【第五章 五つの息子】 (二十一)筆跡
惣時郎は伊勢で下車して、檜家に向かった。
二通の手紙は寝室の引き出しにしまってあった。現一狼から時計とハンカチも借りてきた。それらの謎を解いてから、「龍」本部での救出作戦に出ることに決まっていた。
着物に着替え、買い出しに出かけたいという夏美と岩田を見送り、惣時郎は応接間の座卓に二枚の封筒と時計、袋に入ったガーゼのハンカチを並べる。
やっぱり字が奇妙だ、と思いながら封筒を覗き込んでいると、襖がノックされた。
懐に封筒や時計、ハンカチをしまい、襖を開けると、渥が立っていた。
「とーさん」
不安げな顔で、惣時郎を見上げている。
「どうした?」
惣時郎は努めて穏やかな表情で、しゃがみ込む。
「にーさん」
渥はそう言って口ごもった。
言いたいことが言葉にならないのだろうか。
「にーさんをみにきて」
渥は、幼さにそぐわない、はっきりした口調で言う。
――そういえば、渥は最初から大人の発音だよな。
ふと、惣時郎は気づく。錦のときは、しばらく「とうさん」ではなく「とーたん」と言っていた。
渥には、それがない。
表情が強ばりそうになるのを笑顔で押し殺す。
「錦がどうかしたのか」
「みて」
渥が惣時郎の袖を引いた。子どもにしては力が強い。いや、子どもの力は思ったより強いものだろうか。
惣時郎は自問しながら、渥に引かれるままに二階に上がる。
連れていかれたのは錦の部屋だった。
気の早い岩田が用意した勉強机がある。錦は机とセットの木製の椅子に座っていた。まだ、足はつかずにぶらぶらさせている。
机にかじりつくように伏せている錦の手には、えんぴつが握られている。手が小さいせいで、えんぴつがやけに長く感じられる。
えんぴつの先には紙があり、つたない字で、「ひのきにしき」と書いてあった。
「え? とうさん」
惣時郎に気づいた錦は、慌てたように紙を隠した。
「見せて、錦。じょうずじゃないか」
「でもまだ、おとなみたいにかけません」
錦は、頬を赤らめじっとうつむいている。
まずいところをのぞいちゃったな、と思いながら、惣時郎は机から少し離れた。
部屋から出た方がいいだろうか、と思った瞬間、渥が言った。
「にーさん。あれ、かいて」
机の端にすがりついて、背伸びをして、ようやく指さした先には、達筆で「檜錦」と書いた紙がある。岩田の筆跡だ。
――おいおい、まだ漢字は無理だろう。
そう思いつつも、惣時郎は微笑む。岩田がどれだけ錦の成長を楽しみにしているのか、わかりすぎるほどだった。
「でも、ぼく」
錦は惣時郎を振り返り、戸惑っている。
「にーさん」
だが、渥にうながされると、力強くうなずく。
右手にぎこちなくもたれたえんぴつの先が、新しい紙に当てられた。
錦はじっと岩田の手本を眺め、紙に強くえんぴつを押し当てて、息を止めるようにして一画一画書いていく。
惣時郎も息を止めて、それを見ていた。
錦の字は不器用で丁寧だった。
まるで、絵を写すような動きだ。
――あの手紙の文字……。
動いている時計と、ぬれたハンカチ。
惣時郎はハッとして、渥を見下ろした。
渥は錦の手元に集中する振りをしている。だが、惣時郎に意識が向いているのは明らかだった。
「渥」
呼びかけると、すぐに渥は惣時郎を見上げた。
「ありがとう」
惣時郎は、大人にするように、背筋を伸ばしておじぎをした。




