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【第四章 四人の男】 (八)酒宴

(そう)ちゃん。こっちに混ぜてもらっていいかな」


 立川(たちかわ)三嶋(みしま)を加えた四人で料理を食べようとしているところに、医師の中野(なかの)が顔を覗かせた。白髪交じりだが、まだ二十代だ。本当は、大先生と呼ばれる彼の父親が離れでの宴に出席するべきだったのだが、体調不良を理由に断ってきた。中野家は(ひのき)に関する人々が何かあるとかかる医者だが、殺人がらみの話には加わってこない。代わりに、檜に関する人々の間で孤児が出ると、たいてい中野家が引き取って育てることになる。前に、大先生が「殺すより生かすのが仕事だから」と冗談めかして言っていた。そんなこともあって、宴にも若先生と呼ばれる息子を寄越したのだろう。


「ちゃあんと土産はもってきたから」


 いたずらっぽく笑って、一升瓶を掲げる。


「どうぞ。今、料理を用意させるよ」

「いや、食べるだけ食べてきたんだ。つまみがあればいいよ。こっちにも大人はいるだろう?」


 一同を見回した中野は、立川と目が合うと会釈する。立川も、指先で猪口(ちょこ)をくいっと動かすしぐさをして、「いいですね」と応じた。


「じゃあ、つまみを用意させようか」

「いいよ、それも持ってきた」


 ズボンのポケットから紙袋を出すと、座卓の上で開いてみせる。豆菓子だった。


「それから、徳利(とっくり)と猪口。ちょうど三つ持ってきて良かったな」


 上衣の左右のポケットから、ごそごそと陶器の徳利と猪口を出す。


「よく見つからずに持ってこられたね」


 惣時郎(そうじろう)はあきれた。中野はかまわないふうで、徳利に酒を注ぎ、猪口とそろえて立川の前に置いた。それから、現一狼(げんいちろう)の前にも同じように置こうとする。


「いや、失礼します。おれはまだ、酒が飲めないので」


 現一狼が手で制した。一瞬、惣時郎は意味がわからず、三嶋と顔を見合わせた。が、気がついて唖然とする。


「まさか、おまえ、未成年?」

「悪いか。今は、まだ十八だ。もうすぐ、十九になる」


 ばつが悪そうに現一狼が惣時郎を睨んだ。


「それじゃあ、俺と一つしか変わらないじゃないか」


 ちびりちびりと酒を飲んでいた中野が、「老けて見えるな」とぼそりと言った。

 立川が、くっ、と笑い声を漏らす。確かに、二十代なのに白髪交じりの中野に言われたくないに違いない。中野が猪口を座卓に置き、顔を上げた。真顔が怖い。

 中野の視線を避けるためか、立川が顔の前で手をぱたぱたさせた。


「ああ、いや。それで、げんいちろうさん、だっけ。あんたはなんで檜家に?」


 ごまかすつもりだったのだろうが、繰り出された質問は核心を突いていた。現一狼が面倒くさそうに惣時郎を見遣った。おまえが対応しろよ、ということなのだろうが、惣時郎も知りたいことだったから、そのままにしておく。


「……旅の途中で」

「その割に荷物がねえなあ」


 元々事件を扱う記者だったせいか、立川の会話は的確で、逃げ道がない。

 現一狼は天井をあおいだ。

 それから、長いため息をつく。


「……着替えはいくつか持っている。洗濯のために宿に泊まることもある」

「着物は一枚? その足袋(たび)、だいぶ長いこと履いているだろう」


 立川が指さした先を追って、現一狼の足を見る。たしかに、だいぶよれている。


「替えの足袋は、あるにはあるけれど、この先が長そうだから、まだ」

「なるほど、行き先は」


 立川は酒を飲みながら、手元を見ている。時折、現一狼のほうに目を遣るが、表情をちらっとうかがうと、また目を伏せてしまう。


 ――そうか、立川さんは現一狼が殺人者だとわかっているから。


 警戒しているのだ。さすがに助け船を出さないと、現一狼の立場が危うい。惣時郎は、そういえば、と間延びした声を上げた。


「現一狼のところは、剣術か何かの道場なんだろう? みんな、寮かなんかに住んでいるのか」


 確か、夢現(むげん)流には大きな寮があったはずだ。


「ああ、おれも寮住まいだ」


 先ほどより、ずっと声が柔らかい。あきらかにホッとしている。


「飯は誰か作ってくれるのか?」

「いや、自分たちで。順番があるんだ」

「じゃあ、おまえも料理ができるのか」

「うん、得意なのは魚の煮付けかな。まあ、順番が来たときに、うまいこと魚が買えたらな」


 現一狼が魚を煮るための平たい鍋の前に立っている姿は、どうも想像しづらい。料理をするのだから、割烹着などを身につけているのだろうが。そもそも、その様子が思い浮かばない。

 惣時郎が指先で顎を触っていると、三嶋が、はい、と手を上げた。


「質問です。げんいちろうさんのいる寮って、男ばっかりなんですか」

「ああ。男だけだな。そもそも、門下生が男だけだ」

「うちの学校と同じですね。うちも男子校です。けんかだったり、色恋沙汰だったり、そちらもいろいろあるんですか」


 惣時郎は目を丸くする。

 けんかはしょっちゅう聞くが、色恋沙汰は初めてだった。


「ちょっと待て、三嶋、そんな話、俺は聞いたことがないぞ」


 惣時郎は慌てて話を遮った。


「ああ、そりゃあ、檜先輩はほぼ中心人物ですから、かえってみんな、話さないでしょう」


 三嶋が迷惑そうに唇をとがらす。


「何だよそれ」

「あとで、葭原(よしはら)先輩にでも聞いてください。近頃、僕も巻き込まれて面倒なんですから」


 葭原とは、惣時郎の親友の葭原(よしはら)(みず)()だ。生徒会でも、惣時郎が会長、水貴が副会長だった。


「僕はね、知りたいんです。やつらが檜先輩に何をしようと企んでいるのか。げんいちろうさんのところでは、どうなっちゃっていますか」


 それは、惣時郎だって知りたい。状況はわからないが、自分に対して企まれているのは冗談じゃない。

 思わず、じっと現一狼を見つめる。自分でもしかめ面になっているのがわかった。現一狼が困った、という顔で壁に視線を這わせた。


「どうって……まあ、気をつけるしか」


 おい、助けろ、という声が聞こえるような顔で、現一狼がこちらをちらりと見る。惣時郎はどうしようもなく、湯飲みに手をして、茶をすすった。助けてほしいのは、惣時郎のほうだ。

 三嶋が決意したようにうなずいた。


「だいたい、わかりました。僕、学校では檜先輩の貞操が犯されないよう見張っています」


 もう少しで茶を吹き出すところだった。すでに立川と中野は酒を吹き出している。現一狼だけが落ち着いていた。


「それができるなら、そうしておくのがいいかもな」


 ――ちょっと待て、それができなきゃ、俺はどうなるんだよ?


 惣時郎は心の中で叫びつつ、なんとなく想像もでき、困惑のあまり口をぽかんと開いた。

 現一狼が哀れむような目で見ている。

 羞恥心と、怒りと、情けない気持ちがないまぜになって、惣時郎は膝の上で(こぶし)を握った。

 場がしんとした。当主としてなんとかしなければと顔を上げたとき、山下(やました)(ふすま)を開けた。

 

「お風呂が沸きました。お泊まりでしたら、こちらに布団をご用意いたします」


 惣時郎は外を見る。奥まったところにある檜家の辺りは、既に真っ暗だ。辺りをよく知った者でなければ、道がどこかもわからない。


「中野先生も立さんも泊まっていきなよ。山下さんも、ああ言ってるし」


 立川と中野が顔を見合わせた。どちらも情けなさそうに頭を掻いて、じゃあ、と言った。


「三嶋は? 帰るなら岩田(いわた)に送らせるよ。こんな暗い中を一人で帰ったら、お母さんが心配するだろう」


 三嶋が立ち上がるだろうと、惣時郎は腰を浮かした。

 三嶋は、動かなかった。


「いえ、僕も泊まります」


 惣時郎は動きを止める。三嶋が澄ました顔で茶をすすった。


「香典、先輩は断るだろうって母も言っていました。でも、絶対渡してこいって。それまで、僕は帰りません。泊まりになるかもしれない、とは母に言ってあります」


 惣時郎は、先ほどの封筒を思い浮かべる。それなら受け取ったほうがいいのだろうが、ちょっと分厚すぎた。今、会社員の給料は一か月一万円くらいだと言われている。気持ちのいい計算ではないが、おそらく、三嶋家もその辺りではないか。あの分厚さでは、三嶋家の全財産と言われても、信じてしまうくらいだ。


「一部なら、受け取ろう」

「全部です」


 惣時郎はどうしていいのかわからず、座卓に手をついたまま黙り込んだ。


「三嶋様。日を改めてお越しいただくわけにはまいりませんでしょうか」


 山下が部屋の入り口で、慇懃に語りかけた。三嶋の視線はそちらに向いた。今まで見たことのない、冷たい目だった。


「母が是非に、と。先代当主の森太郎(しんたろう)様には人生を救っていただいたから、と申しています」


 ――何だよ、それ?


 訳が分からず、惣時郎は三嶋を見つめた。三嶋は惣時郎のほうを見なかった。ただ、山下を睨みつけている。


「……たかだか、香典のことで、そんなに」


 山下が小さな声で言った。客のことを批判しない彼にしては、珍しいことだった。

 三嶋が立ち上がった。山下の目の前まで大股に歩いていくと、顔を覗き込む。


「あなたはなぜ、母がありがたかっているか、わかっているんじゃないですか?」


 山下が三嶋を避けるように体をよじり、一歩下がって頭をさげた。


「若先生、立川様、三嶋様のお布団は、こちらにご用意します。おくつろぎくださいませ」


 いつもの恭しい態度で山下が居間をあとにすると、惣時郎は三嶋の肩をつかんだ。


「何があったんだ」


 強引にこちらを向かせた三嶋の視線には、感情がなかった。だが、惣時郎に視線を合わせると、にこりと笑った。


「ずいぶん前のことです。僕が小学校に入ったころの話だから。先輩が気にすることはないです。でも、僕らは恩を忘れていません」

「だから、何が」

「先代の(のち)()えにどうかと、母に話があったんです。けっこう、熱心に」


 惣時郎は、体がびくりと動いたまま、固まってしまった。

 父と三嶋の母が再婚するということは、一つ年下の三嶋は、惣時郎の弟になるということだ。

 檜家側が何を考えていたのか、手に取るようにわかった。

 森太郎の妻と、惣時郎の弟を、同時に得ようとしたのだ。


 ――それは、父さん、かなり激しく抵抗しただろうな。


 檜家側からは、山下が代表になって三嶋家と関わったことだろう。森太郎が熱心でないのなら、なおさらだ。そして、森太郎は山下たちに押し切られることなく、縁談を断った、ということだ。

 証拠に、三嶋家は今も母子で暮らすことができている。


「しかし、その恩だと言っても、あの封筒は」

「すぐに入り用な金は手元に置くしかなかったので、それ以外の金を用意しました」

「その金は、おまえたちが使えよ」

「母が好きな仕事をできて、僕が気楽に過ごせるのも、全部、先輩のお父さんのおかげです」


 三嶋母子をここまでさせているのを見ると、当時の檜家がどれだけ強引なことをしようとしたか、想像がついた。


「……じゃあ、泊まっていけ」


 惣時郎はそう応じるしかなかった。

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