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【第五章 五つの息子】 (九)教育

 夕飯に呼ばれて、惣時郎(そうじろう)は子どもたちと一緒に部屋を出た。(にしき)は小さいながら(はかま)の裾を上手にさばいて、階段を降りていく。自分は高校生の頃、(ひのき)家に関わる者たちが集まっている前で階段を踏み外したことがあったな、と惣時郎は思い出す。苦いような、温かいような不思議な気持ちだった。今の檜家は、後ろ暗いことはしていないが、あのように多くの人が集う習慣はない。

 あの記憶の苦みは、小さい頃から時期当主である錦に着物を着せて慣れさせることで生かされた。

 温かみは失われたが、次男として生まれた(あつみ)を手元で育て、倫理観のきちんとした次世代を育てるという強い意志が、代わりに惣時郎を支えている。

 

〝同じ(いばら)の道なら、お天道様に顔向けできる道のほうがありがたい〟

 

 他界した、ゆのが言っていたことを思い出す。

 高校時代は、檜家に関わる者たちの会合が嫌いだった。いまさら、たくさんの仲間がいることを温かいと感じるなんて。

 

 ――感傷に浸っても、前には進めない。

 

 惣時郎は思い直し、錦を追って階段を降りようとする。そのとき、後ろから袴を引っ張られた。振り返ると、渥が両手を惣時郎に向かって伸ばしている。


「何だ、だっこか」


 渥にしては珍しいな、と思って抱き上げる。昼間に現一狼に会った衝撃が強かったのかもしれない。襟元に頭をくっつけて、じっとしている。まだ、現一狼のにおいの記憶が残っているのかもしれない、としばらくそうしていた。

 ふと、渥の手が、(ふところ)に入った。


「え、おい」


 (あらが)う間もなく、しまってあった封筒が引っ張り出される。

 現一狼(げんいちろう)の名前や夢現(むげん)流の住所が書かれている封筒だ。あまり、人目にさらしたくはない。とはいえ、渥はまだ一歳九か月。何が書かれているかもわからないだろう。

 下手に取り戻そうとして封筒を破くよりいいか、と、惣時郎は渥の興味がなくなるのを待つ。もちろん、渥が封筒をなめたり、破ったりしそうだったら取り戻すつもりだった。だが、そういう気配もなく、じっと宛名面を見ている。

 惣時郎は少し気味悪く感じて、渥を廊下に下ろそうとした。すると、渥は手首を返して、封筒の裏を見る。差出人が書かれていない手紙だ。渥の目には、真っ白い面が見えるだけだろう。しかし、そちらもじっくり眺め、それから、惣時郎に封筒を返してきた。


「おもしろいものでも見つかったか?」


 懐の奥に封筒を押し込みながら、惣時郎は試みに尋ねてみる。

 渥は思案深げに廊下の天井を見上げると、わからない、というように首を傾げた。


「とうさん、あつみ!」


 錦が階段を戻ってきていた。心配顔だ。

 よほど弟がかわいいのか、錦はいつも渥のそばにいようとする。幼稚園に入ったら日中の数時間は離ればなれになるが、そのことを錦は知っているのだろうか。


「すぐ行くよ。渥がだっこしてほしそうだったから、だっこしていたただけ。このまま、下におりるぞ」


 幼子特有の体温の高さを感じながら、惣時郎は叔父のことを思い出していた。

 叔父には、父親にこのように抱かれることがなかったに違いない。生まれてしばらくしたところで、(その)()家に預けられるからだ。それからは、ずっと殺人のことばかり教えられる。だから、叔父はためらわずに人を殺した。

 渥には、殺人についてはいっさい触れさせたくなかった。殺人は悪いことだと判断し、いかなるときもその判断を重視し、間違っても殺人という手段を選び得ない人間に育てようと思っていた。

 死臭がかぎわけられる、というような、渥の能力には、惣時郎もときどき心を折られそうになる。でも、育て方がすべてだと、まだ、惣時郎はギリギリ信じることができている。

 檜家の事情を知っている岩田(いわた)には、渥の育て方について伝えていた。惣時郎がいない間も、気をつけてくれているということだった。テレビなどで、万が一、人が殺される場面などを目にしてしまったら、あれはとても悪いことだ、ぜったいにしてはならない、と怒り声で言ってみたり、トラブルを機転と思いやりで解決するような絵本を読み聞かせしたり、ということだ。

 このような教育は、手を替え品を替え、渥が大人になるまで続けられる。

 殺人をしてきた檜家のことは、いっさい、伝えない。

 その一方で、錦にはもう少ししたら、檜家について伝えるつもりでいた。次期当主として、惣時郎と同じ知識をつけさせなければならない。変革の意味についても、説明しなければならない。さもなければ、錦の時代に、また、殺人稼業に戻ってしまいかねない。また、檜家に関わる者たちが昔に戻りたいと言って、武器を持って錦を脅す可能性を考えると、檜家の当主として身につけておくべき武術は教えておかなければならない。早めに始めて、惣時郎が一通り拾得したのと同じ、十一歳のころには終わらせたい。

 ただ、惣時郎は迷っていた。

 檜家の術は、一撃必殺だ。当主の術は、相手の動きを一撃で止めるもので、命を奪うものではない。ただ、叔父の林次郎(りんじろう)のような殺し屋がいない状態で、それだけの強さを得る必要があるだろうか。万が一ということはあるが、さすがに、叔父のような強い殺し屋が相手になることは、ないのではないか。

 当主になる教育は、惣時郎にしかできない。その分、何をどう教えるか、惣時郎自身が決めるしかない。


 ――関係者に殺人を求められたとき、錦が暗殺者になるような道は潰しておかなければならない。


 錦の教育も、さじ加減が難しくなりそうだった。


 ダイニングテーブルにつくまでは、教育のことばかり考えていた惣時郎だったが、卓上の(たら)(なべ)の湯気を浴びて、表情が緩んだ。

 檜家の鍋料理は、一人鍋が人数分用意される。今は錦と渥が小さいので、彼らの前には(なつ)()か岩田の鍋から分けた鱈や豆腐が、陶器の器に入れて盛られている。

 一人ずつ分けるのは昔の名残だ。当主や、殺しを担う次男の食べ物に毒が入れられたとき、それぞれに判断ができるように。その際に、無駄にする料理が最低限で済むように。


「冷めないうちに食べてしまってね」


 夏美がエプロンを外しながら言った。

 惣時郎は渥の鱈をほぐしてやりながら、夏美と岩田が座るのを待つ。

 全員がそろったところで、食事が始まった。

 子どもたちが豆腐を頬張る姿を見ながら、惣時郎は鱈を箸で切り、口に入れた。うっすらと感じられる鱈の甘みが、心配しなくていい、と、惣時郎の心を和らげてくれた。

2025年2月12日脱字を直しました。

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