【第三章 参謀消失】 (五)拠点
「龍」では前々から、東京に拠点があったほうがいいという話がでていたが、難しかった。
素性の知れない彼らが物件を手に入れるには、多少の手順と協力者がいる。
おととし目を付けたある流派の門下生に、不動産会社の社長の甥がいた。当時は中学生だったが、その流派でも一、二を争う能力で、「龍」に引き入れる価値はあった。両親が亡くなったあと、仕事で忙しい叔父夫婦が件の流派に預けたとかで、幼いころから訓練を受けていた。生活は共にしていないが、叔父夫婦とその門下生の仲は悪くなかった。
彼はその少年をターゲットにして、流派をつぶして生活を奪い、手に入れた。
そして、少年を青龍の跡継ぎとして養子に迎えるという名目で、新井姓を名乗らせた。少年の名は、明という。
かなり強引な方法で手に入れたのだが、明は彼に逆らわなかった。むしろ、環境の変化を喜んでいた。
明に殺人願望があるのを知ったのは、叔父の不動産会社から東京に隣接する県のビルの一フロアを借りてからのことだ。
「龍」が暗殺組織だからといって、無計画に人を殺しているわけではない。緑龍の頃はそういうこともあったようだが、青龍の代では、リーダーの命令のない殺しは禁じている。
そんな中で、明が自分を抑えられるか心配だったが、今のところ問題は起こっていない。もし、問題が起これば、泣いて馬謖を斬る覚悟はあった。
彼は、仕事部屋、と呼んでいる部屋に直行した。幹部が集まっている部屋に顔を出してもよかったが、いろんなことを考えたあとでは、人に会うこと自体がおっくうだ。
部屋には、モニタがたくさんある。
だが、今はどれも映っていない。リモコンのボタンを押してみるが、反応がない。
部屋の中央に置かれたソファに体を投げ出すと、サイドテーブルにあった電話の受話器をとる。内線1を押すと、すぐにつながった。
「はい、明です」
声はもう大人だが、しゃべり方が少し子どもっぽい。
本物の弟がいたら、こういうのを可愛いと思うのかな、と考えながら、彼は用件を告げる。
「ただいま。夢現流の監視カメラ、もう見えるのか?」
「あ、お待ちください。コードをつなぎにいきます」
コードくらいつないでおけ、と思いながら、彼は、ああ、と唸るように言った。
受話器を置く間もなく、扉がノックされた。覗き窓を確認すると、明だった。
「すみません。作業の途中で雑用に呼ばれちゃって」
明は次期リーダー候補だが、年が若すぎるせいか幹部には軽んじられることが多い。彼がいるときは睨みをきかせるのだが、なにぶん、「龍」に集まっているのは勝手な連中だ。統率するのは難しい。
河上は、そういう「龍」のバラバラなところが四年前の惨劇の一因だという。「退け」と言われても、二十八代現一狼に襲いかかったのが間違いだったというのだ。とにかく、命令を聞けるようにしようと、今、「龍」では朝からみんなでラジオ体操をしている。参加しない奴は彼が殴る。彼自身も、構成員たちの不満をおさえるために、ラジオ体操をする。朝早く起きるのはめんどうだし、ラジオの音に合わせて動くのはうっとうしいし、気恥ずかしい。でも、これが勝つのに役立つなら、と我慢している。
「龍」が夢現流とぶつかるのは明らかだったし、そのときに前回のような惨事を招くのは嫌だ。それまでに、統制のとれた組織にしたかった。
「つながりましたよ。何かあったら呼んでくださいね」
コードをいじっていた明が立ち上がった。
リモコンのボタンを押すと、さっそく夢現流道場の寮の廊下が映った。
桂が設置したカメラだ。床に近い位置に取り付けられているらしい。足元しか見えないが、夢現流の門下生に見つからない場所というと、これが精いっぱいだった、ということか。
ちょうど、廊下に人はいない。だが、声はする。もうすぐ、誰かが通りかかるのだろう。
「おまえもここで見ていけよ」
声を掛けると、明はきょとんとした。
「いいですけど。珍しいですね」
「余計なことを考えたくないんだよ」
「どんなことですか?」
「おまえが知らなくていいこと」
モニタに靴下が映った。
「檜渥ですね。夢現流の門下生は、みんな着物だから」
明の言う通りだった。足音と同時に、渥の声が聞こえる。
「俺は当たっていませんよ」
「当たったと言っているから当たったんだ」
答えたのは、夢現流の副頭領、伊藤龍之介だ。
どうやら、体がぶつかったかどうかでもめているらしい。
「こっちは荷物も持っているし、多少幅を取るのはしかたないでしょう」
「わざとだっただろう。それに、無視したな。挨拶くらいしろ」
「挨拶はしたじゃないですか」
「してないぞ。誰も、君が挨拶をしたのを聞いていない」
「嘘だろ。聞いた人!」
渥が大声を出す。少し離れたところで、ざわつく感じがあった。門下生たちが集まっているらしかった。
「ほら、誰も手を挙げないじゃないか。挨拶をしろ」
どすん、と渥が荷物を置いた。モニタには、さっき渥が持っていたボストンバッグが大写しになる。
「これで、檜渥が挨拶しておわりですかね。割と頑固なんですね、この人。相手は副頭領なんだから、さっさと挨拶すればいいのに」
明があきれたように、モニタを指さす。
そのときだった。
渥が一歩踏み出すのが見えた。直後、龍之介が踏み込み、渥の足が床から浮いた。
ドン、と大きな音がして、渥が床に転がった。
うそだろ、と彼はつぶやく。
夢現流は、向かってくる者になら、どんな反撃も可能だ。
伊藤龍之介は副頭領だから、二十八代現一狼の次に強い。
そんな奴に、檜渥はとびかかったのだ。
しかも、何か策があったわけでもなく、情けなく投げ飛ばされて。
「……ぅっ」
打ち所が悪かったのか、渥が背を丸めて小さく呻いた。渥の頭の側に龍之介の足が映っていた。
「頭領の客だから大目に見ていたが、今後一切、そういうことはない。ほかの門下生と同じように、きちんとしてもらう」
龍之介が立ち去り、ざわめきが大きくなった。渥はゆっくりと体を起こし、容赦ねえな、とつぶやいた。
※泣いて馬謖を斬る……規則を守るために愛するものでも処刑すること。
お読みくださりありがとうございます!
「泣いて馬謖を斬る」。みなさんご存じと思いますが、「彼」こと「青龍」が思い浮かべるには難しいと思われる故事成語かと思い、注をつけました。「ばか」を「馬鹿」と言わず「莫迦」という辺りにも、「彼」の知性が垣間見えます。あんがい勉強家の「彼」です。




