きみをまもるもの
約2400字の短編小説
「まだか、まだか、まだかまだかっ!!」
目の前の信号が青に変わるまで、わずか数十秒。今はそれが永遠に感じる。僕はハンドルを握りしめて信号を睨み付けた。
-急がなきゃ、早く行かなきゃ、間に合わない・・死んじゃう・・みどり!
妻のみどりが入院して、まだたった1週間。容態は安定していたのに、これほどの急変は初めてだ。
結婚して今年で20年、健康的な女性、というのがみどりの第一印象だった。結婚後もその印象どおり、みどりは健康そのもの、屈託のない笑顔が家族の中心に咲くひまわりのよう。
そのみどりが病魔に冒されて、もう2年になる。突然宣告された病に、艶々だった手は色あせ、目には隈が目立ち、髪の毛に白いものが混ざった。
そうだ、正に病魔、みどりの胸に巣くう、魔物。
信号が変わり、僕は力を込めてアクセルを踏んだ。
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「みどり!来たよっ!!」
病室のドアを開けるのももどかしく、僕はみどりを呼んだ。
ベッドに横たわるみどりは、酸素や点滴や、様々なチューブに繋がれて、薄く目を開けている。だけどその瞳の焦点は、どこにも合っていない。
「ああ、みどり、先生、みどりは・・」
僕は傍らの医師に問い掛けたが、医師は力なく首を振り、他のご家族にも連絡を、そんな事を言っただけだ。
「そんな・・みどり、みどりっ!」
呼び掛ける僕の声が届いたのか、みどりはほんの少し頭を傾け、か細い手を僕に向ける。
「あぁ・・みどり」
僕がみどりの手を取り、両手で包むと、みどりは小さな声を絞り出した。
「あ・・あなた、あなた・・来てくれたのね、うれしい」
みどりの言葉を聞いて、僕は愕然とした。と同時に、みどりの手に何者かの力が伝わり、僕の手を握りしめる。その力は驚くほど強く、みどりの力だとは到底信じられない。
「うわ!みどり、痛いよ!」
みどりの力は更に強まり、僕の手を絞り上げる。見開かれたみどりの瞳は、爛々と燃えるようだ。
そして僕の手に伝わる、この恐ろしいまでの力。それは僕の中に潜んでいた、僕自身の力を呼び覚ます。
これはみどりの力なのか?
僕は始めから感じていたもうひとつの違和感と合わせ、考え得るひとつの答えを口に出した。
「おまえ・・みどりじゃ、ないな?・・おまえ、誰だ!!」
僕は音としての声と共に、今ここで覚醒した僕の力を言霊としてみどりの、いや、みどりの姿をした者に叩き付ける。
自分にそんな力があるなど、これまで思ったことはなかったが、目の前のみどりの声を聞いたとき、そしてみどりの力が流れ込んだとき、僕の中で何かが破裂したようだった。
僕の霊圧に押されたように、みどりの眼が見開く。それは何者かの力に満ち、ぎろりと僕に向けられる。
「ほぉ、やはり力を持っていたな。それに、よく儂に気付いたの、お前、どうやって気が付いた」
みどりの口から放たれたのは、嗄れた老人、それも男性の声だ。
「みどりは僕を、あなた、とは呼ばない。名前で呼ぶんだ!結婚前も結婚後も、あなた、とは呼ばないんだ!ただの一度もだ!!」
ふぅむ、と納得したかのような表情を、ニセモノのみどりが作る。
「まぁ良いわ、儂には、お前のその力が必要だったのだ・・・いくぞ!!」
みどりはベッドに上体を起こし、両手を開いた。そして、か細くなってしまった両腕を僕に突き出す。その瞬間、僕はみどりの霊圧に押され、病室の隅に弾き飛ばされた。
「うぐっ!!」
-なんだ、今のは、なにかの塊がぶつかってきた・・これは、霊気?・・そうか。
「なるほど、そうやればいいんだな?お前に出来るんなら・・・俺にも出来るっ!!」
僕はみどりがそうしたように両手の平を思い切り開き、胸の前で合わせて力を込めた。
両手の平の間に、なにか温かいものが集まる。そしてそれは、急激に温度を上げた。
-これを撃てばいいのか・・だけど、みどりの体は、耐えられるのか?みどりは目の前で、まだ生きてるのに・・
僕は両手の平に集めた霊気を撃てない。ただでさえみどりは危篤だった。これを撃てば、みどりは本当に・・・死ぬ?
「お前など、すぐに祓える!だが・・・みどりはどこだ!ホンモノのみどりの魂は、どこへやった!」
みどりは、いや、みどりの中に巣くう何者かは、僕を鋭い目で睨み付けた。
「この女の魂かよ・・知るかよ」
そう言ってすぐ、何者かは口元を更にねじ曲げ、僕を嘲笑うように言った。
「いや・・もう儂が喰ろうてしもうたわ」
そいつの言葉を理解する前に、僕の目の前が暗くなった。そしてなにかが弾ける。もう、なにも考えられない。 憎しみに駆られる僕の耳に、そいつの声が響く。
「ほれ、ここじゃ、おまえ、ここを狙え・・ほら、早く」
そいつがみどりの胸を指差した。口元には笑みが浮かんでいる。
「おまえっ!ゆるさん!ゆるさないっっ!!」
僕は力の全てを両手の平に集め、そいつが指差す先、みどりの左胸に叩き込んだ。
みどりの体が、ガクンっと震え、一瞬ベッドから飛び上がったように見えた。
みどりの口から、嗄れた老人の声が漏れた。
「ああ、そうだ、それでいい、それでいいんだよ・・・」
「・・・五郎よ」
最後に僕の名を呼んだその声は、みどりの声に戻っていた。
僕はみどりの左胸に両の手の平を当て、頭をベッドに押し当てて泣いた。僕は、僕自身の手でみどりを死なせてしまった。そう思ったからだ。
そんな僕の両手を、細い指がなぞった。
顔を上げた僕の目に飛び込んできたのは、目を大きく開けた、みどりの顔だった。
「え?・・・みどり?」
「ごろうちゃん・・あれ?私、ずっと夢を見てたの?」
みどりが目覚めた。その瞳には力が宿り、心なしか頬が赤みを帯びている。
そしてみどりが語ってくれた、夢の話・・
「あのね、おじいちゃんがいたのよ、ずっと私の傍に。私が小さい頃に死んじゃった、おじいちゃん」
「それでね、おじいちゃんが言うの。おまえの胸の魔物を、じいちゃんが捕まえておくからって。それをな、五郎に祓わせるからって・・」
「どういう意味かな?」
「ね、ごろうちゃん、どうしたの?」
「どうしてそんなに泣いてるの?」
「ねぇ」
きみをまもるもの 了
連載形式の短編集にも入っています。
そちらもご覧いただくと、うれしいです。