【第五章 五つの息子】 (二十三)打開
一時間後、惣時郎はまた、車中の人となっていた。
「手紙の謎解きを聞こうか」
宿を出て十分ほど、人通りの少ない道に出たところで、隣に座っていた水貴が言った。
「そうっすね」
運転席の三嶋もうなずく。
二列目に座っている惣時郎と水貴は、三列目にいる現一狼を振り返った。
もう、顔色は戻っている。いつもの同じような力強さと冷静さが現一狼を支えている。
――大丈夫だな。
惣時郎は口を開いた。
「まず、手紙の宛先の筆跡について話そう」
スーツのポケットから封筒二枚を取り出す。現一狼に見えるように、座席の背の上に掲げてみせる。
「この文字。書いたのは子どもだ」
え、という声が水貴、現一狼、三嶋から聞こえた。
「実際に字を書くとわかるよ。俺たちじゃ、こんなに一画ずつ、力を込めて書けないんだ。ほら、学校で書写の授業があるだろう。どこを続けて書く、どこに力を入れる、はね、とめ。何度も文字を書いて、しだいに慣れていく。そういった教育を受ける前の子ども、つまり幼児が書いた文字だ」
惣時郎は、おそらく三歳から五歳、と年齢をつけ加える。
「みどりと、緑龍の間に子どもがいる、ということか?」
現一狼の声が震えた。
「そうかもしれないな。園田さんの筆跡に似ているから、見本にしたのは園田さんが書いた文字だろう」
いたたまれない沈黙があった。
「他の子をかばっている可能性は?」
三嶋が沈黙を破った。
「いや。園田さんだって、現一狼に手紙を送るのは怖かっただろう。何かを企んでいることが丸わかりだからな。それだけ一生懸命になれる相手は、自分の子どもくらいしか考えられない。相手が誰だかわからないが」
また、沈黙だった。
「……そうか。……そうだな」
今度は、現一狼のつぶやきで破られる。
現一狼にとってはショックだろう。この十四年間、みどりが「龍」に囚われたままだというのなら、幼児に父親は、緑龍でなくても、「龍」の誰かだ。
「時計を送ってきたのは、現一狼に、自分は生きている、と知らせるためだ」
みどりが生きていると考え、檜家までやってきた現一狼の感覚は正しかったのだ。現一狼が気づくと思ったからこそ、みどりも二通目を駅前のホテルに送ったに違いない。
「それから、ガーゼのハンカチ」
ビニールに入ったハンカチを、水貴に渡す。
「今は乾いているが、濡れていたんだよな」
「そう。おまえ、こういうハンカチを持っているか?」
「いや、オレは。妻は持っている。よく子どもの口をふいたり」
「濡らしてそういう、長方形みたいな形にして使うときは?」
水貴が、あ、と言った。
ほぼ同時に、現一狼も、そうか、と言う。
「え? え、何です。先輩たち」
三嶋が運転の合間に振り返った。水貴が「前を見ろ」と注意する。ついで、というように、水貴が運転席に顔を近づけ、説明した。
「小さい子どもが熱を出すと大変なんだよ。薬だってすぐ効くわけじゃないし。少しでも楽な気持ちになってほしくて、おでこに濡らしたガーゼのハンカチを乗せるんだ。すぐずり落ちるし、熱が高いほどすぐ乾くから、四六時中取り替えてやらなきゃならないけれど」
うちの子も小さい頃は大変だったな、と水貴がしみじみと言う。水貴の子どもはすでに中学生だ。
「うちも、そろそろ、その時期は過ぎそうだが」
現一狼が身を乗り出した。
「うちはまだ真っ最中だよ」
惣時郎も応じる。
幼いうちは、子どもは熱を出しやすい。世間ではそう言われていたが、子どもを育てるまでは実感がなかった。中野によれば、だいたい小学校入学前には落ち着くという。
「龍之介君は、注射を打たれて泣くのか?」
ふと気になって、惣時郎は現一狼を振り返った。現一狼は気むずかしい顔で、口をへの字に結んでいる。惣時郎は、ふ、と笑いを漏らした。
「おまえの子が大泣きじゃ、おまえも気まずいだろうな。安心しろ、うちの子も大泣きらしい。とくに渥は医者があきれるほどだそうだ」
現一狼が、あからさまにホッとした顔になった。惣時郎も少し気が軽くなる。
「ともかく、今、『龍』本部には、園田さんと、熱を出している幼児がいる、ということだな」
水貴が咳払いをして、話をまとめた。
「ああ、すまん。そういうことだ。子どもの病状は悪いと考えられる。じゃなきゃ、園田さんもSOSを出さない」
口には出さなかったが、だいたいの状況は理解できた。
おそらく、子どもは死にかかっているのだ。
「つまり、俺たちが助けなければならないのは、病気の子どもだ。園田さんの脱出は手助け程度でいいと思う」
子どもに宛名を書かせ、「龍」から見ればよくわからないが、現一狼には通じる手紙を送る、というのは、よほど頭がしっかりしていないとできない。みどり自身も病気であれば、できない芸当なのだ。
「惣時郎、今回は、林次郎さんのときのようにはならないだろうな?」
水貴が惣時郎の腕をつかんだ。
こちらに戻ってくる車中で、新井燦が助けられたときの話を聞いたばかりだ。恐れるのも無理はない。
――おまけに、叔父さんは爆死してるもんな。
惣時郎は叔父の死のいきさつを思い返す。新井燦のことで林次郎は「龍」に目をつけられた。のちに、檜家に裏切られ、「龍」の手下となった元檜家の関係者に殺されたのだ。
「子どもは女の子じゃないかな」
「楽観的な言い分は聞かないぞ」
水貴は引かない。
「葭原。おれも、惣時郎の説を支持する」
後ろから現一狼が言った。
「根拠は」
水貴が現一狼を睨んだ。
「実は『龍』は、少し前に男の子を養子にしているんだ。夢現流のほうで確認はしているんだが、緑龍の戸籍にも、その子の名前は載っている。まあ、実の親の情報は偽で、何らかの方法で偽造したものを使ったんだろうけれどな」
「変なところはきちんとしているな」
水貴が顔をしかめた。
「そうだな。『龍』はそういうところだよ。殺人の手順も、いちおうきちんとしているようだ」
惣時郎が話を加えた。水貴が露骨に嫌な顔をする。
「殺人にきちんともくそもあるか」
確かにそうだ。
惣時郎と現一狼は顔を見合わせる。
殺人を生業としてきたものたちを身近に見ているから、手順がどうとか、手続きがどうといった部分にも目が行くが、そうでなければ、どれも同じ殺人にしか見えないだろう。
「まあ、養子は戸籍に載っているんだが、実子であるはずの、みどりの子は載っていない。出生届すら出していない、ということだな。つまり、最初から……跡継ぎにする予定ではない子だった、ということだ」
「つまり、跡継ぎになれない女の子だったから、ということか。そんな扱いをする父親じゃ、確かに病気になったら見殺しにしそうだ」
水貴は「龍」の話が心底嫌なのらしい。
跡継ぎ候補でも見殺しにされるんだけどな、と思いながら、惣時郎は指摘せずにいた。これ以上、水貴のネガティブな感情を刺激したくない。
「というわけで、『龍』本部を訪れる。作戦を練ろう」




