第四話 恩義の灯
夕暮れの八上城は、山の影が長く伸び、
城下のざわめきも次第に静まっていく頃だった。
秀香は、城の裏手にある小さな庭にいた。
苔むした石と、細い水の流れだけがある質素な庭。
ここは、秀香が八上に来てから、
ひそかに心を落ち着ける場所となっていた。
「秀香、ここにいたのか」
振り返ると、秀尚が立っていた。
月の光のように静かな兄は、
秀香の表情を見てすぐに察したようだった。
「昼間、地侍たちが何か言っていたのだろう。
“八上の頭脳は秀香様”と」
秀香は苦笑した。
「兄上たちの耳にも入っていましたか」
「城中の噂は、すぐに広まるものだ」
秀尚は秀香の隣に腰を下ろした。
庭を流れる水の音が、二人の間に静かに響く。
「秀香。
お前は、あの言葉をどう思った?」
秀香はしばし沈黙し、
やがてゆっくりと口を開いた。
「……私は、頭脳などではありません。
兄上たちがいてこそ、八上は成り立っています。
私はただ、その背を支えているだけです」
秀尚は穏やかにうなずいた。
「だが、お前が八上を支えているのも事実だ。
それを誇ってよいのだぞ」
秀香は首を振った。
「誇りではありません。
これは……恩義なのです」
秀尚が目を細める。
秀香は、胸の奥にしまっていた思いを静かに語り始めた。
「私は、もとは他家の子。
行き場を失いかけていた私を、
兄上たちは家族として迎えてくださった。
血のつながりなど関係なく、
“弟だ”と言ってくださった」
夕暮れの光が、秀香の横顔を照らす。
「だから私は、兄上たちのために働くのです。
八上のために動くのです。
それが、私にできる唯一の恩返しだから」
秀尚はしばらく黙っていた。
やがて、静かに言葉を落とす。
「……秀香。
お前がいてくれて、本当に良かった。
兄上も、私も、そう思っている」
秀香は目を伏せた。
胸の奥が温かく、そして少しだけ痛かった。
「ありがとうございます。
ですが私は、ただ……
兄上たちの光を支える星であれば、それで十分です」
秀尚は微笑んだ。
「星は、夜にこそ輝くものだ。
いずれ、八上が暗い時を迎えたとしても……
お前の光があれば、きっと道を見失わぬだろう」
その言葉に、秀香は静かに息を吸った。
兄の優しさが胸に染みる。
庭に夜の気配が満ちていく。
太陽の兄、月の兄、そして星の弟――
三つの光が重なり合う八上の家に、
静かに夜が降りていった。




