悪女になると知っている
輝く銀の髪に赤い瞳。その美しさで男を惑わす稀代の悪女。
自分の思い通りにならない世界など必要ないと、召喚した悪魔の力で崩壊させようとして聖女たちに倒される運命。
傲慢で醜悪な公爵令嬢アシュリーはラスボス悪女である。
(うそでしょ……ここってあの小説の世界じゃない)
目の前で癇癪を起こしてメイドに茶器を投げつけている銀髪赤目の美少女────公爵令嬢アシュリーにドン引きしながらナタリアは前世を思い出していた。
ここは前世で読んでいた小説の世界に間違いない。
確信したところでナタリアは自分の立ち位置を確認する。
ふんわりとした栗色の髪にわりと可愛らしい容姿をした伯爵令嬢ナタリア。
うん、死ぬ運命であるモブ令嬢だ。
ナタリアの前世は田舎に住む不良少女だった。
悪事を働くのは日常茶飯事。
田中さんちのじいさんから盗んだトラクターで爆走し、
「はっ、こんなボロいトラクターなんざ完全に壊れるまでアタシが乗り回してやんよ!」
と言いながら時速30キロで農道を駆け抜けたこともある。
壊れる前に田中さんちのじいさんに取り返されたが謝罪は一切せず『たまに制御不能になるようなボロを乗り続けてんじゃねぇよクソジジイ』と吐き捨てた。
田中さんちのじいさんが飼っていた烏骨鶏を数羽盗んだこともある。
「あのジジイまともに育てられないくせに何でもかんでも飼いやがって」
と愚痴を溢しながら悪い笑みを浮かべ、家畜入門書片手に烏骨鶏をこれでもかと可愛がってやった。
週一で産むらしい卵が楽しみだ。烏骨鶏卵の高級とろけるプリンを作って同じクラスの隣の席の男子にごちそうしてやろう。
彼はとろけるプリンが大好きだから。
しかし卵をお目にかかる前に田中さんちのじいさんに奪い返された。その後まともに育ててもらえなかった烏骨鶏たちが天寿を全うできなかったことは一生恨み続けている。
高校には週に三日ほどしか登校せず留年寸前。
たまに登校すれば隣の席のサッカー少年にちょっかいばかりをかけていた。
「西条なに読んでんの?」
「北大路から布教された小説だけど」
「へー……面白そうじゃん、貸しな」
そう言ってサッカー少年から無理やり何かを取り上げたことは数えきれないほど。
「俺まだ途中までしか読んでないんだけど」
「ケチ臭いこと言うなって。先に読んで感想を聞かせてやんよ」
「絶対やめろよな」
サッカー少年との何気ないやり取りはいつも楽しかった。
その日の夜は夢中で小説を読んだ。
彼はまだ途中までしか読んでいないと言っていた。こんなに面白いものを途中までしか読んでいない状態で取り上げてしまったことを悔やんだ。
「……ふん、次に学校に行く時はガトーショコラでも持ってってやるか」
どれだけ意地悪をしても後から詫びを渡せば、サッカー少年はいつも機嫌よく受け取ってくれるのだ。
そして三日後の放課後。
部活中の彼に渡そうと小説とガトーショコラを入れた手提げカバンを持って通学路である農道を登校中、後ろから聞こえてきた轟音に振り向いた。
黒い煙と赤い車体が目に入ったところで、ナタリアの前世であった不良少女はその生涯を終えた。
***
さて、前世を思いだしたところでナタリアは考えた。
現在の彼女は十歳。
目の前でわめき散らしている同い年の少女は公爵令嬢アシュリー。
彼女は将来闇落ちして悪魔と契約してこの世界を滅ぼそうとし、ナタリアはそのとばっちりで死亡する運命。
冗談じゃない。
小説では主人公である聖女が、王子、宰相令息、騎士団長令息、魔術師団長令息と共に戦い、アシュリーを討ち取ってハッピーエンドを迎える。
ナタリアにとっては全くハッピーではない。自分が死んだ後にハッピーになられても胸くそ悪いだけだ。
(今から性格を矯正すればまだ……間に合う……?)
目の前でメイドにクビを言いつけているアシュリーを見ながらナタリアは思案する。
小説でのアシュリーは幼少期からすでに我が儘で傲慢でどうしようもなく自分勝手な性格だった。
目の前のアシュリーも今までに何人もの使用人を罵り踏みつけ辞めさせている。
記憶が戻る前のナタリアが『さすがに可哀想では……』と止めたことがあるが、『可哀想というのは不快にさせられたわたくしのことよね? 違った? 違うなら……あなたのお家、どうなるかしらね、ふふ』と脅しを受けた。
当時のアシュリーは七歳。
七歳にしてすでに悪女完成形だった。手遅れである。
ナタリアは諦めた。
諦めて好きに生きてやろう。
さっそく両親にアシュリーとはもう関わりたくないと頼んだが却下された。
公爵家の派閥に属しているからだ。父にはアシュリーと仲良くできないのならこの家から出ていけとまで言われてしまう。
クソ親父め。
ムカついたナタリアはストレス発散のために家のお金をくすねてやった。
前世で不良少女だった彼女には家のお金を盗むなど朝飯前だ。
それを使ってこの国では馴染みのない野菜の種や果物の苗を他国から仕入れた。
前世の記憶があるナタリアにとっては馴染みがあるものばかりで空き地で育てた経験済みだ。
おいしく調理する方法も知っている。
伯爵家は交易の発展を見越して近い将来高く売れるであろう土地をいくつも所有していたので、その中の一つに勝手に菜園を作ってやった。
広大な土地だ。さすがに手が足りないのでそこらをうろついていた浮浪者を無理やり従業員にして働かせた。もちろんお給金はしっかり払う。伯爵家からくすねたお金から。
アシュリーとの交流を断つことはできなかったので、ストレスがたまった時は素性を隠して孤児院の子供たちと全力で遊んだ。
菜園で採れた果物を使って子供たちと一緒にスイーツを作り、孤児院の経営者名義で開いた店で販売してぼろ儲けした。
もちろん儲けは孤児院と山分けだ。
伯爵家が所有する土地は山ほどあるので、別の土地では前世での心残りであった烏骨鶏をたくさん飼うことにした。
今度こそ最後まで可愛がってみせる。
手が足りないのでそこらをうろついていた浮浪者を従業員にして働かせた。もちろんお給金はしっかり払う。
前世の世界とは違いこの世界の烏骨鶏は卵をよく産んだ。さすが異世界。
それを使って夢にまで見た高級とろけるプリンを作った。
前世で何度も試行錯誤を繰り返し、生クリームと牛乳を絶妙に配合させたとろけるプリンだ。
孤児院の経営者名義でオープンさせた店で販売してぼろ儲けした。
もちろん儲けは孤児院と山分けだ。
家に内緒で稼ぎまくったナタリアは、いつ勘当されても大丈夫なほどの財産を得た。
アシュリーが闇落ちしそうになったらすぐにとんずらする準備はばっちりだ。
十五歳になったナタリアは王立高等学園に入学した。
前世で読んだ小説の物語は主人公がこの学園に入学するところから始まる。
ナタリアは小説と同じように学園内ではアシュリーの取り巻き令嬢をしている。
学園ではアシュリーに従順な取り巻きを演じて、放課後や休日は白いふわふわ烏骨鶏を愛でたり、お金をがっぽがっぽ稼いだり、過剰に収穫できた野菜を使って貧民街で炊き出しをしたり、子供たちと遊んだりした。
ふんわりとした栗色の髪をお下げにして眼鏡をかけ素朴なワンピースを着ていれば、誰も彼女が貴族令嬢だと気づかない。
このままアシュリーが乱心しなければ今の楽しい生活が続けられるが、アシュリーの性格は腐ったままなので無理だろう。
小説ではアシュリーが闇落ちするのは十七歳になってから。
闇落ちの原因となる田舎令嬢は他のクラスに在籍しているためまだ面識はないが、アシュリーが田舎令嬢に意地悪し始めたらすぐにとんずらする予定だ。
そして月日は流れて十七歳になり、運命の日が近づいてきた。
ナタリアはいつでもとんずらできるため心に余裕があるが、何だかんだで充実していて楽しいこの生活が終わってしまうのは寂しく感じていた。
「さぁ、今日は何をして遊びましょうか」
孤児院の庭で子供たちと遊んでいると、ふと帽子を被った顔見知りの少年がこちらに手を振っているのが目に入った。
素性は知らないが同い年の少年だ。
「……あの人また来たのね。どうせお菓子目当てでしょうけど」
呆れたような口調とは裏腹にその口元は嬉しそうに緩んでいる。
今日はちょうど少年の大好物である烏骨鶏卵のとろけるプリンがある。仕方ないからご馳走してあげよう。
***
宰相令息であるサミュエルはふとしたきっかけで前世を思い出し、ここが前世で読んだことのある小説の世界だと気づいた。
「マジかよ……なんで騎士団長の息子じゃないんだよ……!」
そう言って頭を抱える彼は、涼しげな青みがかった銀色の髪に知的な瞳を持つ眼鏡をかけた十歳の少年。
見た目だけなら秀才そうな美少年だが、彼は体を動かすことが大好きで頭を使うことが大の苦手だ。
興味を持ったことは自然と頭に入りすんなり覚えられるが、それ以外は覚える気がない。そもそも覚え方すら分からない。どれだけ学ぼうともすぐに忘れてしまう鳥頭。
今日も彼は家庭教師が家にくる予定だったのに騎士団の演習場に遊びに行って体を動かしていた。
途中で思い出して家に帰ったが、待ちわびていた家庭教師に出された抜き打ちテストで0点を取ってしまい父に叱られて殴られて、ついでに反省しなさいと蔵に閉じ込められた。
反省する気がない彼は暇潰しするために蔵の中の棚を漁り、無意識に『漫画読みてぇなぁ。せめてラノベがあればいいのに』と呟いたところで前世を思いだした。
サミュエルの前世は田舎に住む少年だった。
サッカー推薦で入学した高校に通っていたが、赤点、追試は当たり前で留年寸前。
休み時間はクラスメイトのオタク少年から漫画やラノベをよく借りて読んでいた。
「北大路~なんか面白いの持ってない? 何系でもいいわ」
「よくぞ聞いてくれたよ西条くん」
いつものようにオタク少年に何か借りようと話しかけると、一冊のラノベを手渡された。
「今ちょうど僕のイチオシを布教中なんだ。それあげるから読んで感想を聞かせてよ」
「え、くれんの? ラッキー。んじゃ遠慮なく貰うわ」
貰えるものは何でも貰う主義な彼は小説をありがたく受け取った。
自分の席に戻って早速読み始める。
裏表紙のあらすじによると、田舎令嬢が主人公の学園ものらしい。
心優しい主人公が聖女の力に目覚め、王子や高位貴族の令息たちと親しくなっていき、最終的にはラスボス悪女と戦うというストーリー。
なかなか面白い。
休み時間に読み耽り、午後の授業が始まる前も自席に座って読んでいた。
もうすぐラスボスの公爵令嬢アシュリーが登場するというところで、隣の席の不良少女が登校してきた。
「西条なに読んでんの?」
「北大路から布教された小説だけど」
「へー……面白そうじゃん、貸しな」
そう言って上から本を取り上げられた。
いつものことだ。
隣の席の不良少女はやたらと彼にちょっかいをかけてきては何かを奪っていく。
奪われたものは数日後に手作りのお菓子が添えられた状態で返ってくるのがいつものパターン。
気まずそうに目を逸らしながら頬を赤らめて『……悪かったな』と謝ってくる見事なツンデレぶりまでがセットだ。
そんなやり取りが案外気に入っているので奪い取られた小説は取り返さない。
続きがすごく気になるが、ツンデレの方が優先順位は上である。
次はどんなお菓子を作ってくれるのかな。
数日後に不良少女が登校してくることを楽しみに待っていた彼は、サッカーの練習中にゴールポストに頭を強くぶつけてその生涯を終えた。
***
さて、前世を思い出したところでサミュエルは考えた。
自分は前世で途中まで読んだ小説の登場人物だ。
主人公と仲良くなりラスボス悪女に立ち向かう頭脳明晰な宰相令息。
その知識を以て仲間たちをサポートする役目。
「俺には無理だな」
サミュエルは諦めた。
小説の主人公には他にも仲間がいるしブレーン担当は学年一の秀才が務めてくれるだろう。
そんなことよりも彼は先ほど見つけた黒い本に夢中だ。
書かれている文字は何一つ読めないが、これはきっと黒魔術か何かの本に違いない。
「一生勉強しなくて済むようなすごい魔術を習得してぇな~」
煩悩を抱きながらページをめくる。
魔法陣が描かれたページを見つけた彼は大興奮。指先に自分の鼻血がついていることに気づかないまま魔法陣をそっと指でなぞった。
「ん?」
魔法陣が赤黒い光を帯びたかと思えば本から黒い煙がたちこめて、目の前に黒い生き物が現れた。
成人男性ほどの大きさで二足歩行だがどう見ても人間ではない。捻れた二本の角に鋭い牙と爪、骨張った黒い翼。髪も肌も全身真っ黒だ。
「Φ△ΛΘΠ■×Ψγ〇κξ×●Я*φы▼?」
黒い生き物がサミュエルに話しかけてきた。
人語ではない。
しかしなぜかサミュエルにはその意味が理解できた。
────我は叡智の悪魔。我が主となった欲深き少年よ、我に何を求める?
「えいち? って何だ?」
「Ε○Φβ●ЁК✕◆УЙф#Δя▼○ΞБΧ」
「ふーん……つまりお前はめちゃくちゃ頭がよくて何でも教えてくれるってわけだな」
サミュエルは悪魔と会話を続けていろいろ質問した。
悪魔は召喚者に従順な僕。可能な限り何でも願いを叶えてくれるようだ。
悪魔の声は召喚者にしか聞こえず、姿も召喚者にしか見えないため目立つことはない。
「へー……つまりこれからはお前にテストの答えを教えてもらえるってことだなッ! 誰かに難しいことを聞かれてもお前にこっそり聞けば楽勝じゃん! ラッキーー!!」
サミュエルは大喜びした。
叡智の悪魔は様々な知恵を授けてくれる悪魔。
人を意のままに操ることも、災いを呼び寄せて世界を破滅に導くことも、この悪魔の力を借りれば実現可能となる。
しかしサミュエルは勉強せずとも父に叱られないように、完璧な秀才を演じることだけに悪魔の知恵を借りた。
「好きなことができるって最高だな!」
サミュエルは勉強をサボって騎士団の訓練に参加してメキメキと実力を伸ばし、騎士団長に認められるほど強くなった。
どれだけ勉強をサボってもテストは満点。どれだけ難解な質問をされようともその場でスラスラと答える秀才ぶりを発揮。
好き勝手していても父に叱られない。最高だ。
十五歳になったサミュエルは王立高等学園に入学した。
前世で読んだ小説の物語は主人公がこの学園に入学するところから始まる。
サミュエルは小説と同じように頭脳明晰な宰相令息となった。
あれ? これって俺が小説と同じ役割ができるじゃんと思ったが、小説は途中までしか読んでいないのでラスボス悪女がどんな風に闇落ちして自分たちがどんな風に戦うのかは知らない。
ラスボスといえど今はクラスメイトだ。顔見知りを倒すのは気が引けるので、その時はできるだけ平和的に解決できるように叡智の悪魔の力を借りよう。
それまでは好き勝手に過ごすことにした。
そして月日が流れてサミュエルは十七歳になった。
勉強をサボって騎士団の演習場で体を動かして町に遊びに行って、困っている人を見かけたら悪魔から知恵を借りてスマートに助ける。
なんて充実した楽しい生活だろう。最高だ。
「さて、今日はあの子いるかなぁ~」
叡智の悪魔の力を借りて変色魔術を覚えたサミュエルは、青みがかった銀色の髪を黒に変えた。眼鏡を外して帽子を被り、庶民の格好で行きつけの孤児院に向かった。
いつも子供たちと楽しそうに遊んでいる栗色の髪の女の子がいることを期待しながら。
***
(アシュたんが目の前にいる……!!)
金髪碧眼の第一王子ヴィンセントは、婚約者になった公爵令嬢アシュリーとの初顔合わせの茶会で前世を思い出した。
ヴィンセントの前世は田舎に住むオタク少年だった。
漫画、ラノベ、アニメをこよなく愛し、学校ではお気に入りの作品の布教活動に勤しんだ。
「北大路~なんか面白いの持ってない? 何系でもいいわ」
「よくぞ聞いてくれたよ西条くん」
いつも暇になると何か借りにくるクラスのサッカー少年に、一冊のラノベを手渡した。
田舎令嬢が主人公の学園ものだ。
心優しい主人公が聖女の力に目覚め、王子や高位貴族の令息たちと親しくなっていき、最終的にはラスボス悪女と戦うというもの。
ありふれたストーリーだが、彼は裏表紙に描かれていた公爵令嬢アシュリーに一目惚れした。
「今ちょうど僕のイチオシを布教中なんだ。それあげるから読んで感想を聞かせてよ」
「え、くれんの? ラッキー。んじゃ遠慮なく貰うわ」
サッカー少年は自分の席に戻って小説を読み始めた。
スポーツ万能でイケメンな彼は学校一の人気者。彼が気に入って友達に薦めた本やアニメはいつも学校中の噂になる。
「西条くん、この前の小説はどうだった?」
「あー……あれな。途中までしか読んでないのに下渕に取り上げられてさ~」
数日後。小説は読み終えたかとサッカー少年に質問したところ、隣の席の不良少女に取り上げられたと答えが返ってきた。
「そろそろ登校してくるだろうから、その時に返してくれると思うんだけどな」
「そっか……」
不良少女は数日おきに登校してくる。だいたい午後の授業前だったり放課後だったりする。
放課後に来て何をしているのかというと、サッカーの練習見学だ。
しかし彼女が今日来るとは限らない。
そんなのは待っていられないと、放課後になると布教用の小説を取りに急いで家に帰った。
今日は金曜日。サッカー少年にはどうしても今日渡して週明けに感想を聞かせてほしい。
早く愛しのアシュたんについて語り合いたい。
サッカー少年は放課後は部活をしているのでそんなに急ぐ必要はなかったが、逸る心から必死に農道を走って急いで学校に向かった。
そうして土手から足を滑らせて頭を強く打ち、ヴィンセントの前世であるオタク少年はその生涯を終えた。
***
さて、前世を思い出したところでヴィンセントは考えた。
目の前の銀髪赤目の十歳の美少女は、前世の推しである公爵令嬢アシュリー。
自分は彼女の婚約者になった第一王子。
(つまりアシュたんの成長をこの目に焼き付けられる!?)
ヴィンセントは歓喜した。
推しが立派な悪女となる様を見届けられるなんて最高だ。
もちろん彼女が叡智の悪魔を召喚して闇落ちする未来は阻止したいが、小説でのアシュリーは幼少期からすでに我が儘で傲慢でどうしようもなく自分勝手な性格。
他人に諭されても火に油を注ぐだけ。
相手が王子だろうとその場でしおらしくなるだけで、後から使用人に当たり散らす激しさが増すだけだろう。
それなら彼女には自由にのびのびと悪女になってもらおうではないか。
あわよくば自分も罵られたい。いや、好機は自ら進んで掴まなければ。
「お願いだから私も罵ってくれないか!」
思わずテーブルに両手をついて立ち上がって叫んだ。
「罵る……?」
「そう。君が弱い立場の人間を見下して踏みつけて罵っていることは知っている。だから私も罵ってほしい」
接続詞がおかしい。アシュリーは眉をひそめた。
「もちろん処罰なんてしない。そうだ私の命令ということにしよう。君は今日から私を罵って生ゴミのように扱わなくてはいけない。この場にいる君たちが証人になってくれ」
サロンの中にいるヴィンセントの専属護衛とメイド数名は証人にされた。拒否権はない。
その日からアシュリーに罵られる夢のような日々が始まった。
「今頃来たのですか。この愚図」
「すまないね。道が混んでいたんだ」
「言い訳は結構です。今日は地べたに這いつくばって紅茶をすすりなさい」
「分かったよ。ありがとう」
何に対してのお礼なのかその場にいる全員が理解できるほど、この光景が日常と化していた。
そしてヴィンセントは十五歳になり、王立高等学園に入学した。
演技でも何でもなく素で自分のことを生ゴミとして扱ってくれるアシュリーには感謝しかない。毎日幸せだ。
アシュリーはといえば、ヴィンセントを罵るようになってから使用人に対する当たりが少しだけマシになっていた。
この国の王族を罵れる特権に優越感を覚えているのだろう。
中身は生ゴミでも外側は金髪碧眼の美男子で次期国王。
一緒にいることや将来結婚することに嫌悪感はないようだ。
中身はどうであれ婚約者からしっかり愛されていると実感しているアシュリーは、他の男を誑かすこともしない。
そして十七歳になったある日。学園の中庭をヴィンセントとアシュリーが歩いていると、目の前に一人の女生徒が飛び出してきた。
「ちょっと悪女! あなた何かしたでしょう? どうして私に聖女の力が発現しないのよ!」
アシュリーを指差しながらわめき散らすのは田舎令嬢。小説の主人公だ。
(やはり彼女も転生者か)
ヴィンセントは納得した。
入学した時に田舎令嬢について調べたが、真面目で優しい小説の主人公とは性格があまりに違っていたから。
聖女の力は慈しみの心を持っていないと発現しない。田舎令嬢は小説の内容をそこまで覚えていないようだ。
ヴィンセントは護衛騎士の一人に手招きした。
「あの子を学外に連れていってくれるかな。後で私が田舎に送り返す手筈を整えておくから。今回だけ見逃してあげるけど次があれば消すよって警告しておいて。本気だと伝わるように殺気をたっぷり込めてね」
「承知しました」
護衛騎士に連れて行かれた田舎令嬢がその後王立高等学園に姿を現すことはなかった。
「何だったのよ、さっきの無礼な子は」
アシュリーがわなわなと震えだした。学園内なのでわめき散らしはしないが、静かに怒りを滾らせている。
「変な子だったね。きっと頭の中におかしな虫でも飼っているのさ」
「あなたじゃあるまいし」
「もう少しパンチを」
「虫以下の目障りなゴミはあなただけで十分よ。さっさと廃棄場へお帰りになったらどうかしら」
「いいね最高だよ。ありがとう」
***
「こんにちは。今日も来てたんだ」
「それはこっちの台詞よ……元気そうね」
孤児院の中庭にて。
町の少年に扮した宰相令息サミュエルと町娘に扮したモブ令嬢ナタリアはいつものように挨拶を交わした。
「何かお菓子はある?」
「あるけどタダじゃあげないわよ」
「何でも手伝うから遠慮なく言って」
「今から町にゴミ拾いに行く予定なの。手伝ってくれたらとろけるプリンをご馳走してあげるわ」
「やったぁ。君が作るとろけるプリン大好きなんだ」
「っ……! ……そう。しっかり役立ってよね」
「もちろん!」
嬉しそうに顔を綻ばせるサミュエルがあまりに眩しくて、ナタリアは頬を赤く染めて目を逸らした。
公爵令嬢アシュリーが闇落ちすることなく、いつまでもこの幸せが続けばいいのにと密かに願いながら。
最後までお読みくださりありがとうございました。
※烏骨鶏を飼養する場合はお住まいの地域の飼養衛生管理基準をしっかりご確認ください。
※トラクターや烏骨鶏を盗んではいけません。