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【第一章 密室の扉】 (十八)兄弟

「つかぬことをおうかがいしますが」


 翌日、現一狼は学校帰りの二人をつかまえて、応接間に陣取った。

 目の前の二人は高校のブレザー姿だ。

 錦はぴったりとネクタイをしめている。

 渥はかなりゆるめ、シャツのボタンも一つ外していた。それだけだが、細い首とシャツの間から、胸元まで覗けそうだった。

 家長として、おそらくそれ以前に、檜家の長男として他者から自分がどう見えるかを教え込まれた錦と、次男として両親と兄に守られて育ってきた渥の差が見て取れる。

 

「なんでしょう?」


 柔和な笑顔で錦が応じる。笑みの向こうに緊張感があるのを、現一狼は見逃さなかった。


「結城先生ですが、家庭教師としては、どうでしたか」


 檜家に「龍」が敵対心を持っていたとしても、これだけ人数の少ない民間人の家なのだから、数人で襲撃すればいいだけだ。昔は、夢現流とつながっていたかもしれないが、少なくとも事件直前は違っていた。現一狼が襲撃に気づいても、彼らを守り切るところまでは難しい。

 第一、潜入目的だとしても家庭教師では役に立たないだろう。檜家の兄弟はまだ子どもだし、たとえば、「龍」を潰すために水面下で活動を始める、などというのは難しい。彼らが受験を終え、大学を卒業して社会人になる頃には、家庭教師は解雇されてしまう。


 おそらく、「龍」にとっては現時点が重要だったのだ。

 現状、脅威にはなり得ない檜家の使い道は何だったのか。

 まずは、檜家の兄弟の弱みを「龍」側で握ることだ。大人になっても、脅しに使えそうなものを。もう一つ、大して反撃できない檜家を使ってできることは。

 

「教え方は上手でしたよ。高校の英語の教員免許をお持ちだそうで、僕らは会話、文法、ライティングなどを習っていました」


 長い沈黙を破って、錦が微笑(ほほえ)んだ。

 渥はそっぽを向いている。


「お二人とも、英語を?」

「はい。学校の授業だけでは、私大対策として不十分な部分がありますから」

「内容はよいとして、教えるときの態度は、いかがでしたか」


 錦の笑みが消えない。引っ込められない、というのが本当のところだろう。


「何が言いたい」


 反応したのは渥だった。不機嫌そうな顔しているが、握りしめた(こぶし)がほんの少し震えている。渥を攻める方が早い、と現一狼は視線を彼に当てた。


「単刀直入に言います。身体目当ての襲撃をう」


 言葉の途中で、平手が飛んできた。ぎりぎりでよけ、畳の上に転がる。渥が胸ぐらをつかもうと手を伸ばしてくるのが見えた。


「渥!」


 錦に怒鳴られ、渥の動きが止まった。


「だって、兄さん」

「手を出しちゃだめだ。いいか、おまえは動きが速いから、僕でも止められない。自分で、自分を止めるしかないんだ。いつも言っているだろう!」

「……ごめん」


 渥が頭を下げた。長身を折り曲げて謝る格好は、何だかとても慌てているように見えた。顔を上げた渥は、頬が紅潮していた。鋭い目尻に浮かんだ羞恥心が新鮮だ。

 現一狼は、しばらく見とれた。


「なるほど。改めて。実際はいかがでしたか」

「いかが、というと?」


 錦が渥を背後にかばい、真面目な顔で応じる。


「スキンシップを越えたスキンシップみたいなもの、があったりしました?」


 今度は現一狼も殴られない範囲の言葉に言い換えた。


「おっしゃっている意味がわかりかねます」


 それをいいことに、錦はとぼける。

 面倒だな、と思いつつ、(たもと)からマグネットを取り出す。


「この人、ご存じですか」

「拝見します」


 錦が(のぞ)き込んだ。その頭ごしに、渥もマグネットの写真を見る。


「そいつ、通夜にいたよ」

「覚えているんですか、渥さん」


 すでに、青龍本人に声を掛けられているのか、と、現一狼は頬を強ばらせた。


「うん、見たから」

「何を話したんです」

「いや、話とかは。見ただけで」

「近くに?」


 渥が天井を仰いだ。


「いや、最後列にちらっと。伏し目がちだったし、焼香も近所の人と一緒に、さっと終わらせて。……おまえより小柄な、丸い感じの髪型の男子と一緒にいた、よ」


 引っかかった糸を引っ張り出すような話し方だ。


「話したのでは?」


 ――そうでもないのに、いちいち焼香しにきた客を覚えているものだろうか。


 現一狼が首を傾げるのを見て、渥が戸惑ったように錦を見下ろした。錦も身体を(ひね)って渥を見上げ、うなずく。


「済みません。渥は、見たものを覚えていられるんです。その場で意識していなくても、あとでビデオを巻き戻すみたいにして、思い出せるというか」


 現一狼は、ああ、と答えて額を押さえる。

 俊敏さと死体に驚かない精神力、並外れた記憶力まであるとは、やはり、スパイか暗殺者向きの体質なのだろう。


「それ、青龍です」


 現一狼の言葉に、檜家の兄弟は青ざめた。

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