじっくり見る。今多少血色が悪い以外は、化粧で隠せない肌荒れとかなさそうだし、目も充血していない。首や手首等に不自然に血管が浮いている事もない。
『病の精霊』は『真実の精霊』同様、意思疎通ができないと実体化できないタイプの精霊だ。
違うのは、病の精霊は守護する者の血に同化する事。
意思疎通ができていない場合は、血の巡りが不安定になり、それが元で不調が続くのだと言う。血の巡りの不安定さから、手首などに血管が浮くのも病の精霊が血に同化している者の特徴だ。
であれば、現在のヴォイワド嬢は病の精霊と意思疎通ができ、実体化できているという事になる。
私とフレイが手掛けている研究所で、常時募集中の稀有な人材が!こんなところに!
同じ事を考えたらしいフレイと目が合う。
頷き合った私達は、二人してヴォイワド嬢の手を取った。
「貴女の助けが必要です」
「私達の元で働きませんか」
「「給料は弾みます」」
「へぁ…?」
私とフレイは共同の研究所を持っている。
薬草と各種薬の交易で成功したリジン男爵家と、国内薬草管理の総元締めであるエクスターク公爵家が、それぞれの継嗣を代表として作った研究所。
そこで進めているのは特効薬の研究。今優先しているのは季節病と呼んでいる特定季節に流行する三種の病の薬。
その研究に、病の精霊と意思疎通できる人達を起用している。
病の精霊と呼ばれる精霊が血に同化している状態の人は、病のような症状に苦しむが、他の病に罹る事はない。
他の病に罹る事がないのは、守護精霊との意思疎通ができるようになって、血との同化が解けた人間も同様だ。
この事から、病の精霊は『病に対抗する力を持った精霊』であるというのが正しいのではないかと言う疑念から、病の精霊の守護を持つ人達を集めて研究し始めたのがこの研究所の始まりだった。
まだ三年程の若い研究所だが目論見が当たり、病の精霊の助言を元に作った薬が、既に幾つか流通に乗っている。
また、精霊との意思疎通ができる人間が正しく依頼すれば、精霊によって血の巡りを健全化させる事もできる。こちらの効果は精霊が守護している人間以外にも発揮されるため、様々な可能性を秘めているという事で特効薬と平行して研究が進められている。
病の精霊にも、特定の病への対抗策に詳しい者がいたり、対抗策には詳しくないが血の巡りの操作が上手い者がいたりと個性があるため、年齢立場職業問わず、常に、いつでも、こちらから探しに行きたいくらいには、病の精霊を守護精霊に持つ人を研究員/研究補助要員として募集している
意思疎通がまだ取れていない人でも構わず、そういう人達が精霊と意思疎通できるようにサポートもしている。
研究員でも研究補助要員でも、希望者には研究所近くの寮で生活が可能で、高給&衣食住の提供を保証している。
厚遇である。
長期で見れば、そこで保証した分など比較にならないくらいの儲けが出るのだから。金銭的にもだし、命の安全という意味でも。
募集をあちこちに貼りだしても、滅多に信じてくれる人がいないくらいの(いっそ怪しまれるくらいの)好待遇を用意してでも、喉から手が出る程に欲しい人材。
ここまでに述べた内容を精一杯簡略化して伝えつつ、私とフレイはヴォイワド嬢を口説き落としにかかった。
どうしてここまで気付かなかったのかと自分を殴りたい気持ちだが、その後悔は後にする。
待遇だけでも信用されないなら、この見てくれも存分に使いますと言わんばかりにフレイが畳みかける。
「ヴォイワド嬢、どうか私達にそのお力を貸してください、貴女が必要なのです」
「は…はい…!」
真っ赤になったヴォイワド嬢が思わずと言った風情で首肯したのを見た私は、すかさず精霊笛を鳴らす。
空間を越えて、研究所の事務部長・部長補佐の守護精霊に届く音を出す笛は、私とフレイだけが持っている特別な物だ。
この音が聞こえたと守護精霊が伝えたら、すぐに仮雇用契約の書類が届くシステムになっている。
「では、こちらにサインを」
届けられたほやほやの仮契約書を笑顔で差し出す。
ここにサインをした時点から、入寮が可能、その後研究所で病の精霊の特性や働き方の相談をしてから本契約になる。
ご家族と暮らしたい家を借りたい・買いたいとかの場合でも相談に乗る。
諸々の条件に、ヴォイワド嬢はやや上の空で返事をしつつもサインをしてくれたので、彼女はこれから私達の大切な研究所職員だ。
「ありがとう、一生大切にするよ」
「フレイ、そこまで」
気持ちはわかるけど、流石にそれ以上はヴォイワド嬢の未来を狂わせる。
もう今だって真っ赤になって完全に恋する乙女の顔だ。
熱烈に口説かれた(間違いではない)のでしょうがないのだけど。
先に言っておくべきだったんだろうなと思いつつ、改めて私達の紹介をする。一応雇い主になるのでね。
「ヴォイワド嬢、改めまして、これからよろしく、私達が貴女の雇い主になるユフィカ・リジンと」
「フレイミーナ・エクスタークだよ、よろしく」
「フレイ……ミー……ナ、さま…」
フレイの名前を復唱しながら、驚愕の顔を隠せぬままゆっくりとこちらを向くヴォイワド嬢。
我が国の五大公爵家の一つの継嗣の名前くらいは知っていてくれて助かった。
「えぇ、彼女はエクスターク公爵家のご令嬢よ」
「女同士、仲良くしようね」
「は…い…」
引き攣った笑みを浮かべてか細い声で返事をしたヴォイワド嬢は、そのまま意識を飛ばしてしまったようだ。
フレイに抱いて運んでもらうか。
フレイミーナ・エクスタークは公爵家令嬢である。着飾れば麗しの花、憧れの淑女とも言われる彼女は、男装の趣味があった。
豊かな胸をさらしとコルセットで押さえ、肩幅を増す細工をした上着を纏えば、元々背も高めだった彼女はなかなかの美青年に見えた。
時々、男装をしたフレイの外出に付き合うようになったのは、研究所ができた頃からだから三年程前からだったろうか。
面白いので時々私も一緒に男装をして出かけたりもした。
異性装趣味であると公言している事と、婚約者がそれを容認している事、時折その姿で夜会等にも参加する事から、社交界ではよく知られている話だ。
「と言うわけで、私は婚約者でもない男と会っていたわけではありませんでした、と最後にお伝えしておきます」
私達がヴォイワド嬢を口説いてる間に届いたアイスティーとケーキ達を前に、唖然としているナイアス様にそう挨拶をする。
全く、こいつが私の仕事やヴォイワド嬢の病弱設定にもっと詳しければ、もっとさくさく勧誘が進んだものを…とも思うが、些末な事だ。
今は一刻も早く新しい研究所職員が入る知らせを研究所に持って帰りたい。
「ナイアス様の今後がどうなるかはちょっとわからなくなりましたが、ご健闘を祈っておりますね」
「今回は、素敵な出会いをありがとう」
ヴォイワド嬢を横抱きにしたフレイを先に行かせ、私はまとめられた領収書を持って階下に降りる。
持ち帰り用の菓子を幾つか見繕い、まとめて支払いを終えた後、フレイが呼んでいた馬車に乗り込む。
面倒事で幕引きになる予定だったティータイムで、思わぬ出会いがあったので、今日は良い日だ。
笑顔を止められないのは私もフレイも同じ。精霊達もなんだかご機嫌。
「あぁ、それにしても」
と、フレイが何かを思い出したかのように空を見る。
「あの婚約者クンだけは、なんとも『すくいよう』がなかったねえ…」
「それはそう」
それはそう。
うまくやっていれば、私との婚約だって継続できただろうに。
ああ、でも、その場合、彼の自己陶酔を満たす存在はいなくなるわけだから、どっちにしても『すくいよう』はなかったかも知れない。
まあ強く生きていってくれ。
その後、あのテラス席での熱烈勧誘が噂になり、研究所に病の精霊の守護持ちの方々が少なくない人数来るという嬉しい反響があった。
ありがたやありがたや。
無い明日くんでした




