異世界2-01 世界の喪失は然れど Side O
ここ二百年、一度も使わなかった魔力を用いて、オリヴェールは自身の庵へ転移した。
腕に抱いた少女は意識を失ったまま。クタリと力の抜けた身体を寝台に下ろし、彼女から離れようとした。が――
「……」
いつの間にやら、少女の左手がオリヴェールのローブの袖を握り締めていた。その行動に憐れを感じ、オリヴェールは一つ嘆息する。ベッドの端に腰を下ろし、次いで、少女の頭上に片手を翳した。
(『走査』……)
魔力の波動が少女の体内を走る。数秒で彼女の身体の不調が読み取れた。疲労に栄養不足。辛うじて病の気配はないが、酷く衰弱していることが分かった。
「治癒」の魔術を掛けようとして、オリヴェールは思い留まる。
二百年使用を避けていた魔術を、今日だけで既に四度使用している。一度目は、感知したリリーの魔力の元へ駆け付けるため、二度目は、襲われる彼女を救うために。そうして、「転移」で彼女を運び「走査」で体調を改めた。
行きに使用した身体強化は兎も角、帰りの転移は魔力の消費量が桁違いに多い。使用は避けるべきであったし、走査に至っては過剰な魔術行使、魔力の無駄遣いだったと言える。
(気が急いたか……)
己に向かって泣き顔のまま笑った少女。虚を突かれ、平常心を失った。それこそ、最後に抱いたのはいつか記憶にないような感情――焦燥感に突き動かされてしまった。
オリヴェールは、未だ目を覚まさぬ少女の頬に触れ、その寝顔を眺める。
(……十二年。人の成長は早い)
魔術のない生活を厭ってここを飛び出していった幼子は、しかし、その魂を伴わずに帰ってきた。女神レステレアの愛し子である彼女の身に何が起きたのか。それは、少女自身の口から語ってもらう他ないだろう。
胸にヒタヒタと押し寄せる遣る瀬無さを感じつつ、オリヴェールは少女の髪に触れる。かつてそうしていたように、そのまろい頭をゆっくりと撫でた。
「……ん。……ここ、は?」
時間にして半日。庵の外がすっかり夜の闇に覆われた頃、少女は目覚めた。起きて直ぐに周囲を見回す彼女の視界には、殆ど何も見えていないだろう。
「……お前がいるのは私の庵だ。私が誰か、理解できるか?」
オリヴェールの声の近さに驚いたらしい少女は、ずっと掴んでいたローブの袖をパッと手放し、ベッドの隅で縮こまる。怯える彼女から距離を取るべく、オリヴェールは立ち上がった。壁掛けのランプへ近づき、ろうそくに火を灯す。同じように、部屋の四隅にあるランプにも火を入れた。
部屋の中が薄ぼんやりと明るくなったところで、オリヴェールは少女の元へ戻る。彼女の視線が、オリヴェールの一挙手一投足を見守っていた。
先程までと同じように、オリヴェールはベッドの縁に腰を下ろした。少女の目に光るものを認め、その頭に触れる。
「……泣くな」
「っ!オリヴェール様……!」
少女が彼の名を呼んだ。どうやらオリヴェールの存在は認知しているらしい。
(だが……)
僅かに覚える違和感は何だと考えて、オリヴェールは「ああ……」と得心する。
「……魂換の秘術か」
「っ!」
「この大陸で私の真名を知るのはリリーだけだ。だが、あれは私を名で呼ばぬ。……リリーの器に在りし者よ、お前は何者だ?」
オリヴェールの問いに、少女の目から涙が溢れ出す。後から後から、止まる様子のないそれに、オリヴェールは静かに少女を抱き締めた。自身の心臓の音を聞かせるため、彼女の頭を胸元に引き寄せる。かつての幼子にそうしていたように。
「泣くな……」
「ごめ、ごめんなさい……!私は……っ!」
そう言って、嗚咽の中、少女が語ったのは、オリヴェールが半ば予期していたもの。その中でも、最悪の結末だった。
「……まさか、あれが殺されようとはな。しかも、魂で界を渡るとは……」
魔術の祖であるオリヴェール達の一族においても、世界を渡れるのはよほど適正のある者だけ。それを「憑依」を用いて成したリリーの才には驚くが、同時に、無念の思いが込み上げる。
(人族は愛し子を失った、か……)
苦い思いに、自然、オリヴェールは黙り込む。
腕の中の少女――ミサキと名乗った、本来は二十七歳の女性が顔を上げる。こちらの様子を窺う彼女の表情が曇った。
「……すみません。助けていただいたのに、中身が私で。……リリーのこと、大切にされていたんですよね?それがこんなことになって……、あの、私、何て言ったらいいか……」
俯き、「すみません」と小さく繰り返したミサキが、腕の中から抜け出そうと身じろぎする。彼女に回していた腕を解きながら、オリヴェールは首を捻った。
「何を謝る必要がある?リリーの死に関して、ミサキが責を負うことは何もない」
「そう、なんですけど。……でも、オリヴェール様はリリーを助けたつもりだったのに、私が成り代わったせいで、彼女とはもう……」
言って痛ましそうな視線を向けてくるミサキに、オリヴェールは「ああ」と苦笑する。
「成り代わったというのであれば、それを成したのはリリーだ。むしろ、謝罪すべきはリリーの方だろう?……すまなかった」
オリヴェールは不肖の弟子の所業を詫びる。不思議と、彼女との別離を悲しむ気持ちは生まれなかった。
かつて、魔術以外、自身の持つ知識の全てを分け与えようとした少女。彼女は自らの心の赴くまま、オリヴェールのもとから飛び立った。その行く末を案じ、教会にて聖女の神託を受けるまでは見守ったが、オリヴェールは一度も彼女を連れ戻そうとはしなかった。
「望む生を歩めば良い」、そう思っていた。だから――
「……案外、あれは、ミサキの世界に渡ったことを喜んでいるやもしれん」
「え……?」
戸惑うミサキに、オリヴェールの口元が知らず弛む。
「好奇心の強い子だからな。……新たな世界に心躍らせている姿が目に浮かぶ」
「……そう、なんでしょうか?……だったら、ちょっと報われます」
オリヴェールの言葉に遠い目をして、ミサキは淡く微笑んだ。オリヴェールの手が、自然と彼女に伸びる。
「え?あの……」
何かを言いかけたミサキを、オリヴェールは再び腕の中に抱きしめた。
ミサキに降りかかった困難は理不尽なもの。けれど、彼女はそれに対する恨みつらみを口にするでなく、元凶の一人とも言えるリリーの幸福に安堵してみせた。
オリヴェールは、あやすように彼女の背を叩く。隠されて見えない彼女の傷を癒すため。もう一度、出逢った瞬間の彼女の笑みを見たいと願いながら。




